ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
「YOUハ カナエノコトガキニナリマス!」
「……っ!」
背番号42の大男が耳元で突然囁いた。大坂は返事にならない返事をするのが精いっぱいだった。隠す事はないと大坂をあしらった後で、ガッテムは続けた。
「モンキースノバッターハ ウツノガヘタデスネ バットトボールガ コンナニハナレテマスヨ」
ガッテムも、モンキースの打棒の粗末さを感じていたようだ。顎の下と鳩尾(みぞおち)付近に両手をかざしてニヤリと笑った。
キンという鈍い打球音が響くと、小さな放物線がキャッチャーミットに収まる。どうやら、送りバントは失敗らしい。1番打者の鹿島は水平にバットを構えたまま悔しそうにしていたが、キャッチャーの小山は少しだけ帰塁が遅れた夏苗を見逃さなかった。一塁へ矢のような鋭い送球が転送される。
よく鍛えられている。大坂とガッテムも、卒のないモンキーズの守備に感心しかけた時だった。
ファーストの外藤が、捕球寸前のミットを引っ込めたのだ!
鋭い送球は、そのまま夏苗の頭を直撃すると、ヘルメットを真っ二つに割ってファールグラウンドを転々とする。割れたヘルメットの破片の緑色が、黒土の上に散乱する。夏苗は朦朧とする意識の中でボールの位置を確認すると、すぐさま身を翻して二塁を目指した。いい判断だ!
しかし、ライトの佐賀のカバーリングのタイミングが絶妙だった。ファールグラウンドを大きく回り込んだ佐賀が白球を拾い上げた時、夏苗は両塁の中間地点を少し過ぎたくらいだ。この距離とタイミングで刺せる肩を佐賀が持っているのならば、わざと遅れてガバーリングした佐賀の術中ということになる。
「滑れ!!」
大坂が叫んだ。夏苗は頭から二塁に滑りこむ。
佐賀のレーザービームが、ショート足尾のグラブまで一直線で届けられると、足尾はグラブを夏苗の後頭部に強く叩きつけた。
「アウト!」
殴りつけたと言ってもいいだろう。
「夏苗!」
思わず大坂が叫ぶと、モンキースナインにギロリと睨まれる。この一瞬、飛び出そうとした大坂の足がすくみかけたが、体よくガッテムが彼の肩に手を置いた。ガッテムは黙って首を横に振った。
ラフプレーがあったものの、夏苗は一人のプレイヤーとして勤めあげたまでだ。度を超えた心配は、むしろ彼女のプライドに障るだろう。大坂は、今すぐ駆け寄りたい衝動をぐっと堪えた。一方の夏苗はすくっと立ち上がると小走りでベンチまで帰って来た。
「平気か、夏苗?」
「うん。大丈夫。いつもの事だから。小波さんも気をつけて下さいね」
夏苗はそう言い残すと、ベンチの奥へと消えていった。
奥にはチームドクターの永瀬がいる。永瀬も、かつてはフロッグスでプレイした選手だった。しかし、昨年の試合でモンキースの選手と交錯した際に肘を痛めてしまい、それ以来、戦列を離れている。今日はチームドクターとしてフロッグスナインに同行していた。
続く2番の筑波が呆気なく三振に終わると、4回表の守りへとフロッグスナインは散っていく。大坂は一塁々上のガッテムとキャッチボールをしながら、夏苗が戻るのを待った。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
中盤に差し掛かり、2点差で負けているモンキーズベンチに徐々に焦りの色が現れ始めた。打者一巡したが、大坂攻略の糸口が全く掴めない。ベンチから見ると、それは何の変哲もない打ち頃の直球なのだが、打席に立った者は口をそろえて「ボールが急激にホップした」「落差のあるフォークを投げる」「いやいやキレの良いナックルだ」などと説明した。
「何かしらの魔道術だろう。爺さんがそれを良しとするとも思えないが…」
赤髪に青いバンダナを巻いた男、チームリーダーの漁火が呟いた。しゃがれた声が、独特の威圧感を持ってベンチに響く。メンバー表交換時に届いた対戦相手のデータに“NO DATA”の男が2人いた。高額な上納金で“PROTECT”をかける事も出来るという噂を聞いたことがあるが。こんなケースは初めてだ。
「本部に問い合わせましたが、該当する人物は存在しないの一点張りです」
