じゃあどうぞ。
冥界から人界へ行くためには神魔それぞれの技術でもって開かれたゲートをくぐるだけでよい。
“大霊障”以前には、任務やら散策など様々な理由で術式と設備を整えれば簡単に世界移動が可能であったのだが、現在は簡単にはいかない。
“大霊障”以後、神族と魔族の人界への干渉は最低限に抑えられていた。デタントの流れを破壊しかねなかったアシュタロスの行動は、冥界に人界干渉制限という行動指針を打ち立てることとなったからだ。人は神魔に比べればひ弱な存在で寿命も短い。しかし、それ故に進歩の早さはめざましく、様々な実力差を埋める方法を考えだす。人間が保護されるだけの存在でないことを正式に冥界が認めたのである。無論、科学が発展し霊力を持たない人間が大多数であることから一概には言えないのだが、科学と霊力の混合技術は冥界が無視できないものであり、デタントの一環として無闇な干渉は控えることとなった。
人界へ行く者は、まず各々の上司に正式な書面として目的、滞在予定期間、場所を提出しなければならない。提出を受けた上司は、最終的には所属機関の最高権力者に決済を受ける。さらに、決裁を受けて自らの足で神魔合同組織であるデタント推進委員会へ赴き、常任委員と非常任委員の審査を受けるのだが、許可が出たところですぐに人界へ行けるわけではない。破壊、殺戮行動を起こさないなどといった誓約と、力の解放は最低限に留めるといった制約に契約する必要がある。
これだけのことを経てようやく人界へ行くことが許可されるのだが、省略することはできず契約違反もできない。ゲートは委員会の管理のもとでなければ開けないよう妨害霊波によるロックがかかっており、契約した神魔の霊体ゲノムには監視ウイルスが組み込まれ契約違反時にはペナルティが科せられる。そもそも神魔とはその性質上契約に縛られ、違反は存在の否定に等しい。
なお、これら妨害霊波や監視ウイルスは“大霊障”を引き起こしたアシュタロスが野望実現のため開発したものだ。それがデタントの一環として使用されるのだから皮肉なものである。
だが、事実として個々、集団としての神魔族からの人界干渉は減少している。
しかし、不干渉、中立の地域にはそこに逃げ込む輩が現れることは歴史が証明した必然であり、禁止されているものは破る方法が編み出されるのもまた必然なのである。
学生服姿で着替えを詰め込んだショルダーバッグを肩に抱えて横島は事務所へ向かう。翌日からの遠出の除霊のため、放課後に帰宅せず学校から事務所へ直行している最中である。
ちなみに、学生鞄もあるのだが中身に教科書はなく、おキヌからもらった弁当箱とバイク雑誌があるのみである。学生らしからぬというか、逆に学生らしいというべきか、どうとるかは個人の判断に任せよう。
「あ、横島さん!」
そんな中、横島に呼びかける聞きなれた声がした。振り返るまでもなく誰のものか分かっていた。
「おす、おキヌちゃん。と、一文字さんと弓さんも一緒か」
「ども」
「こんにちは横島さん」
振り向けば、六道女学園通称『六女』の制服に身を包んだ女子高生三人がいた。
横島の家族同然と言える美神除霊事務所の仲間氷室キヌとその友人が二人。
脱色した髪を逆立て名門校の制服をラフに着崩している一文字魔理と、長い艶やかな黒髪を腰まで伸ばした特徴的な瞳をもつ弓式除霊術継承者弓かおりであった。
二人とも魅力的な少女であるが、噴飯なことにそれぞれ懇意にしている男がいる。それが影の薄い大男や、マザコン戦闘狂といった横島の友人たちであるからまた拍車がかかる。
「おキヌちゃんから聞いたんだけど、これから泊まりがけの仕事なんだって? 大仕事じゃん」
「事務所総出でやるから泊りになっちゃうってだけで、対して難しい依頼じゃあないみたいだけどね」
泊まりの仕事も事務所総出の仕事も、“大霊障”一過の現状では珍しく、二つが重なることはさらに稀であるが、シロやタマモを保護している事務所としては、ある程度の人数が必要な依頼であれば、全員体制で挑まなくてはならないのが現状である。
