男が語る言葉のひとつひとつを、真佳は注意深く聞いた。
ひとおり聞き終えて、正直、真佳にはそれが本当のことなのか、どこかに嘘があるのかを見極めることは出来なかった。
だが直感では、この男を信じている自分に気付く。
「戒莉は女と一緒にいませんでしたか?」
男の話の中には、珊揮が身請けした女がどこにも登場していない。
「女? さて、見たところ一緒ではなかったと思うが」
男は、決してとぼけているようには見えない。
女と戒莉は、別行動だったのだろうか。真佳は、例の首飾りに仕込まれたどこぞの屋敷の見取り図も関係なかったのだろうかなどと、胸の内で考えをめぐらせた。
「いや、女はいたのかな」
男が、妙な言い方をした。
「地面に倒れている連中の中に、女がいたな」
男は思い出し顔で、ぽつりぽつりと言う。
「緑の髪の、ちょっと派手な美人でしたか?」
真佳は、女の人相を常弘からそう聞いていた。
「髪は緑だったと思うが、顔は見えなかった。そうか美人なのか。惜しいことをしたな」
男は、ふざけているのか本気なのか、そう言って顎をしゃくった。
「多分、あれは死んでいたな」
その女は、戒莉と斬り結んでいた男達に運び去られてしまったので、件の女なのかどうかは確かめようがない。
「女……?」
と、真佳と男以外の声が、細々と立ち上った。
見ると、戒莉の目が開いている。黒く憂いに濡れた瞳だ。
「お目覚めだな」
男は、鼻唄でもうたうような調子で言う。
戒莉はそんな言葉を押しのけた。
「俺は、女といたのか?」
真佳と男は、つい互いに見合った。戒莉に答えるべきなのは、どちらなのだろうか。
ややあって、真佳は戒莉に向きなおった。
「珊揮が身請けした女が寺小屋に押しかけてきたんだろう。その女とお前は一緒じゃなかったのか?」
真佳は問い返すことで、戒莉に応えた。
戒莉は、真佳の言葉に暫く考え込んだ。
目を軽く閉じ、指でこめかみに触れ、考え考えしながら言葉をこぼした。
「あの時に、女が……いた……?」
戒莉の脳内で、どれだけの電気が走っているのだろう。失われてしまった記憶を、すくいだすように戒莉は自らに問う。
「いた……」
はっきりと、戒莉の中で像が結ばれた訳ではなかったが、戒莉は明確にそう言い切った。
戒莉が思い出したのは、視覚でとらえたものではなかった。声が聞こえた。言葉が響いてきた。
女の声は戒莉を攻め立てていた。
「あの女……俺は、あの女を斬ったのか?」
戒莉は、三日ぶりに足裏に地面を感じた。正しくは床だが。
少しふらつくが、具合は悪くない。昨日までのだるさが嘘のようだ。
「起きていいのか?」
真佳は戒莉に、不機嫌そうな声を掛けた。
「ああ」
戒莉はこれに、不機嫌で応じた。
真佳に心配とか、迷惑とかをかけたことへの謝罪を、戒莉は心の中で反芻していたが、口にすることが出来ずにいた。
それからあの男への感謝の言葉は、体を起してもらった時に一度言ったきりだ。
ごめんなさい。
ありがとう。
そんなことがどうして言えないのか、戒莉は自分が嫌になる。
そして、あの女のことだ。
戒莉は結局、女のことを思い出すことが出来なかった。
腕に残っている重い感覚が、誰を斬ったときのものなのか。考えると、もっと腕が重くなる。
女を、戒莉は斬ったのだろうか。だとしたら、なぜ女を斬ったのだろう。
女が何者なのか。詳しいことは、分からない。
分かっているのは、珊揮が身請けした元花娘だということ。女が持っていた首飾りに、ある建物の見取り図が隠されていたこと。
「女のことはよく分からない」
真佳の言葉が、戒莉の思考に割り込んできた。
「珊揮のところにも聞きに行った。女を身請けしたことは何度かあるが、どこの妓楼だったか憶えてないってさ」
「珊揮に言ったのか?」
責める口調になる。
真佳は、言わないで済む問題ではないだろうという顔をした。
確かにそうだ。戒莉にもその理屈は分からないはずがない。
一呼吸おいて、戒莉は真佳にもう一度尋ねた。
「どこまで珊揮に話した?」
「だいたい全部。女のことも、お前がぶっ倒れたことも、それからあの男のことも」
今は、この部屋にいない男を顎で示しながら、真佳はなぜか不機嫌そうだ。
戒莉はそんな真佳に気付く程の余裕は無かったのだが。
「で?」
感情を押さえ込むように、一言で戒莉は真佳に挑んだ。
「で?」
鸚鵡返し。
「だから、珊揮はそれでどうするって聞いてるんだよ」
「ああ」
真佳は初めてそのことに気付いたような表情を作って見せた。意地が悪い。
「珊揮は本宅を離れられないから、俺たちに任せるってさ」
この場合「俺達」というのは、真佳と戒莉の二人をさすのではなかった。
他の仲間、具体的には俊英と希央を加えた四人ということになる。
戒莉を介抱してくれた男は含まれない。
戒莉が起き上がれるようになった頃、男は姿を消した。何でも、急用だとか言っていたらしい。それに迎えらしき者が来ていたと、真佳は言っていた。
戒莉が名を聞く間も無く、男は去ってしまった。
戒利は、妓楼の女将に男の行方を尋ねたが、『さあ、存知ません』と微笑まれただけだった。それ以上、男のことは押しても引いても答える気はないという笑顔だった。
いや、戒莉たちを哀れんで呉れたのか、女将はもうひとつ教えてくれた。
「お部屋代はあと十日分まであの方から頂いております」
これが、この女将から聞いた最も優しい言葉だった。
男が払っていたという部屋代がいかほどのものであったのか。もちろん、女将は教えては呉れなかった。だが、見ず知らずの者の為に払ってやっていいような額ではないことは、戒莉にも何となく分かった。
これが何かの罠であったとしても、戒莉は決して驚かないだろう。