[習作]超科学級の落第生の補習記録   作:夜草

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閑話 ドライブ

閑話 ドライブ

 

 

 

第13学区 あすなろ園

 

 

「わああ!!」

「やだ!!」

「きゃー!!」

 

 

 『桃太郎』の話でも読み聞かせようとしたら、“阿鼻叫喚”と騒ぐ子供たち。

 今ここにはいない、自分に代理を任せてくれた大圄先生を真似て保父さんエプロンに、それから鋭い目つきを少しでも和らげようと伊達眼鏡を付けてるのに、ヒーローショーでは抜擢されるのは怪人役。それも極悪の。一応、これでも街と子供たちの平和を守る、まだみんなの記憶に新しい『レベルアッパー事件』で怪獣みたいのと戦ったりもして日夜身体を張ってる<警備員(ヒーロー)>なのだが……

 こんな恐怖体質だけで十分なのに、悪人面のDNAまで子孫末裔に継がせてしまってるご先祖様を恨めばいいのだろうか。

 

「あちゃー……やっぱり、こうなっちゃいましたね七宝先生」

 

「ああ…こうなると…わかってた……でも、実際目の当たりにするとな…」

 

 顔合わせから一秒で子供たちに泣き叫ばれるという偉業を成した副担任の勇姿を後ろで見ていた、肩よりちょっと長い程度の黒い髪に、一輪だけ花飾りを付けた女子生徒、佐天涙子は同情――若干幼児たちにも――しながら声をかけてくる。

 

「で、でも、慣れれば、あの子たちもコージ先生が優しい先生だってわかってくれますよ!」

 

 佐天の隣で、ぎゅっと握りこぶしをつくって精一杯に励ましてくれる頭に大量の花飾りを付けた女子生徒は、初春飾利。

 

「…そうか…そうだといいな…」

 

「はい、今は泣いちゃってますけど、大丈夫ですよきっと!」

 

「うん…そうだな。…みんな泣いてるから…泣く子も黙るほどではない…と証明できてるんだからな」

 

「その解釈はちょっと……ダメだと思います」

 

「すまん…。頑張って…前向きにとらえないと…こっちが泣きそうなんだ」

 

「あはは……」

 

 佐天涙子と初春飾利。

 もう夏休みだというのに、テストの点が悪かったという罰則として、このあすなろ園のボランティアを命じられた二人であるが、心優しい子たちだ。最初はこの幼児たちと似たような反応(リアクション)をしてくれたが、もう慣れたのか気軽に話しかけてくれるようになってる。副担は思わずうるっと涙が出そう。

 

 で、学期末テストの学年最下位の罰則として連れてこられたあの豆狸はどこに行った?

 ここまで一緒に(首根っこを捕まえて)連れてきたのだから、あすなろ園のどこかにいるのは間違いない。

 腰に常備してる元職場の退職金代わり(嗅覚センサー)の設定を猟犬(捜索)モードから番犬(感知)モードに切り替えた今、半径50m以上離れれば、自動でアラームが鳴るようになっている。

 

「るんるんるるーん♪」

 

 澄ませた耳が拾うのは、気の抜ける鼻歌が。

 それを頼りに足を向ければ、なんと砂場に大きな城が。

 

「……うわー、本当に器用ですね」

 

「記念に写真を撮っちゃおっか」

 

 高さが、女子学生の胸くらいまである。しかも天守閣まで作るとは職人並みにこだわりが細かい。

 

「うん、うん。金槌レベルの破壊力を顕微鏡サイズで制御する。それが数多おじちゃんのやり方だよね~!」

 

 歌いながらも、指先をシャキシャキと器用に削り、ぺったぺったと手早く塗り固めていく。

 その手先は、迷ったり、緊張したりする感がない。頭の中にある全体図をそのまま形にしているという簡単そうで難しい事を難なくこなす才能。

 が、子供たちはギャラリーで見てきゃいきゃい楽しんでいるけど、遊び場占領してるのには違いないし、与えられた仕事を放棄している。

 

「あ、あの……木原さん」

 

 せっせとその城造りの人足をしてる大きめのリボンで結んだポニーテイルの子は、桜坂風雅。

 別のクラスで成績は掲示板の順位表に名前が載るほど上位で、豆狸とは違って真面目の優等生だが、“ちょっとした事情”で罰則として来てもらっている女子生徒。

 彼女も、園長先生の繁ノ森和子に付き添い、中の仕事の手伝いをする手筈だが、きっと巻き込まれたのだろう。

 クジ引きで、中と外の担当割りを決めたのだが、押しの弱い桜坂に自由奔放な問題児を組ませるには無理があったか。

 

「おい…何をしてる」

 

 『ブチコロスぞガキ共』と脅してるつもりはない。

 そして子供たちに言ったわけではないが、またもきゃーきゃーと泣き叫ばれる。別のクラスで顔を合わせる機会も少なく、この目つきの悪さに耐性がまだできてない桜坂もびくっと怯えられる。そして、注意を向けた木原円周だけは平然としてるという……本当に世の中はままならない。

 

「……やはり、自分に…大圄先生の代役は…務まるはずが」

 

「だ、大丈夫ですよ……っ! この状況も今のうちですから」

 

「………よし。こんなときはやっぱり。コレでしょ! せいっ!」

 

 さっ! と佐天が手にした箒を下から上に振るい、上昇気流のカミカゼを生む。

 それに巻き上げられるセーラー服のスカートは、初春の。

 

「ひいっ!?」

 

 舞い上がるスカート。

 相対する前面ではなく、後尻側だから見えなかったが、そこは実況が入る。

 

「うん。今日は、定番の水玉かー」

 

「きゃーーーーっ! いっ、いきなり、何をするんですか佐天さんっ! それも先生の目の前で」

 

「いやー、ちょっと元気づけようかなー、と思って。いつもお世話になってるからサービスしないとね。あ、今度はコージがめくっとく?」

 

「めくらないでください! コージ先生も」

 

「わかっている。…こら佐天…君らなりのコミュニケーションだとは分かってるが…あまり親友で遊ぶんじゃない」

 

「いたっ」

 

 こつん、とお調子者の軽く拳骨で小突く。

 

「それに…初春も…君にしか…スカートをめくられたくないだろう」

 

「佐天さんだってめくられるのは普通にイヤですよ!」

 

 ぷんすかと怒る初春。だけど、彼女の犠牲もあって、いくらか持ち直してる。

 最初はここの園児たちと同様に恐がられたが、今では冗談も言えるくらいに進展しているのだと思えば、やっていける。

 しかし、彼女らの明るさは羨ましい限りで、学生ながら見習う点はこの半人前の教師見習いには多々ある。かといって、本当にスカートをめくる……なんてしたら捕まるが。<警備員>が<風紀委員>の子にセクハラを働いて<警備員>のお世話になったら、ジャンジャン先輩にチョークスリーパーで絞め落とされるに違いない。

 

「うん、うん。コージおじさんは、こうして欲しいんだね」

 

 そしていつの間にやら接近していた豆狸娘が、何を学習したのかはさっぱり理解できないが、その小さな両手で膝下10cmのスカートの端を摘んで、膝上10cmほど持ち上げ、ヒラヒラと腰を振らす……桜坂風雅の。

 

「きゃ、きゃあ!? 木原さん、何をっ!」

 

「ごめんね、桜坂ちゃん。恥ずかしいけど、本当に恥ずかしいけど、コージおじさんはこういう風にすると元気になるんだよ」

 

「え、ええええぇぇっ!?」

 

「―――アホかぁぁっ!」

 

 突っ込みとともに、天才馬鹿の脳天に手刀を振り下ろした。

 

「誤解だ。…円周の言うことを…真に受けないでほしい」

 

「せ、先生……はい、わかり…ました」

 

 おどおどとしながらも、多少強面を活用して脅しかけているように、被害者の桜坂風雅を説得して、こくこくと首を縦に振らす。

 そして、チョップの衝撃でぱっと桜坂のスカートから手を離した豆狸は首の据わりの悪い赤子のように頭をふらつかせる。

 

「うぅ~~~佐天さんのせいで余計な騒ぎを引き起こしちゃったじゃないですか。ひどいですよ」

 

「ごめんごめん。あたしのスカートもめくっていいから」

 

「めくりません。も~、佐天さんは」

 

「とても仲がよろしいのですね」

 

「いやー、それほどでも」

 

「……私もどのようにすれば、佐天さんのようなお友達ができるのかしら」

 

 とそんな桜坂の問いかけに、きょとんと佐天。

 

「何言ってんの桜坂さん」

 

「え……?」

 

「あたし達、もう友達だよ。ねぇ初春」

 

「そうですよ、桜坂さん」

 

「佐天さん……初春さん……」

 

 そんな“普通な”女の子たちの友情青春を眺めつつ、溜息。

 

「あれ、あれ? コージおじさん、さっき笑ってたよね? 違うの?」

 

「違う。…二人の仲睦まじいやり取りを見て…和んだんだ」

 

 女子中学生の下着などに興味はない。むしろ、前の“バイト”のせいで、苦い思い出しかない。あの学生寮で遭遇した―――

 

 

 と、そこで“とある管理人”の顔を連想したのがいけなかったのか。

 

 

 気付けなかった。

 颯爽とあすなろ園の柵を飛び越え、お土産のピザを五枚、それも左右両手に持つ眼鏡をかけた女性が近付いてくるのを―――

 そして、会話が聞こえなくても、遠目で今のやりとりとパニックになってる園児らの様子が確認できた人物が何を思うかも―――

 

「貴様、この子たちに何をしている?」

 

「え……―――」

 

 問答無用。

 首をコキャリと捻られ―――視界は暗転した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 前の“バイト”で、こういうのがあった。

 

 『常盤台の学生寮に潜入してとある女子生徒の下着サンプルを奪取する』というミッション……ようは、『女の子のパンツを取ってこい』、だ。

 

