ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~   作:マリリンマンション

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Major League Ball Second Part 1

 2分ほど時間を遡る。

 

 サードゴロに倒れた永瀬がベンチに帰ってきた。ヘルメットを脱いで、白銀の長髪にまとわりつく汗を丁寧に拭う。そろそろ切ったほうがいいかな? 永瀬はそんな事を考えながら、ベンチの最前列に陣取った。打席に立つ大坂は「いい前フリになった」と言っていたが、その真意まではわからなかった。

 

「……あいつ、何を考えてるんだ?」

 

 考えていた事が口に出ていたようだ。しかし、同じ事を考えている人間がベンチにもう一人いた。監督代行の井伏だ。

 

「気になるか?」

「井伏さん、何か知ってるんですか?」

「いや、何にも。……でも、あいつは野球をよく知ってるし、魔導術への理解も悪くない」

「そうですね。本当に驚かされます。ここまでの守備といい、どうして解散寸前のフロッグスに入ったのか……」

「全くだ。おかげで、この歳になってまで他所の地区の試合に駆り出されてしまったがね」

 

 井伏は自嘲気味にははっと笑った。永瀬も同意した。

 

「それにしても、大坂君の体調は随分快復してきたじゃないか」

「実は、毒の種類が特定できなかったんで、症状を和らげる回復魔術を試してみたんです。京子さんの見よう見真似ですけど大坂君には効果テキメンだったみたいですね。みずきちゃんには気休め程度にしか効いていませんけどね」

「……何っ! 魔導術だと!?」

「井伏さん、そんなに驚かないでくださいよ。僕だって休んでる間チームの力になれるように勉強してたんですよ?」

「すまない。しかし、魔導術は……」

「井伏さんまで、ヤソジさんみたいな事言わないでくださいよ。ここは東地区じゃないんです。実際に今だってルコフスクさんの魔導術が無ければ勝負になってないはずです」

「それはわかっている。違うんだよ。永瀬君にはまだ言ってなかったな……」

「……?」

「大坂君はねぇ、一回目の魔導術が人よりも過剰に反応してしまう能力があるみたいなんだ。そして、二回目以降は同じ魔導術が無効になるらしい。まだ十分検証したわけじゃないから、永瀬君には伝えていなかっんだ……」

 

 快音とともに、意表を突いた大坂のバスター打法が奏功した。ライナー性の打球が左翼ライン際に落ちる!「回れ!回れ!」とチームメイトの声が二人の会話の間を弾幕のように過ぎていく。

 

「……こんな事になるなら、先に言っておくべきだったな。大坂君には、君の回復魔術がもう効かない可能性がある」

「……それは、ちょっとマズイですね。僕の魔力では効果は1時間くらいが限界です。魔法が切れたら改めて上からかけ直せばいいかなと思っていましたが、それが出来ないとなると……」

「まずいな。控えはみずきちゃんしかいない」

「……んっ!! ちょっと待ってください! 一回目は過剰に反応してしまうと言いましたか!?」

「そうだが……」

 

 永瀬は立ち上がり、ベンチを見回してルコフスクを探す。ユニフォームを着ていない彼の姿はすぐに確認できた。彼は、グランドに手をかざして何かに集中しているようだが、叫ばずにはいられなかった。

 

「ルコフスクさん! 早く、グラヴィティーゾーンを解除してください!」

「ヌググッ! それは今やってる! だが、三塁線の魔力伝導率があまりにも高すぎる。うまく制御できんのだ!」

「そんなっ!! 菅野さん! ベースオンで止めてください!」

 

「バカ言うな永瀬! ボールはあんなに遠くだ。例えグラヴィティーゾーンがあろうが余裕で還れるだろ!」

「違うんです! 何でもいいからお願いします!!」

「何だよ、急に……」

 

 大坂は既に勢いよく三塁を回るべく、大きく膨らんでいた。ベースまであと数歩のところで、菅野のジェスチャーが突然変わる。すでに打球が視界の外にある大坂にはボールの正確な位置までわからない。レフトかなり深いところまで転がったはずだが、とにかく本塁は無理な状況に変わったのだ。しかし、ベースオンだって? 今更スライディングしてもベースに激突して怪我するだけである。無茶だ!

