戒莉が、妓楼というものに足を向けなかったのには、理由がふたつ、ある。
ひとつは、そこに行く必要がなかったから。
そしてもうひとつは、そこに行きたくなかったからだ。
州都にあるこの妓楼は、沈翠楼という。寺小屋のある街の最高級の妓楼ですら、さほどのものとは思えぬ程の大見世だ。
驚くべきことに、例の図面から俊英が探り出してきた妓楼だ。
今、戒莉が居る沈翠楼の部屋は、かつて戒莉がナゾの男に助けられて、介抱されていた例の妓楼の部屋よりも豪奢なものだった。
こんなに金をかけて飾り立てる必要があるのか。気付けば、戒莉はその疑問を口にしていた。
『どうせ脱ぐなら服を着なくてもいいかと言えば、そうではないのと同じ理屈ですよ』
俊英はそう笑って応えて呉れた。
その答えを聞くと、戒莉はどっと疲れを感じてしまった。
戒莉たちが沈翠楼に辿り着けたのは、実は珊揮の功績が大きかった。
その図面に書かれているのが妓楼かもしれないと思ったところで、やはりそこがどこかを特定するのは難しく思われた。
「こういうことは、珊揮が詳しいんじゃないのか」
その時、戒莉は皮肉めかしてこう言ってみたのだ。これに対して、随分乗り気な顔を見せる俊英が居た。
俊英の行動は素早く、あっと言う間に珊揮に会って帰って来た。そうして、珊揮が挙げたいくつかの妓楼の中から、沈翠楼を探し当てて来た。
それだけではない。翌々日には、沈翠楼の楼主から、護衛の依頼を取り付けて来たと言うのだ。
戒莉は沈翠楼の門の前に立ち、よく楼主が話を聞いてくれたものだと思った。
見るからに高級そうな見世で、妓楼とは言え、格式が高くて一見さんお断りといった風情だった。実際、沈翠楼は馴染みの紹介があって、初めて門を潜ることができるというところで、いきなり話をしたいと行っても、なかなか取り合ってなどくれないはずだった。
それが何故こうもあっさり話が通ったのか。種明かしをすれば、実は珊揮がこの沈翠楼の馴染みであったのだ。 その馴染みの珊揮の文を携えた俊英だからこそ、楼主が出張ってきたという訳だった。
『ふだんからの心がけが大切なんだよ。ただ遊んでいる訳ではないんだ』
と、ほくそ笑む珊揮の姿が、戒莉には見えるようだった。
それにしても。と、戒莉は思う。
それにしても、女の服というのはどうしてこうも動きが取りにくく出来ているのだろうか。もしや、それが狙いなのかと。勘ぐってみたくなる。それが事実であるならば、女の服は男が考えたものであるのかもしれない。
やたらと長い裾は、床を引きずるほど。着重ねた衣は、何枚か知れない。幅の狭い靴は、拷問の道具のようだ。挙句、髪はきつく結い上げられた上に、櫛やら簪やらがたっぷりと挿されており、頭は重く、キリキリと痛む。
動きは極端に制限され、思うままにならない。
それでいて、きつく締められた帯を一本解けば、あっという間に脱げてしまう着物のつくりなのだ。どれほど重ね着をしても、心もとないものだ。
妓楼の女だけが、こんなにも不自由なわけではないだろう。
戒莉はあらためて、男に生まれていて良かったと思うと同時に、女というのは幸せなのだろうかと、思った。
それにしても。と、戒莉は思う。
それにしても、どうして自分はこんなところで娼妓のような姿でいるはめに陥ってしまったのだろうか。
お約束の女装編です。