『<学舎の園>内部の業者をハッキングしてもまったく全容が掴めず、<樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)>に彼女の生活をシュミレートしてもらおうと申請したが却下された。

 くっ、これがただの飾りではないと上の連中にはわからんのだ。

 犯罪なのは重々承知だ。がしかし、我々はこの計画に志願した時点で悪魔に魂を売っている。これは学園都市の今後を占う重大な実験であり、この微細な誤差で計画が水泡に帰すかもしれないのだ。けしておにゃのこのスカートの中に対する知的好奇心を満たす為ではない。この世の真理を追求するため。

 だが、我々研究者に直接的な手段を実行できるだけの力はない。……だから、頼む。学園都市の、いいやこの星の未来は君たちにかかっている!』

 

 無駄に熱い演説を聞いて、まず思ったのは。

 依頼主の頭がおかしいんじゃないか。

 研究者って実は馬鹿なんじゃないか。

 こんな仕事、7つの玉を揃えたら何でも願いを叶えてくれる竜神様でもないとできない。

 だが、何か深い考えがあるのか知らないが絶対君主な俺様上司が受けたとなれば、依頼は逆らえず、7名のメンバーが選出された。

 仕事がちょうど趣味とがっちして自主志願したノリノリな変態野郎らと残りの数合わせとして一番下っ端だった自分を入れられ特攻チームを組んで、いざ学生寮へ侵入。

 

 しかし、命からがら帰って来れたのは、自分ひとり。

 

 

『フン。随分と重装備な泥棒もいたものだな』

 

 

 それは、ほれぼれするくらい、人間(ノーマル)の極限だった。

 

 出迎えたのは、スーツを着た丸腰の女性。平凡な一般人であって、特別な能力や武器なんてひとつもなく、また求めていない。

 その真価に気づいていない怖いもの知らずの先輩(バカ)をおいて、条件反射でバックステップを踏み、速攻で逃げられるポジションを確保。

 一個師団で襲いかかろうとした特攻野郎共を単独ゲリラ戦で悉く撃退していき、その間、最後尾にいた自分は先輩らを囮にして建物から退散した。

 もちろん、依頼は失敗だ。

 五体満足で生還したがミッションに参加した事実のせいで、女性隊員全員、比較的人付き合いの良かったヴェーラから冷たい目で蔑まれる『変態』のレッテルを張られ、逃走の人身御供にされた男性先輩方からは給金がすっからかんになるほど奢らされたり陰でどつかれたりなどと、しばらく大変身の狭い思いをすることになった。

 そして、その後、職場内ではお嬢様学校の学生寮は最恐の番人のいるキリングルームと言われるようになり……

 

 

 

 で。

 どのような物理法則が働いたのか、回想の中にあった最恐の番人さん(キリングマシーン)が目の前にワープしている誰か助けて。

 

「すまない。園長先生とあの子たちから話は聞いた。大圄先生の代理だとは知らなかったとはいえ、とんだ無礼を働いてしまった」

 

 意識が覚めると、そこは園内。いや命からがら逃げた悪夢の中に逆戻りしちゃったという輪廻オチ?

 そして、正座で頭を下げて謝罪の意を示す女性。あまりに恐れ多くてこちらも頭を下げてしまう深く。

 

「首の調子は、問題ないだろうか」

 

「いえ…大丈夫です」

 

 これまで望んでいたしっかりした(ボケない)常識ある(ふざけない)一般人(見本となる人)なのだが、先程の首狩り体験と、以前の先輩らの殲滅もあって、どうしても身体が震えてしまう。

 

「しかし、目つきが悪いことは仕方がないとは言え、教員なら誤解させるような行為は気を付けたまえ。あの様子を見られては通報されても無理はない」

 

「はい…反省します」

 

 訝しげに眇めているかのような切れ長の眼差しは、眼鏡越しでさえ冷淡な印象を煽っている。端整な美人なのだろうが、これは見る者の背中をゾッとさせる類の美人だ。その冷ややかな鋭い眼差しで一瞥を送られれば、それだけで大抵の人間は威圧されて、軟派な男性は声をかけることも諦めるに違いない。

 

「……ところで、以前どこかで会ったことはないか?」

 

「いえ、ありません。今日が初めてです」

 

 顔はヘルメットにゴーグル、体型もチョッキを着込んでいたのに。

 やっぱり、女性は怖い……と、何故か黄泉川先生の顔を思い浮かべてしまう。

 信頼のできる人のなのかもしれないが、あまりお近づきするのは避けた方が良いだろう。

 場を辞そうと腰を上げたと同時。

 

 

 携帯から緊急用の着信音が響いた。

 

 

第7学区 警備員第73支部

 

 

 第10学区から第7学区と第18学区を経由して、第23学区にあるロケット発射基地への移送予定だった衛星誘導車が、第7学区から護衛車両を突き飛ばして、暴走

 某車両に積まれた人工衛星には有機物質のヒドラジン1500キロの燃料が充填されており、仮に、現在走行中の第15学区の学園都市最大の繁華街で漏れたりすれば大惨事が起こることは想像しがたいことではないだろう。

 

 

「衛星を積んだ特殊車両は現在も暴走中。本来の輸送ルートから大きく外れて、ただ今、第15学区から、このままだと第13学区へ突入する」

「厳密には人工衛星そのものではなく、衛星『ひこぼしⅡ号』の追加実験棟モジュールということらしいが……これ単体で分離・自律航行できるところを考えると、実質的に衛星と呼んで差し支えない。国際条約上の方便みたいなものだな」

「運転手とのコンタクトは?」

「車両無線自体は問題ない。だが、彼女が言うには、何でもネット対応のGPSカーナビにメッセージが届いたようだ。

 『これからカーナビに表示された通りに衛星誘導車を誘導しなければ、今すぐ遠隔操作で横転させる』、とな。

 おかげでげんざい、運転手は自分がどこが目的地かもわからぬまま、画面内を移動する『赤い円』から車の位置を示すカーソルを出ないように運転するしかないと言う訳だ」

「あの特殊車両には緊急時自動回避システムが搭載されている。運転手が急性の心筋梗塞やクモ膜下出血などを起こして意識不明になった際、安全に路肩へ停車させるシステム。……今回の犯人不在のカージャックは回避システムをハッキングしたようだな」

「システムが特殊車両の制御を奪えるのは、実質せいぜい100秒だ。だがそれでもアクセルとハンドルを全て操れると言うなら、十分余裕で事故を起こせるな」

「衛星が積んでいるのは有毒燃料のヒドラジン1500キロ。特殊車両が横転し、破損した衛星から燃料が漏れて、吸い込めば喉から肺まで爛れる煙が一帯を席巻しちまう。さらに火がつけば、有毒物質は半径1kmは確実に汚染だ。季節風の影響も考えればもっとだ」

 

 蜂の巣をつついたような慌ただしさ。

 まるで警察署のフロアのようなオフィスの一角にホワイトボードと椅子だけをかき集めた、簡易作戦会議。

 わざわざ会議室を用意するほど体裁を取り繕う余裕もなく、学園都市の治安を守る<警備員>は今事件の情報整理に追われ、対策に取り掛かっている。

 

「犯人はメッセージの表示とともにGPSに侵入し、リアルタイムで画面に指示を出し続けている。単なる悪戯のレベルを超えているのは明らかだ。悔しいが、ホシには必要ならば『実行』するだろうし、指示に従っている運転手の判断は間違ってない」

「いったい犯人はどこに特殊車両を向かわせている?」

「それが分かれば苦労しない。―――っと、現場すぐ近くの<警備員>から連絡!」

 

 

第15学区 道路

 

 

 繁華街の大通りを、一台の巨大な自動車が疾駆する。

 装甲車や除雪車のように物々しい駆動部と、その後部に連結する新幹線の車両輸送用牽引車にも似た車両部分を含めると、全長30mを超える大きな車両。ただ、搭載されているのは新幹線ではなく人工衛星であり、四方を鉄骨組みの囲いに覆われ縦横に走るワイヤーにボルトで固定されている。

 すでに交通制限が敷かれて、それ以外の車両は付近一帯から避難されており、窮屈な思いをせず爆走。―――その衛星誘導車を追うように、一台のスポーツカーが速度を上げて迫る。

 乗車しているのは緑色のジャージを着た女性と、眼鏡とは頬に絆創膏を付けた女性。

 共に<警備員>の一員、其々名前は黄泉川愛穂と、鉄装綴里。

 

「ナンバープレート照会確認。間違いなくあれば問題の車両『将軍』です……しかし、いいんですか黄泉川先生。会議には全員出席と支部長が……」

 

「いいじゃん。参加しなくても仕事はできるじゃんか。どうせバリケードをどこに設置するかでもめてるのが関の山だろうし、こうして携帯で連絡取れるんだからいちいち会議に顔出さなくたっていいじゃんよ」

 

 運転席の黄泉川は一層アクセルを大きく踏み込む。

 スポーツカーは追い越しのような挙動で衛星誘導車と並走して、真横にピタリと速度を合わせる。更に、もういっそぶつけるような勢いで接近し、

 鉄板を張り合わせた除雪車のように物々しい運転席でこちらに驚いた顔で視線をくれる30代後半の女性を視認した。

 鉄装は一度深呼吸すると、某車両の周波数に無線機のダイヤルを合わせて、

 

「えー……こちら、<警備員>の鉄装。そちらは運転手の山岳揚子さんでよろしいでしょうか?」

 

『っ!? アンチ、スキル……!』

 

「はい。もうひとり、黄泉川という者も同乗しております。状況の確認と打開のためにやってきました。これからはこちらの指示に従ってくれると助かります」

 

 山岳は何か言ったが、それは言葉として鉄装が聴き取ることはできなかった。鉄装は窓ガラス越しに手振りジェスチャーで落ち着くようパタパタと振りながら、無線機で呼びかける。

 

『わ、わた――悪く――な――捕ま――止め――ない』

 

