翌朝。いつもの習慣からか授業に間に合う時間に起き出す二人。浴場でシャワーを浴びて身支度を調え。女将が用意した朝食をいただく。食事をしながらあれやこれやと会話を始めた。
「えりか、今日も公民館に行くの?」
「ああ。坊主達は昨晩帰ってきてないらしいからな。なにか起きたのかもしれない。情報を仕入れに行こうぜ」
朝食を配膳する際、女将から昨晩、小五郎たちは結局帰ってこなかったことを聞いていた。
「まだ首を突っ込むつもりなのね」
「乗りかかった船だ。最後まで見届けようぜ。それに興味を抜きにしても、私たちだって事件の現場にいたんだ。警察の事情聴取には協力しないとならんだろうよ」
「そっちはただの口実よね」
ジト目でえりかを睨む千鳥。それにクツクツと笑いを返した後、えりかは。
「そういやお前、昨日ピアノに残されてた譜面を見てなにか気付いたみたいだったな。あれ何だったんだ?」
昨日から未消化になっていた疑問点を解消することにした。
「ああ、あれ? たぶん『月光』の譜面よ」
「へえ? ちらっと見ただけでよく分かったな」
えりかの問いにあっさりと答える千鳥。なんでもないことのように言う。
「暗譜と譜面の読解は音楽の基礎だもの。当然よ」
「さすがはバレエも得意な舞台女優サマだ」
「褒めるなら素直に褒めなさいよ……でもあの譜面、4段目がおかしかったのよね」
千鳥はあの譜面を見て気付いた違和感を口にする。
「おかしい?」
「3段目までは確かに『月光』だったけれど、4段目は違う……そもそも音楽にもなってないわ。あの譜面通りに演奏しても耳障りな雑音になるだけよ」
「ふうん……。その4段目、今紙に書けるか?」
えりかは譜面の謎の4段目に、なにか思い当たるものがあったようだ。今すぐ書き起こせるかと千鳥に聞くが、それには否定が帰ってきた。
「無理ね。音楽として形になってれば暗譜できるけど、意味の通らない音の羅列は簡単には暗記できないわ」
「そりゃ道理だな」
「どうする? 毛利さんにお願いして譜面を見せてもらう?」
「……いや。いい」
けれど、えりかはあっさり興味を失ったようだった。エリカの態度が気になって千鳥が確認する。
「いいの?」
「ああ。おおかた犯人からのメッセージが暗号になってるんだろうが、どうせたいした意味はないさ。追いかけても犯人に振り回されるだけだ」
「そう」
えりかの説明を受けて、ひとまず千鳥も納得することにした。情報の整理を終え、二人公民館へ向かうことにする。外出する二人を女将が見送ってくれた。
◇
「よお、坊主。眠そうだな。昨晩は徹夜か?」
「あ、えりかお姉ちゃん。おはよう。ふわぁ。……うん。もうすぐ東京から刑事さんたちが来るらしいから、それまでは起きてようと思って」
公民館にたどり着いたえりかと千鳥。ピアノの部屋に入ると毛布にくるまったコナン達がいた。小五郎と老いぼれ警官は夢の中へ旅立っていたが、コナンと蘭、それにどうやらこちらへ合流したらしい成実医師は眠そうにしながらも起きていた。寝ずの番をしていたらしい。
えりかがコナンへ声をかけるとあくび混じりに挨拶を返してきた。蘭と成実医師にも会釈しておく。
「そいつはご苦労様だな。どうだ? なにか面白いことはあったかい?」
「面白いって……」
えりかの物言いに苦笑するコナン。気を取り直すと昨晩あったことを伝えた。
「夜の11時前くらいかな。窓の外に怪しい人影がいたんだ」
「へぇ?」
「僕らが気付いたことを悟るとすぐ逃げ出したんだ。後を追っかけたんだけど藪の中に逃げ込まれて見失っちゃった」
「ふむ。……坊主。その怪しい人影は今ここにいるみんな、見たのか?」
「疑ってるの? ここにいるみんなが人影を見てるし、小五郎のおじさんといっしょに追いかけたんだ。間違いないよ!」
見間違いを疑われるなんて心外だとばかりに憤るコナン。そんな彼をよそにえりかは何事かを考えこんでいた。だがそこそこで思考を切り上げると謝罪した。
「悪い悪い。別に坊主の目を疑ってたんじゃないんだ。ちょっと気になることがあってな」
「気になること?」
「ああ。でもまあたいしたことじゃないさ」
「ふーん」
えりかがこれ以上話す気がないと察したのだろう。コナンは話を変える。