スキンヘッドの大男が漁火のもとに歩み寄る。佐賀だ。彼は、野太いドスの効いた低い声で話す。
「僕の名前は出したのかい?」
「はい。ですが…」
「まあいいだろう。いずれにしても、僕らは今日の試合を落とすと大変な事になる。その理由は、君自身が一番よく知っているね」
「はい…」
「元をただせば君が播いた種だ。君自身で刈り取ってほしい」
「はい」
「もちろん、僕も協力を惜しむつもりはない。ただ、君が手を抜くというのならば、僕だって考えはある。僕も明日から野球ができないのは御免だからね」
無表情だった佐賀の表情が少しだけ引きつった。この男は3回裏のセカンドへの送球についての話をしているのは明らかだ。
漁火はポケットからマルボロを取り出して、指先で火を灯し一服くゆらせる。そして、ほとんど表情が変わらない佐賀の顔色を窺いながら煙を吐くと、真正面から彼を見据えて話し続けた。
「いつもの君ならば、あの娘の頭を狙う事くらい造作もないだろう。鉱一のフォローに免じて今回は不問にするが、あまり僕を苛立たせてくれるな。まさか情が移ったわけではあるまい」
鉱一はショートを守る足尾の名前だ。
「鉱一は頭がいいからな。ただ足が速いだけの1番打者じゃない。何かしら、手掛かりくらいは見つけてくるだろう」
最後に漁火は独り言のように呟くと、ベンチの壁でタバコの火を揉み消した。4回表は、その足尾から攻撃がはじまる。足尾が左の打席に入った。
大坂はゆっくりと上体を起こすと、大きく振りかぶる。ゆっくりと足をあげて、軸足に体重を乗せると、少しずつ重心を前に倒しながら一気に腕を振り抜く。
初球。大坂のリリースと同時に、足尾は身を屈めるとバットを水平に寝かせてセーフティーバントの構え。すると、前に突き出してバットを支える足尾の左手の先が氷水に腕を突っ込んだ時のように冷えていく。指先の感覚があっという間に奪われた。
「……!」
予想外の出来事に驚いた足尾は、咄嗟にバットを引いた。
「ボール!」
「ちょっとタイム!」
足尾が打席を外すと、中腰だった主審が立ちあがって両腕をあげた。タイム。
足尾がヘルメットを脱ぐと、真っ白に脱色したマッシュルームカットが現れ、彼は額の汗を拭った。ぎょろりとした大きな瞳は、彼のエキセントリックな外見を強調している。大きな両耳では、大小3個ずつのゴールドのピアスが揺れている。そして、彼の大きな鼻に埋められているダイヤモンドのピアスもいやらしく光っている。
曲がりなりにも東地区の常勝軍団が、このまま手を拱いているわけがない。一巡してヒットがなければ当然の揺さぶりだ。大坂はじっとボールを見つめたまま困惑している夏苗を促した。
しかし、動揺していたのは夏苗だけではない。足尾は凍るような腕の冷たさを振り返りながら思案していた。何かある。やはり、魔道術なのか。動揺しているのはキャッチャーだが、今日から登録されたピッチャーも余程怪しい。足尾はスパイクの土をゆっくりと払い、靴紐を丁寧に締め直すと、改めて打席に入った。
夏苗は変わらず低めいっぱいの位置でミットを構えた。大坂が2球目のモーションを起こす。身体のバネを最大限活用して投げる。少し球速も乗って来ている自覚がある。
第2球も足尾はバットを寝かせると、三塁線上のやや深い所に狙いを定める。伸ばした左腕が凍りついて感覚を奪われるが、上手にバントを決めるための基本は利き腕の微妙な力加減ではなく、柔らかく膝を使うことだ。
ファーストとピッチャーが前に出てくる気配がするが、やはり今度もサードの反応は鈍かった。うまく転がせば楽々一塁までたどり着ける。
しかし、ボールはベース手前でわずかに変化したように見えた。もう少しだけ、バットの芯寄りに当てなければ狙った方向へは転がらないだろう。左手でポイントの修正を試みたが、悴んだ左腕が思うように動かない。
コンッ!
鈍い音を立てて、打球はピッチャーの左前方に転がる。同時に、足尾は一気にトップスピードに達して一塁を目指す。大坂はマウンドを駆け降りながら逆シングルで捕球すると、ファーストへと向き直る。速い…!握り変えている暇はなさそうだ。大坂はそのまま地肩だけでファーストに転送する。だが、送球が少し高く浮いてしまった!