「お、落ち着いてください。我々<警備員>はあなたを助けに―――「貸せ」」

 

 運転しながら黄泉川は鉄装から無線機をひったくる。

 冷静に黄泉川は視線を道路状況と車両状況を交互に認識、また後部座席にある工具一式の入ったザックを鉄装に前に持ってくるよう指さしてから、こう告げる。

 

「代わりました<警備員>の黄泉川です。早速なんですが、これからそちらに伺いますのでご協力をお願いします」

 

『え、伺う、って……? ―――っ!!』

 

 一旦無線機を切ると、『運転代われ鉄装』とザックを受け取った黄泉川は鉄装にハンドルを預け、スポーツカーの窓を開けてそこから身を乗り出す。

 当然、鉄装は同僚のこのアドリブに目を剥いて驚く。

 衛星誘導車は現在、『赤い円』の指示通りに、時速120kmもの速度で街並みを爆走し、それと並走するスポーツカーも、法定速度など守ってない。

 

「ちょ、ちょ、黄泉川先輩!?」

 

「プロのお前が動じてどうする。保護対象と一緒にパニックなったら誰が、助けるじゃんよ」

 

 黄泉川の言葉に、鉄装は、ひとつ呼吸を置いてから、コクンと頷く。それを見届けてから黄泉川はザックを背負い直し、鉄装が慎重に、そして確実に衛星誘導車両に接近さ―――

 

 

 何の前触れもなく。

 突如、衛星誘導車が大きく動き、ドッシャア!! とという轟音とともに後部の衛星荷台部がスポーツカーを撥ね飛ばした。

 

 

 全長30mもの暴力。

 それがしなる鞭のように打ってくるのだ。黄泉川は車内に引っ込み、鉄装も急いで回避にハンドルを回すが、間に合わず。路面と擦過するブレーキの悲鳴を上げながら、スポーツカーはスピン。

 

 これは、衛星誘導車の運転手の山岳揚子が仕掛けてきたものではない。

 

 ハックを仕掛けた何者かが緊急時自動回避システムを悪用したのだ。

 邪魔者の<警備員>を蹴散らした衛星誘導車はそのまま―――

 

 

 そのとき、歩道橋の上から何者かが走行中の暴走車に飛び乗った。

 

 

棚川中学

 

 

 桜坂風雅と顔を合わせたのは夏休み前。

 いつもの豆狸の回収に赴き、コンピューター室を覗いたときにちょうど一人だけいた女子生徒に呼びかけたのが最初。

 

「え、っと…君は、棚川中学(ウチ)の……」

 

「あ、あ、はい……。私……、桜坂風雅と申します」

 

 担当しているクラスが違うが、その名前には覚えがある。一学年の学期末テストで上位者であり、低能力者(Level1)の<認証穿刺(マリシャスフェイク)>。

 棚川中学の新入生は大半が、無能力者(Level0)であることもあって、能力者である子はよく目について覚えるのだ。

 確か体調によりレベルが変動するものであって、詳しい作用までは覚えていなかったが、この第一印象は、いいとこのお嬢様、だった。

 

「木原円周を…見かけなかったか?」

 

「い、いえ……。あ、その、ごめんなさい」

 

 頭を下げられる。

 ……これは己の顔のせいでもあるが、なんともまあ、真面目で礼儀正しいを絵にかいたような固い娘である。

 彼女とはそこで別れた。

 

 

第13学区 道路

 

 

『私も<風紀委員>です。何か、お手伝いできることはありませんか?』

 

 事件が起きたことを知り、初春飾利は副担任に志願した。

 <警備員>と同じ学園都市の治安を守るものとして、迫る危機を見過ごしてはいけない。

 

『生徒を巻き込むのは…先輩がいい顔をしないけど…オペレーターなら…直接現場に出るわけではない。―――それに君が見た目によらず熱血なのは知ってる』

 

 このまま断っても勝手に行動するだろうから、ならば自分の手伝いということで管轄に置いてある体を取った方がましである。

 先輩のお叱りと始末書を書けば済む話だ。

 支部から送られてくる情報を共有しながら、道中で手品で見せたように手元から不意に現れたのは30cm四方の厚紙。1個100円のヨーグルトについてくるスプーンのように耐水処理が施されており、折り目を付ける為のラインが走っている。

 パキパキと手早くライン通りに厚紙を折り、ややトリッキーな紙飛行機に変形。更に何箇所かに小指の爪ほどのサイズのモーターを取り付け、小さなフラップやラダー等を組み込み、最後は機体の下面に両面テープでカメラと送受信装置を貼り付けて、完成。

 即興のMAV。超小型の無人偵察機。

 

『材料は全部…ディスカウントショップで…揃えたものだが…最高で時速150km…そして、制限のない空をいく。オモチャ用の電波では…そう遠くまで操縦はできないがな』

 

 空からの監視で、衛星誘導車を見つけてナビをしてくれ、と生徒に後援を任せ、副担任は現場へ。

 

 

 

 接近する<警備員>のスポーツカーの存在に犯人が気づけたのは、調べてみたところによるとどうもGPS情報を頼りに衛星誘導車と近辺の状況を観察していたのが理由だそうだ。

 スポーツカーに搭載されていたGPSシステム経由で気付かれていた。

 

 ならば、単身で乗り込む分には察知されない。

 

 封されていく道路状況から、ここは必ず通るポイント。

 橋の下を通り、視認できなくなるも、音から車の位置は概算で把握できる。

 何より、ここを逃せばおしまいなので、躊躇している暇はなかった。

 

 そのまま勢い付けて走り出し、徒競走のハードルとばかりに柵を跳び超えて、宙空に飛びだす。

 

 今まさにスポーツカーを弾き飛ばした巨大車両が橋下から飛び出したところだった。

 その上へと落ちた。

 べごんっ!! と金属のへこむ音と共に、相当な衝撃が走ったはずだが頑丈に造られた車両の走行に影響はない。

 どちらかといえば、落下地点を気にするばかりこちらが軟着陸に気を回す余裕がなくて両足が痺れたが、それでもワイヤーの一本を捕まえて体勢をすぐに持ち直した。

 

「初春。…予定通り…ポイントで…『将軍』の特殊車両に…飛び乗り成功した。次の指示を頼む」

 

 計算したとはいえ直接乗り込んだことに初春は驚いたが、状況を察して思い直す。あまり大きな事件に慣れていないからか、手元のゲーム機のようなノートパソコンをカチャカチャと鳴らすような音が混じっている。

 

『で、では、まず運転席の方へ移動してください』

 

「…運転席? このまま…ブレーキを踏んで…車両を停めることが…できるのか」

 

『ええと、まずは問題のカーナビのデータをリアルタイム転送していただける状態にしてもらえますか』

 

「了解した」

 

 時速100kmオーバーで爆走する衛星誘導車の上をひょいひょいと渡りながらとは思えないほど平然とした受け答えは、これなら授業での質疑応答の方がよっぽど緊張していると言える。

 強烈な向かい風を避けるよう姿勢を低く車体に張り付き匍匐移動で、斜めに走る鉄骨をよじ登り、巨大な円筒形の衛星の外壁に足場にし、あっという間に運転席の屋根までたどり着いた。

 そこで顔を見せる前に、一度屋根をノックしてから、助手席側の窓へ片腕を張りつかせて、その腕にある『三つ矛』の<警備員>のマークを見せ、落ち着くようにハンドサインを送り、次に窓を開けるよう指示を出す。そして窓を開けたところで、差し出した腕が車内の取っ手をつかみ、上半身を乗り出した逆さの姿勢で、一気に助手席に潜り込んだ。

 

「わっわっ!?」

 

 それに驚く運転手の山岳陽子。

 何せ、入ってきたのが明らかに悪人顔の男性なのだ。そのことを憂慮して、顔を見せずにハンドサインで対応したのだが、聊かこれはドッキリに過ぎるか。

 

「安心してください。…ハンドルはそのまま。…<警備員>の七宝です」

 

 声音を低く。それが脅すような調子となってしまったが、それが逆に相手に落ち着きを取り戻させた。

 それから問題のカーナビを確かめると、確かに報告に会った通り画面には赤い円が表示されている。他に左右真っ直ぐの三方向の矢印があって、この犯人が意図したルートに沿って動く円から、この車両の現在位置が出てしまえば横転するという仕掛け。……これでは、最終的な目的地はわかりそうにない。

 

(第13学区。『外』と接する学園年外縁の学区のひとつ。ルートから言って…目立つものでいえば…<博覧百科(ラーニングコア)>だが…)

 

「一番最初にカーナビへ『メッセージ』が届いてから少し経って、5秒だけハンドルが利かなくなって、それで<警備員>を……―――信じてください! 私がやったんじゃないんです!」

 

「わかっています。…先輩達は無事です。…あなたはこのまま、犯人の指示通りに運転を」

 

 画面の中を好き勝手に動く『赤い円』に振り回された運転手の山岳が、淡々と指示を出すカーナビの自動音声に、ひっと短い悲鳴を上げる。それを宥めて、教え子と携帯をスピーカーモードに切り替える。

 

「助手席に到着した。…次の行動は?」

 

『『将軍』のスペックシート通りなら、C規格の通信ケーブルがダッシュボードに入ってるはずです。それを使って、カーナビと携帯電話を繋いでください』

 

 カーナビはネット対応モデルで、本体の内蔵モデムの他に外部モデムも使用可能。

オペレーターと繋がった自分の携帯電話を手放すわけにはいかないので、断りを入れてから山岳の携帯を借りて作業を終えると、そこから何やら大量のデータが送信し始めた。

 

『これでリアルタイムで犯人からの指示をこちら――それから支部にも伝わるようになりました。データを解析すれば、犯人がどこまで誘導するつもりなのかわかるかもしれません』

 

「犯人を探すのも重要だが…まずはこの状況を打破することが優先だ。…『将軍』の暴走を止める方法はないのか?」

 

『そうですね…』

 

