車椅子探偵えりか   作:ざんじばる

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何か知らない間にえらくお気に入り数も評価も伸びてたんですけど何があったんだろう…?
嬉しいには嬉しいんですが、なんか不思議。
とりあえず更新です。


FILE7

■Side E

 

 

 

 夜道を行く二人。えりかの推理をすべて聞いた後の千鳥は無言で。えりかも敢えて自分から口を開くことはなかった。初夏の爽やかな夜の空気。煌々と照らす満月の明かり。静謐(せいひつ)の中に虫の音だけが響いていた。

 

 やがて公民館が見えてくる位置に差し掛かる。その時に不意にえりかが声を発した。

 

「おい、千鳥。ちょっと脇道に逸れて身を隠せ。なにか様子が変だ」

「え? ええ……」

 

 突然のことに驚きながらもえりかの言うとおりにする千鳥。車いすを押して藪へ入る。そこから公民館を見張る。公民館の玄関前にはパトカー他、車が数台止まっている。パトカーは警告灯を回転させており、物々しい雰囲気だ。

 

「なにか起きたのかしら…………」

「第三の殺人事件だろうな」

「えッ!? でも刑事さんはもう事件は起こらないって……」

 

 驚く千鳥に、けれどえりかは飄々とと言う。

 

「見立て違いだったんだろ」

「見立て違いって、そんな……」

「そもそも月光は第何楽章まであるんだ?」

「え……あ……第三楽章…………」

「ならもう一回あるのが自然だな」

「えりか……?」

 

 何でもないことのように言ってのけるえりかの横顔を、信じられないとでもいうように見詰める千鳥。それにえりかは取り合わない。そのまま時間が過ぎていった。

 

 やがて、目暮やその他の警官達、コナン達が公民館からぞろぞろと出てきた。中には村長の娘、令子や成実医師もいる。パトカーに乗り込む目暮と何事か会話している成実医師。そしてパトカーや車が次々と出発していく。捜査拠点になっている村役場を目指しているのだろうか。

 

 それを見送ると自分も車に乗り込んで後を追うのかと思われた成実医師だが、車のトランクからなにかを取り出すと、公民館の裏手へと走って行った。

 

「えりか、刑事さん達が行っちゃったわよ! 早く私たちも追わないと!」

「待て。それより浅井成実が何をしているのかを確認する方が先だ。私たちも公民館の裏が見える位置に回り込むぞ」

「ええッ!?」

 

 抗議の声を上げる千鳥を無視して、自分で車いすを操り、藪の奥へ向かうえりか。木の根など地面の凹凸に揺れて危なっかしい。仕方なく千鳥は車いすのハンドルを握った。そのまま少し進むと公民館の裏側を見渡せる位置に着くことができた。

 

「なにか砂浜に埋めてる……?」

「ああ」

 

 二人が見詰める先、成実医師は公民館のピアノの部屋のすぐ外の砂浜を掘って、なにかを埋めていた。そして適当に砂を被せると、もと来た方へと走って行った。待機を続ける二人。やがて公民館の玄関方向から車が走り去る音が聞こえてきた。どうやら成実医師も去ったらしい。

 

「千鳥、何を埋めたのか確認に行くぞ」

「ええ……」

 

 藪を抜けて道に戻り、今度は公民館の建物沿いに裏手へと回り込んでいく。そして先ほど成実医師がなにかを埋めた地点へと、砂地に車いすの車輪を取られながらも何とかたどり着いた。月明かりを頼りに慎重に砂を掻き分けていく千鳥。やがてプラスチック製のタンクが現われた。中には何らかの液体が詰まっている。

 

「えりか、これ……」

「……開けてみてくれ」

 

 不安そうな千鳥の声に、えりかはタンクのキャップを外すよう指示する。恐る恐る千鳥がキャップを外すと、独特の刺激臭が二人の鼻を突いた。すぐに千鳥はキャップをはめ直す。

 

