「また、振られたのかぁ」
もぞもぞと寝室から出てきた戒莉に、言葉が浴びせかけられた。
こんな無遠慮なことを言うのは、この男だけだ。
「『また』とか言うな」
戒莉の声は、苛立っていた。それは、言われたことを肯定しているようなものだ。
「でも、何人目だい」
珊揮は、とても嬉しそうだ。
何故に嬉しそうなのか、戒莉には分からない。人の不幸がそんなに喜ばしく感じられるのか。
「別に、振られた訳じゃない」
それは事実ではない。しかし戒莉はそう反論せずにいられなかった。
「へえ、そうなんだ」
そんなはずないだろう。珊揮の目は、そう語りかけていた。
戒莉は珊揮を睨んだ。絶対に目をそらすものかと、奇妙な意地を張っていた。
「別に振るとか、振られるとか、そういう関係じゃなかった」
「じゃ、どういう関係?」
「あんたには、教えない」
戒莉は、自分が馬鹿なことを言っていることに気付いていた。
戒莉の顔かたちは、並外れて整っている。
この顔のせいで、戒莉にとって、女は選り取り見取りだと思われがちだが、実はそうでもない。
見た目だけで、ついてくる女はそのうちに戒莉の心を測りかねて離れていってしまう。
戒莉は相手への気配りがない。
戒莉からすると余裕がないだけなのだが、女の側からすると自分本位の我儘男ということになる。戒莉自身はごく普通の男のつもりなのだが、派手な見た目との隔たりが中身を貧相に見せているのかもしれない。
穂蓮とて、別に恋人とか将来を約束したとか、そういう相手ではない。
だから、振られた訳じゃない、というのが戒莉の言い分になる。
戒莉は海客だから、結婚して子供などはおそらく望めない。
戒莉は特別な者を決めることは出来なかった。
だから、女は自分の元を離れてしまうのだと、戒莉は言う。
けれど、それは嘘だ。
戒莉は、そして穂蓮は、知っていたのだ。
戒莉が穂蓮を、いや他の誰をも愛してはいないことを。
『それでもいいの』
と、女たちは言う。
けれど、それも嘘だ。
けれど戒莉は、それを真に受ける。
だから戒莉は振られるのだ。
柳から雁に来て既に十日、戒莉は何もしていない。ただぼんやりと、やり過ごしている。
ゆっくり休めと珊揮は言った。
それで休める程、戒莉は人間が出来ていない。
暇な分、余計なことを考えては、心が休まらない。
珊揮は、どういう目的で雁に来たのかを一切話さない。今に始まったことではない。
剣客として珊揮と組んで二年。
腹の中で何を画策していようと、頭の中でどんな思索をめぐらせていようと、珊揮はいざという時まで何も戒莉には明かして呉れない。
柳でもそうだった。戒莉の出来たことと言えば、ただ剣をあらぬ方向へ振り回すことぐらいだった。
そしてことの顛末を知るのは、いつも総てが終わった時だ。
戒莉は、それが不満だった。
自分に力がないことは分かっている。ものごとを見定める力、整理し考える力、そして剣すら未熟である。
しかし、何も出来ない訳ではない。
と、思いたい。
少しは頼りにして欲しい、少しは役にたつと思って欲しい。
子供じみた言い分かもしれない。
でも、頼りにならない、役にたたないのでは、生きている言い訳が出来ないような気がしていた。
今、戒莉と珊揮が寄宿しているところは、いわば学校だった。公のものではなく、読み、書き、算盤など生活に密着したことを教える処で、『つまりは寺子屋だ』と師である堺仁は笑っていた。
そんなことを言う堺仁は、実は海客で、こちらに流されて既に40年という男だった。おそらく60才は超えてはいる。皆、カイジンと呼ぶが、本当は酒井 昌仁(さかい まさひと)というのだと聞いた。
海客がこちらの読み、書きを教えようと思うところが凄いと思う。日本人がアメリカ人に英語を教えるようなものだ。
戒莉は二年前まで、ここに居候していた。
寺子屋の手伝いをしながら、言葉をおぼえ、剣をおぼえた。
実は、珊揮は戒莉の剣の師ではない。戒莉に剣を持たせ、その才を認め、鍛え上げたのは、岳昭という男だった。
