ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~   作:マリリンマンション

45 / 45
Pick-off throw

 4回表、フロッグス3番打者の大坂の第2打席に大リーグボール1号を攻略された事にフェニックスベンチは驚かされていた。「絶対にバットに当たる」変化球である大リーグボール1号はフェニックスのエース水田がかつての師匠から伝授された魔球である。しかし、その性質ゆえにそれ自体が変化球であると相手に気づかれる事は滅多にない。事前に情報もなく初めて顔を合わせるチームならば尚更である。打者は皆、打ち損じたと思い込み、まさかそれが意図的に行なわれているとは露ほども思わないだろう。普通、変化球はバットとボールを遠ざけるために投げられるものなのだから。

 どのタイミングで大坂がそれに気がついたのかはわからないが、大リーグボール1号攻略の最適解であるバスター打法に大坂は早くも辿り着いていた。三本間のグラヴィティーゾーンで三塁手の足が止められていたため、セーフティーバントにバッテリーの意識が行き過ぎたのも敗因の一つだろう。大リーグボールシリーズそのものは、その特異性故に誤解されがちであるが、魔導術に依存しない変化球である。絶対にバットに当たる大リーグボール1号は打者の心理や癖などを読み取る洞察力と卓越した制球力によって実現された魔球なのだ。

 とはいえ、水田の直球は150km/hを超えている。そのカラクリに気がついた所で、おいそれ簡単に破られるような代物ではない。バッテリーに悟られる事なく、一度構えたバントの姿勢を解いて、逆らわずに逆方向へバスターを成功させた大坂の打撃センスは賞賛に値するだろう。繰り返しになるが、それとわかっていても簡単に攻略できないのが大リーグボールなのだ。もっとも、その貴重な好機は仲間内での魔導術の「コントロールミス」によってあっけなく潰されてしまったのだが。

 フェニックスのベンチからはルコフスクがグラヴィティーゾーンの制御を誤り、挙句グランドの魔導制圧権を手放すというお粗末な対応に映っていた。その事が結果として大リーグボール2号を容易に発動させる切っ掛けにもなっていたのもまた皮肉である。「消える魔球」としてその名を知られる大リーグボール2号は二死三塁で4番打者を迎えたピンチをあっさりと切り抜けた。

 

「グラヴィティーゾーンは手強かったが、ルコフスクはどうも扱いに慣れていないらしい」

 4回裏の攻撃は打順よく2番の磐田から始まる。円陣の中央で出井は口角を緩めた。

「あの男、少し魔力を抑えればあの背番号1だってホームに還るくらいはできただろうに、事もあろうかグランドへの魔力放出を完全に止めたぞ。これで、当分は私たちのペースだ。今のうちに流れを作るよ!」

「「「オーッッ!!!」」」

 

 

  ◆  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 背後で威勢の良い「オーッッ!」という掛け声を聞きながらルコフスクは嫌な汗をその逆三角に力強く隆起した上半身から噴き出していた。寒冷な祖国から流れ着いた当初は、この島の常夏の気候に辟易していたものだが、今となってはとっくに身体は順応している。汗をかくこと自体は嫌いではない。そもそもルコフスクは汗を流すことが好きで、さらに言えばその肉体にかかる負荷に喜びをも覚える人間なのだ。しかし、今日の汗は砂漠の灼熱波に晒されてヌメヌメと皮膚にまとわりついて不快だ。ユニフォームの袖があれば、今すぐにでも拭いたい。

 ルコフスクは投球練習の前に右手をベース上にあてがう。これは初回、2回、3回と全てのイニングでやってきたことだ。自身の魔力を流し込んで、敵軍の魔導術をけん制し相手の自由にやらせない。魔導術に長じた選手が複数いればそれは誰かしらが交代で、あるいはその中の適性のある者がいればその者がその役割を担うのが常套だが、あいにくフロッグスで魔導術に精通しているのはルコフスクだけだった。砂を自在に操る出井に対しては相性もそれほど悪くなかったため、ルコフスク自身も適役と疑っていなかった。

 

 この回も、ルコフスクはホームベースに手を当てるが、ホームベースは今までと変わらないホームベースのままだった。それは目の前の地面に埋め込まれた白い見慣れた形状の5角形。いつもならば、指先の先端にある細胞が対象物に共鳴して魔力が注ぎ込まれる。そんなイメージだが、ベースの表面に術式を打ち消すトラップが仕掛けられていて上手く魔力を送ることができない。剣と魔法の空想世界に逃避する中学2年生が現実世界で声高に、しかしどこか虚しく、呪文を念じるもどかしさにも今のルコフスクは容易に共感できるのだろう。

