扉の向こうから現れた人物の姿に、戒莉は意識を集中した。
「お、気がついたな」
呑気に声をかけてきた男。
戒莉は記憶している顔の中から、その男に当てはまる人物を探した。けれど、誰も一致はしなかった。つまり、知らない男だった。
「丸一日寝てたぞ。お前」
知らない声にも関わらず、戒莉はあまり不安を感じないことを奇妙に感じた。
不思議な男だった。
「どこか痛いのか? 怪我はしていないようだったけどな」
ぼんやりと、戒莉はその声を聞いていた。
「何か食べるか?」
それは無理だと戒莉は思ったが、口に出して答えなかった。
「水はどうだ?」
男は、寝台の脇机の上にある水差しを取り上げた。
水という言葉に、戒莉の喉がコクリと鳴った。
「飲むか?」
男は戒莉が反応したことが嬉しかったのか笑いながら水差しから茶器に水を注ごうとして、手を止めた。
「寝たままだと、飲めないか」
それはそうだ。戒莉は無言のまま、自力で体を起そうと試みた。
「無理はするな。それに口移しで飲ませてやってもいいぞ」
それは嫌だ。戒莉は男の満面の笑みを目にし、初めて声を出した。
「起こしてくれ」
男はその言葉を聞くと、ますます嬉しそうに笑った。
そうして、戒莉は男の手助けで何とか上半身を起こすことができた。
「ありがとう」
短く、礼を言う。
男から茶器を両手で受け取り、戒莉は自分で水を飲んだ。
ひどく美味い。
それほどに喉が渇いていたのかと、戒莉は気付く。自分のことなのに、いろんなことに『気付く』ことが多い。
「もっと飲むか?」
男は寝台に腰をかけ、戒莉の背を支えている。
「いや」
男は空になった茶器を戒莉から受け取ると、また戒莉をそろそろと横たえた。
戒莉は、このままではいけないと焦りを感じ始めた。
「あの」
ひと声かけて、戒莉の言葉は止まってしまった。 ここが何処なのか、男の素性や自分がどうしてここに運ばれたのかなど、知るべきことが多く、戒莉は何から聞いたらいいのか迷ったのだ。
「いや、ビックリしたな」
男は、戒莉の心を読んだかの如く、自ら喋り始めた。
「角を曲がったら、大立ち回りだ」
男は、戒莉が何者かと斬りあっているところに遭遇したらしい。
戒莉がその時、相手にしていたのは、五人ほどの男で、既に四人の男女が地面に倒れていたらしい。皆、人相が悪いということもない、普通の商人風であったということだ。しかし、それにしては皆、身のこなしが良かったらしい。
「それにも増して、お前の動きが凄かった。で、暫く見物してたんだが、お前が急にフラフラしだしてな」
これはいけないと、男は戒莉に加勢したのだそうだ。
戒莉とやり合っていた男達は、新手の攻撃にひるみ、逃げることを選択した。
「まあ、俺には敵わないということが、直ぐに分かったんだろうな」
男はニヤリとする。
戒莉は、男の立派な眉がよく動くのを眺めていた。
「そうなったら、まあ、こっちも深追いはしなかった。お前は、バッタリ倒れたしな」
五人の男達は、倒れていた仲間をさっさと抱えて去っていった。というのが、ことの顛末だ。
なんだか、分かったような分からんような。
戒莉は、その場のことを想像してはみるが、やっぱり何一つ憶えていないことを確認したに過ぎなかった。
「お前が怪我していると思って、とりあえず近くの馴染みの見世に運んだんだが」
血は派手に浴びているものの、ほとんど怪我らしい怪我はなかったと、男は何やら問いかけるように言った。
「俺は、血に弱いみたいだ」
それも自分で斬った相手の血限定なのだが、そこを戒莉は男に言わなかった。
男をどこまで信用していいものか。戒莉は、気を引き締めた。
「ほう。俺の知り合いにもそういうのが居ない訳じゃないが。難儀な体質だな」
男は軽く同情を寄せる。
戒莉は、あらためて思う。難儀で、因果な体質なのだ。
呼吸を整えて、戒莉は男を真っ直ぐに見て、ずばり尋ねた。
「あんたは何で俺を助けた? どうして、向こうの男達に助太刀しなかったんだ?」
戒莉にしても、その相手の男達にしても、この男には見知った仲ではない。その状況で、なぜ戒莉側に付こうとしたのか。戒莉には疑問だった。もしかしたら、戒莉が男たちを襲っていた賊であったとも考えられる状況だ。
「正直、迷ったんだが、お前の方が好みだったからな」
落ちません。