岳昭はこの街で、剣の指南をしている。堺仁の知人で、寺子屋にもよく遊びに来ていた。体力をつけるために良いだろうと、堺仁が剣術を勧めた。戒莉は自然のなりゆきで、岳昭の門弟となった。
岳昭はさして強いという訳ではなかった。むしろ、今では戒莉より弱いくらいだ。
だが教え方が上手いのか、才能を見抜く力があるのか、かなり腕のたつ剣士を育て上げている。
岳昭は珊揮とも古くからの知り合いのようだった。ひ弱な戒莉が剣を習うことに難色を示していた珊揮を説き伏せたのが岳昭でもある。それだけでも、なかなか侮れない人物だ。
雁に戻ってきた時には、堺仁のもとに泊まり、岳昭のところに寄る。
今や、戒莉の帰るところはその二人のもとになっていた。
この十日というもの、戒莉は岳昭のもとに行っては、誰かれとなしに手合わせをして過ごしている。
「負けた、負けた!ひと休みさせてくれ」
兄弟子の明要は、戒莉に三本とられたところで音をあげた。
「年じゃないのか。明要」
戒莉は、笑いながら軽口をたたいた。
「勝手に言ってろ。俺はもう休む」
明要はおおげさに地面に体を大の字にひっくりかえって見せた。
周囲から笑い声がこぼれた。戒莉も笑っていた。
「なんか変わったなぁ。お前」
明要は下から戒莉の姿を眺めながら、しみじみと言った。
「まあね。腕を上げただろ」
戒莉は乱れた前髪を横に払いながら、冗談ごかしに応えた。
「いや、そうじゃない」
「あぁ?」
自画自賛をきっぱりと否定されて、戒莉は反射的に不満の声を漏らした。
「いやいや、強くなったよ、確かに。それとは別に何か変わったと思ってさ」
明要は、戒莉の眉間によった皺に苦笑した。
「何かって何だよ」
「さあ、何だろな」
「何だよ、それ」
戒莉の美しい眉間から、皺はすでに消えている。
明要は、自分にさしのべられた戒莉の手をとって起きあがった。体中についた埃を払いながら、戒莉の様子を改めて見ると何だかやはり以前と変わって見えた。
「ああ、そうか。お前、色気が出てきたなぁ」
「何だとっ」
ふたたび戒莉の眉間に怒りのしるしが顕れたのは言うまでもなかった。
「つまり、男らしくなった感じがするってことだ」
明要が言うことは、言い訳めいて聞こえた。
稽古場を離れて茶卓についても、戒莉は明要が言ったことにこだわっていた。
「思ってもいないことは言ってくれなくてもいい」
戒莉は、自分の容姿を酷く気にしていた。これのせいで自分が損をしていると思いこんでいる。特に下心を持つ輩を呼び寄せてしまうことを真剣に嫌がっている。
その戒莉に
『色気がある』
という言葉を投げかけるのは導火線に火をつける行為だ。
案の定、戒莉は明要に怒りを爆発させた。
それに対しての明要の弁明が、先の『男らしい』発言だった。
戒莉は、その言葉を鵜呑みにしない。自分が『女みたいだ』などと言われることには猛烈に抗議するくせに、自分が『男らしい』とは絶対に思わないのだ。
つまり、一番戒莉を女みたいだと思っているのは、戒莉自身だったということだ。
「いや、思ったことを言っただけだ。ねえ、そう思うだろう」
明要は茶をすすりながら、それを煎れてくれた岳昭の娘の霜秋に微笑みかけた。
その様子を見ながら、益々嘘臭いと戒莉は思う。
「そうねぇ。どことなくそう感じなくもないわねぇ」
霜秋は曖昧に笑っている。
「もう、いい」
戒莉は、茶をぐっと一息で飲み干した。どうも藍椋の『特製健康茶』を飲んでからというもの、茶の飲み方に癖がついた。
「ときに、雁には仕事で戻ってきたのか?」
明要は、戒莉の一言を合図に話の矛先を変えた。
「さあ、珊揮は休めと言ってるだけだ」
「なるほど」
「何が『なるほど』なんだよ」
戒莉は、明要の反応に怪訝な顔をした。
「戒莉が苛々している訳が分かった『なるほど』だよ」
「別に苛々なんかしてない」
こうい言ってみて、戒莉は明要に腹を立ててばかりいる自分に嫌気がさした。
「ああ、そうだよ。苛々してるよ」
いいとこなし……