「えりかお姉ちゃんの方ではなにか発見はなかったの?」
「あん?」
コナンの質問に、えりかはどうしたものかと考え込み、そして。
「あー。……そうだな。殺人現場に残されていた譜面。3段目までは『月光』で、4段目は完全に別物のなにか暗号になってるぞ」
「残念。それは僕らも気付いてるよ」
「なんだ、そうなのか?」
「蘭姉ちゃんが実際に弾いてみてくれて、4段目がおかしいって分かったんだ」
「ああ。なるほどな」
「そっちはどうしてそのことに気付いたの?」
「うちは相棒が音楽に詳しくてな。一目で譜面がおかしいと見抜いた」
「すごーい!」
コナンは感嘆している。そんなコナンをよそにえりかは他に何かあったかと思考を巡らせて、そして猫の笑みを浮かべてこう言った。
「そうだな。それじゃあ、昨晩坊主達が宿に帰ってれば夕飯は金目の煮付けだったんだぜ。惜しいことしたな」
「え? なにそれ?」
「私たちと毛利のオッサンが取ってた宿が同じ所だったんだよ。私たちは夕食を満喫した。うまかったぜ」
「えー……なにそれ。聞きたくなかった」
コナンの心底残念と言った声に、えりかはククと小さく笑う。そんなことをしている間に外からどやどやと人の気配がしてきた。どうやら東京からの警察が到着したらしい。
先頭をきってやってきたのは、茶色のコートとソフト帽をまとった恰幅のいい初老の男。ひげをシェブロン形にたくわえている。ネクタイを締め、かっちりとした印象ではあるが、どこかタヌキのような愛嬌もあった。
「目暮警部!」
「やあ、コナン君。今回も災難だったね」
その男、目暮警部とコナンは顔見知りであったのか、入って来るなり親しげに挨拶を交わしていた。
「知り合いか、坊主?」
「うん。小五郎のおじさんの元上司で、事件に遭ったとき、よく捜査に来てくれるんだ」
———よく事件に遭うって……とことん探偵体質なやつだな。名探偵は事件を引き寄せるって言うが……。
「コナン君。そちらのお嬢さん方は?」
「えっと。えりかお姉ちゃんに千鳥お姉ちゃん。旅行者さんで昨日、たまたま知り合いになったんだ」
目暮は目暮のほうで、コナンと気安く会話する初対面の女生徒が気になったらしい。コナンにえりかたちのことを聞いている。コナンが簡単に答え、その後千鳥が引き取って詳細を答えた。GWで旅行に来たこと。昨日偶然コナン達と知り合い、いっしょに行動したこと。昨日の事件に遭遇したこと。そして、事情聴取があるかもと思って再び公民館へ来たことを説明した。
その説明に得心いったらしい。話題は事件のことに移る。コナンは譜面を目暮に渡し、事件のあらましや死体の状態を説明していく。それを蘭と成実医師が補足した。
「うむ。だいたいのことは分かった。ありがとうコナン君。蘭君。それに浅井先生」
「「どういたしまして」」
「まったく、それにしても子供や女性が事件解決にこれだけ協力してくれているというのにこの男達は……」
呆れたような目暮の視線の先には、事件現場で寝こける小五郎と老いぼれ警官の姿があった。その後、目暮はコナン達徹夜明けの三人には仮眠して休息するように言い、えりかたちには村役場で事情聴取をやっているのでそちらへ向かってほしいと話すと、率いてきた部下達に鑑識を始めさせた。
◇
「それで、この島に来た目的は何なのかね?」
「旅行です。この島を選んだのは相方なので、なぜこの島なのかはアイツに聞いてみないと分かりませんがね」
村役場では昨晩法事に集まっていた人間を参考人として事情聴取が行われていた。えりか達も名前と住所の他にこの島へ来た理由などを聞かれている。参考人の数が多かったこともあり、昼前から始まった事情聴取は午後6時近くになってもまだ終わっていなかった。
「なるほど。……あとは、八重垣君……その足は?」
「ええ。以前事故に遭いましてね。まったく動きませんとも。確認が必要であれば××病院へ問い合わせてみてください」
「そうか。済まないことを聞いたね」
「いえ。随分前のことですから。とっくに整理はついてますよ」
「協力ありがとう。事情聴取は以上だ」
事情聴取を受けていた相手、目暮警部に会釈し部屋を出る。すると。
