第二幕、開幕です。
FILE9
■Side C
「———ったく……感謝しろよ……」
福井の港を出港し、日本海は若狭湾を航行するフェリーの上に彼らはいた。タバコを燻らせ、船首甲板の落下防止柵に頬杖をつく中年男は、隣で同じく柵に背中を預けている青年に対してぼやいている。
「いきなりアポ無しで現われて、事件だから福井に調査に行こう、なんてバカな旅行に付き合ってやってんだから……」
「ええやんか! お金はこっち持ちなんやし……」
そのぼやきに対して青年の返答は軽い。そこからは中年男性に対して親しみはあれども、敬意はさほど抱いていないことが察せられる。
その青年の更に隣では海を眺めながら、小学生くらいの黒縁眼鏡の少年が、二人の会話に興味なさげに欠伸をしていた。
中年男性の名は、毛利小五郎。『眠りの小五郎』の異名で世間に広く知られる名探偵である。髪をきちりとオールバックに撫でつけ、トレンチコートに身を包むその姿はダンディながらも、トレードマークのちょび髭が愛嬌という名のアクセントを加えていた。
対して青年の名は、服部平次という。私立改方学園高等部二年。『西の高校生探偵』と称される若き名探偵だ。祖父譲りの地黒の肌、ちょんと跳ねた前髪が、青年の精悍さを際立たせていた。お気に入りの米メジャーリーグ球団の『SAX』ロゴ入りキャップを後ろ向きに被ったその姿は活動的な印象をより強くしている。
そして少年の名は、江戸川コナン。帝丹小学校に通う1年生。しかしてその正体は高校生探偵工藤新一が、謎の組織により試作毒薬『
つまり、この場には『眠りの小五郎』の他に、『西の服部、東の工藤』と並び称されるふたり。あわせて三人もの名探偵が集っていることになる。これには理由があった。平次がとある事件の調査への協力を小五郎に依頼したのだ。実際の所、平次の目当ては小五郎ではなく、小五郎の下にいるコナン、工藤新一であったのだが。
「んで? どこだって? これからオレ達が行く島は?」
「美國島っちゅう、若狭湾沖のちっさい孤島やけど……ここら辺の者はこー呼んでるみたいやで……人魚の棲む島やてな……」
「人魚だとぉ……?」
平次の説明に如何にも胡散臭いと言わんばかりの疑いの声を小五郎が上げる。
「ああ……なんでもあの島に、人魚の肉食うて長生きしてる婆さんがおるそーや……」
平次が付け足すが小五郎の顔は晴れない。そこにフォローを入れたのは彼らの同行者の女性二人だった。
「それ知ってる! 三年ぐらい前にブームになってた不老不死のおばーちゃんの事でしょ?」
「そーそー、アタシもその永遠の若さと美貌にあやかろ思てついて来てん!」
関西弁の少女は、遠山和葉。大きなリボンで結んだポニーテールが特徴的な可憐な少女だ。平次の同行者で、彼の幼なじみでもある。そして、もう一人の少女は毛利蘭。小五郎の娘だった。女三人寄れば姦しいとは言うが、二人でも同じ事のようである。きゃいきゃいと女性陣の間で会話が弾む。
「そっか! その若さと美貌で服部君に……?」
「アホ! 大きな声でゆうたらアカン!」
「でも人魚がいるかもしれない島なんてロマンチックよねー?」
そんな彼女たちの会話を平次は聞こえないふりをし、コナンは「今でも若けーじゃねーか……」と呆れ、そして小五郎は。
「フン……あほらしい……八百年も生きた
と切り捨てた。そんな小五郎を平次がなだめる。
「まあ比丘尼伝説の発祥の地はこの福井県やし……」
——そう語る老婆が出てきても無理ねーってわけか。
コナンは内心で一人納得していた。小五郎はうんざりしたように言う。
「おいおい。……まさか事件の依頼って人魚に会いたいから探してくれなんていうんじゃねーだろーな?」
それに対して平次の答えは。
「その逆や……手紙の依頼分はたった一言……震えた字ィで書いてあった……人魚に殺される……助けてくれってな!!」
「に、人魚に……!?」
殺されるという不穏なメッセージに息を飲む、小五郎と蘭に和葉。けれどこの場に一人、全く意に介さぬものがいた。コナンだ。ふぁと相変わらず欠伸をしている。その態度に腹を立てた平次がコナンの耳元で囁く。
「コラ、真面目に聞け。だいたいな、電話でゆうたこと、お前がきっちりゆわへんからややこしいことになってんねやんけ!」
それに対するコナンの態度は変わらなかった。二人のコソコソ話は続く。
「バーーロ、『冬休みに人魚捜しに行くで』なんて言われて本気にするかよ……それに、そんなお伽噺に付き合いたきゃ一人で行けよ……」
「アホ! それだけやったらオレも来ぇへんねや……」