「灯油か軽油あたりか……さすがにガソリンって事はないだろうが……」

「成実先生は何をするつもりなの……?」

 

 嫌な予感に襲われ、えりかに聞く千鳥。けれどえりかの返答は千鳥の期待に沿うものではなく、嫌な予感を肯定するものだった。

 

「そりゃ油の用途のなんて一つしかないだろ。燃やすんだよ」

「燃やすって……何をよ?」

「まあ、わざわざ一番デカい20リットルのポリタンクで用意してんだ。因縁のピアノだけってこともねぇだろ。公民館全体を燃やしちまう気なんじゃねぇか?」

 

 自分たちが見つけてしまったものの恐ろしさに戦慄する千鳥。

 

「何のためにそんな……」

「この事件のフィナーレを飾るためかな。最後は麻生圭二の再現で締めるつもりとかな」

 

 えりかのその発言に疑問を感じた千鳥。そこに一縷の希望を込めて問いかける。

 

「でも、月光は第三楽章までよ。もう復讐の相手なんていないんじゃ?」

 

 それに対するえりかからの回答はより救われないものだった。

 

「そうだな。たぶんさっき殺されたのは西本とかいうヤツだろうけど、それでターゲットは終わりだろうな」

「じゃあなんで……」

「さてね。案外自分自身でも燃やす気なんじゃないのか?」

 

 えりかの指摘に目を見開いて驚く千鳥。

 

「え? …………まさか……成実先生が自殺する気だって言うの?」

「昨晩の話の中で、犯人には迷いがあるって話をしたよな。復讐に燃えている裏で、そんな自分自身を止めてほしがっている良心もある。復讐を終えた上で、罪に塗れた自分自身を処す。……こいつはありえない発想か?」

「そんな………………止めないとッ!」

 

 ———やれやれ。連続殺人犯に対して真っ先にそんな発想が出てくるあたり、コイツも大概お人好しだよな。まあ、そこもいいとこなんだけどな。

 

 えりかは心の中で苦笑をかみ殺すと、猫の笑みを浮かべて言った。

 

「だな。さてどうするか。中身を水にすり替えておいて、火を付けようとしてビックリ、なんてことができれば私好みなんだが……油を適当に投棄するのも自然に良くないしな」

「なに悠長なこと言ってるのよ!」

「何だよ? 自然保護は大事だぜ? ……まあいいや。千鳥、このポリタンクあの藪の中に適当に隠してこいよ」

「……そんなのでいいの?」

 

 千鳥はあまりに杜撰なその対処法に疑わしげな視線をえりかに向ける。

 

「十分だよ。ここに火を付けに来る頃には、浅井成実は警察に追い詰められているはずだ。一々燃料を探している余裕なんてないさ」

「分かったわ。ちょっと行ってくる」

 

 えりかの説明に納得したのかポリタンクを重そうに抱えて、藪の方へ歩き出す千鳥。だが、ふと足を止めるとえりかの方へ振り返った。その千鳥の態度を訝しんだえりかが訊く。

 

「どうした?」

「……ねえ、えりか。……えりかはもう一度殺人が起きるって分かってたんじゃないの?」

 

 えりかの問いかけに、けれど千鳥は質問で返した。

 

「どうしてそう思う?」

 

 そしてえりかも明確な答えを返さない。ただ表情が消えた。

 

「えりかは毛利さんから血の譜面のことを聞いた時点で成実先生が犯人だと分かってたのよね? でもその場で警察に教えることはしなかった。そして私に犯人が分かったって教えてくれたのも宿に着く直前になってからだった。……意図的に時間を作ったんじゃないの? 成実先生が最後の復讐を果たせるだけの時間を」

 

 その千鳥の推理に、えりかはすました猫の笑みを浮かべた。それはよくたどり着いたという称賛の笑みだったのか、あるいは。そして開いた口から出た言葉は。

 

「私は別に正義の味方ってわけじゃない。それに復讐が必ずしも悪だとも思っていない」

「そう」

 