 このグランドではホームを含めて4つのベースは魔力を注ぎ込むための起点となっている。ここから一塁線(ライト線)、三塁線(レフト線)へと展開させてグランド全体を制御すると実に効率良く魔導術を展開する事ができるのだ。もちろん、これらを経由せずとも魔導術の発現は可能だが術者には相応の負荷が掛かることになる。逆に言えば、多少複雑な術式もこれらの特性を熟知していれば比較的容易に展開が可能というわけである。フェニックスの術者はルコフスクが魔導術を完全に停止させた一瞬の隙を突いて重力魔法を打ち消す術式をこのグランドに組み込んだのだに違いない。したたかであり確実な対応が効果的に機能していた。

 

 そして、それは対魔導術的に丸腰の状態でフェニックス打線と対峙する事を意味する。打順は2番からだ。この機会にフェニックス打線は何か仕掛けてくると考えるべきだろう。悪い事に、ロボの球威が初回、2回に比べて少しずつ落ちてきているような気がする。それもそうだ。こんな砂埃の中で精密機械を使い続けて何の悪影響も無いはずがない。

 ロボの最後の投球練習で、回転の甘いストレートが打ちごろの高さに入ってくる。頼むから、実戦で投げてくれるなよ。そんなことを考えながらルコフスクは二塁ベースめがけて矢のような送球を送る。軸足の地面が少し柔らかく沈み込んだのは気の所為であることを願う。送球は右寄りに逸れるも大坂がくるっと体を捻ってエア走者にタッチ。先ほどの「転倒」の影響はなさそうだ。そのまま、永瀬にトス、永瀬は井伏にスロー、井伏がガッテムにスロー、最後にガッテムから山なりの送球でロボにボールが渡った。プレイボール。

 

 

  ◆  ◆  ◇  ◇  ◇

 

 

 5つ星レアアイテム雷神バットが地下オークションに出品されるという噂は、その真偽は置いておくとしてあっという間にアンダーグラウンドの事情通には拡散された。実際に偽物をつかまされて私財を逸した愚かな実業家がもう既にいるとかいないとか、まあ、そんな与太話は置いておいてもその信憑性は調べれば調べるほどに増していった。

 調べるにつれて聞き覚えのない名前が捜査線上に現れてくる。彼の名はピンク=パンサン。本名かどうかはわからないが、彼はそう呼ばれていた。初めは半信半疑だったが、東地区と南地区の境界にあるレイクサイドスタジアムで出会った少女が語ったその男が全ての鍵を握っているようだ。2メートルを超える長身にスキンヘッドという非常に目立つはずの男だが、彼の目撃情報は皆無だった。事情通の間ではピンク=パンサンが人物なのかどうかすら懐疑的な見解もあるほどだ。しかし、彼は実在したのだ。そして、どういうわけか橘みずきという少女と共に海を渡り、この島へとやって来たのだ。

 

 さらに、驚くべきことに彼らは伝説の反逆者パープル=オーと接触していたのである。

 パープル=オーといえば島内のリーグ戦において一時代を築いた名選手の一人であるが、同時に島内では知らぬ者はいない大罪人としても知られている。近年では後者のイメージの方が強いだろうか。かつて、島内の野球技術向上のために歴代の名選手や研究者らが編纂した野球超人伝という書物の誤った解釈を島内に広めたことが発端となり、彼は失脚し島の外へ名実ともに追いやられてしまったのだ。ちなみに、野球超人伝は禁書として運営本部の地下倉庫に保管されているらしい。何しろ、この野球超人伝こそ7つある5つ星レアアイテムのひとつに指定されているからだ。

 しかし、パープル=オーが疎まれる理由はそれだけではなかった。彼の魔導術は時間を意のままに止めることができたのだ。この事実は、当時の運営本部にとって脅威であったに違いない。卓越した彼の能力を恐れた運営本部の策略によって彼の失脚が意図的に行われたのではないか? そんな陰謀説など誰も口にしないが、誰もが行き着く憶測は今もなおタブーとして事情通であればあるほどに関わらない方が賢明とその箱には蓋がされていた。

 そして、生きていれば80歳を過ぎているであろう彼が、往年の姿のままで橘の前に姿を現していた。これが何を意味しているのか。彼が自身に対して時間を止める魔導術を施したという仮説が浮上する。だが、ここで気になるのは50年以上の年月にわたって時を止め続けるにはどれ程の魔力が必要とされるのかという事だ。例えば、フロッグスの捕手である龍ヶ崎夏苗が十数分自身の体の一部を氷漬けにしていただけであの有り様だ。彼女とパープル=オーの熟練度の差はもちろん無視できないが、膨大な魔力を消費したであろう事実は想像に難くない。

 少々話が逸れたが、往年の名選手であり大罪人のパープル=オーと5つ星レアアイテム雷神バットが接触しているとなれば、話題性としては強力な材料だ。情報屋にとって情報は商品だ。新聞社やテレビ・ラジオ局などの表舞台から、ここでは語れないような裏組織まで、信用に値する情報は高値で取引される。とはいえ、自分の証言だけでは情報の価値など二束三文だ。動かぬ証拠とはならなくても、多少胡散臭くてもいいからそれらしい根拠が欲しいものである。

