「────なんで、私の名前を?」
コカネーションと呼ばれた少女は、疑問符を浮かべるように女性に問う。
────この女性とは初対面であるはずだ。名前も知らなければ声にも聞き覚えがない。当然容姿にも見覚えはない。なのに何故、私の名前を────?
コカネーションが疑問に思っていると、その答えを女性自身が教えてくれた。
「コカネーションちゃん、コンパヌ邸に来る予定だったでしょ?私はコンパヌ邸の関係者だからね、コカネーションちゃんが来るって事も知ってた。けど予定時刻を過ぎても来ないからまさかと思って来てみれば────さっきの状況だったって訳だね。まあ要するに、私はコカネーションちゃんの事を事前に知れるポストにいたって事だよ」
女性はおどけたような笑みでそう言った。そして、続けるように自己紹介をする。
「私は餓狼。コカネーションって長いから、コカちゃんでいいかな?」
「えっ?あぁ……はい」
「それじゃコカちゃん、疲れてる所悪いけど行こっか?コンパヌ邸まで案内するよ」
餓狼と名乗った女性は、そう言って有無を言わさずコカの手を引いた。
コカは、餓狼の為すままにコンパヌ邸へと連れていかれる。抵抗もせず、さりとて明白な肯定もしないその様子は、思うように意志を示せない人見知りのそれだった。
案内される事に不都合はないし、むしろ好都合故にここで自己主張を行う必要は欠片もないのだが。だが、いきなりパーソナルスペースに侵入されて平常心を保てるならば人見知りなどやっていない────コカは、フリーズしたかのようにその表情を固くした。
しかしコカは餓狼に引かれる途中である事に気付き、固まっていた顔を今度は青くした。
────コンパヌ邸に案内されるのはいい。元々私はそこに赴く予定だったのだから。
しかし────コンパヌ邸に
それは困る。自覚症状があるが、私は人見知りだ。そんな私がコンパヌ邸────恐らくは多人数のいる空間に放り込まれて、そこで何も出来ずに固まったらどうなるか?
周囲の視線が痛くてしょうがなくなるだろう。最悪その場から逃げ出す事さえ有り得る。しかしそうして逃げ出しても、師匠は再度コンパヌ邸へと私を向かわせるだろう。そうなれば、今度は『いきなり訪問した挙句逃げた意味不明女がまた来た』と思われてしまう。最悪のループだ。それだけは避けなくてはならない。
────仕方がない。ここで声を発するのも勇気がいるが、コンパヌ邸に着いてからでは遅いのだ。今、餓狼に『私が来た目的』を聞こう。怪訝な顔をされるに違いないが、彼女の口ぶりから察するに彼女は私が来た目的を知っているはずだ。ならば今聞いた方がダメージは少なくて済む。
────コカは、そんな打算で口を開いた。
「あっ……あの!」
「うん?どうした?」
「あの、えっと……私、何をしようとしてコンパヌ邸に来たんでしょうか?」
変な事を言っている自覚が大いにある彼女は、堂々とその言葉を口に出来なかったのだろう。俯いて、餓狼の視線を見ないようにしながらそう言った。
────言った。
言ってしまった。間違いなく、私は変な奴というレッテルを貼られた。けど仕方ない、コンパヌ邸に着いた後でこの発言をしても同じようにレッテルを貼られたに決まってる。だからこれは最小限のダメージ────
「どうしたのコカちゃん?さっきの戦闘の後遺症かな……記憶が曖昧だったりするの?」
「────へっ?」
予想していたものと全く違う優しい対応に、コカは面食らって顔を上げた。
餓狼に忌避の感情は見えない。それどころか、あの変な質問を意に介している様子すらなかった。
そして、餓狼はコカに親切に答えを教える。
「コカちゃんは今、コンパヌ邸に来て『コンパヌエンジョー部』の一員になろうとしてるの。さっきコカちゃんがやったような、『バグの削除』を目的としたグループなんだけど……コカちゃん、どこまで記憶があるかな?」
餓狼は、コカにそう問うた。実際は記憶が飛んだのではなく、単に最初から
「えっと、私が覚えてるのは────」
●前提知識
・コンパスは、電脳世界の名称 その住人は例外なく精神体で、肉体は処分されている
・コンパスの住人は肉体がない為、サーバーのメンテナンスは現実側にいる人間が行っている その組織は『運営』と呼ばれる
・コンパスには、『戦闘摂理解析システム#コンパス』というゲームが存在する
・#コンパス は労働の観念が消失したコンパスの世界において、新たな労働として設定されている
・#コンパス は、ヒーローと呼ばれるアバターを操ってユーザー同士で競い合う陣取りゲームである
●裏知識
・コンパスには、ユーザーの負の感情による負荷で生じる『バグ』が存在する
・バグは存在する限りコンパスに悪影響を与え、ユーザーをも巻き込む危険性がある
・これに対抗する手段が、『宝石』である
・宝石は条件を満たすと発生する しかしその条件は不明、複数ありどれか一つでも満たすことで発生する
・宝石は所有者を選ぶ 所有者以外の者が宝石を使う事は出来ない
・宝石は、『探知』『侵入』『装甲』『変身』『干渉』の機能を有する