「海開きに向けての除霊だそうですね。我が校の臨海学校ほど大規模なものではないでしょうが」
彼女らの通う六女の臨海学校では霊能科のある学校ならではの除霊実習がある。異界に通じているともいわれるほど海は霊の集まる場所である。六女では合宿所のある海岸沖に結界を張り沖から霊の侵入を防ぎ、毎年夏に結界を解除して集まった悪霊を相手に除霊実習をしているのだ。
他の海岸では、学生が無償で除霊してくれるようなことがないため、一般GSに依頼し、こまめに除霊しているのだった。
「一日がかりになるほどじゃないから終わった後少しはくつろげるんだろうけど、この時期まだ寒いしなぁ。夏じゃないから美神さんや観光客のおねーさま方の水着姿が拝めないし」
素直に心情を吐露してしまう横島。後半の部分は自分では呟いたつもりだろうが、口に出してしまうのはいつものこと。
男がそういったことを考えているのは、懇意にしている男がいる身として魔理やかおりにもわかるのだが、目の前で口に出されてしまうと冷たい視線を向けざるを得ない。
そして、自分の失言に気づいた横島は平謝りに謝り倒して魔理やかおりと別れ、おキヌとともに事務所へ向かったのだがしかし、おキヌの機嫌は急転直下し、その理由を横島が知ることもなかった。
「あのー、おキヌちゃん?」
「……」
「お、おキヌちゃん?」
「……何ですか?」
長い付き合いであってもなくても、おキヌが不機嫌なのが声色からよくわかった。美神の激怒とは全く違うベクトルの恐怖がそこにある。
「俺、何か失言しておキヌちゃん怒らせちゃった?」
「いいえ、横島さんがエッチなこと言うのはいつものことじゃないですか」
「ぐぅ」
それは正しい。正しいが、おキヌに言われるとかなり堪えるものがある。
「うぅ、悪かったっておキヌちゃん。お願いだから許してちょうだい」
「悪かったって、何がですか?」
「何がって……えーと」
「何が悪いのか分かってない人に謝られたって、機嫌は直らないと思います。それに、私怒ってませんもの」
二人きりになってから、おキヌは一向に横島を見ようとはしなかった。きっぱりと顔をそらし、私不機嫌ですオーラを発散させていた。
「でもおキヌちゃんが俺のほう見てくれないのとか、いつもの声で話しかけてくれないのとか、そんなの嫌だよ」
のだが、横島の、聞き様によっては口説いているのではないかととれる発言にオーラは霧散した。横島の口調に、明らかに悲しさが紛れているのがわかり、被っていた怒りの仮面は簡単に剥がれ落ちた。
「っていうかおキヌちゃんに嫌われたら俺生きてけないよ! お願い、許して!」
心揺らいだのも束の間、涙ながらに手を合わせて頭を下げる横島に困惑する。
「よ、横島さん、やめてくださいよこんなところで」
「じゃあ許してくれる?」
「許すも何も、本当に私怒ってないですから」
「よがっだ~」
横島の顔は涙でくしゃくしゃになっていたが、今度は二人並んでおキヌと事務所への道を急ぐ。今度はおキヌもしっかりと横島のほうを向き、会話しながら。
笑顔で話しながらも、おキヌは心中で横島に謝罪した。
(ごめんなさい、本当に怒っていたわけじゃないんですよ。ただ、美神さんや他の人の水着姿は見たくて、私のは興味がないのかなって、不貞腐れていただけなんですから)
事務所の入り口をくぐると、最初に出迎えてくれるのは人工幽霊壱号である。
《おかえりなさい、横島さん、おキヌさん》
「ただいま、人工幽霊壱号」
「おう、美神さんは?」
《お客様の対応中です》
「あれ、今日は来客の予定はなかったはずよね?」
《急な来客です。美智恵様とともに来られたので、無碍にできず》
「じゃあ、シロとタマモはお馬さんパカパカか?」
《おっしゃる通りです》
シロとタマモがひのめを懸命にあやし、ぐったりしている状況は容易に想像がつき、横島は苦笑した。横島からすれば赤子の世話など緊張しつつもあやすのに苦労はない。だが獣娘たちではまだまだ荷がかち過ぎるだろう。
「あはは、それじゃあ横島さんはひのめちゃんのお相手お願いしていいですか? 私はお茶をいれてきますから」