 

 申し遅れました。私、保谷掟と申します。元イーストタウンタワーズの外野手、現在は引退してしがない情報屋として日々の暮らしを繋ぎとめる者です。まあ、言ってしまえば定職につかずフラフラしている噂好きのダメな大人ではありますが、どうも好奇心をくすぐる情報が近頃増えてきている次第であります。

 今回は久々に長旅の予感です。東地区イーストタウンの自宅で装備を整えて意気揚々ロードバイに跨がって南地区はカオスシティを通り過ぎて更に西方、ジエンドを目指す次第でございます。

 

 カオスシティから西へ向かう道中は治安があまりよろしくない。そんな情報は情報屋である保谷でなくとも地元の人間であればよく知ることだ。それもそうだろう。島内のお宝が一挙に集う闇オークションが明日に控えているのだ。街の周囲で商人や運び屋を襲えば一攫千金、そんな安易な発想ではあるが高価な積み荷に遭遇する可能性が高ければ、盗賊たちも色めき立つのは必至だ。高設定のスロット台があればギャンブラーはみんな競って座るのだ。

 その中でも安全そうなルートを保谷は選ぶ。少し遠回りで、路面状況に難はあるがそれを嫌うのは運び屋も盗賊も一緒だろう。そして、その読みは間違っていなかったが、先を急いでいた保谷は自らが背負ったリスクへの意識が少し疎かになっていた。

 突然、北西の方角、目視で1キロくらいの距離で砂柱が空高くに立ち上った。やがてその砂塵は風に乗ってこちらまでやってくる。ここで視界を奪われては道を見失いかねない、保谷は砂嵐を振る切るべくロードバイクのギアを加速させた。

 それは小さな段差だった。視界を奪われつつあった保谷は気がつくのが一瞬遅れた。それだけだった。自転車は小さく地面を跳ねた後で後輪がスリップ。詰め込みすぎた荷物も仇となり、バランスを失って横転。地面が硬いアスファルトではなかった事に保谷は0コンマ数秒だけ安堵したが、高速度域で地面に激突して痛くないわけがない。右肩、右腕を強く打撲して慣性力のまま前方に吹き飛ばされる。咄嗟に身体を丸めて頭を守ったが今度は背中から地面に叩きつけられた。脳内がフラッシュしてお星様が見えた☆

 

 

 ★  ★  ★  ☆  ☆

 

 

 4回裏、先頭打者の2番磐田に対してロボは痛恨のフォアボール。確実に制球が乱れていた。

 これまでとは違いルコフスクが構えたところにボールが来ない。やはり、機械仕掛けの投手には限界があるのだろうか。加えて砂嵐に視界を奪われて、目を開け続けるのも困難なほどだ。赤外線センサーも搭載しているロボにはこの視界不良の影響はほとんど無いらしいが、ルコフスクの位置からはようやくロボが目視できる程度にまで視界が遮られてしまっている。セカンドベースは砂に隠れてしまって何処にあるのかすらわからない。

 見えない以上、心配なのは盗塁だ。ショート大坂、セカンド永瀬の位置はシルエット程度に判別はできるから一か八か投げてみてもいいが。彼らにルコフスクが放るボールをすぐには目視できないであろう。ボール回しの時に僅かに地面が沈んで重心がふらついたことを思い出すと、暴投が絶対に無いとは言い切れない。ここは一球牽制球を挟んでみよう。

 

 

 ヒュッ!

 

 

 ……パシン!

 

 

「セーフ!」

 

 

 意外と(?)牽制球がサマになっている。クイックや牽制球の苦手なルコフスクには少し遅れを取っている自身の技術を省みるほどだ。しかし、ファーストのガッテムはこちらを向いてヒラヒラとそのミットを振るそぶりをしてアピールしてくる。見づらいからあまり投げてくるなと。

 しかし、ガッテムは試合巧者であることをルコフスクはわかっていた。一塁ベンチ、ましてや一塁ランナーから見えるようにワザとそんな事をする真意は明らかだ。ルコフスクは再び牽制球のサインを出す。

 ロボがセットポジションに入る寸前に先ほどよりも速い牽制球を一塁に投げた。ガッテムは少し驚いた様子だった。それだけ一塁ベース上にいた2人は牽制球を意識していなかったのだ。ガッテムは本当に牽制球を拒否していたのだが、その空気感に走者磐田の心理は裏を完全にかかれてしまう。見えづらいとはいえ絶妙な角度とコースできた牽制球を捕り、そのままタッチするだけのガッテムと、逆を突かれてしまった磐田との勝敗は明確だった。

 

 

「アウト!」

 

 

 ルコフスクの位置からはガッテムの表情は見えない。ルコフスクは満足げにロボに正対して座ると次の打者浜松を迎え入れた。

 試合は4回裏、0−0のままフェニックスの攻撃中、一死走者なし。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。