序話 落第生と警備員
???
一面のスーパーコンピューター。
一面のメーターパネル。
一面のモニターパネル。
一面の、機械、機械、機械……
その中央に、少女がいる。
人類という文明が神と決別した結果に辿り着いた、科学という叡智に埋もれるように。
万を超えるケーブルに飾り立てられた、灰白色の無機質な玉座にいる。
ここの全ての機器は、そうして彼女の頭に5000もの『同族』を含めた1万以上のデータを収斂していた。
コンピューターや各種導線の冷却のため、この広大な研究室内の気温は摂氏零下に近い。
彼女は病院の患者のような薄手の1枚きりで、全てのケーブルが集合する、頭部を延髄より目元まで覆い隠す<
「……パルス受信良好」
「……感圧最大で再度送信」
「……負荷、想定範囲内。波形……クリア」
ありとあらゆる場所から発せられる高周波とモーター音が重なり合い、静かに奏で出す合唱を子守唄にして、少女は頭を揺らす。
『
神は、人間の知恵を怖れたのだ。
その予感は正しく、世界の神々の神秘は、科学の一言で片づけられ、死に追いやられたのは数知れない。
そして、今、人は人の手で人を作り変えようとしている。
「……いくらあの人の姪だからと言って、あれだけ他人の思考回路をぶっこまれたら、ぶっ壊れんじゃねーか」
少女は誘拐犯から“回収”された。
保護や救出ではない。
そして、彼女はこれから長年サボってしまった分の『補習』を受ける。
監督する長は所用で席を外してしまっているが、ここに研究員とそれを見張る銃器を携帯した『猟犬』を置いている。
「<暗闇の五月計画>っつう<
飼い主たる長がいないせいからか、男は良く喋る。
『猟犬』は、あの人の手足となり指示に従ったり、機材の準備をするために最低限の知識は持っているが、あくまで肉体労働であり、専門的な知識を要する研究内容については、さっぱりだ。
だから、見ていて暇なのだろう。
元々、ここにまで堕ちてくるような犯罪者だ。
この男も教育と称して女子生徒を死なせてしまった軽蔑すべきクズ野郎だ。
退屈な作業は、我慢できない。
あの人の命でなければ。
「おい、黙ってんじゃねぇよ『キャシン』。お前も何か暇を潰せるような面白いことしろ」
この組織は上に反感を向けることすら許されないので、必然的に下――飼い主と入れ替わるように入ってきた隣の新入りへとその鬱憤が向けられる。
飼い主様につけられたネット上のハンドルネームのようなコードで呼ばれた新入りは渋々と言った調子で、無茶ぶりに応えて口を開く。
「手品を…します」
「お、面白そうだな。っつても仕掛けなんて用意してねーだろ」
「いえ…これは種も仕掛けも必要ない…“マジック”です」
「おいおい。やけに自信がありそうだな」
「あなたの…怖がるものを…ここに呼びましょう」
「待て。あの人に
脅すように『キャシン』へ鋭い視線を送る。
ここに堕ちるまでに、何をしたのかは訊かないから、何をしてきたかは知らないし、興味ない。
クズが他のクズの話を聞いたって酒の肴にもなりはしない。
それでも覚えておくべきルールがある。
あの人は絶対だ。
逆らえば―――死んで楽になることすら許されない。
この新入りにもここでのルールを良くわからせてやろう、と……
「では、これはどうですか?」
その背後に、殺したはずの女子生徒が――――
その日、見張りが、突如銃を乱射し、研究室の冷房を破壊。
機器の熱暴走が起こり、研究施設は炎上し、回収された少女は、灰も残さずに消失した。
棚町中学
<
学園都市で警察的な役割を果たす教師のボランティアであり、代表的な正義。
能力者に対抗するためそれなりの装備で身を固めて、<
特別手当も出されるが、正直割に合わない。
それでも子供ために戦える立派な教師の鏡か、どうしても金が欲しい命知らずが志願しているか、もしくは……