「しゃーないね。ひのめちゃんは屋根裏かなっと……」
「あ、そうそう人工幽霊壱号。お客さまってどんな方?」
《……非常に、お美しい女性ですよ》
「? あっ!」
珍しいことに口ごもった人工幽霊壱号の言葉に首を傾げるも、おキヌが気にするべきはその内容であったのだ。美人と聞いて隣に立つ男がじっとしているわけがなく、
「……もうっ!」
先ほど見せた神妙な態度は一体何だったのか。おキヌが横を見やれば、そこにいたはずの横島はすでに階段を駆け上り、応接室に向かっていた。
「横島さんの……バカ」
「こんにちわ、ボク横島っ、て、言います……」
駆け込んだ横島が目にしたものは、テーブルを囲む三人の美女。
言わずと知れた事務所の主美神令子、彼女の母であるICPO超常犯罪課所属美神美智恵、そして出会ったころの恰好をしたこの場にいるはずのない人物。
「相変わらず、騒がしいな貴様は」
「その顔、その声、何よりええ体……お前ワルキューレか!?」
「あんた、いったいどこで人を判断してんのよ」
美神親子と向かい合っていた女性は、フォーマルなスーツに身を包んだ切れ長の瞳を持っていた。やり手OLか社長秘書かといった美人はかつて数日の間美神除霊事務所に所属していた春桐魔奈美であり、魔界第二軍所属大尉ワルキューレであった。
「久しぶりだな。アシュタロスの頃以来じゃねえか」
「……」
「って、おい? どうした?」
「いや、なに。そういうことか」
「あん? 何がなんだって?」
「こちらの話だ、気にするな」
なんのこっちゃと首をかしげる横島を席に着くよう促し、ワルキューレは佇まいを直す。
「さて、どこまで話したのだったか」
「あんたが任務で来たってことしか聞いてないわよ。任務の関係でICPOとGSの協力が必要だってところまで」
「まだ、私も任務の内容を聞いていないわね。あなたがここがいいというから来たけれど、盗聴でも気にしているのかしら?」
確かにオカルトGメンの事務所であっても盗聴の恐れはないだろうが、意識ある建造物である人工幽霊壱号の中であればセキュリティはさらに跳ね上がる。それほどの機密事項であるということか。
「それもあるが、できるだけ接触する人数を少なくしておきたいというのが第一だな」
「ママと私たち、ね。ことによるといつもの面子を集めるようになるかもだけど」
「展開次第だが、それくらいは許容範囲だ」
「……それなりに切羽詰まった状況のようね」
と、女性三人が話している状況で横島は話に入れずにいた。状況が不透明であることもあるが、そもそも依頼について話を聞くのがいつも美神であったため、考えるのを放棄することがままあったからだ。話が大事になりそうであると判断はできたが、結局のところ依頼を受けるかどうかは雇い主の美神次第である。おキヌがワルキューレに驚きながらも用意したお茶うけのクッキーをボリボリとむさぼっていた。
ワルキューレが語ったことは、冒頭に述べたとおりの『人界干渉制限』と『アシュタロスの遺産』強奪事件の発生についてである。
「捜査が進み遺産は全て人界にあることが判明したのだ。お前たちへの依頼は、『アシュタロスの遺産』が関係すると思われる事件や依頼があった時に、他の人間が出張る前に回収することだ。無論私は人界に滞在し可能な限り動くが、制限を受けているからな。解決までに間に合わないこともあると思う」
そう結ぶワルキューレの言葉に、美神親娘は顔を見合せる。重大な事件が発生したことは予想がついていたが、ワルキューレが持ち込んだ案件は厄介なうえ複雑である。
「これはまた、面倒なこと持ち込んでくれたわね」
「すまないとは思うが、正直な話他に頼れるところがない」
「そうでしょうね。業界最優のウチの事務所なら、その遺産とやらが起こす霊障の依頼が来る可能性は高い。霊障には敏感なオカGの指揮権はママが握っているようなものだし」
「そういうことだ」
「でも、それだけじゃないでしょう?」
「ええ、そうよね」
「む……」
「え? どういうことです、隊長、美神さん?」
