ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
4回表、この回先頭の1番打者、矢部が2度目の打席に入る。煉瓦色の打席を両足のスパイクで丁寧にかき混ぜて打席を慣らし、踏み固める。ここまでフロッグスはノーヒットだ。スコアはもちろん0−0。
水田の投球練習の間、矢部と話し込んでいた大坂がベンチに帰ってきた。
「円陣を抜け出して、何を企んでるんだ……?」
ベンチに帰ってきた大坂を、監督代行の井伏が呼び止めた。
「ちょっと、確かめたいコトがありまして……」
「確かめたい事……?」
「…はい。水田の抜群のコントロールを踏まえての想像なんですが、もしかすると、彼はバットを狙って投げているんじゃないかなと思いまして……」
「初回の矢部君のPゴロの話か。有り得なくはないが、何度も通用する手じゃないだろう」
「オレも最初はそう思ったんです。ですが、その後のスコアも見てください」
「どれどれっ……えぇと、永瀬がセカンドゴロ、大坂君がショートゴロ。2回はガッテム君がセカンドゴロ、佐賀君がサードゴロ、ルコフスク君がショートゴロ。3回は菅野君がファーストフライ、俺がサードライナー、ロボ君がPゴロか。なるほどな。確かに、全員のバットに当てているとも言えなくないな。だが、そんなに珍しいスコアでもあるまい。ましてや、まだ一巡目……」
「打たせて取る。理想のピッチングスタイルです。水田のようにコントロールに自信のあるピッチャーならば尚更でしょう」
「……何が言いたい?」
「打たせて取るピッチングの更に上の投球術。そうですねぇ『当てて取る』ピッチングとでも名付けましょうか」
「当てて取るぅ……!? 馬鹿言っちゃいけない。もし、仮にそうだとしたら、打者のスウィングの軌道やタイミングまで測って投げてることになるぞ……」
「……不可能でしょうか?」
「…………?」
ここは南地区だ。砂塵を操る魔導術に気を取られていたが、術者が一人とは限らない。原理はわからないが大坂が描いたある意味当然の結論に井伏は言葉を失った。もしこの推論が当たっているのであれば、早々に手を打たなければならないだろう。
「それで、彼には何て言ったんだ?」
「『空振り』三振か、四球を選べと言ってあります。矢部君の実力と性格を考えると四球を選びたいでしょう。ですが、水田の制球力ではその望みは限りなくゼロです。おまけに、矢部君は追い込まれた状況で四隅に投げ分けられた150km/hを確実にカットし続けるほど器用な打者ではありません。だから空振り三振という逃げ道を用意しました」
「なるほどな。大坂君の仮説が正しいのなら、矢部君は空振り三振できないというわけだ」
「はい……ですが、この検証は水田がこちらの意図に気が付かない事が前提です。バットに当てるピッチングなんかよりバットに当てないピッチングの方がはるかに簡単なはずですし、理にかなっていますからね」
「ん? ちょっと待ってくれ、だったら初めからそうすればいいだろう」
「そうなんです。だから、矢部くんに試してもらうんです。もし、水田が狙って投げているのであれば、その意図がどこにあるにせよ、この1打席を犠牲にしても確認しておくべきだと思います」
「わかった。彼の武運を祈るとしようか」
キィィンッ!
「ファールボール!」
三振を恐れない思い切りの良いスウィングが炸裂して、打球が三塁ベンチ後方の崖で勢い良く弾んだ。気がつけばカウントは1ボール2ストライク。矢部は追い込まれている。
「ミスターヤベ! ヒロクヒロク!」
ガッテムの声援に頷いて、矢部は外角低めいっぱいのコーナーにポイントを合わせ、バットの軌道を確認するようにゆっくりとバットを振った。そしてそのままバットを真っ直ぐに立てると、分厚いメガネの奥の視線を再びマウンド上の水田に集中させた。
水田が足を高く上げて5球目のモーションに入る。奇しくも、その軌道は先ほどポイントを確認したバットの軌道上だ。タイミングはもう既に掴めている。さっきは少し早かった。だから、今度はコンマ数秒だけ溜める時間を長くする。そうすれば、バットは間違いなくボールを捉えることができる。力まないで、振り抜けばセンターの前に落ちる。そんなイメージで、矢部は左足を地面に踏み込んだ。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
「三振か四球でやんすか!? オイラにはそんな事できないでやんす! オイラはいつだって本気でやんす! 手心を加えるなんて相手に対しても失礼でやんす!」
「まあまあ、聞いてよ。矢部くん……」
4回表の開始前、大坂は円陣を抜け出して打席に向かう矢部を呼び止めていた。
「聞かないでやんす! 夏苗ちゃんの命が懸かってる大事な試合でオイラに三振しろだなんて正気じゃないでやんす!」
「矢部くん、声が大きいよ。それに、三振とは言ってない。フォアボールでもいいんだ。あと、正確には空振り三振だ。見送り三振じゃ意味がないんだ」
「ん……? どういうことでやんすか?」
「ちょっと確かめたいコトがあるんだ……」
「オイラと大坂くんの仲でやんす。隠し事は無しでやんす」
「わかった。じゃあ、説明するよ……」
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
キィーンッ!