ガッテムがその長身で伸びあがって、何事もなかったかのように捕球すると、ベース目掛けて突っ込んできた足尾を身軽な動作で避けながら、カバーに回っていたセカンドへとボールを転送した。アウト。さすがは元プロだ。このあたりの身のこなしは熟練している。
「ナイピーダヨ ワンナウトネ!」
ダイヤモンドを一周したボールを夏苗から受け取る。一死走者なし。
続いて、2番打者の渡良瀬が右の打席に入る。ひょろりとした長身で、眠そうな目をした色白の男が右の打席に入る。手足も長い。この男からは、いまひとつ覇気の感じられないが、それが却って不気味だった。
初球、第2球とこの男はあっさり見送った。ノーボール2ストライクと簡単に追い込んだ。やはり夏苗は真ん中低めのストライクゾーンにミットを構えた。
第3球。渡良瀬のスイングは呆気なく空を斬った。しかし審判のコールは……
「インターフェア!」
「……!?」
打撃妨害。守備側が打者を妨害した場合に、打者に一塁が与えられるルールである。夏苗のミットが渡良瀬のバットに当たっていたようだ。勝つためには手段を選ばないという、試合前の夏苗の言葉が大坂の脳裏に浮かぶ。一死一塁。
青いバンダナの男、漁火が右の打席に入る。3番打者の彼の能力はファイヤースターター。夏苗曰く、彼が直接、あるいは間接的に触れたものならば任意のタイミングで発火させる事が出来るらしい。その発動範囲はおよそ100m。打った打球を、捕球寸前に発火させるファイヤースターターは、彼の十八番らしい。
本投間に冷気の層を作り、蜃気楼のようにボールの虚像を作りだす術を彼女はミラージュゾーンと名付けていた。風のないよく晴れた日には、その能力は最大限に発揮され打者を翻弄する。
漁火は、このからくりに初回の顔合わせで気が付いたようだ。しかし、まだ核心には至っていない。チタン合金の金属バットを融解寸前まで加熱して、打席に立ち素振りをすると、ホーム付近の冷気が撹拌されていく。仕組みはわからないが、この冷気が一役を担っているのは間違いないだろう。事実、一巡目でバットに当てたのは漁火だけだった。
初めてのランナーを背負った大坂は、漁火の腹の内などは知らずに、セットポジションに入る。ランナーを出して、はじめて夏苗はコースの指示まで出してきた。
大坂が、クイックモーションを意識して第1球を投じる。やや甘く入ったインコースの直球をジャストミートされると、痛烈なライナーがサードを襲った。サード土浦の守備範囲だが……
火の出るような打球とは、よく言ったものである。夜空を斬り裂く流星の如く、打球は突然火を吹いた。痛烈なライナーはそのまま土浦のグラブを焼き切ると、レフト線の芝生を焦がしながらファールグラウンドを転々としていく。
「フェア!」
やがてボールを覆う炎は消えたものの、打球は勢いをそのままにレフトフェンスまで到達して大きくクッションした。間もなく、レフトの一番深いところから中継するショート井伏の所まで返って来る。フロッグスナインは特別足が速いわけではないし、肩が強いわけでもないが、このあたりの無駄の無い連携は熟練の技を感じることができる。井伏の返球も絶妙だ。大坂は三塁ベース近くの内野グランドで井伏の送球をカットし振り返る。一塁走者の渡良瀬は、既に三塁を蹴っていた。
アウトにできるタイミングだが―――
菅野の躊躇ない右肩へのデッドボールがあった。ファースト外藤のスルーにより、キャッチャーからの送球は夏苗の頭部を直撃した。二塁々上では殴りつけるような足尾のタッチプレイがあった。ガッテムはうまくかわしたが、足尾はセーフティーバントの時に一塁上での交錯を狙っていた。渡良瀬の狡猾な打撃妨害もあった。
次に起こるクロスプレーがどのようなものになるかは、想像に難くない。大坂の脳裏にそれが過ぎった時、本塁上で構える夏苗に投げる事を躊躇せざるを得なかった。どう考えても本塁封殺の局面だが、一瞬の迷いが絶好のチャンスをふいにした。渡良瀬は、悠々と本塁を駆け抜ける。大坂は本塁へ偽投して振り向くと、二塁を大きくオーバーランしていた漁火を牽制した。
4回表、モンキースは1点を返して1-2。なおも、走者二塁。
「タイムください!」
大坂は主審に告げた。