陽の落ちかけた訓練場で、指導官として合格サインを出してくれた先輩の黄泉川愛穂先生に、どんな人間がこの職業が向いているかどうかを訊いてみたことがある。
すると黄泉川先生は、最後まで扱きあげられ精根尽き果てた自分に、同じく最後まで虐め……付き合ったのに微笑みをちっとも崩さず、言ってくれた。
『さあね。けど、お前さんの顔は一種の武器じゃん』
なんて面白そうなのか、この愉快犯は。
逆にこちらは、自分が苦り切った表情になっていくのを自覚していた。
『まあ、それにそこそこ動けるじゃん。特技には何にも書いてなかったけど、格闘技でも習ってたのか?』
いいえ。
昔、やんちゃだっただけです。
こういう強い女性には逆らわない方が省エネで済む。
ただでさえ命をかけるようなストレスの多い仕事に志願しているのだから、無駄な労力は割くべきなのだ。
『ま、とにかく、これからよろしく頼むじゃん』
その後、お祝いとして、同じく先輩同僚の鉄装綴里さんと一緒におでん屋台に付き合わされて一夜明け。
教師になるんなら、グレートなティーチャーになろう。
だが、初めて教壇に立った時、あんまり生徒たちが見てくるものだから、『実は自分はいま裸なんじゃないか』と不安になったものだ。
しかも気さくな第一印象で、と昔のドラマの影響で黒板一面を使って型破りな自己紹介なんてしようとしたばっかりに、最初の『七宝』ところで、バキッとチョークを根元から折ってしまった。
不幸なことに、白いチョークはそれ一本だったらしく、仕方ないので、その小石のような欠片で爪先を掠りながら続きを書く破目に。
最初の二文字だけビックで、あとの文字は最前列の子でも目を細めなければならないほどみみっちいものになってしまった。
そして今は教師の権威が丸裸となっている。
「し、七宝先生、そこの字が間違ってます」
若干どもる声は、<風紀委員>をしている頭がお花畑の女子生徒の初春飾利。
これで生徒から通算4度目の誤字の指摘を受けた時、溜息と同時にチョークを折ってしまった。
先輩たちに酔い潰され二日酔いで前屈みに肩が落ちている背中に刺さる声に脂汗を滲ませる。
近い内に、よくお世話になっているカエル顔が特徴的な病院の先生に胃薬を所望する事になりそうだ。
常用で。
「ああ…すまない、今のなしだ」
ありがとう初春さん、と感謝の意を込めて視線を送るが。
「……っ!」
と、初春は怯えたような表情を。
もしかして、『いちいち文句付けずに黙ってろ小娘』なんて思われたのか。
それはショックだが、この地顔だから仕方がない。
目つきが悪い。
とにかく自分は目つきが悪い。
容易く殺すモノの目と言っても過言ではない。
背はやや高めだがさほど体格は良くもなく、精悍な顔つきだと自負しているところがあるものの、色男と言われたこともない(キャーキャーと騒がれたことはあるが、マイナスの意味で)
この痩せ気味の体躯も、そうした“仕事”に際して極力邪魔にならぬよう必要最低限まで削ぎ落したプロのものにも見える。
また、二日酔いの頭痛と緊張で、目を眇めてしまっているのが、いい案配に面の凶悪度を増してしまっている。
もう初春さんは、うっかり山中で狩人と出くわした兎のように固まってしまっている。
だが、こちらもワイシャツの裏にびっしりと冷や汗をかきながら、すでにストップ安の教師の威厳を守ろうと必死だ(逆に殺し屋としての威圧が高まっている)。
赤線を引いた教科書にぼとぼとと嫌な滴を落しながら、このまま倒れそうな目眩に耐える。
その様は生徒たちから見れば、ヤバい薬でも打っているかのような錯乱具合。
もう無理だ。
教師免許の資格を得てはいるが、まともに義務教育を受けていない自分が登るにはまだ経験値が足りません!