細めた視線でワルキューレを射抜く美神親娘。言いよどんだワルキューレの態度がその言葉の正しさを証明していた。
「簡単なことよ。関わる人間を少なくしたい、他の人間や神魔に知られる前に解決したい。ってことは極秘に事態を収拾させたい」
「ワルキューレさんの立場を含めて考えると、この事件はデタント崩壊につながりかねない。違う?」
「……その通りだ」
「ほぇー、これだけの話で気づいちゃうなんて、さすがですね二人とも!」
「まあ、そもそもワルキューレが関係していれば大事なのは想像ついたけどね」
おキヌの驚愕の声に気を良くした美神はしかし、考え込んでいる横島を見て気を取り直した。
「横島クン、言いたいことがあるなら言ってみたら?」
「うぇ、あ、いや、大したことないスよ」
「いいから、言ってみなさい」
発言を強要された横島は、頭をかきつつワルキューレに向きなおった。
「はぁ……ワルキューレ、人界干渉制限ってやつでこっちにはそう簡単には来れないし、変な物持ち込めないんだよな?」
「その通りだ。デタント推進委員会の承認を得なければならない」
「犯人はどうやってこっちに来たんだ?」
「不明だ。密航したか、委員会も予想外の方法で妨害を突破したか、捜査中としか言えん」
チラと美神を見る横島。視線に促され、横島は推測を述べた。
「勘でしかねえスけど、ひょっとして委員会とやらに裏切り者でもいるんじゃねえのかと」
「裏切り者!?」
おキヌが目を見開く。だが美神親娘やワルキューレは同様にしながらも感心したような顔を横島に向けた。
「なぜそう思う?」
「だって、現状からして犯人も遺産も人界なんだろ? 予想外の方法ってやつでこっちに来たり持ち込んだりしたのかもしれんけど、そんなんよりスパイがいて裏道使ったんだとか、チェックの時にわざと見逃したとかって考えたほうがまだ簡単じゃないかな、ってさ」
組織というものはいつの時代も、どのような内容の組織であっても一枚岩ではなく、目的の違う組織の注目を浴びるものである。その中にスパイという異分子を抱えることもまま考えられる。事実横島が“大霊障”で経験したことである。その経験から思いついたのだが。
「フン、聞いてはいたが冴えているじゃないか、気持ち悪いほどに」
「ホント、横島クンじゃないみたいね」
「偽物にすり替わっているんじゃないかしら?」
「すごいです横島さん! 人が変ったみたい!」
「うう……誉められてるのにそんな気がせん。っつーか泣きたい」
たまにいいこと言ってもこれだ、と横島はうなだれる。かつて敵地から帰還した際には魔女裁判にかけられたこともあるし、いっそのこと何も言わないほうがいいのかもとぐったりしながら横島はテーブルとの親睦を深めていた。
「我々も思い至らないではなかった。軍と委員会に監査が入っているし、現在各方面に向けて鋭意捜査中といったところだ。情報提供は願ってもないが、犯人逮捕や捜査はこちらに任せてもらいたい。そこまで頼ろうとはさすがに思わん」
「ん、まあ結果そうなったら追加の依頼料弾んでもらうけどね。それで遺産ってのはどんなものなの?」
「それについては一番詳しい者に説明を頼んだ……そろそろ来てもいいころだと思うんだが」
美神の問いに答えず時間を気にしているワルキューレに、人工幽霊壱号が答える。
《あなたの待っている人物ならたった今到着しました。すぐに応接室に着くでしょう》
「そうか、感謝する」
《いえ》
人工幽霊壱号の言葉はいつも通りのように聞こえたが、付き合いの長い事務所の面々は言葉の固さに気づいたようだ。
過去、ワルキューレが美神の護衛で事務所に滞在していた際、人工幽霊壱号は記憶を書き換えられた上、内部で自爆されかけるというとんでもない目に合されたのだから仕方のないことかもしれない。
美神と横島は気づいたようだが、当時生き返ったばかりで事務所にはいなかったおキヌがわかる由もなかった。
さておき、人工幽霊壱号の言葉に応接室の入り口に視線が集まる。さしたる重厚な感じも見せず、いとも簡単に開いた扉の向こうには、