打球はキャッチャー後方へのファール。捉え損ねた矢部は少し悔しそうな表情を浮かべながら、バッティンググローブをバンドをゆっくりと締め直した。ちらりと大坂とアイコンタクトを交わす。作戦は続行だ。
「ナイカットォ〜! 顔に似合わず器用な真似するじゃねーか!」
「顔は関係ないでやんす!」
三塁コーチの菅野が皮肉交じりのエールを送った。傍目には外角の厳しいコースの球を上手くカットしたように見えたことだろう。しかし、矢部がそんなに器用な打者ではないことは、高校三年間を共にしてきた大坂にはよくわかっていた。矢部は“空振りできなかった”のだ。
矢部は本来のタイミングに加えて、さらに半テンポタイミングを遅らせていたが甘かった。水田の投じたチェンジアップにまずまずのタイミングで合ってしまったのだ。こうなった以上、矢部にはどうする事もできなかった。フォームが崩れていた分、打球が前に飛ばなかった。それだけの事だった。
「監督代行。今のカット、どう思いますか?」
「どうって言われてもなぁ……」
「矢部くんは高校時代、割と早打ちで有名だったんです。1番打者にもかかわらず、若いカウントから積極的に手を出すんです。これでは1番打者としての役目を果たしているとは言い難い。先頭打者は、なるべく相手投手の球筋やコンディションを見極めて欲しいから、臭い球をカットして球数を稼ぐような立ち回りをするのがセオリーです。でも、彼はそうしなかったんです」
「変なところで頑固だもんな、あいつは」
「初めはオレたちもそう思ってました。矢部くんをトップで起用せざるをえないチーム事情もありましたし、彼自身の結果も出ていましたので、監督も含めてそれが彼のプレイスタイルだと割り切っていたのですが……」
コロコロコロコロ……
力のないゴロが三塁ベンチに転がってきた。矢部はまたもファールで粘る。大坂は思惑通りの結果に困惑しながらボールをワンバウンドで茅野に返した。ボールは綺麗に弾んで茅野の手のひらに収まる。
「……ひょんなことから、矢部くんの弱点が晒されてしまったんです」
「弱点……?」
「矢部くんは、追い込まれるとからっきし打てないんです。ある日の練習試合で、相手の投手がスタミナに難のある選手だったんで、監督指示で待球作戦をとっていたんです。ですが、その試合で矢部くんは全打席三振を記録してしまいました。おまけに、この後の数試合、矢部くんが調子を崩してしまって、勘を取り戻すのに苦労したんです」
「ならば、ここまでのカットは彼の本意ではないと?」
「カットが苦手な矢部くんがバットに当てさせられているんです」
「だとすれば、水田っていうピッチャーの底が知れないな。だがしかし、そんな事をして何の意味があるんだ? 自分の球数を増やすだけだ」
「多分ですけど、それは矢部くんが空振りしようとしているからだと思います。打席でそんなことを考えるバッターはいませんから。本当であれば凡打を打たせて、球数あるいは試合時間を節約したいはずです」
矢部の打席、最後はヤケクソになった矢部がピッチャーのモーションと同時にバットをフルスイングして空振り三振。……と思いきや、振り抜いた背中越しのバットの先に見事ボールがヒットして、鈍い金属音と共に真上に打球が上がった。
パシッ!