たった一週間だが、それを思い知っていた。
ヘルプ! と視線を教室の奥へ飛ばす。
自分の強面とは違って温和な顔立ちは可愛い草食系で、黒ぶちの眼鏡がその雰囲気を一層強めていて、こんな自分に平然と接してくれる大人。
担任の大圄先生は、この教室の奥に用意した椅子に、座っていて、生徒達と一緒に授業を受けている。
朝からずっと人の良い微笑みを絶やさないその姿勢は、自分にはとてもうらやましい。
大圄先生のように眼鏡をかけようかと思案中だ。
「がんばってください、七宝先生!」
こちらの
いつも<警備員>に駆り出された時は、こちらの仕事まで面倒を見てくれて感謝しています。
割り勘にした<警備員>の黄泉川先輩とは違い飲み屋では奢ってくれたり、怖がらずに愚痴を聞いてくれるいい先輩です。
ですが、実は中々スパルタですね。
あなたの後輩がピンチですよ。
「るーんるんるんるーん♪」
何であれ、いちいち落ち込まれても時間の無駄だ。
寡黙な性格とはいえ、教師が授業で沈黙するのはアウトだ。
とにかく授業内容は伝えることで頭がいっぱいで、内心の言葉まで何もかも口に出してしまいそうだから、もうボロボロだ。
冷静さを取り戻そうと大きく息を吸い込んで、吐く。
「るんるんるるーん♪」
……さっきから聞こえる鈴が鳴るような声で鼻歌が、そろそろ無視できなくなってきた。
ノートを取ってるように見えたが、最前列で授業中にせっせと落書きに勤しむ左右にお団子2つまとめた黒髪少女。
「おい…円周、今は美術の時間じゃないぞ」
きっと今朝のテレビコマーシャルで見た美術展に影響されたのだろう。
視たのは30秒にも満たない有名絵画を思い出しながら、落書き帳にクレヨンで模写。
それはこの初春さんとは違った意味で頭花畑な天才馬鹿の暇つぶしであることから、戯れの落書きと呼べるようなレベルではなく、出るところに出ればとても中学生とは思えない色彩感覚に審査員を驚愕させるほど、本格的に絵画と呼べるものになるだろう。
だが、生憎今は美術の授業じゃないし、本人にもその気はない。
微塵も、欠片も。
落書き帳のノートを取り上げ、少し眉間にしわを寄せて半眼でにらむ。
大抵こうすれば初対面の子供は泣く。
下手をすれば大人でさえもビビる。
現に初春さんに、その友人の女子生徒の佐天涙子さんもビクッと反応している。
しかし、この女子生徒は唯一自分を物怖じしないどころか敬意すらも払わない図太い性格。
「コージおじちゃんの授業を聞くより、教科書を読んだ方が早くないかなー?」
九九とカタカナがようやく出来るようになった小学生レベルのくせして何を言う。
今もわざわざ漢字に振り仮名をつけて板書しているんだぞ。
「いいか円周。…授業は生き物だ。…教科書を読むなら一人でもできる。…けどな、読むだけじゃ知識がスカッと頭から抜け落ちてしまうんだ。…それから学校では先生だ」
「コージおじちゃん先生、授業ってどんな生き物なのー?」
何となく口走った決まり文句を質問で返され、また頭が真っ白になった。
もう泣いても良いですか?
それからまだおじちゃんと呼ばれる年代じゃないぞ。
「それは…。人里に現れて…人を化かすような…」
……ああ。
生徒たちの突っ込みたそうな視線が、このちっこくて能天気な円周を見て豆狸を連想してしまった自分に突き刺さる。
「うん。色々な意味で、七宝先生の授業はドキドキします」
佐天涙子がうんうんと頷き、円周は能天気にわざわざ自分の失言をメモってる。
「たんたんたぬきーのきん――「それ以上歌うな…音楽の時間でもないんだぞ」」
教師としてはあるまじきことだが、この問題児は授業が終わるまで大人しく寝ていてくれと、神様に祈った。
聞き届けてもらえるはずがないのに。
マンション
そこは何もかも黒焦げていた。
第7学区のマンションの一室に、今や、人の気配はない。
調度品はその原型を留めておらず、かろうじてテーブルの足やソファの切れ端など残骸が床に散らばってる。
もう夏休み近い7月の気温と湿度に加えて、ここで起きた『火事』の熱が残っているせいか、室内はひどく蒸す。
長袖の防具で身を固めているせいで、体感温度は一層高く感じるだろう。
だが、教壇に立っていた時とは打って変わって、汗一つ見せない涼やかな面持ちで惨劇の後を検分する。
「これは連続爆破事件でしょうか」
携帯で連絡を入れ終えた眼鏡に頬に絆創膏の女性が声をかける。
同じ第73支部所属の<警備員>の同僚である鉄装綴里。