「失礼します」
「あれ、ジーク? それに……」
「邪魔するよ」
「っ、あんた!」
一応の変装はしているのだろう、外見上の年齢にマッチした服装をしたワルキューレの弟にして魔界軍情報士官ジークフリード少尉と、女性が一人いた。
腰まで伸びた長い髪、すらっとした長身、額から伸びた触覚と目の隈取のような模様を気にしなければありていに言って美人と称せるその姿。
「ベスパッ!」
アシュタロス配下であった三人娘の次女、蜂の化身ベスパであった。
結局のところ、共に過ごした時間がほとんどなかったためこちら側に着いたからと言って他の姉妹と同様には信じきることができていなかったのだろう。美神は腰を上げ、臨戦態勢に移ろうとしている自分の行動に驚きは感じなかった。
そして、彼女のため心に傷を負うことになった自らの丁稚に目を向け、気が削がれてしまった。
「おお、ベスパじゃねえか。ああそうか、ワルキューレの部下なんだっけ、今」
「そう言ったろ? 忘れっぽい奴だね」
「はは、悪い悪い。お、横にいるのはジークか。お前も久々だな」
「ええ、しかし思いっきりついでですね」
「男なんざどーでもいいし」
緊張のかけらもない、いつも通りの気の抜けたような声で横島はベスパと相対していた。横島だけではなくベスパすら、久しぶりに会ったというのに何の気負いもない。お互いの大事な人を奪ったと言って過言ではないのに。それは美神自身にも言えることであるが。
しかも横島とベスパは久しぶりの一言もない。それは横島が何かを隠していると想像するに事足りる要因であった。
「横島クン、ベスパと最近会ったことあるの?」
「ん、何だヨコシマ。お前は話していなかったのか?」
「ああ、言ってなかったな、そういえば。先月、山にシロと一緒に除霊にいったスけど、そん時の原因が遺産関係で、回収に来てたベスパと会ったんスよ」
「あんた、そんなこと一っ言も言わなかったじゃない!」
語気も荒く、机に拳を叩きつけながら横島を睨みつける美神の形相は鬼の如くである。射殺さんばかりの視線を向けられた横島は、半泣きになりながらも弁明した。
「いや、依頼もアフターケアもしっかりやったって言うたやないスか。美神さんもあっそっていうだけで」
「報告書にもベスパのベの字も無かったわよ」
「ほら、多少端折るでしょ、報告書って?」
「端折りすぎよ!」
「令子、とりあえず話の続きを聞きましょう」
放置すれば横島をしばきかねない美神を止めたのは美智恵の言葉であった。不承不承に腰をおろした美神に横島は救われたと溜息をつくが、美神の口と手が動くのを見て顔を青ざめさせた。
(ア・ト・デ・)
その手が何かを捻じりきるような動きをする。首や腕ならまだしも、アレだったらとんでもないことで、いや、ひょっとするとある意味うれしいかも。
益体もないことを考えている馬鹿者はさておき、
「改めて紹介する必要もないが、現在私の部下であるベスパだ」
「よろしく、と言っておくよ」
「……まあ、言いたいことはあるけど、それで遺産についての説明はあんたがしてくれるわけ?」
「いや、それについては……っと」
ベスパは持っていたトランクをテーブルの上に置き、中から壺のようなものを取り出した。
「ん、なによこれ?」
『何とは御挨拶だな、美神令子』
「わ、しゃべった!」
壺のようなものは、普段見ることはない珍しい形のもので、むしろ生で見ることは一生の内無いかもしれない遮光器土偶である。ただし顔のみ。
「土偶羅じゃん、お前、なんつーおもろいことになっとんだ」
『おもろいとは何だ、ポチ!』
「いや、どっからどーみてもおもろいぞ」
土偶羅魔具羅。アシュタロスに創造された三姉妹とは別の、数千年もの長きに渡りアシュタロスに仕えた兵鬼にして腹心の部下であった。もっとも、現在は魔界軍情報処理担当でジークフリードのサポートに回っているはずである。それが、なぜ顔だけの姿でテーブルに乗っているのか。なんともシュールな光景であり、横島の言うようにかなり面白い光景でもある。
