天涯~雁編~   作:清夏

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『生きる』

「それにしても海莉は、籐香姐さまに付いて良かったわね」

 彩香は戒莉が不器用に炒れた茶をすすりながら、眉間に皺を寄せた。どうも、美味くないらしい。

「だって、そうでしょ。こんな渋いお茶を出していたら、柏梨のところじゃ、いびられていたわよ」

 彩香に言わせると、柏梨はとても気難しくて、口やかましく、陰険な女だということだ。籐香にも嫌がらせをしたり、何かと文句を言うのだという。

「自分と同じ色の衣装を着るな、とか。自分で身の回りのことをするのは、こちらの格も落ちるから止めろ、とか。とにかく煩いのよ。こちらの音曲に品がないとか、香がきついとか」

 戒莉は、まだ柏梨の姿をちらりとしか見たことしかないが、色白でほっそりとした美しい女だった。確かに少々目がきつい感じもしたが、高嶺の花といった風情に、心惹かれるところはあった。

「籐香姐さまに一番の座を奪われるんじゃないかって、気が気じゃないのよ」

 彩香はいろいろと一人で喋ってくれる。

 自分の周りには、こういう女がどうも多いような気がする。戒莉は、ふと玉葉のことを思い出す。

―― あの娘は、無口すぎるな……

「ちょっと、聞いてるの?」

 この言葉をなんど彩香から聞いたか知れない。こういう時には、戒莉はいつも頷いてみせていた。

 

 

 その日の昼近く、籐香の部屋はにぎやかだった。

 そっとのぞいてみると、部屋中に色とりどりの布が広げられている。

 眩しいくらいの色の洪水だ。色がありすぎると、少し目に痛いような気がする。戒莉は、思わず目を細めた。

「あら、海莉」

 その衣装の渦の中から、籐香が声を投げかけてきた。

「……」

 その場には、数人の付人と花冠、半花たちがおぼれそうに居た。

 戒莉は目で、『これは何事ですか』と、問いかけた……つもりだった。

「これなんてどうかしら?」

 籐香は、薄桃色の絹物を手にとりながら、戒莉の体にあてがってくる。

「?」

 戒莉は首を傾げる以外に術を持たなかった。

「もうすぐ総会なのよ。その日のために新しい着物を作るのよ」

 総会というのは、総買いのことで、その妓楼を一日ひとりで買い切ることをいう。

 この日ばかりは、他のどのお客も沈翠楼に入ることは出来ない。金がいくらかかるのか、戒莉は詳しいことは知らなかったが、沈翠楼を買い占めるのだから、相当の金をつまねばなるまい。

 そんなことをするような者は、めったにいない。かなり酔狂で、金が余っているような御仁なのだろう。

 なにしろ総ての娼妓を集め、盛大な宴を開いたとて、歌に、舞にと楽しんだとしても、夜伽に選べるのはやはりたった一人だ。

 この日の為に、妓楼のすべての女は新しい衣装をあつらえるのが習いなのだと、彩香は言った。

「皆、一月も前から用意しているのよ。あなたは来たばかりだから、急いで作らせなくてはね」

 籐香は微笑んだ。

 つまり、この布の海は、戒莉の衣装選びのためなのだ。

「さあ、選んで頂戴」

 選べと言われて、自分で選べはしない。戒莉は、首を振った。

「あら、じゃあ私たちが見立てて良いかしら」

 彩香が嬉しそうに笑う。明らかに、楽しんでいる。

―― 私たち

 戒莉は何となく、嫌な予感に苛まれた。

 かくして、籐香とその取り巻き軍団から、寄ってたかって遊ばれるはめに陥った。

 中でも、彩香の張り切りようは激しく、戒莉は苦笑いすら浮かべることも出来なかった。

 

 

「お疲れね?」

 ようやく騒ぎが収まり、戒莉はようようその部屋を逃げ出し、納戸に隠れたのだが、籐香に見つかってしまった。

「いえ」

 ふたりきりなのを確かめるように、短く答えた。声に、機嫌の悪さが滲んでいる。

「ごめんなさいね。ここは意外に退屈なのよ。だから、みんな楽しいのよ。いつもと違うことがね」

「楽しい?」

「ええ、まあね」

 籐香は、すとんと戒莉の脇に座った。床に直に座るなど、女将や柏梨が見たら、頭の天辺から火を噴き出しそうだ。

 そう、思ったことを言ってみたら、籐香は実に大きな口を開けて笑った。

「いやあね。でもホント、そうだわ」

 全く以って、この笑い様が見つかったら、戒莉まで怒られそうだ。

「柏梨はね、蓮台ということに人一倍誇りを持っている人なのよ。だから、私が許せないの」

 舌をちらりと見せる。籐香は、こんな鳥籠の中でも自由に見える。

「私と柏梨はね。同じ蓮台についていた花冠だったのよ」

 それは初耳だ。

「その蓮台は、キレイな人だったわ。私達の憧れだった。私も蓮台になるんだって、柏梨はいつも言ってたわ」

 遠い、昔のことだと、籐香の目は言っていた。

 柏梨と籐香、ただ対抗し合うだけの関係ではならしい。ただ、時とともに人と人との関係も、その人自身も変わってしまうのは、世の習いだ。

 戒莉も変わった。十年前は、日本で平和に暮していた。今では、こんな格好で、誰かを待っている。たぶん、その誰かを殺すために。

「ここに来たときはも同じ頃だった。私は親に売られて来たし、柏梨は親の借金を返す為に来たと言っていたわね。来たばかりのときは、泣いてばかりいて、女将に二人で怒られていたのよ」

 そんなことが、懐かしいのだろうか。戒莉は、籐香の口元に浮かぶ曖昧な笑をぼんやりと眺めていた。

 籐香は綺麗、というよりも可愛らしい顔をしている。年よりも幼く見えるが、子供であるところは実はどこにもない。

「まあ、泣いていられるのは、ほんの少しの時間ね。私達は、ここで生きるか、死ぬかを決めなくてはならなかったわ」

「どっちを選びました?」

 それまで黙っていた戒莉の問いかけに、籐香は一瞬、言葉を詰まらせた。 が、直ぐに微笑んだ。

「私も柏梨も、生きているわよ」

 奇妙に力のこもった声で、籐香がそう言ったことを、戒莉は後々まで忘れることはなかった。

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