車椅子探偵えりか   作:ざんじばる

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■Side E

 

 

 

「思いの外、人が多いな」

 

 行き交う人の多さに辟易したのか、車いすの少女が顔を歪め呟く。島への上陸後、役場へと向かうコナン達と別れたえりかと千鳥は島のメインストリートを散策していた。彼女の言うとおり、細い島の道にはそれなりの数の人々の往来がある。もちろん東京などの大都市としては較べるべくもないが、その道が想定している通行量は軽く上回っているのだろう。流れは滞り気味だった。

 

「有名なお祭りだそうだから。そもそも私たちだってそれ目当てに来たんだし」

「私は知らなかったけどな」

 

 えりかが鼻を鳴らすように言う。たしかに今度の旅も、千鳥が彼女を半ば強引に連れ出したものだった。旅の目的地の詳細もろくに伝えずに。千鳥はえりかに目を合わせず、視線を彷徨わせる。そして人の流れを避けるように、近くの土産物屋へと足を踏み入れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 人魚のお守りにマーメイドストラップ、儒艮饅頭と人魚を前面に押し出した商品が並ぶ。人魚の島の面目躍如といったところか。ここまで商売っ気を出されると興ざめを通り越してくるから不思議だ。

 

 土産物屋に並ぶ品々を興味深げに眺める少女二人。島ではとても見ることがない華やかな雰囲気の少女達に、土産物屋の中年女性店員から声をかけた。

 

「あらあら。とても可愛らしいお客様だわ」

 

 二人は軽く黙礼して返す。

 

「お嬢さんたちも『儒艮の矢』目当て? こんなに可愛らしい子たちのところにこそ不老長寿のお守りが来るといいけどねぇ」

「『儒艮の矢』?」

 

 鸚鵡返しにするえりか。話し好きそうな中年店員がなおも教えてくれた。

 

「さっきも言ったとおり、霊験あらたかな不老長寿のお守りよ。外からの観光客のほとんどはこの矢を目当てに来てるの」

「ふーん。それでその矢とやらは、儒艮がせっせと作って持ってきてくれるんですかね?」

 

 そう相槌をうったえりかの瞳は興味なさげだ。あるいは胡散臭いと思っているのかもしれない。そこにフォローを入れたのは、後ろから出てきたもう一人の店員だった。黒髪のボブカットと厚い唇が特徴的な30前くらいの女性。黒江奈緒子(くろえなおこ)だ。

 

「さすがに矢を作ってるのは儒艮ではないわ。人間よ。……ただし、人魚の肉を食べた不死の人間だけどね」

「人魚を食べたぁ? おまけに不死だぁ?」

 

 顔をしかめ、盛大に疑念を漏らすえりか。それに対して奈緒子の態度はあくまでクールだ。

 

「ええ。人魚の肉を食べて永遠を生きる(みこと)様、その念を込めた髪の毛が、『儒艮の矢』には結わえ付けられているの」

「命様……ねぇ」

「180歳にも200歳にもなるって言われてる、島の神社のお家の大おばあ様ですよ」

 

 今度は中年店員の方が、奈緒子の説明にフォローを入れる。180年も生きる人間など信じがたくはあるが……。

 

「どう? 『儒艮の矢』効果ありそうでしょう?」

 

 奈緒子はどうだとばかりに顎をしゃくる。それに対してえりかは。

 

「さて、どうだかな……個人的には永遠の若さなんてゾッとしないがね。昨日より今日、今日より明日。人間、日々成熟していくべきだ。青いままじゃ人生なんてやってられないぜ」

「それは、あなたが今若いから言える事ね。私くらいの年齢になると、一日でも長く若さを保とうと必死になるものよ」

 