「今回の件で土偶羅とベスパには監察室から疑いの目が掛けられています」
「モノがモノであるから、無理もないがな。拘束されかねなかったが、事件解決にはこの二人の協力が不可欠と判断した次第だ。ジークとベスパに迎えに行かせていて遅くなった」
『今回の捜査に参加するため、わしはこんな状態になったというわけだ』
「おもろいことにかわりはないけどな」
『しつこいぞポチ!』
条件付きでの事件への関与は、二人に行動の不自由を与えることにより実現したということだ。それにより土偶羅は首だけの姿となり、そしてベスパにも制限が科せられている。
「あれ、じゃあベスパさんにも何かあるんですか?」
「ああ。私の霊体ゲノムに監視ウイルスが組み込まれた。コードはないけど、定期的にワクチンを打たなければ消滅する」
「んだとっ!」
関わりが浅いためだろうか、おそるおそるといった感じで尋ねるおキヌに、淡々と語るベスパの言葉に横島が叫ぶ。ベスパはせっかく取り除かれた消滅の危機をまた体内に抱え込んでいるというのだから無理もない。
「落ち着きなさい、横島クン」
「落ち着けるわけないじゃないスか! ワルキューレ、なんだってんなことしてやがんだ!」
「疑わしいヤツを事件に関与させなければならないとしたら、監視が必要なのはあんたにだってわかるでしょうが。状況はそれほどヤバいってことよ」
「だからって!」
美神親娘にたしなめられる横島はワルキューレやジークフリードにくってかかる。しかし興奮する横島を落ち着かせたのは、他ならぬベスパの言葉であった。
「いいから黙りなよヨコシマ。私から頼んだんだ」
「は!?」
「身の潔白を証明するのと、アシュ様の遺産を使おうとするバカヤロウをぶん殴りたかったからね、志願したのさ」
事件発生してすぐに調査官が訪れ、ベスパはもとより上司のワルキューレまでも取り調べを受けることになった。かけらも心当たりのないことであるが、アシュタロスの真意を知っている数少ない存在として、彼の願いを汚そうとする輩は許せなかったのだ。そのためなら消滅の恐怖すら恐れるに足ることはない。
「それでいいのかよ」
「いいもなにも、真面目にやってれば何も問題ないことさ」
「……だったら、俺がどうこう言うこっちゃねえか」
「そういうこと。まったく、他人のことであんたが怒ることないだろうに、相変わらずお人よしだねヨコシマは」
「そうか?」
「そうだよ」
「でもよ、無茶すんなよ?」
「わかってるよ」
と、穏やかに笑いあう二人であったが、視線を感じて見回せば、各種取り揃えていますとばかりの視線の嵐であった。
ワルキューレと美智恵はどこか面白そうな、ジークはきょとんとした、土偶羅は驚いたような視線を向けている。
「な、何です?」
「いえ、こちらに構わず続けて」
「うむ、中々面白いぞ。続けてくれ」
「あ、ワルキューレ、あんたまたそんな顔で人を見やがって!」
『うーむ、ベスパがなぁ』
「ちょ、土偶羅様、あんたまで!」
横島とベスパが醸し出していた空間は、非常にほのぼのとした微笑ましい空気を漂わせていた。緊急事態のための集まりとわかってはいるが、それでも十分見世物と言える、ある種面白いものであった。
「いつ、ベスパと仲良くなったんです?」
「へ? いつって……っ!」
ジークフリードの不思議そうな問いに答えようとした横島は、これまでにないほどの悪寒を感じた。横を向けば大本がそこにあるだろうとわかってはいたが、そちらを向いてしまえば終わってしまうと思えるほどの、何が終わるのかはわからないが。
しかし、圧力に耐え切れず横島は二人の方を向いた。つまり美神とおキヌである。
これぞジト目の見本と言えるほどの冷たい視線であった。ちなみに、おキヌの視線は事務所に来るまでの間のレベルを大幅に超えていた。グーラーにキスをされたときよりも、六道女学院の試合の際に向けられた時よりも怖い。
「それは、私も、聞きたいわね」
「ええ、本当に、ヨ・コ・シ・マ・さん?」
「あ、う……」
(こ、これはイカン! 何がイカンのかよーわからんが、とにかくイカン!)
