これにて月光ピアノソナタ編は終了。
次はどのエピソードにしようかな。
■Side E
えりかは差し込む日の光を目蓋の裏に感じる。意識はまだ微睡みの中にいるというのに感覚器官だけが外からの刺激で先に起き出してしまったようだった。視覚の次は嗅覚。えりかの好きな白桃の香りが鼻先を擽った。
えりかは誘われるようにその香りの方へと寝返りをうつ。白桃の香りは更に強くなり、その匂いが、夢の中のえりかをゆるゆると覚醒させていった。夢の尾にしがみついたまま微睡んだ瞳を開ける。
初夏の爽やかな昼の陽射しと、清潔なシーツ。そして傍らでこちらをのぞき込む美しく整った顔を捉えた。えりかはこれを夢の続きだと思った。頭の芯が痺れ、夢の余韻が残っていたせいだ。でも、
「ん……っ」
その美しい顔が不意に近づき視界を埋めると、濡れた薄桃色の唇がえりかのそれに触れた。白桃の香りを間近で吸い込む。
夢の中などではなく現実だと認識。一気にえりかの鼓動は高まり、意識が覚醒する。その甘美な感触に、羞恥が打ち勝つ。のけぞって唇を離すと思わず抗議の声を上げた。
「おい……なにして……やがる……」
「ふふ。えりかの寝ぼけ顔が可愛かったから、ついね」
けれどえりかの抗議などどこ吹く風。千鳥は微笑んだまま手を伸ばし、えりかの愛らしく艶やかな髪を撫でた。その手触りは黒猫の背を撫でたかのような心地だ。
「答えになってないぞ」
「なんでもいいじゃない」
髪を梳るアミティエの指。その感触にえりかは目を細めた。まるで主に撫でられ、喉を鳴らす黒猫のよう。甘やかな二人の時間はその後、女将が朝食を勧めにくるまで続いた。
◇
朝食をとる二人。そのさなか千鳥が口を開いた。
「成実先生のこと……あれでよかったのかしら」
千鳥は成実の自殺を阻んだことを言っているのだろう。
「さてなぁ……」
それに対してえりかは相槌を打ちながら昨夜のことを思い出していた。
あの時、目暮達警察に取り押さえられた浅井成美は全てを諦め、力を抜いた。そしてなぜ犯行におよんだのか、全てを話したのだった。
動機はえりかの睨んだとおり、やはり復讐だった。家族もろとも焼き殺された父親、麻生圭二の復讐。今回殺された川島英夫、黒岩村長、西本健、そして二年前に死んだ亀山前村長。彼らは麻生圭二の海外公演を利用して麻薬を買い付け、捌いていた。そしてあるとき、麻生圭二が抜けると言いだした。そこから口封じされることになったとのことだった。
前々から父の死に不審を感じていた成実は真相を探るため、医大卒業後に月影島へと戻った。麻生圭二の息子と悟られないよう女医として。生来の女顔と医師免許には名前にふりがなが振られないことが功を奏したらしい。
そして事態を大きく動かしたのは亀山前村長だった。スケベ心から成実を呼び出し二人きりとなった亀山は、けれど成実が麻生圭二の息子だと分かると急に怯えだし、慈悲を乞うかのように全てを明らかにした。そして心労が祟ったのか、あるいは日頃の不摂生のせいか、心臓麻痺で死んでしまった。
そしてそれは事実を識った成実による復讐計画の始まりとなった。未だこの世にのさばる残り三人に応報を喰らわせるための。
「そうだな。ことは三人の計画殺人だ。家族を殺されたという情状酌量の余地を認められたとしても、刑期は20年か30年か……塀の中から出てきた頃にはもう還暦前かもしれん。社会的には死んだも同然だ。そう考えると死なせてやった方が幸せだったか……」
「そんな……」
悲観的な推測に、悲痛な声を上げる千鳥。そんな相棒を見遣って、えりかはニヤッと笑った。
「なんてな。まあアイツなら上手くやるだろ。なんせあれだけのことやらかす計画性と行動力があって、その上、医者になれるほど地頭が良いんだ。どうとでも生きていけるだろうさ」
「もう。そう思ってるなら最初から言いなさいよ! ……でも本当にそう思う?」
「ああ……きっと大丈夫さ」
成実が見せた最後の表情を思い出しながら、えりかはそう言った。昨晩片付いたのは成実の事件だけではない。
毛利小五郎の推理によって麻薬の取引についても明らかになった。譜面の暗号を通じ海外から仕入れた麻薬を、あの公民館のピアノに設けられていた隠し扉に一旦隠し、そこから各地へ捌いていったとのことだった。最近の実働は村長秘書の平田が担っていたらしい。彼の家から大量の麻薬が発見され、即座に逮捕された。最初の殺人が起きた夜にコナン達が公民館で見た怪しい人影も平田だ。事件で注目を浴びたピアノから麻薬を一旦待避させるつもりだったようだ。
