深い霧のその中で、キミと出会いました。
「ねえ、キミ……。名前はなんていうの?」
彼は突然やって来た。人の来ることのない森の更に奥。私は誰にも触れられないようにするため、居を構えたというのに。
「名前……? わカラなイ……。キミはわたシがこわくナいノ?」
私は黒いずきんで隠していた角と折りたたんでいた翼を見せびらかし、彼を威嚇した。私は魔物。人というものは魔物を、未知を恐れる。こうすれば、彼は逃げ出すだろう。なのに、彼は。
「怖くはないよ。びっくりはしたけれど……、キミは綺麗だよ」
そう言って、彼は怪物の私を受け入れた。
それが今からおよそ5年前のこと。あの時抱いた彼への恋慕はくすぶり、私を人になることを決意させた。
「本当によろしいのでしょうか? 人に化ける魔法をかけてほしいなどと……」
「いイの。彼に会いタイかラ」
私の知っているたった1人の魔女はほうほうと言いながら、私へ告げる。
「言っておきますが、これは姿を偽るだけの魔法です。人となるためには、相手を傷つける必要があります」
「うるさイ、はヤク」
私は魔女の言葉を聞かずに、魔法をかけることを急かす。魔女はやれやれとため息をつき、私に魔法をかけた。すると、背中にあった翼の重みが消え、腕や脚に生えていた鱗は剥がれ落ちたかのようになくなっていた。
「…………!」
彼へ会いに行こう!
私は人のいる街へと駆け出した。
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白い服は着ていたけれども、裸足であったために森の中にあった少しでも尖った石を踏みつけたら、すごく痛い。魔物の時の身体ではなんてことのなかった距離を走っただけでも、すごく疲れている。
私は本当に人間になれたんだ。
そんな実感が湧いてきた。
ああ、そういえば声は出せるのだろうか。魔物は喉みたいな部分から無理やり声を出しているから、どうしても濁ってしまう。
「ア、ア、アー」
発音は何も問題無し。
けれども、どう頑張っても濁ってしまう。まあ、それは後々に修繕の利くところだ。
街へ入り、彼を探そう。そう意気込んだものの、彼がこの街にいる保証もないし、どうやって探したものか。
うんうんと唸っていると、懐かしい赤みがかった茶髪を見つけた。
「ねエ、キミ!」
茶髪の青年がこちらへ振り向いた。
ああ、その顔なのだ。私がずっと会いたくて仕方がなかった、彼なのだ。
「キミは……」
「とりあえず、ここじゃなくテ、どこか森の中デでも」
なぜ森の中なのか、私には分からない。見慣れない人が多くて混乱でもしていたのだろうか。
「森じゃなくて、僕の家に行こうよ」
彼の言葉で私は更に混乱した。
なぜ、私が彼の家に?!
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「その姿は?」
「魔女に魔法をかけてもらって、人間にしてもらったんだ」
私はただ、彼の質問に答えていた。
私は本当にあの時の綺麗だった魔物なのか、なぜ森の中から出てきたのか。
「私からも質問、いい?」
「勿論」
彼との問答を繰り返していたら、いつの間にか話す言葉も流暢になっていた。
「この姿はキミから見たらどう映るの? あの時にキミが綺麗、好きだって言ってくれた姿じゃないから、醜い?」
彼は軽く頭を横に振り、私の瞳をまっすぐに見つめて、綺麗だよと言った。
その言葉がまた聴きたかったのだ。すぐに頭の中で繰り返し発言されるが、顔が紅く火照ってしまう。あまり余韻に浸りすぎると私が燃え上がりそうだ。
少し、私は不安になってしまう。今は綺麗だと言ってくれても、いつかは彼は私のことを嫌いになって、離れてしまうのではないか、と。
「それだったらさ、あのときに交わした約束を果たそうよ」
喉から出そうになったその不安を一生懸命に呑み込み、彼へ返答する。
「……はい」
また会ったら、ずっと一緒にいよう、という5年前の、今の私を象る約束を。
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彼と再び会って、一緒になってから1年が経ちそうな頃。私の姿は元に戻り始めていた。