「アウト!」
キャッチャーの御殿場がこれを落ち着いて捌いて1アウトとなった。任を果たせなかった矢部は肩を落としてベンチに戻ってきた。
「気持ち悪いでやんす……」
「まあまあ、そんなに落ち込まなくても……」
「落ち込んではいないでやんす。あ、でも空振り三振出来なかったことは謝るでやんす。だけどやっぱり気持ち悪いでやんす。軌道をズラしても、タイミングを外してもバットに当たったでやんす。まるでボールが意志を持ってバットに当たりに来てるみたいでやんす。こんな事なら始めっから長打狙いで強振していれば良かったでやんす」
それが出来ればとっくに1巡目にそうなってるよ。と大坂は敢えて言わなかった。矢部もそんな事は百も承知のはずだ。とにかく、この厄介な投球術の正体を見破らなければならない。
打席には2番打者の永瀬が入った。
矢部の打席での試行錯誤はネクストバッターズサークルで待機する永瀬にも伝わっていた。散々粘った後での自暴自棄とも言える強振、からの曲芸のような打法(?)は彼の本意ではなかったに違いない。振り抜いた後、三振したにもかかわらず彼の表情は一瞬だが安堵の色を浮かべていた。彼の表情が歪んだのは、空振りしたはずのバットの先端にボールが当たった後だ。逃げ切ったはずの追っ手から不意に背後から刺されたような、恐怖とも絶望ともいえる苦渋の表情で、彼は打席に立ち尽くしていた。やがて、上空に漂う白球がミットに収まり主審がアウトを宣告すると、打席から逃げるようにベンチへと帰っていった。永瀬は矢部に声をかけるタイミングを失っていた。
バッテリーの術中にハマる前に、こちらからも揺さぶりをかける。永瀬も第2打席は思うところがあった。初球はバットを横に寝かせて一塁へ走るそぶりを見せる。
「ストライク!」
そう、初球はセーフティーバントのそぶりだけ。やらないと分かっていても、守る方は少なからず嫌なものだ。一番反応が悪かったのは三塁手だ。彼は守備が苦手というよりも……
永瀬はちらりと自軍のベンチで上半身を露出している男に視線を送ると、彼もまた黙って頷いた。元より打てる見込みがないのならば、躊躇うことはない。
水田の第2球。永瀬は再びセーフティーバントを敢行した。狙うは三塁線、ピッチャーではなくサードの守備範囲に転がすこと。
コツンッ!
テンテン…………
まずまずのコースだ。三塁手の動きを封じている以上、まずまずのコースでいい。しかし、打球の勢いが強すぎる! これではルコフスクがグラヴィティーゾーンで足止めをしても意味がない!
大柄な三塁手の浜松が深く腰を折ると、差し出しだグローブに打球がちょうど収まる。浜松はノーステップで一塁に転送して2アウトとなった。
「すまない。折角いい作戦を思いついたのにフイにしてしまった。同じ手は2度は通用しないだろうな」
「いえ、今のはいい前フリになりましたよ」
永瀬とのすれ違いざまに言葉を交わして、大坂は打席に入る。
初めからバントの構えだ。
いつもより少し大きいアクションでルコフスクに目配せをする。大げさになり過ぎないように自然に振る舞う。御殿場ほど観察眼のある捕手ならば、このくらいで十分だ。そして、このグランドで一番洞察力に優れているのは背後の彼ではなく、正対している水田だ。三塁手を前進させて取らせるエリアに狙いを定めて腰元にバットを構える。
水田の初球モーションと同時に膝と腰を深く折り曲げて、三塁線のまずまずのコースに狙いを定める。まずまずのコースでいい。
そして、永瀬はバントが苦手な打者ではないはずだ。セーフティとはいえ、力加減を大きく誤ることはないだろう。そうなると、導き出される結論は水田の球質が極端に軽く、ボールがよく反発したということだ。ならば、慎重に力加減を見極めて転がさねばならないだろう。
あるいは・・・
水田の指先をボールが離れると同時に、大坂は素早くバットを立てに戻した。できるだけ小さいテイクバックで態勢を整えると、さっきまでバットを寝かせていたポイントを目掛けてバットを一気に振り下ろす!
手元で若干ホップするように伸びた投球を慎重に転がそうとしていたら、ピッチャーへの小フライになっただろうか。永瀬に同じく、イージーなサードゴロになっていただろうか。
しかし、感覚的には完全に振り遅れている。水田の投球は今日最速の153km/hを記録していた。それでも何とか喰らい付く。矢部が粘り、永瀬が揺さぶり流れが変わりつつあるのだ。ここで必要なのは揺るがない結果である。
キィィィーーン!!
快音が扇形の窪地でこだまする!
痛烈なライナーが左翼線に襲いかかる!
トンッ!
「フェアー!」
低い弾道が功を奏したか、球質の軽さが災いしたか、打球は切れることなくレフト線いっぱいに落ちた。
「四つ(ホームまで)行けるよ!」
一塁コーチの橘が叫ぶ。
そう。この球場にはフェンスがなく、どこまで転がってもインプレーだ!
大坂はスパイクに絡みつく砂の重さも忘れて一塁を蹴った。フロッグス初めてのヒットは、長打コースになりそうである。
【今回の能力値変動】
矢部の三振男が発覚した(べべ〜!