「ひっかかったんは依頼先の名前や……宛名はオレんトコやったのに手紙の頭には……『工藤新一様へ』て書いてあったんや」
「え?」
ここでコナンが初めて興味を示した。服部平次宛の手紙になぜか自分の名前。分かりやすく不可解だった。平次はその手紙に最初、腹を立てたらしいが、新一に関連のある人物かもしれないから念のため話を回したのだと言う。
——オメーがオレの名前を言ーふらしてるんじゃねーだろうな……
平次の恩着せがましい言いように、不快に感じるコナンだった。
「おい、その依頼主に連絡して確かめたのか?」
小五郎が口を挟んでくる。その問いかけに平次は勿論と答えた。手紙をくれた門脇沙織という人の携帯電話の番号が、手紙の最後に書いてあったのでかけてみたのだと言う。その結果は。
「二回目からはなんべんかけてもつながらへんかったけど、一回目は誰かがとってすぐ切りよった……そん時、電話の向こうで聞こえた音はちゃーんと耳に残ってんで……あの女のうめき声と波の音はなァ……」
「ま、まさかその人……」
「もう人魚に……」
既に殺されているのではないか。平次の証言にそう怯える蘭と和葉。小五郎も気圧され、コナンは思考に沈んだ。その様子に平次は満足する。「興味が出てきたやろ」と問いかければコナンは「別に」と否定していたが。
◇
「おい。いい加減冷えてきたぞ。そろそろ船内に入ろうぜ」
まだ季節は秋とは言え、日本海の風はそれなりに冷たい。港から離れ、景色のただ海原が続くばかりでそう面白いものでもない。小五郎の提案は妥当なものだった。一同は船内へと入る。そのまま廊下を抜け、客室へ続く扉へ入ろうとしたところ、逆から人が来たのかひとりでに扉が開いた。
「「あッ」」
扉の向こうから出てきた人物と蘭が互いの顔を見て同時に声を上げた。お互いに見知った相手だったからだ。歳の頃は、おそらく蘭や和葉と同じくらい。けれど二人に較べ遙かに大人びた雰囲気を持つ少女だった。硬質なその美貌を驚きに歪めている。
その少女は車いすを押していた。車いすの主もまた少女だった。背後の少女とはまた異なる魅力を持つ少女。短くカットされた艶やかな黒髪。小柄で華奢な体躯。まるで愛らしい黒猫のような、けれど人に懐かない孤高さのような雰囲気も併せ持っていた。小五郎たちを認識して、唇の端を持ち上げている。
車いすの少女の名は八重垣えりか。それを押す少女の名は考崎千鳥。いずれもまるで自分たちと同じ世界の住人とは思えない。彼女たちを知るコナン達はともかく、面識のない平次と和葉はポカンと大口を開けて惚けていた。それほど自分たちとは隔絶した存在感を持つ少女たちだった。
なんとも言えぬ沈黙が場を包む。それを破ったのは車いすの少女、八重垣えりかだった。
「よお、坊主。久しぶりじゃねぇか。こんな所で会うとは奇遇だな。元気してたか?」
少女の声で男性のような言葉遣い。それもえりかの魅力のひとつだ。片手を上げて挨拶をしてくる。それにコナンも答えた。
「えりかお姉ちゃん! 久しぶり。うん、ボクは元気だったよ。えりかお姉ちゃんは?」
「ああ。問題はないぜ。なんならアラベスクを決めて見せようか?」
動かない脚をポンと叩きながらそんなことを言ってくる。皮肉な物言いも健在のようだ。コナンとしては苦笑するしかない。
「千鳥お姉ちゃんもこんにちは!」
「ええ。コナン君も元気そうで何よりね」
驚きの表情から、なぜか微妙な表情へと変化させていた千鳥は、コナンの挨拶に改めて微笑を浮かべ、挨拶を返してきてくれた。そこで。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょう!?」
平次がコナンの肩に腕を回して引き寄せると、後ろを向きながら耳元に囁いて問い質してくる。
「工藤!? あのえろう別嬪な姉ちゃん達と知り合いなんか!?」
「あぁ? ……ああ。以前伊豆諸島に行った時にちょっとな」
「なんやて!? ほんなら早く紹介せえや! 水くさい!!」
「あぁ!? いや、紹介してやるけどよ……なにそんな焦ってるんだよ?」
別段、えりか達に平次達を紹介することに異存はなかったコナンだが、そこまで強く言われては面白くない。それ以上に平次の態度が解せなかった。美人な母親の影響か、あるいは可憐な幼なじみを見慣れているからか、如何に美人とはいえ、ここまで平次が女性に対して興味を見せたことは過去になかった。だからコナンは素直に聞いてみたのだが、「どアホ! さすがにあんなレベルの美人は見たことあらへんぞ!!」とのことである。コナンにとっては新鮮な平次の姿であったが、そんな姿が面白くない人物が一人いる。