「いえ…黄泉川先輩は…衛星からの
「だとしたら、また別の能力者が。幸い、この事件には負傷者はいませんでしたが、ここ最近、犯罪が激増してますし、やはり学生犯罪が凶悪化してるのでしょうか?」
はぁ~、と肩を落として息を吐く鉄装。
教育者としても、非行に走る少年少女が急増していることに頭と心を痛めているのだろう。
この学園都市は大人と子供のパワーバランスが崩れている。
能力者が起こす犯罪に、常識的な思考では処理しきれない。
例えば、密室トリックでも、
装備に身を固めていても、高位能力者には集団でかかっても敵わない。
一般的思考を持つものならば、基本的に関わらない方が身のためだ。
ただそれは能力者に限った話ではなく。
「あとは処理班に任せて…引き揚げましょう。下に…円周を待たせてるので」
そう言って、彼は部屋の隅に落ちていた“星印のカード”を素早く袖裏に隠す。
鉄装はあたたかみを帯びた声で。
「ですね。あ、それなら直帰で構いませんよ。パトロールも本部に戻って報告書を書くだけなので。円周さんによろしくね」
「ありがとうございます…鉄装先輩」
普通、学生を<警備員>の仕事にまで連れ回すことはないし、円周はとても明晰な頭脳は持つが、少女探偵ではない。
が、彼女はひとりにしておけない理由がある。
『誘拐されて、何年も監禁された心傷で、時に情緒不安定になる』と医者が診断し、大人たちが見守ってあげなくてはならない“ことになってる”。
忙しい時には、大圄先生に補習込みで預かってもらったりするが、<
基本、リーダー格の黄泉川先輩は大らかな人なので、第73支部では書類上ではないが暗黙の了解は通っている状態だ。
出来る限り一秒も余さず、安心できるまで“守る”つもりだ。
それが、誓い、なのだから。
窓から夕陽が差し込み、非常識な力で焼かれた事件現場を赤く染め上げる。
郷愁にくすぐられた胸が、あの人のことを思い出したが、感傷に浸ってる訳には行くまい。
凄惨な事件現場を見せて、“余計な発想”をさせたくないので外で待たせたが、もう学生は帰宅させなければならない時間だ。
道中
「ふんふんふふ~ん♪」
保護者の心配をよそに木原円周は、ぼんやりと人混みを眺めながら、新たな発想を湧かせていた。
一枚のコインでスロットの
同年代の学生や忙しい大人たちを目で追いながら、彼女の手は落書き帳のノートにペンを走らせ、次々と湧きでる発見を彼女特有の暗号文字で書き留めていく。
……一応、『戻ってくるまでに…この単語帳を…暗記しておけ』、と渡されたが、そちらは一度、パラパラした後は完全放置である。
「意地悪だよねー。事件に連れてってくれるけど見せてくれないし、携帯電話も買ってくれないし、<警備員>の装備も触らせてくれないし、テレビも一日一時間だし、授業もつまんないし、コージおじさんって過保護かな。あの人達よりも自由にしてくれるけど」
この前も、同級の佐天涙子が初春飾利を参考に、『うん、うん。コージおじさんはこういうのが見たいんだね』とひらりとスカートを舞わせたが、逆に怒られた。
一体どうやってこの待遇改善を申し出るべきかと脳内を検索し―――と、目の前を横切った小学低学年の女子児童と目が合った。
少女の腕を掴んで連れる四十代くらいの女性とその背後に女性と同年代の男性が続く。
迎えに来た教師と学生か、はたまた親子か。
円周はそれを目で追うとノートを鞄に仕舞い、ハンカチを取り出すと小走りで彼らの前へと回り込み、男性に声をかけた。
「あのー。ちょっと良いですかぁ?」
怪訝そうに、女性は立ち止まる。
「何かな?」
「これ、落しましたよ。その子のじゃないですか?」
「あ、ああ、それは……拾ってくれて、ありがとうね」
女性は苦笑を浮かべ、『ほら、お姉さんにお礼を言いなさい』と少女に目を向けた。
女性の手は少女の腕から離れない。
少女が円周を見上げ、口を開こうとすると、『まったくハンカチを落しちゃダメだぞ?』と後ろから男性が両肩に手を置く。
男性の瞳は空洞のように暗い。
円周はその女性、男性、そして、少女の行動をつぶさに観察する。
「……あ、ありがとう、ございます……」
少女は俯き、視線を足元に落としたまま、ハンカチを受け取ろうと、
「なるほど」
と、円周が一言頷き。
「うん、うん。こういう時、加群おじさんならこうするんだよね!」
問答無用で、円周は女性の喉に貫手を打ち込んだ。
