心地よい眠りだった。
久しぶりに我が家に帰ったような、自分の部屋の、自分のベッドに横になっているような。
半分起きているような、半分は眠っているような。ふわふわとした心持ち。
もう少し、この波の上を漂っていたい。。。
そんなささやかな幸福を、突如奪ったのは胸に迫る激しい息苦しさだった。
はっと、目を開けると、にわかには理解出来ない状況だった。
戒莉の胸の上に馬乗りになる女がいた。
そればかりか、戒莉の口をその女の口が塞いでいる。
「う……」
戒莉は女の唇を自分から引き剥がし、勢い良く体を起こした。
「何だ、てめっ」
女は戒莉に突き飛ばされ、寝台の上に仰向けにひっくりかえった。
むき出しになった女の白い脚に、戒莉は今更ながらぎょっとした。
「何だとは、何よ」
一喝されても、女の声は全く動じていない。
それどころか女は、ゆるゆると身を起こすと、四つん這いで威圧たっぷり戒莉に挑みかかってくる。
大きな瞳に浮かぶ、みずいろの光。
思わず後ずさりするのは戒莉の方だった。だが、狭い寝台に逃げ場などない。
いよいよ女の手が肩に掛かり、戒莉の体はまた後ろに倒れた。
この場を誰かに見られたら、戒莉が女に襲われているようにしか見えない。
いや実際、襲われていたのかもしれない。
「スイレン……」
戒莉は女の声を聞いた時に、もしかしたらそれ以前に、それが誰か気付いていた。
字を穂蓮という。
「そうよ。穂蓮よ」
戒莉の顔の真上で、女は優しげに、だが妖しげに微笑みを落としてくる。翠色の髪が戒莉の鼻先をくすぐった。
少し厚めの唇は紅に彩られ、いつもならば可愛らしく感じる小さくちょっと上向きの鼻すら何やら蠱惑的だった。
「あ、久しぶり。元気だった?」
こんな体勢で、いかにも間抜けな質問だった。戒莉の思考は、未だにうまく働いてくれない。
「ホントに久しぶりねぇ、戒莉。久しぶり過ぎて、あたし結婚しちゃったわよ」
「け、結婚?」
穂蓮の言葉に戒莉は、跳ね起きた。
顔が近い。
「そうなの。あたし、人妻なのよ」
穂蓮は戒莉の膝の上で、その首に腕を絡ませ、甘ったるい声と息を吹きかけてくる。
瞬きするたびに穂蓮の睫毛が戒莉の頬に触れる。
「すい……ちょと、まて」
穂蓮は混乱する戒莉などおかまいなしに抱きついてくる。
むっちりとした柔らかい二の腕が、白い胸が、戒莉の肌に吸い付いて離れない。
穂蓮に抗う気持ちと、受け容れてしまう体のふたつに、哀れな男は引き裂かれる。
穂蓮の唇が首筋に触れると、彼女の胸の鼓動がまるで自身のもののように感じられた。
自分と穂蓮の境を見失いそうだ。
と、急に穂蓮は腕を緩めた。そして迷い無く体を戒莉から離し、あっさり寝台から降りた。
「と、言うことなの」
クリッとした目を微笑ませ、穂蓮はわずかに首を右に傾けた。小動物を思わせる仕草に、戒莉は言うべき言葉を見失った。
戒莉を置き去りに、穂蓮は小さく手を振ると、出口の方へ向かっていった。
そうして、いちど振りかえって、また笑った。
「じゃあね」
穂蓮は扉の向こうに消えた。小走りに遠ざかる足音が聞こえた。
何が起きて、何が終わったのか。呆然と穂蓮を見送った戒莉は、自問自答する。
答えは思いつかない。誰も答えてくれない。
「……どうしてくれるんだよ。おい」
ふられました~