 ブラインドタッチのリズムが早くなる。支部からの情報に目を通しているのだろう。そして、一度、音が止まった後、彼女は口を開いた。

 

『犯人は緊急時自動回避システムを悪用しています。これは運転手が突然意識を失ったときに、事故を防ぐためのプログラムが安全に自動車を停止させるシステムなんです。

 つまり、このシステムは『現在動いている車を停める』際に作用するものであって、『すでに停まっている車を再び動かす』コマンドは適用されないんです。

 一度でも、特殊車両の動力である電気モーターを完全停止できれば、犯人からの干渉はなくなるはずなんですけど……』

 

 手っ取り早いのは急ブレーキを踏むことだ。

 しかし、全長30m総重量が10t以上のもの巨体を誇る衛星誘導車を一瞬で停車させるには無理がある。そして、『赤い円』から出て犯人からの指示を破れば、即横転。大事故だ。

 それを聴いた山岳は歯噛みして、車のキーに目をやる。

 

「イグニッションキーを回せば簡単なんだけど、これは走行中はロックされてる。『将軍』を走らせながら、動力だけを切るなんて不可能だわ」

 

『いいえ。なら、そのロックをどうにかすればいいんですよね。『将軍』の電子系をまとめているボックスがあるはずですから、それを弄ってしまえば、キーを回してモーターを強制停止できるはずです』

 

「ボックスの…位置は?」

 

 尋ねると、少し躊躇うような間を置いてから、初春は応えた。

 

『下に、あります。その運転席の真下に、路面スレスレの位置にボックスがあることになってます』

 

 

モノレール 車内

 

 

 桜坂風雅と顔合わせた三度目は、今日。

 

 

「えーっ! 桜坂さんって能力者なの!」

 

「は、は、はい。あの、すみません……」

 

 あすなろ園に来訪する生徒同士の顔合わせ。

 道中、モノレール内でウチのクラスでもかなりの社交性の佐天に親しげに話しかけられた桜坂は、また頭を下げた。

 

「でも私の能力は……。お父様に認めていただけなかったんです」

 

「そんな……どうしてですか?」

 

 横で話を聞いていた初春が疑問に思ったのか問いかければ、桜坂は恥入るように小さな声で応える。

 

「わ、私の能力は、その……。キーボードなどの入力装置を必要とせずに、コンピューターを直接操作できるくらいですから。

 『まったく有用な能力ではない』と、叱られてしまったんです。

 超能力ならもっと―――」

 

「すごいじゃん」

 

「え……」

 

「私もそう思います」

 

 佐天、初春が揃って、うんうん頷く。

 

「ど、ど、どうして、ですか」

 

「だって、桜坂さんは手作業の入力を省略して、コンピューターと直接やり取りができるんでしょ?」

 

「でもそれだけ……それだけです……」

 

「情報処理をしている立場からすると、夢のような能力です。桜坂さんの能力なら考えていることに入力が追いつかなくなってももどかしくなったりタイプミスをすることもないんですよね」

 

「は、はい……」

 

「お父さんが認めてくれなかったのは、価値観の違いってやつじゃないかな?

 すぐに分かってもらえないかもしれないけど、いつかちゃんと伝わるって、家族なんだし」

 

「私もそう思います」

 

「そ、そんな、でも、すみません」

 

 そこで、生徒のやり取りに邪魔せず様子を窺っていた自分が、喉に小骨が残ったようなものを覚えて、つい声をかけてしまった。

 

「……君は謝るのが癖なのか?」

 

「え!? えっと……その、す、すみません」

 

 急に会話に割って入られて、驚いた部分もあったんだろう。ただ、彼女は条件反射的に頭を下げる。

 

「いや…別にダメと言いたいわけじゃない。むしろ…この教師として半人前にも…気を遣う姿勢は…好ましい。…円周にも見習ってほしいくらいだ。…ただ…君は同級相手でも同じだろう? もしも親しい間柄なら…『ごめんなさい』より…『ありがとう』の方が…好ましいと思う。…無理にとは言わないが…遠慮をしてはいけない相手かどうか…君はもっと…考えて行動するべきだろう」

 

 例えば、先輩の黄泉川愛穂は、じゃんじゃんとこちらに遠慮なく無茶ぶりを振ってくるが、それでも彼女が受け持つクラスは品行方正で、隣のクラスと違って問題という問題が起きない(小萌先生んトコと比べるとつまんないクラスじゃん、と本人は言うが)

 きっと、彼女は、先生としての自分と先輩としての自分をきちんと分けることができるのだ。

 

「……、はい」

 

「あー…すまん。…偉そうに説教して…空気を…壊してしまって…」

 

 とお詫びに。

 くるっと手の平を回し、何も持ってなかったところから一輪の花を取り出す。

 

「おー! コージって、手品できたんだ! 器用ー! もしかして隠し芸には自信あり?」

 

「手品は…その時代時代の最先端テクノロジーを…取り入れているからな。…『高度に発達した科学は魔法と区別がつかない』…と過去の教授の言葉を体現しているのは…手品だろう」

 

 暗器使いではないが、奇術師の全身はこれ、種も仕掛けもあるトリックなり。

 

「もっとも…能力を除いて…の話だがな。まあ…今日は…前回の二の舞にならないよう…園児たちの第一印象を良くしようと…色々と用意してある」

 

「あ、はは……頑張ってください七宝先生」

 

 若干苦笑いな、精一杯のエールをもらいながら、手品というのを初めて直に見たのか、未だにぱちぱちと瞬きする桜坂に花を渡す。

 それを両手で受け取った彼女は胸に抱いてから、佐天と初春の方へ向いて。

 

「ありがとうございます、佐天さん、初春さん」

 

「お礼を言われることなんてないない」

 

「そんなことよりさ、桜坂さん」

 

「わ、私が何か?」

 

「お嬢様なの?」

 

「え、えっと……。何故でしょう?」

 

「『お父様』っていうところがねー。お嬢様っぽい感じだったんだけど」

 

 と目的地に到着したものレールが停車。

 く~っ。これからってトコなのに話す時間が全然足りない! という佐天を先頭に車両から降りて、最後にぐっすりと空いた座席に横になって寝ていた豆狸を引っ張って自分が続いた。

 

 

第13学区 道路

 

 

「了解した」

 

 副担任が応じたのはその一言だった。

 助手席のドアを開けて、そこから身を乗り出し、バンパーを掴みながら、車体下部と路面の間にある狭い空間を覗き込む。すぐ顔の脇には高速で回転する直径1m以上はある巨大な前輪があり、逆さまになった頭頂部からわずか数cmの位置に、高速で流れていくアスファルト。

 唐突に横風が吹き、揺れる車体に気を抜けば振り落とされかねないも、新年の出し物の梯子乗りのように逆さのまま足を動かして、バランスを保っている。

 

「あったぞ…縦横40cm、厚さ10cmの…銀色のボックス。…これがそうか?」

 

『はい。それが電子系の制御ボックスです。四隅をネジで留めてあるはずですが、どうにかできますか?』

 

 問題ない、と応じる。

 ネジを外すには通常はドライバーを使うものだが、素手で挑む。

 非番で生憎持ち合わせていなかった工具は、あればあった方が良いので、現場調達ができればしたかったが、こうなってしまえば仕方がない。

 

「前のバイト先の上司が…“仕事道具”を渡すのが少しでも遅れると…拳か蹴りをくれるせっかちな性格だったせいか…先輩らは誰も上司のお側付き(サポート)なんてやりたがらず…おかげで…押し付けられた一番下の自分は…この手の物理的な組み立て分解(バラシ)作業の技能には結構自信がある」

 

『た、大変だったんですね』

 

 昔堅気な大工仕事でもやっていたのだろうか、と初春は想像したが、今のそれでもオブラートに包んだ表現だ。

 器具がありませんと言えば、『いいからやれ』と銃口を突き付けられる無茶振り。1秒遅れれば殴られ、3秒遅れれば蹴られる。その後も加算式で罰則は科されていき、1分も過ぎれば“戦力外”と処理される。

 大変、ブラックなバイトで嫌でも鍛えられて、レギュラーを獲ってしまったハンドメイドの技能においてバイトの中で右に出る者はいないだろう。

 片脚をガラスを下げたドアの窓に引っ掛け、もう片脚でバランスを取りながら、両手を自由に。

 それを視界の端で見た山岳は命懸けの曲芸に悲鳴を上げかけるも、当人は至って冷静に、そして手早く4つのネジを手動で外して、金属製の蓋を取る。

 さっと見てから、ボックスの中身を報告。

 

「コードが…100本以上あるが…何色かを…切るのか?」

 

『いえ。コードは無視して構いません。右上にある3つのスイッチの真ん中のを切ってください』

 

 腕を伸ばして、人差し指でスイッチを突いて切る。

 

『これで、犯人が悪用している緊急時自動回避システムにセーフティがかかったはずです』

 

「ブレーキを踏んでも…問題ないのか?」

 

『い、いえ! あくまで補助的なセーフティですから、先のように不意打ち気味にハンドルを奪って妨害することができなくなる程度です』

 

 より具体的には、ブレーキを踏んで『赤い円』から出ても、30秒程度は犯人が手出しできなくなる。

 30秒では、この巨体車両が完全に停車できるかは不安なところだ。

 

「となると…やはりイグニッションキーの…ロックを解除する方が…いいな」

 

『はい。一瞬でもモーターを完全停止すれば、緊急時自動回避システムの悪用はできなくなりますから』

 

「わかった。…では…そちらも手早く済ませよう」

 

 

 瞬間。

 ぞわり、と悪寒を感じ―――サイドミラーが破裂した。

 

 

 銃声が遅れて聞こえた。

 

「―――え―――今の」

 

 それは、弾丸が音速を超えている、という意味。

 発射地点から着弾位置までが少なくとも1km近く離れていれば、銃声よりもはっきりとわかるほど速く、弾丸が着弾してしまう、ということ。

 