『グエッ』と呻き声を漏らし、女性は白目をむいて卒倒。
突然の事態に仲間の男性も驚き、しばし思考が空白になる。
その間に、解放されて倒れるように“円周のハンカチ”へ置こうとした少女の手をそのまま握って引く。
「おじさんたち人攫いでしょ? <警備員>でもなく、子供一人を二人がかりで無理に連れてるのが不自然だし。その服のブランド、街じゃ見かけたことがないね。『外』の人間かな」
「な、いきなり何をデタラメ言ってやがるこのガキ!?」
少女――誘拐されかけていた女の子は目から涙が溢れてくる。
円周は低い声で吠えかかる男性にも、少女にも気にした様子はなく。
ちょうど、それを横から見ていた―――
「それに…その子に本気で殺意を向けてたな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「こ、殺し―――「じゃない…<警備員>だ」」
と、こちらの顔を見て、その反応はクロ確定であり、パニックの止めとなった。
説得は無理だな、と判断。
相手が普通の精神状態だったら交渉の余地もあるだろうが、どうもそんな展開は望めない。
鉄装先輩はこのワンフロア下の地下駐車場にいるだろうし、応援も期待できない。
それでも人質となる少女を円周が保護できたのは幸い。
ちらりと横に意識を向ければ、円周は能天気にVサインを送り、少女は不安げにこちらを見ている。
格好つける気はないが、怪我をさせるわけにはいかないと思う。
まあ、刃物や拳銃が出てこなければなんとかなるか? と暗闇の中にも光を見つけようとしたのだが、その光は残念ながら、拳銃の輝きだった。
「ちっ」
思わず舌打ちがもれる。
男なら素手で勝負しろっ! とこれ以上男の頭に血を上らせては危険だから、声に出すことはしなかったけれど。それが本心だった。
まあ、女性である黄泉川先輩に組み敷かれたり、高位能力者の学生へ武器を手に集団叩きする<警備員>に言われたくないだろうけど。
一度、男性との距離を測る。
「手を上げろ! 仲間を呼ぶんじゃねぇぞ!」
ひっ、と少女が叫びそうになるも『声を上げたら撃つぞ!』と脅され、少女は黙る。
ゆっくりと唇を湿らせた。
便利な能力は使えないし、荒事は専門外なモグリだ。
“このカードを使ってもライター程度にしか自分には使えない”。
それに、こういった素人の暴走が一番読みにくい。
「困ったねー」
それは余裕からくるものなのかは、自分には分からないが、それが引き金となり、男性の拳銃が円周に向けられた。
訂正だ。
この豆狸が一番読みにくい。
自分なら防具で身を守ってるし、当たり所が悪くなければ、死にはしなかったのに。
ただ、そのおかげで覚悟は決まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒュ―――と何かが吹き通った。
瞬間、男性は口に違和感を覚えた。
グラグラ、と。
グラグラグラグラグラグラ、と。
歯が。
上顎下顎両方の切歯、大歯、小臼歯、大臼歯、全ての歯が抜け落ち―――
「あひゃ!? ひゃんでひゃが!?」
男性は慌てて口を押さえる。
明らかに隙ができていた。
そして、それを逃す<警備員>ではない。
拳銃を握った男性の手を蹴り上げ、地面に落ちた拳銃を更に遠くに蹴り飛ばす。
突然の反撃に、未だにぐらつく歯に口から片手を離せないでいるが、拳銃を失った手を男性は闇雲に振り回すも、その拳が彼に当たることはなかった。
逆に、男性の手を取り押さえ、無理矢理に背中の方に回す。
ちょっと不吉な、骨の軋む音がしたが、命の危険を感じた後に容赦ができるわけもなく。
耳元にそっと、囁く。
「安心しろ。…歯は抜けてない」
「ひょんほ?」
安堵した―――そこへ、<警備員>の膝が、男性の股間を蹴り上げた。
男性の身体が一瞬浮いて、前のめりに、泡を吹いて、完全に失神した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結局、仕事が終わったのは陽が落ちてからのこと。
あの後、駆け付けてきてくれた鉄装綴里と一緒に第73支部へ誘拐犯二人組を連行し、聴取を取ったら、その背景には大きな人身売買組織。
学園都市の能力開発技術を狙い『外』から学生を誘拐しようとするのはそう珍しいことではない。
誘拐未遂かと思いきや、想像するよりずっと面倒な事件だったのだ。