 どこか皮肉屋なところが響き合うのか、お互いに薄い笑みを浮かべたまま軽口をぶつけ合うえりかと奈緒子。そんな二人をこのままにしておくことに不穏なものを感じた千鳥は「お邪魔しました」と告げると足早に土産物屋を後にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 土産物屋を出た二人は、人の流れに乗ってしばらく進むことにした。やがて行き着いたのは、今日、多くの人にとって共通の目的地。『儒艮祭り』の行われる島唯一の神社だった。多くの観光客を呼び込む祭りの舞台だけあり、境内には多数の人が行き来している。

 

「えりか、お祭りの本番は夜からだから、まだ少し時間があるわ。せっかくだからお参りしましょう」

 

 千鳥が拝殿(はいでん)を見ながら言う。けれど、えりかは賽銭箱前に並ぶ行列の長さを見てうんざりだと言わんばかりの溜息をつくと、すげなく断った。

 

「わたしはいいよ。この辺で待ってるから気にせずお前一人で行ってこいよ」

「えりかといっしょにお参りしたいのよ」

「悪いな。この足だからさ。神様の前に輿(車いす)に乗ったまま出て行くわけにもいかないだろ」

 

 膝をぽんと叩きながらへりくつをこねくり出すえりか。足を持ち出されると千鳥としても強くは出られない。十中八九単なる軽口だとしてもだ。結局「もう!」と言いながら、一人で参拝客の列の最後尾へと並ぶのだった。

 

 そんな相棒を見送ると、えりかは改めて周囲を見渡す。やがて境内にポツンと手水舎(ちょうずや)があるのに気付いた。鳥居から入ってすぐのところにも手水舎があったからか、境内側の手水舎には人があまりいない。

 

 ———せっかくだから手ぐらい洗わせてもらうとするか。

 

 えりかは車いすを手繰ってそちらへと向かう。幸い手水舎との間には石造りの参道が敷かれていて、車いすでの移動にも苦労しなさそうだ。玉砂利が敷き詰められた境内を突っ切るとなるとそう易々とはいかないが。

 

 慣れた手つきで車いすを操る。このまま人の流れに乗って行けば問題なく着く。けれど、祭りの日の境内ではそうは行かなかった。突然前を行く人の間を縫って、逆光してくる人物が現われた。大柄な中年男性。向こうも目を剥き、あわやの所で車いすを躱した。が、完全にとはいかなかった。車いす本体は避けたものの、それに乗るえりかとそれなりの勢いでぶつかる。

 

 中年男性は舌打ちしながらそのまま歩み去って行くが、えりかはそのままでは済まなかった。咄嗟の回避行動で、外へとカーブした進路。石造りの参道から片側の車輪が脱輪するまで幾ばくもかからなかった。さらに重心が寄り、そこに追い打ちのようにぶつかったのだ。玉砂利に突っ込み、片側だけ急制動がかかった車いす。傾いた重心。車いすが横転することは自明の理だった。

 

「あぐッ!」

 

 えりかの体が勢いよく投げ出される。足が動かないえりかには受け身の取りようもない。硬い玉砂利に打ちのめされる華奢な体躯。騒々しい音を立てて横たわる車いす。ぶつかった中年男性は振り返りもしない。周囲の人達は突然のことに凍り付いていた。

 

 痛みに呻きながら、懸命に腕を立てて身を起こそうとし、上手くいかない無残な少女の姿が取り残されるようにそこにはあった。

 

 

「大丈夫ですかッ!?」

 

 

 沈黙を破るように強く声をかけ、駆け寄る一人の人物。えりかの傍に跪くと、そっと慎重にエリカの頭部を持ち上げる。えりかの顔など露出している面に視線を走らせ、傷がないことを確認すると、今度は艶やかな黒髪を逆撫で、見えない部分に出血がないか確認していく。

 

 やがてえりかの頭部に外傷がないことを確認した、その人物は膝枕をする形でえりかの頭をそっと安定させると今度は、地面へと打ち付けた体の確認へと移った。

 