 えりかは明確に答えたわけではなかった。けれど胸の内を自分には明かしてくれたと思ったからか、千鳥はそれ以上問い詰めることなく、踵を返して藪の中へと向かっていった。

 

 

 そしてしばらくして千鳥が戻ってきた。

 

「隠してきたわよ」

「ありがとよ」

「でも油がなくても火を点けようと思えば点いちゃうんじゃないの?」

「さあ? 乾燥してる季節でもないし、そう簡単には延焼するようなことはないと思うが、カーテンあたりに火が点けばまずいか……よし。千鳥。お前、各部屋を回って、カーテンを外してこい。その後はトイレに行って全部水の中に突っ込んどけ。後はそのまま隠れてバケツに水溜めたり、水道にホース繋いだりして消火の準備をしとけよ。なんかあったら合図するから」

「ええ!? ……合図ってどうやってよ?」

「…………そうだな。私はそこでピアノを思いっきり叩いて鳴らすからそれが合図だ」

 

 えりかは公民館のピアノ部屋を指さすと、ピアノの鍵盤を両手で叩く仕草をして見せた。それに千鳥は眉を顰める。

 

「ポリタンクが消えてるのに気付いたら、成実先生はまず手近なピアノの部屋から公民館の中に入ろうとするでしょう? まさかえりか、一人で成実先生と向き合うつもりなの?」

「まあその時は、なんとか思いとどまらせてみせるさ」

「危ないじゃない。なんでそこまで……」

 

 不安そうな千鳥に、えりかはニヤリと笑みを浮かべて見せる。そしてこう嘯いた。

 

「義理が廃ればこの世は闇ってヤツさ」

 

 けれど納得いかない千鳥。反論を続ける。けれどえりかは取り合わない。

 

「出会ったときに介抱されたことを言ってるの? 恩と義理が釣り合ってないと思うけど」

「それを判断するのはお前じゃない。私さ」

 

 ここまで来てアミティエは一歩も譲る気がないことを千鳥は理解した。仕方なく受け入れる。けれど釘を刺すのも忘れない。

 

「もしえりかに何かあったら……どんなことをしてでも成実先生を八つ裂きにするから」

「おお、怖い怖い。相棒を犯罪者にしないように私も頑張らないとな」

 

 えりかはその発言をおどけて受けて止める。その様子に千鳥は溜息をついてえりかの車いすを公民館へ向けて押しだした。とはいえ先ほどの発言は掛け値無しの本気ではあったのだけれど。

 

 

 

■Others side

 

 

 

 静まりかえった深夜の夜道を一台の車が疾走する。そのハンドルを握る人間———浅井成実(あさいなるみ)、いや麻生成実(あそうせいじ)は笑いをかみ殺すことができず、クツクツと音を漏らした。

 

 ———いやー。参った参った。まさかあのトリックを全部見破られるとはな。さすが名探偵『眠りの小五郎』。途中途中ではなんだあのヘボ探偵はと何度も呆れさせられたけど、最後の最後で帳尻を合わせてきやがった。

 

 浅井成実は敗残者だった。死亡推定時刻を誤らせるための、テープのリバース再生のトリックも、自らが第二の事件を検死するために仕掛けた、第一の事件で変死に見せかけたわけも。全て見抜かれてしまった。不幸中の幸いだったのは、なぜか毛利小五郎が役場のスピーカー越しに推理を披露したことだった。自分が犯人であることは暴露されてしまったが、みながスピーカーに気を取られている間に、目を盗んで逃げ出してきたのだ。

 

 ———まあでも。お父さんがなぜ死んだのか。あいつらが麻薬取引に手を染めていたことも明るみに出たことは唯一の救いか。

 

 車を走らせながら麻生成実は己の敗因を振り返る。ようは余計なことをし過ぎたのだろう。思わせぶりな暗号文を残すなんてことをしなければ真実は闇に葬られたはずだった。

 

 ———まあでもそう上手くはいかないよな。三人殺しておいて、逃げおおせようって考えがそもそも甘かったんだ。そう考えると第二の選択肢を用意しておいたことは正解だった。備えあれば憂い無しってやつだな。

 

 車は公民館の前へとついた。乱暴にドアを開け、閉めることももどかしく走り出す。公民館の裏手へ。後始末をつけるための準備をしておいた場所へと。けれど———

 

 

 ———ない!? どういうことだ!? 掘る場所を間違えた!? いやそんなはずは!?