 軽くオーバーランしてすぐに帰塁する方が安全とスピードに乗った大坂は判断したが、結果としてそれは甘かった。そうは言っても急いで減速しようと三塁ベースの内角を右足が踏んだその時である。スパイクの先が吸盤のごとくベースに吸い付くのと同時に、全体重…いや、それ以上の負荷が右足一本に集中する。その正体がグラヴィティーゾーンだとすぐにわかった。骨が軋んで、割れそうな痛みが膝を圧迫する。咄嵯に着いた左足も地面に張り付いて思うように動かせない。二本の足では数倍にまで膨れ上がった体重とベースランニングの慣性力を支えるには足りなかった。勢い余った大坂はそのままベース前方に吹っ飛び、うつ伏せに倒れこむ形となった。

 

 ダメだ! 身動きが取れない!

 立ち上がるだけ。それだけの動作なのに重すぎる体に対して意志は届かない。大坂はレンガ色の砂を握りしめて俯いたまま磔のように動くことができない。堪らず菅野が声を張り上げた。

 

「ルコフスクのおっさん、ふざけてる場合じゃねぇぞ!」

「ヌグゥ……!」

「何を格好付けてるんだよ! そんなもん、止めちまえばいいだろ!!」

 

 目の前で倒れている大坂は地面の上で必死で悶えている。総合格闘技で、格上選手の寝技から何とか抜け出そうともがく挑戦者のようだ。そして、到底及びそうにない。制御できない魔導術は止めてしまえばいい。菅野の指摘はもっともだ。それでも、ルコフスクにはグラヴィティーゾーンを完全に止めることができない理由があった。

 どこまでも転がっていきそうだった打球は、砂に勢いを殺されて失速。左翼手が打球に追いついて内野への返球が始まった。相手捕手の指示はバックホーム。しかし大坂は三塁ベースのやや前方に伏せたままで動けない。とても本塁は無理だろうが、何とか三塁まで戻ってくれれば、二死三塁で打順をガッテムに回すことができる。

 やがて、ボールはかなり深いところまで中継に走った遊撃手のギャネンドラを伝って、三塁手の浜松まで中継して戻って来る。いつの間にか捕手の御殿場の指示がバックサードに変わる。

 

「井伏さん……」

「やむをえないだろう」

 

 ルコフスクの本心は決まっていたが、念のため監督代行である井伏に確認する。グラヴィティーゾーンのフィールド魔術を完全に解除するということは、今後の試合展開を左右する重大な決断だったからだ。一塁側から徐々にグラヴィティーゾーンが解除されていく。ゾーンが解除された地面からは順に砂煙が立ち昇り、グランドの右側面からゆっくりと腰ほどの高さまで砂塵が浮かび上がっていく。

 三塁手浜松の送球とクロスするように砂埃が左側面へと徐々に展開して、高度を落としながらボールがその中に消えていく。その軌道の先には三塁カバーに入った水田のグラブがあるはずだ。

 

 ……パシン!

 

 硬球が革製のグラブに収まると、大坂が伸ばした腕にボフッとタッチが入る。しかし、その様子は両サイドのベンチからは目視できない。

 

「セーフ!」

 

 

『…………!?』

 

 目視できないのは判定を下す茅野も同じはずだ。大坂は視界から消えるまで三塁後方のファールグラウンドで突っ伏していたのだ。帰塁が間に合うはずがない。ベンチから出井がすかさず抗議に出てきた。

 

「何だ、俺の判定が不服か……?」

「エコヒイキがあれば本部に通達すると言ったはずです」

「依怙贔屓なものか。三塁走者の方が先にベースに触れていた。それだけだ」

「…………」

「納得がいかないようだな。しかし、考えてみたまえ。これだけ魔導術が氾濫してる島で審判を歴任してS級ライセンスを獲得してるんだ。視界が奪われたくらいで判定がブレてるようじゃやってられないよ」

