天涯~雁編~   作:清夏

18 / 32
『花の蜜』

「ほう、これは……」

 その男は、かなり不躾に戒莉を眺め回した。

「あら、駄目よ。その花は売り物じゃないのよ」

 籐香は、男の杯に酒を注ぎながら、そっと男の視界を遮った。

「こんなに美しい花を、ただ飾っておくとくとはね。丁慈の考えてることが分からんよ」

 男はなおも籐香ごしに、戒莉を見据える。

 随分と、無粋な男だ。

「いやね。浮気は許さないわよ」

 籐香は、怒っているという顔を作ってみせる。

「焼餅やきだね。あちらの花は、眺めるだけだよ。蜜を吸いたいのは、こちらの花だけだよ」

 男は籐香を引き寄せ、耳もとで何事かを囁いた。

 籐香は、くすぐったそうに笑い声をあげると、男に身を寄せた。

 戒莉は、その様をただ眺めていた。

 男は籐香の馴染み客のひとりだ。籐香には、何人もの馴染みがいる。ここに来て、数日、籐香の元に客が訪れない夜はなかった。

 籐香は、どの客にもうっとりするような笑顔を見せ、時には可愛らしくすねて、甘えてみせた。

 はじめ、戒莉はその様子に目を逸らしがちだったが、程なくそれもしなくなった。

 籐香が特別したたかという訳ではない。妓楼では、どの花娘も客を恋人のように持て成す。男たちは、心持ちよく、それに金を払う。

 当たり前だが、戒莉はそんなものなのだと、ようやく気付いた。

「海莉、厨方にお酒を運ぶように言ってきてちょうだい」

 梅林という女が、きつい声で命じてくる。

 梅林は、籐香の付人頭だ。年のころは40で、かつてはここで娼妓として勤めていたと、彩香は言っていた。

 海莉は素直にうなづくと、座敷をぬけて厨房へと向かった。

 籐香が裾の短い着物を仕立ててくれたので、海莉の歩みも幾分よどみなくなっていた。前裾だけを床に触れるか触れないかの程度に上げ、後ろは引きずるように長くするという工夫のおかげで、それほどみっともない様子はない。

 廊下を進でいくと、他の娼妓たちが客を部屋へと誘っているのとすれ違った。客は、つい戒莉に目を奪われ、己の相方に咎められる。

 戒莉の頭痛の原因であったきつく結い上げられていた髪は、籐香の支持によって解放された。上の方のほんのすこしを後ろで束ね、小さな髪飾りでとめられているだけで、ほとんどたらし髪ではあったが、どんな凝った髪型よりも戒莉を美しく飾った。

 薄化粧なのも籐香が決めたことだ。

「もともとの肌がきれいだから、むしろ化粧で隠してしまっては勿体無いわ」

 そんなことを言っていた。

 戒莉は様々な思惑を含んだ視線を引きずりながら、ただ前だけを見て歩いていった。

 と、人どおりの途切れたところで、その手をいきなり捉まれた。

 

 

 

 はっと、手を振り切り、戒莉は身構えた。

 果たして、そこには明要がいた。

 

「しずかに」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。