 

 浅井成実はひどく混乱していた。確かに隠しておいたはずの灯油入りのポリタンクがないのだ。これでは。これでは最後の幕が下ろせない。

 

 ———くそッ。どこへいった!? 波に流されたのか!? いやそんなはずは……そもそもオレはなんで事前に埋めておくなんてバカなことをしたんだ! 車に積んだままにしておけば間違いなかったのに!!

 

 後悔先に立たず。混乱と自分への罵倒が満たしてろくな思考ができない。けれどそんな浅井成実の耳に、不意にある音が届いた。

 

 

「ピアノの……音……?」

 

 パラピンポンポンと軽快かつ珍妙な音。明らかに音楽的な素養のない人間が適当につま弾いたような音だった。

 

 父と自分をつなぐ因縁のピアノ。それが切羽詰まっている自分を嘲笑うように乱雑に掻き鳴らされている。瞬間的に浅井成実の頭は沸騰した。ピアノ部屋への扉に駆け寄りノブを回す。鍵はかかっていない。乱暴に押し開いた。

 

「誰だッ!?」

 

 自分の誰何に呼応したようにピアノの音は止み。そしてピアノの前に座していた人物がゆっくりとこちらへと振り向いた。

 

 キィキィと蝙蝠が鳴くような音が鳴る。彼女が乗る車いすが立てた音だ。小さな頭。深い緑色の瞳にきめ細やかな肌。唇は少年のように薄く淡い色。ピンと外側に跳ねた髪。そしてすました猫の笑み。窓外から降り注ぐ月光に照らされたその人物は、八重歯を見せてこう嘯いた。

 

「よう。遅かったじゃねえか、犯人さん?」

 

 少女の声で男性のような言葉遣い。その想定外の人物に麻生成実の意識は一瞬真白に染まった。その人物は———

 

 

 

■Side E

 

 

 

 かくして犯人はやってきた。復讐鬼。連続殺人犯。浅井成実。

 

 えりかが待ち構えていたことがよほど予想外だったのか惚けたような様を晒している。笑える状況ではあるがこのままでは話が進まない。

 

「どうした? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔してるぜ?」

 

 えりかが揶揄(やゆ)したようにそう言うと気を取り直したようだった。

 

「あなた、八重垣さん? なんでこんなところに?」

 

 声は落ち着いたように聞こえるが、その瞳が油断ならないというようにこちらを睨み付けていた。

 

「満月に誘われて一曲弾きに来たってのはどうだい?」

「その腕で?」

 

 ———コイツは痛いところを突かれた。けれど倍返しにしてやる。

 

「まあこの足じゃあろくにペダルも踏めないんだがね。でもまあさすがにピアニストの息子様はいい耳をお持ちだ」

 

 その一言に成実の目が更に細まり視線に力が増す。芝居は無駄と悟ったのか口調も男性的に変化した。

 

「……毛利探偵から聞いたのか?」

「あん? 別に小五郎のオッサン達とは連絡先の交換もしてないぜ?」

 

 ———なんでそこで小五郎のオッサンの名前が出る? 謎を解くなら坊主が先だと思ったが……坊主が手柄を譲ったのか?