このまま元の姿に戻ってしまえば、きっと彼とはいられない。これまで一緒に過ごしてきた日々はもう過ごすことはできない。
もし、彼が許したとしても、街が許さない。彼の平穏が崩れるかもしれない。
けれども、私は彼とずっと一緒にいたい。
不安と私欲は魔法が解ける日々と共に深く強く溶け合って、私の身を灼く。
私はこの、人になる魔法をかけてもらった魔女にどうすればいいのかを聞くために、森へと向かった。
「おやおや、どうされましたかね?」
嫌悪感を抱いてしまうような視線をグッと堪えて、質問する。
「姿が戻ってきたの。どうすればいイ?」
魔女は少し悩んでから、怪しく笑みを浮かべた。
「愛する者を殺せば人間のままでいられますとも。魔物である貴女様ならば、人間を殺めることも容易でしょう」
突如、魔女が浮かべた笑みを見て、そんなことだろうは思っていた。けれども、私は心の底から、別の言葉が出てくることを期待していた。
だから、そんな言葉は聞きたくない。
「分かった……」
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夜になって、彼の家へ戻る。
もう夜も遅かったのだ。待っていてくれていたようだが、彼はソファーの上で横になっていた。
眠る彼の横に座り、私は考える。
彼を殺めて人間となるか、人から魔物に戻って彼の前から去るか。
この二択であるならば、私は考えることもなくどちらかを選ぶかは分かりきっている。しかし、私は彼とずっと一緒にいたい。
2つの真逆の選択肢と願望は私を締めつける。
「ねぇ……、一緒に森ニ行かない?」
もちろん、眠っている彼からは返答はない。
蒼い瞳から零れ落ちそうな涙を必死にこらえる。
眠る君のその頬に、優しくキスをして。
「おやすみ」
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「ごめん、待っていたんだけど、眠っちゃって……」
目を覚ますと、いつも2人でいた空間には1人しかいなかった。
「あれ……?」
そう、彼女がいない。
彼女がいない代わりに、非常に小さな雫が家の出口へ続いていた。
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以前の生活の戻るだけだ。何も寂しいことはない、はずなのに。
昔の記憶がまざまざと思い出される。未練がましいと、自分でも思ってしまう。
ただ、1年も経っていないけれど、長く感じてきた温もりが失くなるというものはなんとも言えない感情だ。
私はある会話を思い出す。
彼との約束。
彼はこう告げた。
『ずっと、一緒にいようよ』
私は笑って答えた。
『ホントに?』
彼は言った。
『そうすれば、僕はキミの____』
『××××だ』
その言葉を思い出した瞬間、今まで感情を抑えていたストッパーが外れた。
波のように押し寄せる彼との思い出、彼との会話の一言一句、全てが私を呑み込まんとする。
「あ、ア、ah___________!!」
嗚咽と共に放たれる私の叫びは、森の中を大きく震わせる。
ああ、そうなのだろう。
彼はきっと、勝手に彼のもとを離れた私を、こんなにも醜くなってしまった私を、笑って許して、また愛してくれるのだろう。
それでも、私は彼にはもう、会いに行けない。もう、合わせる顔がない。
そのキミの優しさは、私を苦しめるんだ。
だから、彼から私を少しでも遠ざけよう。彼が私に会えないように。
私はまた、森の奥へと姿を消した。
いつの日にか、あの森の奥で私を見つけ出してくれたなら、今度こそ、ずっと、一緒に。
彼と別れて、数十年が経った頃だろう。その間、私はずっと姿を変えずに、独りだった。人の生命というものは、やはり短い。
数十年経った今でも私は彼にまた会いたいと思っている。
いや、こう言うべきなのだろう。
「マタ キミニ アイタカッタ」
「サヨナラ」
キミがずっと私を愛してくれると言うのであれば、また、一から私を捕まえてね。
「ダーリン」
私はシムカさんのファンです。なので、許可を頂き、物語という形でおすすめさせてもらいました。
是非とも興味を持って頂ければ、ニコニコで聞いてみてはいかがでしょうか。
それでは。