平田は拘束され、今日も目暮により事情聴取を受けることになるだろう。全ては白日の下にさらされることになるはずだ。そのことを知った成実は憑き物が落ちたような、晴れ晴れとした表情をしていた。あの様子ならきっと。
『ありがとな、かわいい探偵さん』
彼にかけられた言葉を思い浮かべながら、確かにそう思うえりかだった。
■Side R
「もう! お父さん、早くしないと船が出ちゃうわよ!!」
蘭は船着き場で足踏みしながら、後方の小五郎へ声をかける。小五郎は息も切れ切れ。とても返事を返す余裕はない。傍らでは先にたどり着いたコナンが呼吸を乱しながらも呆れたように小五郎を見ていた。
事件を解決に導いた翌日。連日続いた事件の対応で疲労がたまっていたからだろうか。宿に泊まった小五郎達、三人は朝食に誘う女将の声に気付くことなく爆睡してしまった。その結果、今日の連絡船に間に合うか、乗り遅れるかのデッドヒートを余儀なくされていた。三人の中で一番運動不足な小五郎が遅れているのだ。とはいえ、出港には間に合いそうだったが。
無事乗船した三人は甲板で、一度見たら忘れられない存在感を放つ二人組に再会した。
「えりかお姉ちゃん、同じ船だったんだ?」
「よお坊主」
考崎千鳥と八重垣えりかの二人組。早速、コナンが駆け寄って声をかける。それに対してえりかはニヒルに返した。蘭と千鳥もそれぞれ会釈を交わす。
それから。小五郎はとっとと腰を落ち着けるべく船室へと消えた。コナンとえりかはワイワイと今回の事件について話しながら、船首の方へと進んでいった。結果、船尾には蘭と千鳥が残された。事件を通じて千鳥たちともそれなりに言葉を交わすようになっていた蘭は残されたものどうし、会話をしてみることにした。
「考崎さん達もこの船で帰るんですね」
「ええ。もともと二泊三日の予定だったから」
「そうなんですか。でも、まだまだGWも続くのに」
暗にもっと長く滞在すればよかったのではと問う蘭。それに対して。
「そうもいかないわ。経済的にはともかく、親や学校の許可という面でね。子供二人だけでの旅行では二泊三日が限界だったのよ」
千鳥の答えに得心がいった。確かに高校生だけでの旅行ならそのあたりが限界だろう。千鳥は甲板の手すりにもたれ、航跡を見下ろしながら深く溜息をついている。気遣う蘭。
「どうかしたんですか?」
「せっかくの旅行だったのに、事件のせいで全然目的を果たせなかったのよ」
「目的? なんですか?」
「えりかを食べようと思ってたの」
「は?」
予想もしない一言に思考停止に陥る蘭。千鳥はそのことに気づきフォローを入れる。
「あ、もちろん食べるって言っても性的な意味で、よ?」
「え? は? えぇ!?」
けれど状況はますます悪化。蘭の状態は停止から混乱へと移行した。
「そんなに驚くようなことかしら?」
蘭の様子に首を傾げる千鳥。あまりと言えばあまりなその千鳥の反応に一周回ってようやく蘭も思考を再開した。
「そんなの驚くに決まってますよ! えっと……その、考崎さんも八重垣さんも女の子ですよね? その、恋人同士なんですか?」
「ええ。……おかしいかしら?」
「その……おかしいかどうかは……お二人は男の人より、女の人の方が好きなんですか?」
「さあ?」
「さあって……」
「学院には男性はいないから。えりかと私は偶然お互いを好きになったけれど、同じ空間に男性がいたらどうなってたのかしらね?」
空に視線を移し、遠い目をする千鳥。けれどかぶりを振ると言葉を続けた。
「まあでも意味のない仮定ね。今の私が好きなのはえりか。それだけのことだわ」
「なんか……凄いですね。…………あの、それで性的な意味でって……」
「そのままの意味だけど。学院じゃそういうことするチャンスがないから。寮の部屋でも、お風呂でも常に誰かが入ってくるかもしれないし」
「あ、いえそういうことじゃなくて。即物的……というか結構露骨なんですね」
過激なほうへ向かいそうな議論になんとかブレーキをかけようとする蘭。けれど、それを千鳥は自分への非難ととったらしい。即座に反論を飛ばす。
「あら? 心でつながった相手なら、次は体でもつながりたくなるのは普通の欲求だと思うけど。あなたにはそういう相手はいないの?」
「私にだってはしたないという思いはあるわ。えりかから求めてくれるのならそれを待っていたいけれど、あの子、そういうことにはすごく奥手なんだから仕方ないじゃない」などと千鳥は言葉を続けていたが、蘭には一つも入ってきていなかった。大混乱に陥っていたのだ。
———ええ!? 体でもつながりたい相手って……別に新一はそういう相手じゃないし、そもそも今どこにいるのか、何しているのかも知らないし……ってそうじゃなくて! なんで私新一のことなんか考えてッ!?