 

「こいつは驚いた。まさか自力で真実にたどり着いたのか。……いつ気付いた?」

「あんたが男だってのは会った瞬間から」

 

 えりかが即答すると、成美は鼻白んだように一度開いた口を閉じた。そして一呼吸置くと改めて口を開いた。

 

「……なのに毛利探偵や警察にはあの場でオレが男だって言わなかったんだな」

「ああ。あんたが単なる女装趣味の人間だって可能性を捨てられなかったんでな」

「よせよ。人を変態扱いするのは」

「そういう言い方は良くないぜ。私は性的マイノリティも尊重するようにしてるんだ」

 

 緊迫した場面ではあるがお互いに軽口を飛ばし合う。成美が先を促すように顎をしゃくった。

 

「ま、総括するならあんたは余計なことをし過ぎたな。小五郎のオッサンへの予告文は置いておくにしても、外連味溢れるダイイングメッセージは明らかに余計だった」

 

 えりかが失点を挙げてみせた。それはどこで浅井成実が犯人だと確信を得たのかを如実に示していた。成美はそのことに声を上げて笑ってしまった。その反応に今度はえりかが眉をひそめる。

 

「いや悪い。他意はないんだ。ついさっき自分でも反省していた部分を突かれたもんでな」

 

 その勘違いをただした成実は。

 

「それで? 本当のところなんでお嬢さんはこんな時間にこんなところに来たんだい?」

 

 確信に迫ることにした。そしてえりかも答える。

 

「馬鹿野郎が自殺しようとするのを止めに来たのさ」

「なるほど……油を隠したのはお嬢さんか。……なんでそんな余計なことを?」

 

 けれど本心から応えたわけでもなかった。

 

「三人も殺したんだ。勝手気まま裁きたいように裁いておいて、自分は『はいサヨナラ』じゃ道理に合わないだろう? あんたも裁きを受けるべきだ」

「あいつらは麻薬に手を染めておいて、抜けようとした父を自殺に見せかけて殺したんだ。どうしようもない悪人どもだった」

 

 その言葉に、全てを悟ったえりかは瞑目した。けれど再び目を見開くと反論を続ける。

 

「それを否定する気はないさ。だけどあんたも今やヤツらと変わらないだろう?」

 

 その指摘は成実にとっては痛いものだった。なんせ自分でもそう思っていたからだ。だから自裁することも計画に組み込んでいた。けれど他人から指摘されると否定したくなる。せずにはいられない。

 

「違う! これは正当な復讐———」

 

 だけどえりかはその言い訳を許さない。はっきりと断ち切った。

 

「違わない。少なくとも村長の娘にとってはそうだろう。それなりに慕われた父親だったようだぜ?」

「ッ……! だけどヤツも最低な犯罪者———」

「そうなる前にあんたが殺しちまったんだろ? 罪を告発されて犯罪者として裁かれたんじゃない。彼女にとっては頼れる父親のまま理不尽に奪われたんだ。今のあの人はかつてのあんたと同じ立場だ。ならあんたが裁かれるところを見る権利があってしかるべきだろうさ」

 

 その主張を成実は退けられない。ギリリと歯噛みして。そしてけれど、悪役然としてなお嗤って見せた。

 

「なるほど。お嬢さんの主張は一理ある。けど、オレがそれに付き合う義理はないぜ。オレの最後は決まってるんだ。父と同じように炎の中、ピアノを弾きながら消えるってな。巻き込まれたくなければさっさとここを出て行くんだな」

 

 精一杯の脅し。けれどえりかには通じない。猫のように笑んだ。

 

「油も無しにどうしようってんだ?」

「そんなの他のものに火を付けてなんとかするさ。カーテンとかなんでも———」

「へえ?」

 

 えりかの唇がますます愉快というように吊り上がる。成実にはまるで童話の中のチェシャ猫のように見えた。愚か者を嘲笑う悪戯猫。そこでハッと気付いた。ここまで煌々と月の明かりが差し込んでいるわけに。

 

「ッ……! カーテンがない!?」

「悪いな。カーテンは全部洗濯中なんだ。ここだけじゃなく公民館中全部な。で、持ってる火種はチャッカマンか何かか? 頑張ってフローリングとか燃やしてみるかい?」

 