 一方、堪えていた痛みがようやく治まってきたえりかは、そっと目を開いた。先ほどから女性らしき人物が自分に駆け寄って随分心配してくれていることには気付いていた。膝枕をされていたえりかは自然とその人物を見上げる形になる。

 

 開いた瞳に映るのは、一人の女性。歳の頃は20代中盤を折り返したくらいだろうか。豊かな黒髪を中央で緩やかにわけ、つるんとした額を覗かせている。清楚ながらも活発そうな大人の女性だった。視線をずらしていくと彼女の格好が目に入ってくる。一般的な生活ではまず見ることのない白の着物と赤の袴の組み合わせ。

 

 ———巫女……さん……?

 

 真摯な表情で、自分を見詰めるその女性に。神聖性を示すその布地越しに伝わる温もりに、えりかは得も言われぬ胸の高鳴りを覚えた。ほうとその顔を見詰める。やがて巫女の方も自分を見上げる視線に気付いたのか視線を下ろす。二人の視線が交錯した。

 

 巫女の方はえりかの意識がしっかりしていることに安心したのか破顔して、くしゃりと笑みを浮かべた。

 

「良かった。大丈夫そうね」

 

 年の割に、そしてその清楚な雰囲気に反して子供っぽい笑顔にえりかは体温が中から高まるのを感じる。なぜか彼女の呼びかけに応えることはできなかった。

 

 

 その時、やじ馬を掻き分けて一人の少女が飛び出してきた。

 

「えりか! 大丈夫……ッ!?」

 

 大切なアミティエの名前を呼んで、一歩二歩と前に出た彼女に飛び込んできたのは、そのアミティエが巫女に膝枕をされた状態で顔をのぞき込まれ、顔を赤らめて惚けた表情を晒している姿。

 

 ……有罪だった。完全に千鳥の中では。

 

「……えりか……車いすの女の子が横転したって聞いて慌てて走ってきてみたら…………」

「おい。待て。……違うぞ?」

「何が違うのかしら? ちょっと目を離したら……いえ、私の目の前ですら、あっちにふらふらそっちにふらふら……シスター(バスキア教諭)の次は巫女ってわけ?」

 

 眉を跳ね上げ、美しい(かんばせ)をさらに硬質なものにして、こちらを睨み付けてくる相棒に咄嗟に否定の言葉を投げつけるえりか。それは千鳥の怒りに更に燃料を注ぐ行為でしかなかった。二人の間に挟まれ戸惑う巫女。

 

「えっと……お友達かな?」

 

 ただただカオスな空間がそこにはあった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「さっきは助かりました。ありがとうございます」

「いいの。気にしないで。神社の中でのトラブルの対処も私の仕事だから」

 

 千鳥が落ち着いたところで改めて挨拶を交わした。名乗った二人に対して巫女も。

 

「なんてったってうちの神社だからね。私は島袋君恵(しまぶくろきみえ)。見ての通りこの美國神社の巫女よ」

 

 自らの正体を明かした。そのプロフィールに心当たりがあった二人。先に聞いたのは千鳥だった。

 

「あの。この神社の巫女さんということは、今夜のお祭りの主役の命さまって……」

「ああ。うちの大おばーちゃんよ。私はその曾々々孫」

 

 ———曾々々孫? いや。それでもかなり凄いが180はいかねぇわな。

 

「あの。命さまって本当に180年以上も生きてらっしゃるんですか?」

「あはは。ないない。大おばーちゃんは今年でまだ130歳よ」

 

 ———確か、現在存命中の世界最高齢が日本人で116歳。過去に遡っても公的な記録がしっかりと残ってるのは122歳が世界最高齢だったはず。これが本当なら大きく記録更新になるが……。

 

「まだって……十分すごいと思いますけど」

「そうかな? まあ確かにみんな大騒ぎして、長寿にあやかろうとはしてるけど、私にとっては単なる大おばーちゃんだからねー。ま、唯一の家族だから大事ではあるけど。普段はふつーの老人だよ」