『これじゃあ今夜は徹夜じゃん』と黄泉川先輩がぼやいていたが、それでも自分達は帰してくれた。
ただちょっとやり過ぎじゃんよ、と去り際に思いっきりけつを叩かれたが。
同じ男として、同情すべきところを膝蹴りしてしまった訳だが、起きたら喋るだけの元気があったので過剰防衛にはならないだろう。
むしろ、女性の方が深刻だろう。
本当、喉笛を寸分の狂いのなく抉る、躊躇いのない素晴らしい喉突きだ。
もっと力があれば、いやあと少し力を入れていたら、二度とその声帯は使い物にならなくなったかもしれない。
保護された女の子も、支部の門前で、迎えに来た両親代わりの教師に抱きつき、わんわんと泣いていた。
まだ幼い。
大丈夫だろう。
なんとか忘れられるだろう。
嫌なことは、なるべく早く忘れた方がいい。
いつまでも忘れられないと、ロクな大人になりはしない。
自分のように。
ありがとう、と女の子が礼を言う声が背中に聞こえたが、振り返らずに手を振るだけで済ませた。
自分の顔も、忘れてくれていい。
嫌な記憶と一緒に。
「さてと……」
残念ながら、車もそのものもそうだが、車の免許資格まで持ってないので、帰りは歩き。
夕食も適当にそこらのファミレスになるだろう。
その前に訊かなければならないことがある。
「くらーい」
と、意味もなく甲高い声を発する。
そこに先の事件で銃口を向けられたショックは欠片もない。
すでに少女の顔すらもおぼろげに記憶から消えかけているだろう。
だから、まだ残っている今日の内に、
「何故…あの子を…助けた」
円周、と隣を歩く少女を見る。
「? “<警備員>なら”助けたんじゃないの、コージおじさん」
別に円周はあの少女に同情した訳ではないし、人助けの善意もない。
自分の<警備員>の仕事を手伝って、ただご褒美が欲しいから。
おそらく、そう考えたのだろう。
「でも、<木原>らしくなかったね」
「円周は…円周だ」
「うん。木原円周だよ」
木原円周は『落第生』だ。
だが、彼女はやろうと思えば、大抵のことは成功させる。
未成熟で空回りして歪んでいて、善悪の境界線を誰にも教わらなかった純粋だが、才能はある。
ただ。
失敗が成功の母なら、彼女の成功は破滅の父だ。
木原円周の頭から伸びる導火線がどれくらいの長さかは知らないが、いつか周りの人間を巻き込むほどの大破滅を起こすだろう。
そして、今日も欲求の火は終着へと進む。
「でも、不思議だね。だって、コージおじさんって、見た目だけで“全然怖くない”のに、急にパニックになって」
鋭いな。
「ねぇ、コージおじさんが何かしたの?」
鋭い……
あの時、誘拐犯の的になったのは、自分の正体を確かめるためだったのか、とさえ思えてくる。
ただ、“理系”の彼女からすれば、“文系”は専門外だったようでまた教えるわけにはいかない。
仕方ない。
「今度…携帯を…買いに行くか」
「本当! 本当の本当に!」
「ああ…今回のことが…またあったら…大変だしな」
気を逸らすためとはいえ、危険な玩具になるだろうか。
善意がなくても、木原円周がしたのは幼き少女を救った善行だ。
いつか、木原円周という爆弾を解体できる時が来るかもしれない。
……お金の心配も、どれくらい通信料が取られるか考えるだけで心配だが、<警備員>の利点は、様々な所で割引が効くというところだ、と黄泉川先輩の言を信じよう。
「るんるんらんらー♪」
月の下で、科学に愛された少女がご機嫌に踊る。
???
もう、5年も前の話―――
美しいまんまるい月が出ていた。
『ここを出たい? わたしが?』
そうだ。
こんな人を道具として扱う一族とは縁を切れ。
自分は元服を迎えた時から――――の後継者だ。
猟犬の檻から一人連れ出すくらいわけない。
『そう……ありがとう。でも、いいわ』
だけど、彼女は自分の訴えに首を縦には振らなかった。
もう自分の死期が近いことを、彼女はすでに悟っていたのだ。
それでも喰い下がる自分に、ひとつのお願いをした。
『……そうね。じゃあ、ひとつだけ、聞いてくれる?』
その覚悟は本物で。
どう説得しようと揺るぎないと、その瞳で分かった。
静かに見守る天空の月に、誓いを立てる。
『今はいない、どこにいるかもわからないけど攫われた――を見つけて、その子の願いをひとつ叶えてあげてほしいの。私はもうここで死ぬだろうから、せめて――らしいことをひとつもしてやれなかったあの子を守ってあげて、ね』
……わかった。
必ず、叶えるよ……
つづく