剣を抜いたのは、あちらが先だった。
籐香ごしに、男が斬りかかってくる。
戒莉は、とっさに籐香を横に蹴り倒すと同時に柄に手をかけた。
「く」
頭上にふり下ろされる刃を、戒莉はかろうじて刃で止めた。
ずしりと腕に来るのは、相手の男の力だけではない。
自分の剣に潰されるような思いだ。
天涯という剣は、予想以上に難物だ。
他の賊も、珊揮も明要たちも、動いているのを感じながらも、戒莉は目の前の男に意識を集中せざるを得なかった。
この優男は、見かけと違って、なかなかの猛者とみた。
もっとも、見た目に関しては、戒莉は人のことを言える立場ではなかったが。
両手同時に、珊揮は剣を抜く。
襲い掛かる者は、総て一発でなぎ倒す。
その勢いに、賊たちは珊揮を牽制しながらも、近づくことを躊躇っていた。
「おや、もうお仕舞いなのかい?」
挑発の言葉に乗る勇気は、賊のどこにも残されていないようだ。
「やれやれ」
頭目であるその男は、剣を合わせたまま、力で戒莉を押してきた。
力では負けてしまう。戒莉は迫ってくる頭目の刃に、唇を噛んだ。
なんとか離れなければ、そう考えるよりも速く、戒莉の体が反応していた。
男は、戒莉を押すことに夢中になり過ぎて、戒莉に近づき過ぎていた。
戒莉は、男の腹に蹴りを入れた。
「う」
男は、一歩下がる。
それほどの打撃を与えるような蹴りではなかったかもしれないが、男を戒莉の体から離すには充分だった。
戒莉は、体を反転させて男の剣を払った。
そして、均衡を崩した男めがけて斬り付けた。
それで勝負は決しなかった。男もさるもので、すぐに体勢を立て直し、戒莉の攻撃をかわした。
戒莉は、攻撃の手を止めなかった。
どれだけ止められようと、かわされようと、戒莉は前へ前へと攻め立てていった。
男には戒莉の切っ先すら届かなかったが、男は徐々に後ろに下がっていった。
はっと、男が気付いた時には、その背には壁が迫っていた。
ここぞと正面から打ち込まれる戒莉の剣を受け止めつつ、男は体を逃がそうと、僅かに右へ動いた。
戒莉は、剣を男と合わせたまま、その柄から左手を離し、腰から脇差を逆手に抜いた。
「ぐあ」
男の首から、鮮血が噴出した。
右手に伝わる男の力が緩むのと同時に、戒莉は男の剣を跳ね除け、男の腹を真横へ、ほぼ一文字に斬り放った。
背後で、女の悲鳴が轟いた。
それは、人ならぬ獣が鳴くような、それでいて、人の感情の塊が吐き出されたような、奇妙な響きを持っていた。
戒莉は、その声を聴きながら、剣から右手に伝わってくる熱に浮かされていた。
悲鳴なのか、怒号なのか。
戒莉は、床に転がるかつて人であったものに背を向けた。
一歩、二歩と進んだ。
ようやく戒莉が目にすることのできた部屋の中は、惨憺たる有様だった。
賊は、既に全員が身動きを取れない状態となっているのが見て取れた。
全員が死に絶えた訳ではないようだ。
結局、戒莉は頭目ひとりを相手にするだけで、ことが終ってしまったということだ。
「お疲れ」
血溜りをよけながら、非道く間の抜けた言葉を発しながら、珊揮が近づいてくるのを、戒莉はぼんやりと眺めていた。
手まで軽く振っている、この男の神経はどうなっているのだろう。戒莉は、少し首を傾げた。
そこで、自分自身の神経も疑うべきだと、戒莉は自嘲した。
女がいた。泣き喚きながら、さっき戒莉が斬った男の骸に取りすがって泣いていた。
「いやあぁぁぁっ」
女が、何が嫌なのか。その時の戒莉には分からなかった。
「何か、何か言って。ねえ、お願い…言ってぇ」
女は死んだ男の顔を抱きしめ、その唇が何かを語ってくれるのを熱望している様子だった。
血が、女を染めていく。
「籐香……」
着物が汚れる、と言いかけて、戒莉は止めた。
そんなことを言っている状況ではないだろうと、戒莉はその時に気付いたのだ。むしろ、なんでそんなことを言おうと思ったのか、後でどう考えても、自分の精神状態がおかしかったとしたとしか思えない。
そして次に戒莉が言ったことも、明らかにまともな人間の言うことではなかったかもしれない。
「その男は、もう死んでいる。死人はもう、何も言わない」
その言葉に、ピクリと籐香が反応した。
それまで泣き叫んでいたにもかかわらず、籐香はぴたりとその声を発することを止めた。
「あんたが殺したんだ! 人殺し!」
勢いよく顔を上げ、戒莉を睨みつけ、籐香は聞いたことのないような声で戒莉を罵った。
「人殺し! 人殺し! 人殺し! 人殺し!」
喉から血がほとばしるような声で、ただ、ただ、狂ったように繰り返す。
「ああ……」
戒莉は、静かに言った。
「そんなことは、知ってる」
籐香は、戒莉の言葉に凍りついた。目を見開き、信じられないものを見たような表情を張り付かせながら、その身は細かく震えていた。
戒莉は、それらをただ眺めていたに過ぎない。
籐香はあらためて、しがみつくように男を抱きしめると、男の手にそれまで握られていた剣が、ガラリと床にこぼれ落ちた。
それが見えたとき、籐香は弾かれるように柄を握ると、男の体を手離した。
「死ね!」
籐香は、願いにも似たその言葉を発しながら、戒莉に剣を振り下ろした。
戒莉の体は、自分に斬りかかる者があれば、それが誰であろうと、同様の反応を見せただろう。
斬るのだ。と、戒莉の体が、戒莉に命じる。
「戒莉!」
籐香と戒莉の間に割って入ったのは、珊揮の声だ。
それは、声だけではなかった。
珊揮の右手の剣は籐香の剣を断ち、左の刃は戒莉の刃を押さえ込んでいた。
「珊揮…」
戒莉は、珊揮の顔をじっと見上げた。
―― なんで、珊揮がオレの邪魔をするんだ……?
そう思いながら、戒莉の視界からは何もかもが消えていった。
最後に聞いたのは、女の発した呪いの言葉だった。
「お前なんか死んでしまえ!」
戒莉は笑った。
―― そんなことは、聞き飽きた。