 

 あっけらかんと言う君恵。その発言の中に気になる情報があったので千鳥が反射的に掘り下げる。

 

「あの唯一のご家族って……ご両親は?」

「ん? ああ。五年前に父と一緒に海で行方不明になっちゃってね。祖父と祖母も私が生まれる前に同じように海で行方不明になったらしいから、そういう家系なのかな?」

 

 思わぬ重たい話に、後悔する千鳥。深刻な顔をして謝るが。

 

「えっと……ごめんなさい。不用意に聞いてしまって」

「あはは。全然。気にしないで。とっくに整理がついてることだから。大おばーちゃんとの二人暮らしもそれなりに楽しいしね。こうやってお祭りで島を盛り上げて」

 

 当の君恵は重たい感情を見せる素振りもない。本当に何も感じていないのか。あるいは健気にまっすぐな女性なのか。後者と受け取った千鳥は、君恵に対して好感を持った。と、同時にこれはえりかが懐くのも当然かと、警戒の意識も新たにするのだった。えりかは、そんな二人のやり取りをよそに何事か考え事をしているようで、我関せずではあったが。

 

「そうだ。二人ともこの時期に美國島に来たんだから、『儒艮の矢』がお目当てなんでしょう? 良かったらこれ」

「え? なんです、これ?」

 

 君恵が二枚の木札を二人に差し出す。それを受け取った千鳥は木札の正体が分からず戸惑った声をあげる。君恵が言うには。

 

「『儒艮の矢』の抽選札よ。この後のお祭りの抽選会で当たれば『儒艮の矢』がもらえるの。結構な人気で抽選札はもう売り切れだったんだけど、急遽島を離れないといけないとかで今朝キャンセルした老夫婦がいたから二枚だけ余ってたの」

「いいんですか? そんな貴重なものをもらっちゃって」

「いいのいいの。せっかく神社に来てもらってトラブルだけじゃつまらないでしょ。……まあ、矢は三本だけだから当たるかどうかは分からないけど楽しんで行って頂戴。もしかしたらみんなが言うように永遠の若さと美貌が手に入っちゃうかも知れないわよ。超絶美人の二人にはぴったりね♡」

 

 そう言ってウインクすると君恵は社殿の方へと去って行った。祭りの準備に戻るのだろう。そして残された二人は。

 

「……どうする。えりかは永遠の若さなんて興味ないんでしょ? 宿に帰る?」

「抽選会とやらに参加してみようぜ。せっかくの好意だ。無駄にしちゃ罰が当たっちまう」

「…………”美人の巫女さん”の好意だからでしょ……君恵さん、さっぱりとした美人だったものね。学院にはいない感じの」

 

 えりかは千鳥の恨めしげな視線に苦笑して。

 

「違うって。いつも言ってるだろ。『義理が廃ればこの世は闇』って。それだけさ」

「えりかの場合は末尾に『ただし、美人からの義理に限る』って但し書きをつけておくべきだと思うわ」

 

 どうやら根は深いようだ。説き伏せるのを諦めたえりかは、その千鳥の発言はスルーし。

 

「ま、万が一矢が当たれば白羽にでもプレゼントするさ。自分の若さには興味ないが、あの美を永遠に残すことには大きな意義がある」

 

 そう述べるとさらに千鳥が噛みついた。

 

「あら、私にはくれないのかしら。えりかは私の美には興味ないのね」

「なんだよ。相棒。お前はわたしといっしょに歳を取っちゃあくれないのか? お見限りとは寂しいね」

 

 猫の笑みを浮かべながら傍らのアミティエにそう告げるえりか。こう言われては千鳥も抵抗できない。

 

「もう! 調子のいいこと言って! ……ほら、行きましょう!!」

 

 えりかの背後に回って車いすのハンドルを握ると、境内の散策を再開するのだった。

 

 




えりかはちょろイン

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