「そ、それもそうね……」

「俺は逃亡中の身だが審判員としての矜持と責任がある。例え雷神バットを奪還できたとしても、道中でいい加減な判定をしたとあっちゃ、先がないんだよ」

 

 出井は黙ってベンチに去った。予想以上に相手は手強いらしい。

 

 

  ◆  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「例のものはまだ届かないのか?」

「もう、間もなくとの報告を受けておりますが……」

「別に急かしているわけではない。くれぐれも慎重に頼むぞ」

「心得ております、支配人」

 

 舞台は変わって砂漠の街ジエンド。ジエンドの最高級ホテル・ウィローは市街地の中心で抜群のアクセスを誇り、煌びやかな外装は都市の景観を損なうことなく、むしろ都市を彩るシンボルとして華やかにそびえ建っている。そんなホテル・ウィローには島内の数々のVIPが連日訪れ賑わっていた。まさに、南地区の富の象徴とも言うべきホテルである。

 そんな由緒ある超高級ホテルの支配人は、ある物の到着を心待ちにしているようだ。

 

 地上階はお客様のためにという理由で、支配人執務室は地下に設けられていた。執務室にある応接用のソファーに支配人は腰掛けると、淹れたばかりのコーヒーの香りを堪能した。彼はその香りに満足したらしく、傍に立つ世話人らしい老婆に微笑みかけた。やがて、コンコンコンと静かなノックが執務室に響いた。

 

「例のものをお持ちしました」

「入りなさい」

 

 静かにドアノブが開くと、細長い木箱を携えたとろんとした目つきの若い女がコツコツとヒールの音を響かせながら現れた。女は黙ったまま二人と視線を合わせることもなく執務室の中央まで進むと、応接用のテーブルの上にその木箱をそっと置いた。

 

「ほほう……」

 

 支配人の口から感嘆の声が漏れた。傍に立つ老婆がそっと木箱のフタを開けると、白木の上半分を黒塗りにした一本のバットが入っていた。

 

「そうか。これが噂の……実に、美しい」

「これを競売にかけてしまうとは、いささか勿体ないですねぇ」

「馬鹿を言うな。こんな物を手元に置いていては、いずれ足が付いてしまうぞ」

「それもそうですな、ほほほっ」

 

 支配人と老婆はお互いの顔を見合わせ、お互いの悪徳な笑顔に気が付くとすぐにその表情を引き締めた。

 

「では、予定通りに明晩18時から競売会を執り行う。運営本部への根回しは私が直接出向くとしよう。何せ億単位の金が一夜にして動くからね。奴らも黙ってないだろうさ」

「そうですね。では、運営本部がらみで1つお耳に入れておきたい事が……」

「…何だね?」

「実は、運営本部の要人が南地区へ身分を偽って潜入しているという……これは、あくまでも噂なのですが、火の無い所に煙は立たぬと言います。くれぐれもご用心ください」

「心配には及ぶまい。我々はあくまでも合法的に事を進めているんだ。法に触れていない以上は、運営本部も手出しはできないよ。しかし、油断は禁物だな。忠告に感謝するよ」

 

 支配人は手を挙げて老婆に礼を述べると、執務室を後にした。パタンと扉が閉まると、目つきのとろんとした女はフゥ〜っと大きく息を吐いて、ボフンと音を立ててソファーに寝転んだ。

 

「いけませんよ、お嬢様。そんなだらしない格好をしていては、いつまで経ってもお嫁にいけませんぞ」

「いいのよ。どうせ私はパパの跡目と政略結婚なんだからっ」

「それはそうかも知れませんが、西園寺家の娘としてその名に恥じぬよう……」

「わかってるわよ。だけど、お仕事の話をしてる時のパパってなんだか好きになれないのよね」

「それは婆も同感にございます」

「特に、今回は嫌な予感がするの。何とか明日の競売会を中止にできないかしら」

「お嬢様、滅多なことを言うんじゃありません」

「ふふふっ。冗談よ」

「万が一にもお父上のお耳に入ってはと思うと婆は寿命が縮まる思いです」

「ヨネはいつまでも長生きするんだから、寿命なんて気にしなくていいのよ」

「まあ、お嬢様ったら……」

「ところで、このバットはどこに仕舞えばいいのかしら」

「それはお嬢様にも秘密でございます」

「ケチ〜 ぶーぶーっ!」

「かわい子ぶっても婆には通用しませんぞ」

「うぐぅ……」

 