 なぜ気付かなかったのか。いつもこの車いすの少女を押していたもう一人の美貌の少女がいない。彼女がきっと。悔いる気持ちを押し殺し。書類やなにか。燃えそうなものが少しは残っているはずと思い直す成実。

 

「それならッ」

 

 公民館内へと駆けだす。扉へ手をかけようとしたところで、その背中にえりかから声がかかった。急制動をかける。

 

「あー。そうそう。それから公民館内は今、相棒が大掃除中で水浸しだから滑らないように気をつけろよ」

「ッ……!」

 

 成実の足下からぴちゃりと水音がする。扉の外から水が漏れてきているようだった。どこまでも先回りされている。得も言われぬ恐怖と、そして苛立ちから足を止めてえりかへと振り返る。

 

 ———まあ、千鳥に扉付近に外からバケツで水を撒かせただけなんだがな。さすがに公民館全体を水浸しにしたりしたら後から怒られそうだし。

 

「それならお嬢さんを人質にして何とか逃げおおせるさ」

 

 ついに付け火は無理と認めた成実は逆にえりかへとゆっくりと歩み寄る。それを面白そうに見遣るえりかは袖を捲り上げると両腕を広げて身構えた。

 

「お。やるか? こう見えて私は武芸十八般、免許皆伝だぜ?」

「軽口を!」

 

 余裕の態度を崩さないえりかへと掴みかかろうとしたその時。通路へと続く扉が破れんばかりの勢いで外から押し開かれた。

 

 

 

■Side C

 

 

 

 ———しくじったッ!

 

 コナンは今、焦燥に駆られていた。推理で犯人を追い詰めたのはいい。けれど詰めが甘かった。まさか成実が逃げ出すとは。完全に予想外の行為だった。

 

 月影島は完全な孤島だ。連続殺人事件の発生で厳戒態勢の今、勝手に島外へ出ることはできない。そして警察からも完全に犯人だと認識された以上どうすることもできないはずだ。そのことが余計にコナンを焦らせる。

 

 この状況では、成実は最悪の選択をしかねない。コナンは成実が憎くて推理をしたわけではないのだ。なんとしても止めなければならなかった。

 

 一分一秒がもどかしい思いをしている間にようやく公民館へとたどり着いた。一見異変は起きていないように見える。けれど成実はここにいるはずなのだ。目暮達と共にコナンは迷わず公民館の中へと突入した。

 

 目標はピアノの部屋。まっすぐ突き進めばいい。先頭に立って駆けるコナン。そこで突入の音に気付いたのかトイレからひょこりと考崎千鳥が顔を出した。

 

「千鳥お姉ちゃん!?」

「コナン君!? 警察の人達も!」

 

 お互いに驚きの声を上げる。特にコナンは思いも寄らぬ顔が出てきたことに完全にパニックになった。

 

「何で千鳥お姉ちゃんがこんなとこに!?」

 

 けれど千鳥は待ち望んでいた援軍にすぐに思考を切り替えた。トイレを出てピアノの部屋へと走り出す。

 

「いいから! 早くピアノの部屋に! 成実先生とえりかが二人でいるの!!」

 

 ———なぜそこで八重垣えりか!?

 

 更なる予想外に混乱しつつも足を動かす。まあ千鳥がここいる以上えりかもいることは自然なことなのかもしれないが。

 

 そして体ごとぶち当たるようにして扉を開けるとそこには。車いすの少女と彼女に掴みかからんとする女性、のように見える姿があった。無意識の動きで更に突貫。

 

 目暮が成実にタックル。コナンもその足に飛びついていた。勢いのまま押し倒された成実は何が起こったのか理解できないままもがき。そして自分にしがみついた目暮とコナンを認識すると諦めたように動きを止めたのだった。

 




次回、エピローグ

■FLOWERS用語辞典
義理が廃ればこの世は闇:えりかが度々使う台詞。歌詞「人生劇場」(1959年/村田英雄)からの引用。
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