横島は一節一節を区切って、強調して話す美神とおキヌの迫力に完全に尻ごみしていた。巻き添えを受けたジークフリードも硬直していた。
《何をやっているのですか、まったく》
興味本位と嫉妬と戸惑いの感情が紛れた応接室は混沌と化していた。人工幽霊壱号はそんなオーナー達へため息とともに呆れた視線を向けていた。口も眼もないが。
「さて、若い子たちをからかうのは後にして」
「また後でやる気かい!」
「後にして。土偶羅さん。あなたの知っている遺産について話してもらえる?」
「く……無視しやがって」
ベスパは向けられた生暖かい視線に、横島は絶対零度の視線に消耗していた。横島はよりいっそうテーブルと親睦を深めることとなった。
『うむ。便宜上遺産と呼ぶが、あれらはメフィストに奪われたエネルギー結晶を生成する結晶炉の試行品だ。結晶は魂を原料にして生成されていたが、その魂を得るには三つの願いを叶え、さらに契約者が死ぬのを待たねばならず、手間がかかった』
「でしょうね。平均寿命が変動してきているけど、おおざっぱに計算すれば五十年以上はかかるわ」
『その通りだ。別のエネルギーを使えないかと候補に挙がったのが地脈だったのだ。魂とは比べ物にならんエネルギーを秘めていたからな。そしてアシュタロス様とわしは六つの鬼械を作成した。つまり
地脈からエネルギーを“収集”し、
それを拡散劣化しないよう“保持”させ、
いくつもの地脈から汲み上げたそれらを“合成”し、
できたエネルギー塊をアシュタロス様のみが使用できる状態に“変質”させ、
純度を上げるため圧縮“蒸留“して、
究極の魔体と“接続”する、こういった能力を持った鬼械だ。
だが、地脈から求める量のエネルギーを吸い上げると枯れ果ててしまい、さらに回復も遅かった。放っておけば勝手に増えていく人間とは違ってな。地脈が回復する時間と同等のエネルギーの魂を複数回収する時間を比べたことはなかったが、極秘裏に事を進めねばならなかった我々としては枯れた地脈という証拠を残すわけにいかなかったのだ』
ピリピリとした視線を横島に向けていた美神とおキヌだが、話が再開すればさすがに集中していた。横島もゲッソリとしながらも身を起していた。
「それで横島クンとベスパが関係した遺産、話から聞くと“収集”の鬼械のようだけど?」
『おそらくな。しかし、ベスパが言ったように改造されたのだろう。わしらが作ったのは地脈からエネルギーを汲み上げるもの。霊体を作るようにはできていない』
「改造って、そんなことできるの? っていうか、犯人に心当たりがあるわけ?」
美神の問いには誰も答えない。ワルキューレ黙って聞けとばかりに視線を投げかける。彼女は本当に犯人逮捕をGSに任せるつもりがないのだろう。
つまらなそうにため息をついて美神は説明に耳を傾けた。
『改造の内容からして“変質”の要素が組み込まれている。それに“収集”の鬼械を放置していたのだから、解析はある程度進んでいるとみて間違いないだろうな』
土偶羅が締めくくると、応接室は静まり返っていた。地脈を操作する装置を作り上げるアシュタロス一派の技術レベル、それらを解析し改造する犯人たち、重要な鬼械を放置出来る自信、これから起こるであろう遺産を利用した事件を思えば先行きは暗い。
「改めて依頼内容を確認しよう。魔界第二軍特殊部隊所属大尉ワルキューレからICPO及び美神除霊事務所へ依頼する。アシュタロスの遺産――――あと五つかそれ以上かもしれんが、それぞれの特性にそった霊障が起こるものと予想される。関係すると思われる事件への関与、及び可能なら遺産の確保を願う」
「うちへは依頼というより共同作戦って感じかしら? 了解しました、ワルキューレさん。ICPO日本支部総力をもってとはいかないけれど、可能な限り協力するわ」
