「ホントは、知ってるんでしょ、あんた。珊揮の居場所をさ」
女は実に図々しい調子で、戒莉の腕を引いた。
戒莉は、もはや誰に苛立っているのか分からない状態だった。
「知らないものは、知らない」
「だって、あんた、珊揮の相棒なんでしょ」
「仕事の上でのことしか、俺は知らない」
「あら、なんだ、そうなんだ」
女は、拍子抜けしたように納得の言葉を吐いた。
何を了解したのか分からないが、戒莉はこの女が何を考えていようと、これ以上付きまとわれるよりはましだと思った。
「あんた、信用ないんだ」
だからと言って、この一言は聞き捨てならなかった。
「だとしても、お前には関係ないことだ」
戒莉にはそう言い返すのが、精一杯のところだった。
だが意外に、女には効いたようだ。
「そうよね。あたしなんてどうなっても、誰にもなンにも関係ないんだわ……」
女は急に俯くと、しおしおと泣き始めた。
その姿を、戒莉はしばし無言のまま眺めてしまった。
この状況に、戒莉は自分が奇妙に冷静になっていくのを感じた。
それは明らかに嘘泣きだった。
戒莉は、その浅ましさに呆れるというよりも、驚嘆した。弱さを武器にすることが出来る人間がいる。しかも、こんなに力強くだ。
ちらりと上目遣いで戒莉の様子を探る女の視線に、戒莉はふっと笑ってしまった。
「あ……」
女は泣くことを忘れて、戒莉の笑に引き込まれた。
この様子を誰かが見たら、どう思うだろうか。
戒莉は間違いなく、女たらしだ。
女は、冬果と名乗った。そうして、戒莉の名を無理やり聞き出すと、こう言い放った。
「いいわ。あたし、珊揮のことは諦める」
「そりゃあいい。じゃあ、さよならだ」
そう言うと、戒莉の行動は素早かった。冬果に背を向けると、さっさと大股に歩き始めた。
だが、それよりも素早かったのは、冬果だった。女は戒莉の腕を、今度は両手でがっしりと掴んだ。
「待ってよ!」
「離せ」
戒莉はその腕を振りほどこうとしたが、冬果は食い下がった。
「あたし、あんたでいいわ」
「は?」
一瞬、それがどういう意味なのかを測りかねて、次の瞬間に戒莉は理解した。
冬果は、珊揮を諦める代わりに、次に戒莉に面倒をみろと言っているのだ。
もちろん、戒莉にはそんなことをしなければならない謂れは無い。
「だって、あんたは珊揮の相棒なんでしょ。相棒の責任で、あたしを助けて呉れるってもんじゃないの」
全く理屈が通っていないが、女の中でそれは何も矛盾していない様子だ。
戒莉は道理というものが通用しない女をどう説得すべきか、手段を知らなかった。ただ、真正面から否定するだけだ。
「嫌だ」
「いいじゃない。だって、あたし結構美人だって言われるわよ」
「あんたが美人だとしても、なんで俺が面倒みるってことになるんだ」
「でも、不細工より美人の方が良いに決まってるじゃあない」
「誰が、何を決めたって言うんだよ」
頭が痛くなってくる。
「あたしが、あんたに面倒みてもらうって決めたのよ」
「俺は嫌だ」
「あら、試してみないうちから、そういうこと言っちゃうの?全く、子供なんだから」
「……」
勝ち誇った顔で微笑む冬果を見るにつけ、戒莉はこの生き物が信じられない。これが存在し、こんなことを迷いなく言ってのける。信じたくないが、そういうものが自分の目の前に居るのだ。
「どう?試してみる気になった?」
「いや」
冷徹な響きが、その声に込められていた。
冬果は、戒莉にひるんだ。だが、それはほんの僅かの間のことで、直ぐに己れを奮い立たせるように怒鳴った。
「臆病者!」
「それでいい」
更に突き放す戒莉の残酷さが、冬果を駆り立てた。
「なに……よ。あんたなんて、ホントお子様で笑っちゃうわ。あたしは、ずっとこうやって生きてきたのよ。そうよ、男に媚を売ってね。何が悪いの?それ以外にどうやって生きればよかったのよ。妓楼に売られたときに、あたしは八つだった。たった八つよ!あたしは、そんな風に生きる道がなかったんだから」
一気にまくし立てたが、冬果はそれで満足しなかった。
「あんただって、その顔で何人の女を騙してきたの?ううん、そうよ、女だけじゃないでしょ。珊揮だって、なんの相棒なのか分かったもんじゃない」
女は、言い放った言葉に後悔しない。だが、その責任をとろうともしない。
戒莉は、自分の体が冷えていくのを感じていた。
なぜ、かっと頭に血が上らないのだろうかと、そんなことまで考えていた。しかし、それが冷静なのかと言うと、そうでもないということに、自分自身気付いていた。
女を斬って捨てたい衝動に、戒莉は突き上げられていた。
こんなにも邪悪で残酷な感情が、自分の中にあったのかと、戒莉は震えた。
賊や人買い、権威を隠れ蓑に私欲をほしいままにする官吏を斬りたいと思った心とは、全く違う。
ただの女だ。かなり図々しく、身勝手で、口の悪いだけの女だ。
それを、どうしてここまで消滅させたいのか。
戒莉は、息苦しさを覚えた。この女を殺すまで息がつけない、ような気がした。
この閉ざされた闇から抜け出すためには、女の血で切り開くしかないような気がした。
女は、戒莉が何も言えなくなったことに満足していた。
けれど、自分が何であそこまで言ってしまったのかに、疑問も感じていた。冬果は戒莉を知っていた訳ではない。それなのに何となく、最も彼に衝撃を与える言葉を言ってやったような気がした。
悔やみなどしなかった。この時点では。
だからもう一言、二言、言ってもいいような気がしていたのだ。
それが、正に命取りだった。
「あんたがそのお綺麗な顔で、どうやって珊揮に取り入ったのか。見てみたかったわね」