────人とは、何を以て人と呼ばれるのか。諸君は、考えた事があるだろうか。
何を唐突に、と思うだろう。しかしその意見は、悪しからず聞き入れないものとする。
繰り返すが、人は何を以て人と呼ばれるのか。何を以て人と定義されるのか────それは、古来より人類が探求し続けた『哲学』という学問である。正確には、そのジャンルの一つか。ともかく、人は哲学と称し人と人以外の差異を延々と語らってきた。
人とは理性を以て行動する生物、と論じた者がいた。人とは知性を得た生物、と論じた者もいた。人とは道具を駆使する生物、と論じた者もいた。人とは理に適わない行動を取る生物、と論じた者もいた。
確かに、そのどれも正しいのだろう。絶対的な基準とは言えないが、その全てが人の特徴であるのは間違いない。
だがしかし、私はこれらのどの説も支持しない。何故なら、人の本質とはもっとシンプルで分かりやすいものだからだ。
────あくまで、これは持論だ。先人の答えを私が否定するように、また明くる日に誰かが私の言葉を否定するだろう。あるいは、今すぐにでも否定が飛んでくるか?
構わない。私は持論を押し付けたい訳では無い。だが────一聞くらいは、して貰いたい。
さて、前振りは十分だろうか?では、私の考えを述べさせてもらうとしよう。
────人とは即ち、生存本能とは別に悩みを抱える者の総称だ。もっと端的に言うならば────
暴論、極論、空論────そう感じる者も多いだろう。だがしかし、今一度考えて欲しい。
単純に、ショックを受けて死にたいと思った経験────無いだろうか?傷心や挫折と無縁で居られる人間は多くない。さらに言えば、傷付いた時に泣き言一つ浮かべもせずに次を見据えられる者などそうはいないだろう。程度に差はあれど、少なからず自棄になった経験はあるはずだ。それは即ち────
確かに、自殺した動物の例も数多く挙げられる。だが人の場合────これら自殺動物とは全く違う点が、一つある。
それは、
明らかにストレスの原因であり死にたがる理由である
人は理性を手にした。故に、
人は知性を手にした。故に、
人は道具を手にした。故に、
人は理外の選択肢を手にした。故に────
人を人と断ずる全ての理由は、たった一つこの暴論に集約する事が出来る。即ち────人とは、死にたがる者の別称と結論づける事が出来る。
────ところで、話は変わるが。
先程の哲学を踏まえた上で────私は、
つまり、私が知るその話とは、『死にたがり』の話だ。誰よりも悩んだ、そんな者の話だ。
ここまで言えば、誰もが察するだろう。これより私が話すのは、この『死にたがり』の話だ。綴るのは、1人の物語だ。
────繰り返すが。
さて、前振りは十分だろうか?これを以て
舞台は現実、そして『コンパス』────そして、『コンパヌ』。
筆を執るとしよう。願わくばこの物語が、誰かの心に残る事を願って。
────はじまり、はじまり。