(ここにきて…狙撃手(スナイパー)だと)

 

 恐ろしい。

 格闘技でいえば、対戦者からまるっきり予備動作が感じ取れないようなものだ。聞こえない音、見えない相手。

 今の、着弾と銃声との間隔から言って、車両が高速で移動中、相対距離が変動することを加味すると、1km前後か1km強の間か……

 

 ライフル――狙撃銃の最大射程は5km。無論ものによる、特に学園都市製のものならばそれ以上のものもあるだろうが、基本的な有効射程――人が人を殺せる最大限の距離――は、おおよそ2km程度である。それ以上離れれば、ライフル弾のコントロールが難しくなる―――それは精密さを要求される狙撃には、致命的なことで、人間の、狙撃手の技量に大きくよる。

 だが、これは―――一発目は狙って、外したのだ。警告で。

 

『―――先生! 今の音は!』

 

「蚊…だ。ブンブンと五月蠅いが…問題ない」

 

 作業に集中するため一旦電源を切る、と生徒の声を無視して、車内の助手席に携帯を放り投げ。

 逆さにつり下がった状態のまま、左腕を腰に当てて―――右手ひとつで作業を再開する。

 

「何してるの早く戻って! そこにいたら、あなた狙われるわよっ!?」

 

「いや…手を休めれば…こちらが危ない」

 

 思い出した。

 暴走車の停止を目論むこちらの意図を察知して、おそらく監視役にでも雇われたのだろう狙撃手から即座に妨害がきた。

 ならば、犯人グループは凄腕の狙撃手を雇うに相応の標的がいる確率が高く、そして、ちょうどお誂え向きのVIPがこの先にいる。

 

「第13学区には…統括理事会が別荘にしていると言う…大学病院がある。…犯人の狙いは…そこかもしれん」

 

 前の職場で聞いた話だ。

 その病院は対テロ用のトラップ施設で、統括理事会の重鎮はいない―――と、見せかけておいて、実は統括理事会の別荘なのだと。

 もしもトラップ施設の話が本当ならば、逆にこれ見よがしに噂を拡散されているはずがない。

 しかもそこは普通に病院としても機能しており、そうそう動かせられない患者もいる。

 そんなところに衛星誘導車が突っ込んで1500キロのヒドラジンを撒き散らしたらどうなるか。

 

「じゃあ、私は統括理事会に……」

 

「いいや。…まだわからない。

 ひとり…例外がいるが…統括理事会は皆…自身の警備には極めて神経質だ。

 現在位置を探られないよう…地下線路を延々と回り続ける戦闘列車に住まう悪食いれば…

 一日中軍事用に造られた駆動鎧を着込み…核シェルターから出てこない引きこもりまでいる…

 止めなければ…上層部は強硬策で…片を付けにかかる。…近くの手ごろな土地に…突っ込ませてでも…処理させる可能性だってある!

 俺たちだけでない。…最悪…<博覧百科>や…あすなろ園のような児童保護施設だとすれば…子供たちも危ない!」

 

 上層部は<置き去り(チャイルドエラー)>よりも、自らの命を高く価値づけており、それを躊躇はしないだろう。

 暴走させるものとそれを阻もうとする者。

 どちらも最悪の結果しか生まない。ならば―――

 

「だから…ここで…こちらに…事態処理能力がないと…判断されるわけには…いかない」

 

 山岳はハンドルを握りながら、その男の言葉に伝わる意思を聴いた。

 

「システムに干渉しようが…運転手が必要だ…あなたに害を及ぶ危険性は少ない」

 

「けど、それでも、あなたが格好の的で曝されて……っ」

 

「なるべく…安全運転で…頼む。曲がるときは…その方向とタイミングを…教えてくれ」

 

 

 そして、もう十分な時間がたった。

 起きて、車内に避難する気のないこちらの気配を確かめるには十分な時間で、次弾を装填するには十分余裕―――

 

 

 音もなく、銃弾が来る。

 今のタイミングで来られたら―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

(くっ……)

 

 初春は思わず画面を見る目を眇める。

 勘のようなものだが、<警備員>の空気が変わった。送られてくる情報が制限されてきている。衛星誘導車の暴走を止め、犯人を逮捕するために手を取り合っていたはずなのに、まるでそっと手を離されたように、こちらを疎開するような気配がある。副担任も勝手に通信を切ったけれど、アレは逆に初春を巻き込むまいとするように突き飛ばしたような感じで、こちらのは自分らの動向をばれないように切り離したと言うのが適確だろう。

 

(……、)

 

 初春は携帯式のパソコンのキーを連続で叩く。

 能力者という異常の侵入さえ困難な責任者クラスのローカルネットワークに侵入。そこに記録されたやり取りは、被害の予測、搬送先となる病院への指示、事後の処理、そして、救助用のヘリではなく軍用兵器<六枚羽>の出撃要請―――打算と利害で塗り替えられた情報。

 これらが示すのは、学園都市の上層部の安全の確保を最優先とし、一般市民の被害は出ても仕方がないという考えだ。

 もちろん、一般市民の被害を最小限にするため避難の誘導も考えられてはいるが、運転手らの安全は全く考慮されていない。

 事故の衝撃は容赦なく、手足を折ったり意識を失ったりした状態で、爆発火災に巻き込まれれば致命的だ。

 だが、それを仕方がない、と上層部は容認する。

 運転手はただの巻き込まれた一般人であって自爆テロの工作員ではけしてなく、第一に守るべき対象であるはずなのに。

 そして。

 

(絶対に、邪魔されてたまるもんですか……ッ!!)

 

 こんな仲間達からも見放されたような状況下で、あの先生は、『問題ない』と言った。

 わかっていながら、自身の職務を全うしようとしている。そう、今も空中で偵察している映像で、あの副担任はこちらの指示通りにイグニッションキーの作業に取り掛かっている。

 

『これでも…生徒のことをちゃんと…見てるつもりだ。…君のオペレートは頼りにしてる』

 

 パソコンの操作以外に何の取り柄のない、情報整理の一点で試験突破した<風紀委員>。それが自分。

 もしも、ここにいるのが同僚の空間系移動能力者ならば、暴走する車両から二人を救助することは十分に可能だろう。よりアプローチの仕方が広がることは間違いないのだ。

 だけど、彼女はいない。いるのは、自分だ。志願して、了承されたのは初春飾利だ。

 

「先生も、顔に似合わず熱血ですよね」

 

 彼のサポートするのは自分。

 

『何か問題があっても…始末書を書くから…手伝ってくれ』

 

 ええ、私も。

 始末書だったらいくらでも書いてやる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 がぃうん

 

 

 と、擦過音が響き。

 そして、たーん、と銃声が耳に届く。

 

「……え?」

 

 一瞬、何が起きたのか、山岳はわからない。

 が―――次の一瞬、嫌でも、理解させられる。

 そう―――

 狙撃手からの警告が来てから、警備員は右手を主体にして、作業していた。

 それは―――“このため”だったのか

 

「ウソ……あなた、まさか…・・」

 

 破けた袖の裡に見えた、篭手のような携帯式の、軽盾を―――さっき、一瞬だけ、背後に回していた。

 銃弾が飛来してきた、一瞬だけ。

 そして―――

 

 その携帯式の軽盾で、弾を受けたのだ。

 

「そんな―――馬鹿な」

 

 運転中だが脇を思わず見てしまう。

 理解できても、目を疑う。

 何とか自分の知る現実と、目の前の現実との折り合いをつけようと頭を整理しようとするもそんな暇すらも山岳には与えられず―――

 

 がぃうん。

 

 とまた擦過音。

 今度ははっきりと、後ろを振り返りもせず、ただ、器用に左腕を捻じって、背中の中心辺りに左手を回して防御するのを―――見た。

 軽盾で跳弾した弾丸は、道路路面に着弾する。

 

「く、ぅ―――」

 

 衝撃に、風で煽られても崩さなかったバランスを崩す。

 なまじな防弾チョッキなど容易に貫いてしまうライフルの銃弾をそんな軽盾で受けるなんて、いくら<警備員>に支給される装備が丈夫だった所で、それを受けるアームにかかる負担は、計り知れない。

 しかし。

 それでも、すぐに、態勢を立て直した。

 そして、作業を続行する。

 

「もう…1分以上の遅れだ…前の職場なら…上司自ら退職金に鉛玉をくれているところだ」

 

 山岳は、そんな<警備員>の若者を、見て―――

 

 

???

 

 

「……………………………」

 

 流石に―――そんな様子をスコープ越しに見つつ、狙撃手は、沈黙していた。

 沈黙せざるを、えなかった。

 

「無茶苦茶、だな」

 

 うつ伏せの態勢でそう嘯くライフルを構えた狙撃手の名は、砂皿緻密。

 本来、『外』で活動しているはずのスナイパーは、一度依頼として成立すれば、人質を取った強盗の頭だろうが平和主義を訴える為政者の心臓だろうが、善悪問わず確実に撃ち抜く人間だ。

 今回のオーダーは、暴走車の監視と援護。依頼主が上にのし上がるために、椅子が12しかない統括理事会の排除、だ。―――実際は、仮の依頼主も知らない、その裏の真の依頼主の統括理事会のひとりが、いざというときに、他の統括理事会を蹴落とす為に、襲撃した際、どのような対応がありどれほどの時間がかかるかを確かめるための予行である。次回のための試金石だ。

 だが。

 この学園都市出身の知人の女性から、真っ向から機関銃の連射に耐えられる、と聞いている<警備員>の盾。

 この距離で、威力も幾分か落ちているのは確かだ。今回の仕事道具も威力よりも精度を優先して注文(チョイス)した。

 とはいっても、発砲音も、発射地点もわからずに弾丸を受けるのは、いくらなんでも型破り過ぎる。

 できるできないの問題ではなく、実行以前に、思いつく時点で、異常だ

 

「―――」

 