・『探知』は、バグ空間を見つける機能である バグ空間が近くに存在する際には、光る事で所有者にそれを知らせる
・『侵入』は、バグ空間に能動的に入り込む機能である
・『装甲』は、プログラムの正常性が保てないバグ空間において自身のプログラムを保護する機能である この装甲は無尽蔵ではなく、体力という形で表示される この体力は装甲の耐久値であり、これがゼロになるとプログラムの正常性は保証されなくなり実質的な死亡となる
・『変身』は、自身のプログラムに#コンパス のヒーローのプログラムを追加する事で#コンパス のヒーローと同じ能力を獲得する機能である ヒーローは宝石によって固定
・『干渉』とは、プログラムに直接干渉する機能である バグに対し、物理的な攻撃でプログラムに損傷を与えまた削除する事も可能となる
●戦闘知識
・バグ空間における戦闘には、#コンパス のプログラムを用いる
・変身中は、『攻撃』『防御』『体力』の3つのステータスが表示される
・『攻撃』は『干渉』の強さを指し、一撃ごとに与えるプログラムへの損傷度合いの大きさである
・『防御』は『装甲』の上にさらに重ねられたプログラムを指し、一撃ごとに受けるダメージを減少する度合いの大きさである
・『体力』は前述の通り装甲の耐久値を指し、これがゼロになる事で死亡する
・変身中は『カード』を使う事が出来る カードは4枚、過不足なく選択し『デッキ』を組む必要がある
・カードにはそれぞれステータスが割り振られており、4枚のカードステータスの合算で所有者のステータスが決定する
・カードにはレベルが存在し、これが上がる事でカードのステータスが上昇する レベルはバグの削除で上昇する 4枚のカードの合計レベルをデキレと呼ぶ
・バグもまたデッキを持っており、そのデキレがバグの強さを示す 稀にデッキのないバグが出現するが、それらのバグは自我もなくまた自然消滅する程に弱い
・変身中は、
・HAは無制限に使う事が出来る
・HSはスキルゲージが貯まることで使用出来る スキルゲージは時間経過によって貯まる
「────って事ですね」
「いやちょっと待って今のどう喋ったの」
餓狼が突っ込む。コカは、その言葉に親指を立ててこう言った。
「気にしたら負けってヤツですよ」
「いや気になるよ全私が気にしてるよ!?」
餓狼は再び突っ込みを入れるが、コカが答える様子はない。餓狼はしばらく謎の発言方法を気にしていたが、とうとう諦めて話を本筋に戻した。
「と、とにかく────つまり基本的な知識は無事なのね。抜け落ちてるのは、コンパヌに関する記憶だけと」
コカは、餓狼の言葉にコクリと頷く。すると餓狼は、続けてこう口にした。
「じゃあ、私がすべきはコンパヌに関する説明ね。どこから話したものか……」
餓狼は、顎に手を当て首を傾げる。そして、やがて満足のいく回答を用意出来たのか1人頷いた。
「それじゃ、要点だけ話すね。まず────」
・コンパヌ邸とは、コンパヌという人物が治める施設
・コンパヌは、バグの削除を目的とした組織『コンパヌエンジョー部』の創設者である
・コンパヌ邸には、コンパヌエンジョー部のメンバーが集い生活している
「────という訳なんだけど。まぁ、つまりコカちゃんはコンパヌエンジョー部に入る事を目的にここに来たんだよ」
「いや待って下さい今のどうやって喋ったんですか!?」
「それコカちゃんが言う!?」
コカの突っ込みに、餓狼は思わず突っ込み返した。さっき『気にしたら負け』と言ったのはどの口だろうか?
「……と、とにかく。これでコカちゃんの目的は分かったでしょ?早いとこコンパヌ邸に行こう?」
気を取り直して、餓狼はコカを先導した。
コカは餓狼に連れられ、木々の隙間を縫って歩く。その道のりは厭に複雑で、コカ1人なら恐らく、いや確実に迷ったであろう事が察せられた。
この様子では、バグを発見していようがいまいが遅刻はしたな────そんな物思いに耽りながら、コカは歩いた。
すると、程なくして森から抜け、視界が開けた。そして────そこでコカは、信じられないものを目にした。
「えっ────」
────なんだ、これは。
いや、これが何かは分かる。建造物だ。そして、こんな奥地にある建造物はどう考えてもコンパヌ邸以外ありえない。
それは分かっている。だが────
そう、コカは困惑した。
しかし、それは至極当然の反応と言えよう。何故なら、コカが目にしているその建造物は────
紛うことなき────
4つの棟で構成された、あまりにも壮大な建造物の集合体。これを────『邸』などという言葉で収める者がいると、誰が想像したか。
コカは開いた口が塞がらないと言った様子で、呆然と佇んでいた。
そんなコカの様子を、餓狼は横目で眺めていた。やがて、その口を楽しそうに歪めながらこう言った。
「挨拶が遅れたねコカちゃん。ようこそ────コンパヌ邸へ」
────ああ、どうやら私はとんでもない所に来てしまったらしい、と。
餓狼の楽しそうな笑みから、コカはそれだけを察した────。