「へ~い~じ~~?」
コナンと平次、屈み込み内緒話に興じる二人の上に影が差し掛かり、声が降ってくる。声の主は。
「か、和葉……どうかしたか……?」
「どうかしたかちゃうやろ! 美人と見たらデレデレして!!」
「はぁ!? してへんやろ! デレデレなんて!」
「してました~」
コナンの背後で言い合いともみ合いが発生する。それを不思議そうにえりかは見て。
「どうかしたのか?」
コナンは苦笑で誤魔化すしかない。この二人は周囲からどのように見えるのか無頓着なところがあるから言っても分からないだろうというのもある。ともかく平次たちを紹介することにした。
「あはは……なんでもないよ、えりかお姉ちゃん。えっと……こちら、服部平次お兄ちゃんと、その幼なじみの遠山和葉お姉ちゃん。二人とも大阪の出身で、今回の旅行に誘ってくれたんだ」
その紹介に感じるものがあったらしい。えりかの瞳が面白がる色を帯び、視線を平次へと当てた。
「へぇ……『西の高校生探偵』殿か」
「「知ってるの、えりか」お姉ちゃん」
えりかの呟きに、コナンと千鳥が同時に反応する。平次と和葉も取っ組み合いを止めて、えりかの方へ振り向いた。
「ああ。何度か新聞で名前を見たことがある。高校生ながら難事件で警察に協力し、解決した若き探偵、ってな。東京にも有名な高校生探偵がいるらしくて、『西の服部、東の工藤』って並び称されているとか。……そういや東の工藤のことは最近聞かないな。これは高校生No.1探偵は服部に決定かな」
そう言って目の前にいる平次のことを持ち上げてみせる。それに両極端の反応を見せる二人。
「いやー。見る目あるで、ほんま。そう。オレが高校生No.1探偵、服部平次や」
「多分最近名前が出てこないのは、なにか大きい事件を追いかけてるからじゃないかな? どっちにしてもNo.1を決めるのは早いと思うよ」
同時に言い放つと互いの顔を見合うコナンと平次。次の瞬間、今度は二人が手を組み合って押し合いを始めた。そんな二人を見て「仲がいいんだな」と笑うえりか。その指摘に二人は渋々押し合いを止め、離れた。そしてコナンは今度は平次達に紹介する。
「えーと。こっちが考崎千鳥お姉ちゃんと八重垣えりかお姉ちゃん。聖アングレカム学院って学校の生徒さんで、ボクらとはGWに伊豆で会ったんだ」
「やっぱり聖アングレカム! その制服、もしかしてと思っとったけど!!」
先に反応したのは和葉だった。聖アングレカムというのは女子にとっては一種のブランドになっているらしい。それも大阪の和葉も東京の蘭も知っているとなれば全国区のブランド校だ。
「制服……そう言えば、GWに着てたのと違うね。夏服?」
GWに月影島であったときの二人は、黒のワンピースドレスのような制服を着ていたが、今は前合わせの部分にレースが施された白シャツの上に白のジャケット。それに黒のハイウエストスカートというツートンカラーでまとめられている。夏服というには少々寒い時期だし、防寒という意味では以前の制服とそう変わらなさそうに見えるが。
「ああ。こいつは秋服だよ。前のは春服。うちは変わっててね。四季にそれぞれ異なる4つの制服があるのさ」
コナンの疑問にえりかが答える。
——なるほど、さすがお嬢様学校。4つも制服があるとは。
蘭と和葉はうらやましそうにしているが、当の本人は「面倒なんだがね」なんて言ってたりする。
お互いの紹介が終わったところでみんな船室へ戻る。その最後尾を歩きながら、コナンはとなりの平次へヒソヒソと伝えた。
「車いすの、八重垣えりかの方は推理力もかなりのもんだぞ」
「へぇ。工藤、お前が言う程か」
「ああ。彼女たちと会った伊豆の孤島で事件があってな。彼女がいなかったら犯人には自殺されていた」
「ほぉ……かわいい上に推理もできるんか、最高やんけ」
「お前なぁ……」
平次の軽い態度に呆れるコナン。コナンとしてはとてもそのようには思えなかった。あの悲しき犯人の命が助かったことが何よりだった。その過程なんてどうでもいい。誰が救ったのかなんて些細なことだ。そう思いつつも、エゴとしか言えない自分の感情に蓋をすることはできなかった。悔しさのようなものを感じていた。自分が何よりプライドを持っている『推理』で上を行かれたのだ。自分と同年代の、それもこれまで事件に関わってきたわけでもない少女に、だ。
あるいはそれは、コナンの中にも等しく潜む、性差別意識や傲慢さのようなものだったのかもしれないが……。
いくつもの思いを乗せてフェリーは進む。人魚の棲む島、美國島へと。