 思考しながら、引き金を引いた。

 発射音がして、弾丸は一直線に、<警備員>を狙う。

 スコープ越しに、見える結果。

 音は聞こえないが、またも背後に回した軽盾で、弾かれたようだ。

 これで、三度目。

 まぐれでは、ないようだ。

 

「だが、この無茶がいつまでもできるはずもない」

 

 着弾する度に、ヤツがバランスを崩しているのは把握している。いずれ落ちる。

 躊躇なく引き金をまた引く。

 放たれた弾丸は空を切り、恐ろしいほど正確に標的へ襲い掛かる。

 

 

第13学区 道路

 

 

 殺意――死の恐怖――恐怖。

 死神の足音が聴こえてくる、なんて文句がある

 それと似たように、魔術から嫌われた一族は、漠然として雰囲気のような、『恐怖』を読めるのだ。

 ようはビビリであって。

 その説明できない感覚は、前の職場に鍛えられたおかげで、より鋭敏なものになっていた。

 

 そして、恐怖を感じ取れたとしても、弾丸を避ける―――ましてや、受けるとしても問題がある。必ずしも、恐怖を感じ取ったその方向に、ぴったりと弾丸が来るとは限らない―――少なくとも、長距離射撃には。

 1km以上離れたポイントからの狙撃が、精密な意味で精密であるとは限らない、狙撃手の腕によってはそこに大きな、個人差(ブレ)が生じる。それは腕の問題だけでなく、もっと根本的に、ライフルの種類や弾丸の種類、風向きに気象条件、温度や湿度などの環境状況、そんな程度の些事がほんの少しずれるだけでも、命中精度は大きく差異が生じる。

 プロでさえ、狙ったコースに投げられる投手ばかりではない。己の感覚が、当てにならない場合など多々ある。

 

 が、今回の相手は、恐怖通りのコースに当ててくれる最高クラスの達人の腕前のようだ。こちらとは相性がいい。

 

 高速で爆走している車両から標的(サイドミラー)だけを針の穴も外さぬほど精密に狙い撃つことのできる腕を持っているなら、己の感覚を信用できる、ということ

 

 ……とは言え、人間がライフル弾を受けるなんて芸当が、そうそう長く続くはずがない。

 受けるのではなく、化剄――ころの原理で芯をずらすことで勢いを流し、跳弾させているのだがそれにしても同じこと。

 遥か先からの恐怖を感じ取るなんて離れ技を連発すれば、体力か、腕力、あるいは精神が自滅する。

 

「次の交差点、右に曲がるわよ」

 

 もう、左腕は、がくがくと痺れている。感覚が、飛んでいる。

 どうにか山岳の声を拾ったが、眩暈と耳鳴りまでもする。

 これでは、作業にも集中できなくなってしまう。

 

(ここは…ひとつ…牽制をこちらから…撃ち込む)

 

 ―――と、思案したその時だった。

 ふと、カーナビからの自動音声が聴こえなかったことに気づき、

 

 

 ぐん!!と。

 巨大な衛星誘導車が、予告とは違う反対側の左へ曲がった。

 

 

「な……」

 

 右へ曲がると考えて予めに備えた姿勢が逆を突かれて、バランスを崩す。慌てて立て直したが、あまりの負荷にドアが耐えきれず、金具の一部が欠け飛んだ。

 

(ま、さか)

 

 ぐわんぐわんと左右に蛇行して揺れる、成人男性ひとり分の体重を支えるに難しくなった助手席のドアに掴まりながら、視界がカーナビを捉える。山岳の手が伸び、音声モードのミュートボタンを押されたカーナビを。

 だま、された。

 自分を振り落とす為に、わざと違う方向にウソをついたのだ。

 

「馬、鹿……野郎……!」

 

 だが、それを怒ることはできなかった。

 より危機的な状況に陥っても。

 山岳揚子は裏切っていない。テロの協力者でも事件の黒幕でもない。

 その証拠は、目の前にある。

 そう。

 こちらに向けられた山岳揚子の顔。それは本当にボロボロで。泣きだす直前のような、精一杯の努力で作りだした笑顔だ。

 

「ごめん、なさ、い」

 

 そんな山岳が、喉を詰まらせながら、言う。

 

「でも、あなたみたいな人が、こんなトコで死んじゃいけない……」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 飲み屋で聞いた話。

 

 黄泉川愛穂は、何故、銃器の類を子供に向けるのを忌避するのかという話だ。

 と言っても、そんなに複雑な話ではない。酒の肴の雑談で終わるようなもの。

 簡潔に説明すると、黄泉川は、彼女の所属するチームが数ヶ月にわたって捜査を続けてきた、ある極秘作戦ともうひとつを自分の目の前で幕を下ろした、という文章になる―――拳銃の引き金を、迷って引いてしまったばかりに。

 日本社会に拳銃を持ち歩く習慣がないとはいえ、任務となればそれは別―――人間を相手に引き金を引いたことがないなんて、青臭いことは言わない。黄泉川愛穂は<警備員>の訓練でとても優秀な成績を修めている。街の治安維持のためとはいえ、潔癖ぶろうとも、誠実ぶろうとも思わない。それなのに、あのときは、引き金を引くのを躊躇った。銃口の向こうにあった対象が、わずか13歳の、高校教師の自分が受け持つ学生よりも幼い、子供だったから―――では、ちっとも理由にはならないだろう。13歳だろうがなんだろうが、彼は凶悪な犯罪者であり、凶暴な能力者だった。それなのに、能力という計り知れない力を使う相手に、黄泉川は躊躇してしまい―――躊躇せず反撃しようとした少年を、生存本能が銃腕を突き動かし、狙いも定めず威嚇のつもりで、けれど銃口が向いた先は狙ってはならない急所で、彼を撃った。運が悪かったとしか言いようがない所にあたってしまった。

 結果、多くの仲間が時間と労力を限界まで費やし、どれほど膨大な捜査力を犠牲にしたかもわからない極秘作戦を、たったひとつの成果を挙げただけに、終結させてしまった。それも懸命に紡いできた糸を道半ばで切ってしまったのだ。黒幕に繋がっていた、いや一人の少年が今も病院から出て来れないほどの大怪我を負って―――費用対効果としても、最悪の結果だった。

 どうしてあそこで引き金を引くのを躊躇したのか。<警備員>としての自覚……いや、覚悟がなかったのかもしれない。『三途渡しの黄泉川なんて、名前負けもいいとこだったな』と支部長からは、励ましているんだか皮肉っているのか良く分からないことを言われたが、しかしよく分からないなりに、それはその通りだと思った。

 しかし、黄泉川は思い出す。

 銃口を向けた時―――

 あの子供が自分に向けた眼を。

 信じられないようなものを見る眼―――まるで死神に出くわしたかのような眼だった。

自分が人を殺すことはあっても、自分が人に殺されることはないとでも、思っていたのだろうか? 殺そうとする以上は殺される覚悟があるはずじゃないのか。犯罪者としての覚悟。<警備員>としての覚悟。何にしても、覚悟。組織の一員であること。あの子供も、組織の一員ではあった。そうすることで覚悟は薄れてしまったのかもしれない。覚悟は痺れてしまったのかもしれない。覚悟は寂れてしまったのかもしれない。だが、どうだろう。出自を辿れば、あの子供には更生する機会どころか、そもそも正しく生きることさえ、許されていなかったのだ。そんな人間に、どんな覚悟を求めるべきだったというのだろう? それを期待することが、どれだけ酷なことなのか。あの子供がああいう風にしか生きられないのは自明の理だった。最初から運命づけられていた。それとも、それでも、その運命は受容しなくてはならないというのだろうか。どういう風に生きて、どういう風に死ぬか、もともと決まっているとでも言うのだろうか。人の生―――人の死を、この街は、良いように操っているとでも、言うのだろうか。

 

 ならば、線を引こう。

 

 これは能力ではなくて、思想。誰に強要するでもなく、自分が自分に決めた事件に対する哲学だ。

 子供を撃たない。

 殺されようが、そうやって借金を返していくことを決めたのだと。

 

 

 

「舐めるな」

 

 口に出たものは、簡潔にまず一言だ。

 

「俺はこの前…“怪獣”に襲われた。ありえないと思うが…幻想御手事件首謀者木山春生から出現したものはまさにそれだった。結果的に…超能力者の少女が撃退したが…大人の自分達は手も足も出なかった。

 ―――だがそれでも、信念を折られたつもりはない」

 

 上層部の政争に利用されている―――それがどうした。関係ない。何があっても、果たすべき仕事は変わりなく、この街に住む人間の治安維持だ。

 

「アンタのような絶対に死ぬべきじゃない人間を救うために俺たちは何度だって怪獣に挑もう」

 

 ガキンッ! とついに蝶番が壊れて路面に落下するドア。だが、その前に駆動部の屋根に飛び乗っていた。

 

「それに…今回の相手は…怪獣でも…英雄でもない…ただの狙撃手(にんげん)だ」

 

 袖を破り、『ヨ』の印が刻まれた左の籠手を露わとし、組み替える。

 3秒もかからず変形した籠手の先にあるそれはY字型の棹にゴムバンドをしつらえた器具で、子供が遊戯で使用するような投石機の一種だった。

 ただし、そのゴムと形状は特注製で射程距離もあり、命中すれば人間相手でもそれなりの威力をもつ。

 元々は狩猟用の武器として某国で販売されていたものだが、発砲がご法度の日本では使用上に問題のある銃の代替として、一隊員の意見で配備されている。

 

「スリリングショット。…玩具みたいな道具だが…面白いだろ?」

 

 高位の能力者は常識が通じない。

 しかし、自分達の現場責任者は銃器による制圧を特に嫌っており、現実無視だ、凶悪犯に対抗できないって言うのは簡単だが、それでも自分達は彼らと向き合わなくちゃいけない。実弾厳禁のハンディを抱えても防具の盾でも何でも使って、それに代わる対抗手段を編み出す。

 それが、<警備員>の第73支部。

 

 そして、それを少し警棒と同じく細工を施した。

 

「百発百中のスナイパー。俺の的中率は、5割を切るぞ」

 

 聴こえるはずがない。

 例え照準レンズからその口先の動きで読唇術ができても、無視するであろう。

 風車に槍を投げるドンキホーテ。それと同じく、そんなオモチャで1km以上先にいるこちらに届くか。格好の狙撃位置にいるなら、獲物は撃ち抜かれるのみ。

 だが、その男は不敵に笑い、二つの玉を番えて―――

 

 

「―――だが、恐怖は命中も距離も関係なく、相手に届く」

 

 

???