 

  ◆  ◆  ◇  ◇  ◇

 

 

 舞台は扇形の窪地へと戻る。

 

 二死ながら走者大坂を三塁に置いて右打席にはフロッグスの4番ガッテムが入る。先ほどから立ち籠めている腰ほどまでの高さの砂塵が晴れる気配はない。しかし成程、しゃがんでいる捕手の首から上は砂塵から飛び出して捕球に支障はなさそうだ。

 三塁塁上で果敢に投手を挑発する大坂の様子からすると先程のグラヴィティーゾーンの影響は無さそうだ。そして、水田の牽制球を捌く浜松の動きも軽快だ。ルコフスクの魔導術はもう頼りにならないと考えた方が良いだろうか。

 そうなれば、必要なのは小細工なしのヒットだ。第一打席では手元で僅かに変化したムービングファストボールを打ち損じてセカンドゴロだった。水田の投球は手元でホップしたりフックしたりするから見かけ以上に打ちづらい。カウントを整えるためにチェンジアップで揺さぶりもかけてくるから厄介だ。一巡を終えてそんな印象だったが、大坂が第二打席にライト線への三塁打で突破口を開いた。いや、ルコフスクのグラヴィティーゾーンがなければ本塁まで到達できたであろうが、済んでしまった事を悔いても仕方がない。

 また、ギリギリの局面で泣く泣くルコフスクがグラヴィティーゾーンを解除したのはガッテムの打席への期待があったからに他ならない。

 

 意表を突いた大坂のバスターが長打となったが水田は落ち着いていた。幾多のピンチを凌いできたエースとしての自信と自負が、彼に動揺という隙を与えなかった。小柄な体躯をバネのように躍動させながら高々と足を上げると、それを一気に振り下ろしながら鞭のように左腕をしならせて第1球を投じた。外角低m…………

 

 

 ……………

 

 

 ………

 

 

 ……

 

 

 …パシンッ!

 

 

 本塁に到達する前にボールは砂塵に飲まれ、消えた!!

 

 

「ストライクッ!」

 

 

 それは消えた訳ではないようだ。見失っただけ?

 茅野はストライクとコールし、御殿場もしっかりと捕球している。形あるボールが消えることは物理的に有りえない。ガッテムはもう一度打席で自分の集中力を高める。しかし、第2球も……

 

 

 ……………

 

 

 ………

 

 

 ……

 

 

 …パシンッ!

 

 

 確かに、消えた!!

 そして、判定はまたもストライク。

 さらに、忘れてはいけない。先制の走者が三塁にいる事を、ここは簡単に終わってはいけない打席だ。

 水田の左腕から第3球が放たれる。しかし、無情にもその投球は本塁との中間地点を過ぎるとまたしても姿を消した。

 

 「……!!」

 

 こうなればバットを振るしかない。振らなければ絶対に当たることはないのだから。そんな気休めの理屈で打てるほど水田の150キロは甘くない。

 ガッテムのバットは砂塵を切って、豪速球は御殿場のミットにズバンと収まりその姿を晒す。

 

「ストライークッ! バッターアウッ!」

 

 為す術もなく三球三振に倒れたガッテムは食いしばった白い歯をむき出しにしてマウンドを去る水田を睨みつけた。しかし、水田はそんなガッテムと視線を交える事なく飄々とベンチへと戻った。

 4回表、フロッグスに両軍通じて初の安打が出るも無得点。水田の怪投に首を傾げながらガッテムは4回裏の守備へと向かう。




なんだか超久々の更新です。
たまに足を運んでいただいてる方々、すいません〜

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