「「ふああぁぁ」」
大あくびをするコナンに蘭、成実医師がいた。えりかが声をかける。
「よお。眠そうだな」
「あ。えりかお姉ちゃん!」
徹夜していた三人は、あれから公民館で仮眠を取った後、こちらへと移ってきたのだ。そこへ聴取をしていた部屋から小五郎が出てくる。小五郎は事情聴取の手伝いということで立ち会っていた。蘭が犯人は分かったかと聞いているが、参考人が38人もいるなかでそこまで進展していないようだった。
———毛利のオッサンは目暮警部の元部下らしいが、いくら元警察と言っても部外者を事情聴取の場にいれてもいいものなのかね? 警察は意外と緩い組織なのか。あるいは名探偵故の協力依頼なのか。
徹夜での疲労を鑑み、事情聴取を一番最後に回されたという成実医師は洗面所に顔を洗いに行った。あと事情聴取が残っているのは、成実医師の他に、村長の娘の黒岩令子、その婚約者の村沢周一、村長選立候補者の清水正人、村長秘書の平田和明に、現在取り調べ中の西本健の計6名とのことだった。
西本は何を聞いても黙秘しているため時間がかかっているそうだ。
「俺のカンじゃ犯人はあいつだ……まーあの譜面のダイイングメッセージが解読できりゃーはっきりするがな……」
———おいおい。本当に大丈夫か、このオッサン。海で殺されて、その後犯人にピアノの前に座らされた被害者が、あらかじめメッセージを暗号にしてピアノに仕込んでたって言うのかよ……ねーよ。それに西本ってやつはどう見てもこれから被害者になる側だろ。
「バカモン!! 何が呪いのピアノだ!!」
小五郎のことを呆れてみていると、背後から突然怒声がした。振り向けば村長の黒岩が秘書の平田へ怒鳴りつけるように指示していた。あのピアノの存在がこのようなふざけた事件を引き寄せているのだとしてさっさと処分するよう平田に指示している。平田は食い下がっていたが、黒岩が意見を翻すことはなく、今週中に処分するようにと押し切っていた。
———さて。今のは不吉なピアノをただ処分したいだけなのか、あるいは注目を集めてしまったピアノを置いておきたくない何かしらの理由があるのか。どう捉えるべきだ……?
事件の重要なピースになっていると思われるピアノを警察に図ることなく一方的に処分しようとしている黒岩。その意図を推し量ろうとするえりかだが、手元の情報からでは結論は出なかった。
◇
時刻は更に進んで午後6:30前。事情聴取は今もなお終わっていなかった。小五郎は引き続き聴取の立ち会いを。コナン達やえりか達は役場窓口の待合スペースで待っていた。聴取が行われている部屋からは村長の黒岩令子の怒号が響いている。もう10分以上になるだろうか。その持続力に、蘭と成実医師はヘンに感心していた。
あれだけ犯人に怯えていた西本が、取り調べを終えてもまだ帰っていない。しきりに腕時計を気にしている。なにかあるのだろうか。えりかは西本の不審な態度を注視していた。
———お? 行ったな。坊主も追っていったか。
西本は廊下をトイレの方に消えていった。その後をコナンが「トイレ」といいながら追っていった。西本の不審な態度に注視していたのだろう。えりかが時計を見ると時刻は午後6:30を指していた。
———さて。何が起きるやら。
事態が動く。そのことを確信してえりかはその時を待った。やがてすぐに異変は起きた。村役場内の館内スピーカーが不意に音楽を流し出したのだ。『月光』の第二楽章を。すぐに聴取が行われていた部屋から目暮警部と小五郎が飛び出してくる。そのままコナン達が消えた廊下へと走って行く。村長の娘、令子や秘書の平田もその後を追っていった。
「えりか。私たちも行く?」
千鳥が自分たちも後を追うべきか、えりかに尋ねるが。
「いいや。あの廊下の先の階段を上ると放送室があるみたいだ。目的地はそこだろう。面倒だからここで待ってようぜ」
村役場館内案内図を見ながらえりかはそう言う。その手がポンと自分の車いすを叩いた。階段を上るには千鳥がえりかを抱える必要がある。そこまでする必要はないということだろう。
「『月光』の第二楽章。第二の殺人が起こっちまったか」
えりかと千鳥以外だれもいない役場の窓口に、えりかの呟きがひっそりと響いた。