 

 

 キン、とこちらを狙った銃弾が、玉のひとつに直撃し、弾かれた。

 

 だが、弾丸の軌道を砂皿緻密が読めたわけではない。そんな余裕はなかった。

 同時、スコープを覗いていた左目の視界に、この弾丸でさえ重力に引かれて山なりの軌道となる長距離を真っ直ぐに物理法則を無視して飛来する玉が―――

 

「―――っ!?」

 

 間一髪、うつ伏せから背を反らし、スコープから顔を離した。

 ……だが、何もない。玉など来てない。

 こちらの脳天に迫るあの玉は幻か。冗談ではない。あんなものに、プロの狙撃手が怖気づくなど馬鹿馬鹿しい。

 しかし。

 どうしても。

 この左目に、眼前に目潰しとばかりに指が突きつけられているような悪寒が拭うことができない。

 

 

第13学区 道路

 

 

 <双箭(にのや)>。

 

 吉備津彦命―――俗に、桃太郎と呼ばれるモノの伝承から組み挙げられた術。

 

 温羅(うら)という鬼が、民を襲い、財宝を奪い、刃向かう者は鉄の大釜で煮て食われる。

 その悪行に派遣された吉備津彦命は、主神が黄泉の穢れを禊いだ水流から生まれたとされる住吉大明神、その夢のお告げ通りに、二つ矢を放ち、ひとつは相手が反撃と投擲された岩石を射抜き、もうひとつは鬼の左目を討った。

 

 篭手軽盾に収納されているY字のスリリングショットを展開し、相手が遠距離からこちらに狙撃したタイミングで、二つ玉を込めて放った時、その奇想天外な術式は成立した。

 

 相手の攻撃を相殺し、同時に、相手に反撃する、そして、相手の行動を封じる。

 

 これは、『絶対に成功する牽制球』だ。

 しかも、この弾丸には『己の魔力』が込められており、『必ず相手は塁から離れられなくなる』。

 長距離射撃は、狙撃手の腕――精神状態に左右される。

 指先が震える、視界の端に何かがよぎり集中を阻害する、または頭に何かが憑いて離れない脅迫感があるようなときに、プロの狙撃手ならば無理をせず、オーダーを断念してでも、その場を辞退するしかなくなるだろう。

 

(続行を選んだとしても…3分までなら…まともに狙いを付けられはしない)

 

 これ以上の遅滞は前の上司がいなくても看過できず、すぐに作業を再開する。

 

「なんでよ」

 

 山岳はすっかりと茫然としているようだった。

 

「もう今更、イグニッションキーのロックを外したって、間に合わないのに」

 

 運転手は肉眼で確認できた。

 前方、その交差点を直進した先のルート――河川を渡る鉄橋を超えた先に、衛星誘導車の進路を塞ぐように瓦礫のバリケードが築きあがっていることを。

 もう、行き止まりしかないことを。

 

「成功する可能性だって低い。この後ろの荷台に積まれた衛星にはヒドラジンが搭載されているのよ。そんなものを撒き散らすのだけは、万が一にも許されない。だから、私がひとりで誰もいないところに持っていくしかないの!!」

 

 幸い、運転席下のボックスを外してスイッチを操作してくれたおかげで今ならば『赤い円』から出て、30秒は主導権を握ったままでいられる。それだけの時間があれば、この全長30mの鉄塊を河川に突っ込ませることができる。

 両手は痛いほどにハンドルを握り締めていた。

 もう自分はここを逃げるわけにはいかない。だけど、自分以外を巻き込むつもりはない。

 

 だが、<警備員>の新米も肉眼でそれを確認していた。

 

「運転席の隅に…貼ってある…その写真…写っているのは誰だ?」

 

「……ッ!?」

 

 ちらりと見えた。

 家族のみんなと一緒に撮った、笑顔だけの一枚。

 もう、冷静に論理的に説明する気は失せた。今、真っ先に言うべきことはそんなセリフではない。

 

「親と子が永遠に別れ離れなんて馬鹿げた話…個人的にも看過できない」

 

 沈黙。

 それがやがて唸り声となり、そこから何かを吹っ切るように山岳は叫び、二つの名が呼ばれた。

 きっとそれが彼女の子供たちの名前なのだ。

 それと同時、こちらも叫んだ。

 

「イグニッションキーのロックを解除した! キーを回せ!!」

 

 山岳は、ハンドルから手を放して、キーを掴んだ。

 衛星誘導車の四輪全てが悲鳴を上げた。鼓膜を劈く甲高い音。鼻につくゴムの擦れる嫌な臭い。モーターの回転が完全に止まり、緊急時自動回避システムを悪用はできなくなった。

 しかし、制動機能をフルに働かせたとしても、10t以上の重量が、時速110kmという猛スピードで移動していたその慣性の勢いは、なくなっていない。

 止まらない。

 曲がれない。

 もう、おそらく100m近くは勢いを殺せずに直進するだろう。

 そして、100mもいかずに、瓦礫にぶつかる―――!!

 

「どうするの!?」

 

 生き残るために、山岳はもはや一蓮托生と頼れる戦友に打開策を尋ねる。彼はそれに応えない。ただ、“これからの衝撃”に備えて、山岳をその身に抱き締めた。

 

「怪獣相手に立ち向かったって…狙撃の危機にさらされたって…特別労災なんて降りたりしないが…俺は前の仕事よりやりがいがあると思っている。―――何せ…前の職場と違って…信頼できる先輩がついている」

 

 そう、彼が強面を和らげて、うっすらと笑みを浮かべた一瞬。

 

 

 

 ガゴン!!!!!! と。

 向かいに瓦礫の積まれた鉄橋直前の交差点で差しかかったとき、真横から最高速度のスポーツカーが、巨大輸送車両の連結部へと衝突する。

 

 

 

 車高の低いスポーツカーは、ほとんど衛星誘導車の真下へ潜り込むような形で、一瞬の内にスクラップと化した。ガラスが砕け、金属のひしゃげる轟音が周囲一帯へ炸裂していく。

 冗談抜きに、低い車高が更に半分以下に押し潰される。

 一方の衛星誘導車は、連結部を下から持ち上げられた上で、強い負荷がかけられた。ねじれるような格好で、太い破断の音が炸裂。後部衛星荷台が傾いて路面に擦りつけてオレンジ色の火花を散らす。前部の運搬車両部分は勢い良く信号の柱へと激突して動きを止めた。

 爆発や毒ガスの発生はない。

 パラパラと細かいガラスが落ちる音だけが、いつまでも響く。

 

「体当たりとは…本当…恐れ入る先輩だ」

 

 咄嗟に保護対象の山岳揚子を文字通り体を張って、身を呈して、無事、守ったわけだが、こちらがこの交差点が最後のチャンスになるだろうと察して、先輩の特攻を視界の端にでもとらえていなかったらどうするつもりだったのか。

 そして、山岳に肩を貸しながら、荷台と分断された前駆動部の車両から降りると、

 ぺっしゃんこのスポーツカーの、原形をとどめていないドアが、内側からガゴンと音を立てた。誰かが蹴飛ばしたような音で、二度目で事故の衝撃で金具がバカになったドアを開くことに成功する。そして、案の定、そこから眼鏡のズレて、とほほ、と消沈する同僚に肩を貸して引きずり出しながら現れたのは、

 

「こらーっ! 勝手に子供まで巻き込んでんじゃないじゃん!」

 

「第一声が…それですか黄泉川先輩。それと…無茶ぶりに付き合わされて…大丈夫ですか…鉄装先輩」

 

 バリケードに正面衝突させれば、運転手にいる人間はまず助からない。

 故に、あの交差点でどうしてもベクトルを相殺させる。それに、連結部に横から突っ込めば運搬車両と人工衛星を載せた後部荷台を切り離せる。

 無論、協力してくれる<警備員>を探して通信を取り合い、その衝突のシュミレーションには細心の注意を払い、なおかつ短時間で計算を終えることができたのは、<風紀委員>の生徒のおかげである。

 運搬車両の連結部は映画と違って銃で撃った程度で壊れないくらい頑丈だが、逆に言えば、炎の中に包まれて内圧が膨張しない限り破裂の心配はない。そして後部は引きずられているだけ。

 ガソリンエンジンのある駆動部と分離させれば、最悪の事態だけは避けられる。

 その特攻した運転手の身の安全は保障できないが、備えて、ギリギリのタイミングで後部座席にいた鉄装綴里が運転席のリクライミングレバーを引いて、最前の黄泉川愛穂を緊急避難させた。

 

「こうなったら、今日は一緒に呑みにいくじゃん。全部お前の奢りじゃんよ」

 

「勘弁してください…今日は…休暇だったのに…先輩に呼び出されたんですよ。…助けてください…鉄装先輩」

 

「あ、あはは……まずは病院に行くべきじゃないでしょうか。それに命令違反で支部長がおかんむりです」

 

 つまり。

 スポーツカーと衛星誘導車が廃車となったわけだが、犠牲者はなく、事故も未然に防ぐことができた。

 勝った。

 卑劣な犯人に勝ったのだ。

 数kmにも及ぶ爆走をついに終えることができたのだ。

 何より、自分の子供たちと別れずに済む。一度は覚悟した死の恐怖から、助かったのだ。

 

「は、は」

 

 あれだけの後に言い合うこの街の守護神たちを見ながら、山岳揚子は口を開けて大笑いした。

 