「私としては依頼料さえもらえればどんな依頼でも受けるけどね……ってママ、そんな顔で見ないでよ。半分くらい冗談なんだから。ウチと、そうね、冥子とエミにも声をかけるわ。長丁場になりそうだし。あと、無いでしょうけど唐巣先生のところにも」
しかし、ある種楽観的ともいえる、余裕をもって仕事にあたれる実力者たちは気持ちの切り替えが早い。事の重大さはすでに十分理解した。
「頼む。それでは我々は戻らせてもらう」
「戻るって、どこに?」
「魔族の駐在所だ。ただ距離があってな、海を渡るのに多少時間がかかる」
「って、外国なの!?」
「一応日本だ。小笠原諸島の嫁姑島に駐在所がある」
「あの吹っ飛んだ島ね? うーん、それは遠すぎるわね。よければ支部に部屋を設けるけど?」
「ありがたい申し出だが、それではさすがに接触する人間が増えてしまう」
美智恵の提案を断ったワルキューレは紅茶で口を湿らせ、ベスパに視線をやった。
「それに、ベスパのワクチンはそこでなければ投与ができん」
「そうだったの。余計なことを言ったかしら」
「いや、気遣い感謝する」
魔族組が席を立ち、皆が見送るために席を立つ。さらに美智恵もがICPO日本支部へ戻ることにしたため、事務所の玄関は十人近い人数で溢れかえることになってしまった。
シロとタマモはひのめの世話にぐったりと疲れながらも見送りのため降りてきていた。犬神特有の超感覚で来客が全員人間でないことに気づいたようだが、特に何を言うでもなく後ろに控えていた。
「毎度、手間をかけてしまって申し訳ないと思っている」
「依頼だったらいつだってOKよ。今回は前回みたいなボランティアにならないことを願うわ」
「規模が小さくすむよう努力しよう」
言って、ワルキューレはジークやベスパを伴って歩いて行った。まさか交通機関を使って駐在所まで行くことはないだろうからどこかで本性に戻るのだろうが、一見して大学生カップルのデートに付き添うキャリアウーマンのようで、珍妙な光景ではあった。
「それじゃ令子。私も戻って西条クンと打ち合わせしてみるわ。信頼できる人間に情報の整理を頼まないとだしね」
「ええ、西条さんによろしく。バイバイひのめ」
「あうー」
美智恵はひのめを抱いて日本支部へ戻っていった。隣の建物なのであっという間である。
急に人数が減ったため静かになったような錯覚を覚えた美神は、何となしに伸びをして、大口の依頼が入ったことに気合いを入れなおす。まずやることは、
「さて、と。みんな行ったことだし、詳しい話を聞かせてもらいましょうか、横島クン?」
「うぇっ、まだ終わってなかったんスか!?」
「あーら、まだ何も聞いてないじゃない。さあキリキリ吐いてもらいましょうか!」
「あいだだだっ!」
丁稚への追及であった。
美神は横島の耳を引きちぎらんばかりに引っ張り事務所へ連れていく。いつもならまーまーと、止める役割のおキヌも参加しているためストッパー役がいない。
さらに事情を全く知らないシロとタマモが依頼の内容を聞き、シロが
「そういえば、あの髪の長い女子はあの時先生が口説いておられた方でござったな」
と、思い出したように言ったときから、追及は折檻に変わった。実は、シロはいまだに根に持っていたのだろうか。
「ぶっ、ちょ、みがみざっ! ――俺が一体何をしたーっ!」
悪いことはしていないだろう。だが、気に障ることはやっていたのだ。それに気づくことのできない横島はいつも通り不条理を感じつつ、折檻されてしばらくすると復活していた。
ちなみに、ベスパはワルキューレらの声に出さない生暖かい激励にさらされ居心地の悪い思いをしていた。
「なんだか……とっても困る勘違いをされてる気がする」
「気のせいだ。私は少なくともお前を応援しているぞ?」
「何に対してだっ!」
まあ、それはこぼれ話である。
鬼械の名前や効果を考えるのにめっちゃ時間をかけた記憶があります。
じゃあまた。