そんなことがあって、女将たちが腕によりをかけて作り上げたのが、花娘風の戒莉ということだ。
「まあ見た目は、それらしく見えるが、それでここで勤まるなどとは思って欲しくないね」
丁慈にそう言われるまでもない。戒莉は自分が沈翠楼で勤まるなどとは思いたくなかった。
確かに、着飾ってただ座っていれば、美女に見えなくもないと、戒莉は思ってみた。いや、端からすればはっきりとそう見える。
ただし、沈翠楼の娼妓といえば、ただ綺麗であれはよいという訳ではない。立ち居振る舞いの美しさ、会話の巧みさはもちろん、教養や芸事などに秀でていなければならない。そして、その心遣いの細やかさ、心栄えのすばらしさも求められる。
戒莉は、それらの何ひとつ、まともに持ち合わせていなかった。行動はがさつで、話下手、歌のひとつも知らないし、舞など見たこともないうえに、まともな教育も受けていない。
では体で勝負できるかというと、これが根本的にだめだ。幸か不幸か、戒莉は男だ。女の体を持ち合わせていない。
戒莉が沈翠楼で割り当てられた表向きの仕事は、籐香という娼妓の付人見習いといったところだ。
付人は現役娼妓の身の回りの世話をする者で、だいたいが元花娘であることが多いが、まれに素人から付人になることもあった。戒莉は、このあたりを装っていたが、それで周囲が納得しているかどうかは、また別だった。
「ここには慣れた?」
籐香は、手ずから茶を炒れていた。そんな何でもないことでも、とても優美に見える。
「いえ」
戒莉は、見た目のたおやかさに似つかわしくない低い声で短く応えた。
その落差が可笑しかったのか、籐香はコロコロと笑った。
今は、籐香と戒莉のふたりきりだ。小さな卓を挟んで、向かい合わせに座る籐香の姿に動悸が激しくなる自分が、戒莉には腹立たしかった。
いつもは、籐香の周囲には人がいっぱいいて、ふたりで話などできる状態ではない。
籐香は、この沈翠楼では二番目の売れっ妓で、戒莉の他に何人もの付人おり、幾人かの娼妓の見習いである半花が妹分としてべったり張り付いて居て、更に花冠という十歳ばかりの少女がいる。この花冠も、いずれは半花となり、娼妓として一本立ちしていくことになる。幼い頃から芸事をしこまれ、また先輩の娼妓についていろいろなことを学んでいくのだ。
籐香は、戒莉に茶を炒れている。こんなことも、本当は付人がすべきなのだが、籐香はあまりものごとに拘らない。自分でできることは、自分でやる。という人だ。
楼主には、いつも『それでは、格が落ちる』と怒られているが、籐香は一向にあらためない。
籐香のような、最高級の娼妓はここでは蓮台と呼ばれる。蓮台は、そこいらの商家のお嬢さまなどよりも贅沢な暮らしをしている。大勢に傅かれて、着替えも風呂も人任せで、自分で何かをするかといえば口にはこばれた食べ物を噛んで飲むくらいだ、などと揶揄されている。
まあ、それは大袈裟だが、籐香のような蓮台は珍しい。自分の着るものや装身具も自ら選ぶし、妹分の半花や花冠たちのものにも心をくだく。着付けは、人に任せても最後に必ず自分で直す。取り巻きを下がらせてしまうこともあるし、こうして茶も炒れる。
「そうね。こんなところに慣れては駄目よ」
籐香は、笑で人を殺すことが出来るなどと噂されているとか。
そんな微笑で、戒莉は貫かれた。さすがに、戒莉も尋常な気持ちではいられない。
「はい……」
消え入りそうな声が、戒莉の口からようよう零れた。籐香から逃れるように、視線を落すと、女ものの着物を着た自分の体が見えて、一瞬にして心が冷えた。
「どうぞ」
茶を勧める籐香の手元。思わず、握り締めたくなる衝動に駆られる細い指。小さな爪は、うすい桃色に染められている。
「どうも」
茶器から立ち上る湯気と香りに、戒莉は藍椋のことを思い出した。きっと、目の前の茶は、極上の風味がするだろう。そう思っても、戒莉少し警戒してしまう。藍椋の特製健康茶の味が蘇ってくる。ふと、可笑しくなった。
「……」
今度は、籐香が戒莉の微笑みに見惚れる。籐香は、ぽわんとした表情を浮かべた。
蓮台をこんな心持ちにさせるとは、どんな色男かと。後に籐香は笑っていた。
「ほんとうに、殿方にしておくのは惜しいこと」
戒莉が男であり、何のためにここに入り込んだかを知っているのは、わずかの者しかいない。楼主と女将、そしてこの籐香だ。
籐香の付人ということなので、籐香には知っていてもらわねばならなかった。
そして何故に籐香であったか、といえば、この籐香の居る部屋に例の隠し蔵があるからだった。
落としたのか? 落とされたのか?