「あははは!! あははははははは!!」

 

 

ディスカウントショップ

 

 

 桜坂風雅を目撃した、二度目。

 

 

 それは、ひとりで<警備員>の見回りの最中、桜坂風雅が、レジに通さずに店内を出ようとしたのを止めたときだった。

 

「何で先生は私を捕まえるんです。だって、問題ない筈です。お金の代わりに労力を払いました。“普通に買うより苦労したんですから”」

 

 やはり、()ったのか。

 見た目が大人しそうなお嬢様だけど。

 自分じゃなかったら見逃してたね……なんて冗談でなく言えるくらいの早業だ。

 今は大人としての責務を果たすべきだろう。

 

「これは悪いことだ。…労力とか苦労とか…そんなの関係なしに…してはいけない」

 

「………」

 

 学校での生活態度を大圄先生から聞く限り、彼女は品行方正で非の打ちどころのない。なれば、未然に防いで品物も戻せたのだから、初犯の注意だけでも済ませるだろう。そう考えていたが、桜坂に己の意見を曲げる気配がない。

 が、

 

「仕方ない。…これは保護者に連絡を―――「止めてください! お父様には―――」」

 

 それから、口にしたのは只管に弁明の言葉だった。

 『お父様』という単語だけで、桜坂風雅は態度を一変させて、反省の意を示してきた。

 何かをひどく恐れるように。

 それが気になり――経過観察のためにと――罰として(あまりいい顔をされなかったが)今度の休日、彼女にあすなろ園のボランティアを科した。

 

 

あすなろ園

 

 

「………これは、以前、寮に押し入った輩が持っていたものに良く似ているのだが」

 

 

 事件後。

 どうにか、なんとか、『あすなろ園に連れて来た子供たちを迎えに行かなくちゃいけない』と言って頼み、始末書諸々後回しにし、先輩方にその場の対応と支部長からの説教を任せた後、このあすなろ園に戻ってきたわけだが、

 出迎えてくれたのは、スイッチを切った――その時になってなくしたことに気付いた――<嗅覚感応(センサー)>をもった、あのキリングマシーンだった(ちなみに、学生らは遅くなる前に一緒に帰ったらしい)。

 

「では、もう一度訊こう。貴様、私と会ったことはないか?」

 

「ま…まあ…すれ違ったことくらいはあるのでは」

 

「女子寮でか?」

 

 敵わない。

 もう、その視線を向けられただけで悪夢がよみがえり、両手を上げて降参したくなる。

 この人、能力者でも、魔術師でも、はたまた先祖が失敗した一族の特異体質を抱えているわけでもない、威圧だけですごい。

 もしかしたら、この人、単身であの木山事件の怪獣も絞め落とせるんじゃないかと思ってしまう。

 いくら人間相手でも、この寮の管理人だけは勘弁である。何故、あのとき自分は上司をぶん殴ってでもあんな馬鹿げた依頼を断らなかったのだろう。

 が、どうやら自分が気絶している間に、致命的な物的証拠(センサー)を確保されてしまった……

 

「そうか…年齢が上の分だけ…向こうが上手なのは…当たり前か」

 

 ―――ッ!

 しまった。年上との結婚願望のある担任との付き合いでつい口が滑ってしまったが、妙齢の女性に年齢トークは危険―――急いで口を噤もうとしたが、彼女の耳はその小声にもピクッと反応。

 

「さて。なにか私の年齢が随分と上とか恐ろしい陰口を言っていたかな」

 

「陰口ではない。…それにそこまでいってない」

 

「大圄先生からの話で大人として分別あるとは聞いてはいたが―――アラサーの崖っぷちなど……!」

 

「そんな単語は一切口にしてません!」

 

「力を抜け、楽にしてやる」

 

「せっかく綺麗な肌なのに…無意味に皺を寄せて怒るのは良くない」

 

「綺麗な……肌?」

 

「そうです」

 

「露骨な世辞などいらん」

 

「世辞では…ありません。大圄先生も…そういってました」

 

「だ、大圄先生が……っ!?」

 

 おっ? 何か効いてる。閻魔じみた威圧感が萎んでく。

 流石は、常識人の男性の意見、良識派の眼鏡の大人、大圄先生のお言葉は、キリングマシーンにも信用があるらしい。ここは一気に畳み掛ける!

 

「とにかく綺麗で…とても頼りになる…見本として…見習いたい。素敵で…憧れる…大人な女性…だと」

 

「そ、そうか。世辞だとは分かっているが……まぁ……少しは気分もマシになった。

 ……グレーゾーンだからな。許してやろう」

 

 助かった。

 もう、大圄先生には頭上がりません。このいつ終わるかわからない教師人生、副担任として一生あなたについていきます。

 

「しかし、<木原>か」

 

 小声の呟き。

 だが、明白な意味を知ってその単語を口にしたことに、瞳孔反射を止められなかった。

 

「大圄先生から話を聞いている、と言ったはずだ。

 『<木原>性の生徒を受け持っている』と聞いたからには警戒して直接顔も見たくなるものだ。その保護者をしてる<落第防止>とやらも、な」

 

 まあ、ギリギリ合格としといてやろう、と告げられて、ごくりと唾を飲み込む。

 知り合いの贔屓など考慮せず、同情や良心と言った感情の揺らぎで判断を間違えたりしない。そのお眼鏡にかなわなかったら、あらゆる言い訳を切り捨てて、しかるべき処置を降す。

 ともあれ、助かったのだから、幸運だ。その幸運を使い果たしてしまい、あの豆狸をこれから捜索しなければならなくなったが。

 

「ひとつ忠告だが、いくら純粋でも、<木原>には気をつけろ。アレに善悪はない」

 

 そんなこと、言われるまでもない。

 

 

道中

 

 

 『ジェネラルエピテックス』。

 学園都市内にあって、『外』に各種機器を払い下げる企業。

 桜坂征人――お父様の、会社。

 私は、その仕事の手伝いをしている。

 

『私は時間を守らない人間は嫌いだ。

 きちんとしゃべらない子供も嫌いだ。

 学校よりも仕事を優先ずべきだと理解しない屑はいらん。

 覚えておけ。絶対に忘れるな』

 

 私は、お父様のための機械なのだから、

 言葉より、成果を望むお父様なのだから、

 私はその期待に、応えなくてはいけないのだから……

 

『常盤台で、どこかの上流階級の娘ならばとにかく。

 あの底辺の学校など通ってる大した能力もない連中と、友達になるな。

 利用価値のない人間は友達はおろか人脈に入れるに値しない。

 それは子であっても例外ではない。あまり私を失望させてくれるな』

 

 『革新的なコンピューター』の分析と再生産。

 学園都市でこの事業を成功させれば、『ジェネラルエピテックス』社は世界トップになる。

 しかし失敗すれば、間違いなく全てを失う。

 

『いいか。

 今回は、許してやる。

 今後は全てを事業のために費やせ、そして、どんな犠牲を払ってでもかまわん。

 結果を出せ。それこそが全てだ。

 そしてあってはならんことだが、“万が一の時はどうするか”。分かっているだろうな?』

 

 

 

 “仕事”の手伝いをした。

 お父様が、より上のステージに行くために。

 用事が出来てしまったので、仕方がなく、お父様には内緒で当日の遠隔操作は雇った人間に任せることになったが、前日に『将軍』と呼ばれる車両にハッキングを仕掛けて、何をするつもりだったかは分からなかったけど、その緊急時自動回避システムに介入できるように計らったのは自分。

 でも、お父様からその“仕事”が失敗したと連絡が入った……

 

 

「失敗しちゃったね」

 

 

 帰り道。

 佐天さんと別れ、二人っきりになった。

 木原円周さん。違うクラスだけど、今日会話するのは初めてだったけど、彼女の話はよく耳にする。

 良くも悪くも目立つ子で、その武勇伝(うわさ)も嘘か真かも判別できない子だった。

 そのひとつには、『革新的なコンピューター』と関わりがあると推測される、<幻想御手>を自作した、とも。

 そんな子に、突然話しかけられて、何のことかわからなかったけれど、今日のボランティアのことだと思い話を合わせる。

 

「……うん。あすなろ園、大変だったね」

 

「コージおじさんに、また、邪魔されちゃったね」

 

「でも、先生は、私たちのためを思って、してくれるから」

 

 だけど、それはズレていた。

 会話だけでなく、決定的に致命的に。そして、それにすぐに気付かされた

 

「オーダーを誤魔化して、車両と同一のもののGPSデータを遠隔地から受信していた痕跡が残っちゃってるんじゃない。折角、数ヵ所別のサーバーを経由したりダミーを用意したり頑張ったのに、このままだとすぐに見つかっちゃうね」

 

「――――――――――、え」

 

 なんで。

 どうして。

 まさか。

 うそ。

 でもこんな。

 彼女、知ってる。私がした“仕事”に気付いてる……!

 そして、このままだと、お父様に捨てられてしまう―――!

 どくん、と胸の内から鼓動が叩く。どんなに取り繕うとしても、私の口元は、強張って。歪に釣り上がっている。

 そんな、ショートして、何も言えなくなる『桜坂風雅』という道具に、そっと拾い上げるようにその手を掴む。

 

 

「私ね。<木原>が足りないの」

 

 

 すぐ隣にいるのが何なのか。今、私を向いて、華のように笑う少女は何者なのか。一体、何を言っているのか。

 

「だから、それを補う『補助部品(ドライブ)』が欲しいの」

 

 だけど、それも私はすぐにわかってしまった。

 

「ねぇ、私に使われてくれない?」

 

 理解する。

 道具の私は、桜坂風雅は直感的に木原円周というものを理解した。

 頷く。

 もうどんな使命だって、関係ない。

 だって。木原円周、彼女は、科学に愛された申し子。

 私のような道具を、性能を限界以上に引き出させてくれる科学者なのだから。

 

 

 

つづく


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