言葉には出していなかったが、その蘭の百面相する様子から察したらしい。千鳥は唇を片端吊り上げる。
「その顔は心当たりがあったみたいね」
「なッ!? ないです! 全然! 全く! これっぽっちもないです!!」
「別にそんなに否定しなくても。私たちくらいの年頃なら興味があって当然のことだと思うけど?」
「違うんです~! 考崎さぁん!!」
必死になる蘭を面白そうに見つめている千鳥。その顔にからかわれていることを察したらしい蘭は唇を尖らせる。
「でも意外です。そんなこと他人にぺらぺら話してしまっていいんですか? 結構ナイーブな話題だと思いますけど」
LGBTなど性的マイノリティに対する寛容さが大事だと叫ばれてはいるが、それでも実際にはたくさんの偏見があるのが現実だ。ましてや芸能の世界に足を突っ込んでいる千鳥は況んや、だろう。そのことを蘭は気遣っていた。
「そうね。でもそんなことよりもっと大事なことがあるから」
「大事なこと?」
これはきっと崇高な話が聞けるに違いないと身構える蘭。そして千鳥は。
「ええ。牽制よ。最初にこう言っておけば、えりかに横恋慕しようとする人はいないでしょう?」
「え? ……そんな理由ですかぁ?」
大いに肩すかしをくらい、情けない声をあげる蘭。
「大事な事よ。だから、えりかに手を出したら許さないわよ。毛利さん」
「出しませんよ! …………っていうか牽制って、過剰に警戒しすぎじゃないですか?」
「そんなことないわ。あれでえりかはモテる、というかえりかに構いたがる人って結構多いのよ。懐かない子猫に構いたくなるような感じなのかしら?」
ああなるほど、と蘭は心の中で掌を打った。えりかに失礼な表現だったので口には出さなかったが。その気持ちは分かった。
「えりかはえりかで、ちょっと優しくされたらあっちへフラフラこっちへフラフラ。ほんと惚れっぽいんだから。
「八重垣さんが……惚れっぽいですか?」
その言葉は蘭にとっては意外だった。白羽さんとやらのことは分からないが、あのいかにもクールそうなえりかが惚れっぽい?
「意外? でしょうね。でも本当の事よ。あのクールな態度なんて上辺だけよ。奥手だし、性的なことには全く免疫がないし、すぐ絆されるし。最初に介抱されただけで成実先生にもあんなにこだわって。あれで人嫌いなんてよく言ったものだわ。…………まあ、そこがカワイイんだけど」
千鳥はブツブツと言いながら、何もない空間を、苛立っていることに苛立っているような目で睨んでいた。そして急に表情が緩み、挟まれる惚気。蘭は意外なものを見るような目で千鳥を観察していた。
連絡船が東京へ向けてのんびりと進む間二人の恋バナらしき話は続いた。ガールズトークに二人は打ち解け少し仲良くなるのだった。
■FLOWERS用語解説
白羽さん:白羽蘇芳。CV:名塚佳織。春編・冬編およびシリーズ通しての主人公。えりか達の同級生。学院最強の美少女。顔立ちやスタイルだけならタメを張れる生徒は何人かいるが、その妖精染みた雰囲気まで合わせると蘇芳が最強との評判。推理力もおそらくシリーズ通してNo.1。秋編では一年生にして生徒会長的なポジションに。とここまででぶっ壊れスペックの持ち主なのはおわかり頂けると思う。…だがぼっちだ。えりかの好感度ランキングNo.1。ぶっちゃけ片思いの相手。千鳥も彼女なら仕方ないと認めざるを得ない。
若干千鳥にぶっ込ませすぎたような気がしなくもないですが…まあ、多少はね。
特に記載していませんでしたが今作ではFLOWERS冬編終了後。つまり二年生になったえりか達という前提で書いています。