IS学園の養護教諭   作:早見 彼方

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第5話

「幸野先生。私、その、初めてなんです……」

 放課後の保健室で、俺は一人の女子生徒の言葉に静かに耳を傾けていた。

「それで、もしかしたら先生にご迷惑をお掛けしてしまうかもしれないのですけど……」

 不安げな生徒。その表情は赤く、上目遣いに俺を見ている。じっと見つめていると、その瞳に薄い水の膜が覆っているのがわかった。今にも涙をこぼしてしまいそうだ。俺が着ている白衣を遠慮がちに掴む手が震えている。

 俺は生徒を安心させようとその体に触れ、ゆっくりとベッドに押し倒した。

「あっ……」

 と、声を出す生徒。これから起こることへの不安と期待がない交ぜになった声だ。

「大丈夫」

 俺は生徒の感情を優しく包み込んであげるように、穏やかに言葉を紡いだ。

「俺に任せて。君の身も心も癒してあげる」

「先生……」

「だから、安心して」

 俺がそう言い聞かせると、生徒は頬をほんのりと紅潮させ、微笑んだ。

「はい。先生、優しくしてくださいね?」

 その言葉に俺は黙って頷き、生徒の体へと手を伸ばした。

 そして――。

「はい、それじゃあマッサージ始めるよ」

 いつも通り、大勢の女子生徒が集う賑やかな保健室で放課後のマッサージを開始した。まずは腰からだ。タオルで覆った箇所を上から手の平で押す。適度な力加減を保ち、少しずつ圧迫箇所を移動させて腰全体を和らげていく。

「あっ、んっ、あぁっ……!」

「はいそこ、変な声出さない」

 マッサージを受ける生徒に対して、順番待ちをしていた別の生徒が呆れた表情で突っ込みを入れていた。先ほどからこうして突っ込みが入っているのだが、当の本人は聞こえていないかのように受け流していた。喘ぎにも似た声がベッドから聞こえてくることもあって、保健室の外まで続く大行列から無数の冷たい視線がベッドでうつ伏せになる生徒一人に注がれているが、やはり当の本人は無視していた。

「あぁっ、私、先生に傷物にされちゃった……」

 そう言って、ベッドの上で体を震わせる生徒。変わった子だなぁ。

「先生、この子の言うことは無視してもらっていいですからね」

「あははっ。君たちって、もしかして入学前からの知り合い?」

「いえ、今日が初対面です。入学時の自己紹介からしてやべー奴だったので、よく知っているだけです」

 なるほど。今年も例年通り、活きの生徒が多そうだ。どういうわけかここIS学園には個性的な生徒が集まりやすい。基本的には根が良い子ばかりなのだが、個性的な人間同士が集まれば人間関係の問題ごとも多く発生する。そういった場合に生徒から相談を持ち掛けられるのが、生徒が所属するクラスの担任か、保健室にて相談窓口を開いている俺だった。

 今年もいろいろな生徒から相談を受けそうだなと思いながら、せっせと手を動かす。

「あぁっ、もっとぉ……」

「はいそこ、黙りなさい」

 生徒間のやり取りを聞きつつ、マッサージを続ける。一人、また一人と生徒の行列が消化される中で、初めて見る生徒の顔も多かった。新入生だろう。何故か連絡先を教えてもらったり、自己紹介されたりと、今年も変わった子が多かった。中には更識さん並みに個性的な子もいて対応に困ったことあり、時間は掛かったがどうにか問題ごとにならずに済んだ。

「というわけで、どうかな、一夏君。助手とかやってみない?」

「助手ですか?」

 行列を捌き、女子生徒で溢れていた保健室には俺と一夏君しかいない。相談を受けるという名目で、特別な用事のない他の生徒には退出してもらったのだ。静かになった室内で、俺は机に座って書類仕事を進めながら、後方にあるテーブルの席に座ってコーヒーを飲む一夏君と会話をしている。俺は同時に物事を進めることが得意で、三つか四つくらいならば並行して対応することができるから、仕事をしながら話すことは容易だ。

「うん、さすがに俺一人では手が足りなくてね」

「俺で良ければ力になりますよ」

「ありがとう。あ、本当に気が向いたらでいいからね?」

 頻繁に手を借りていては、一夏君が可哀そうだ。一夏君には学校生活があるのだし、たまに力を貸してくれるだけでも非常にありがたい。勿論、力を借りた際にはそれ相応のお礼はするつもりだ。

「ところで、一夏君は、部活には入らないのかな?」

「うーん、今のところ考えていないんですよね。何せ、俺以外に男子生徒がいないので、肩身が狭くて」

「確かにそうだね」

 ただでさえ学校で唯一の男子生徒ということで注目を集めているのだ。特定の部活に所属した際には余計に注目を浴びてしまうだろう。一夏君は性格だけでなくルックスも非常に良く、女子生徒からの人気も高くなるだろうから、一つの部活動に身を置くことで問題が起きてもおかしくはない。

「今は目の前のことに少しずつ対応していこうと思っています。ISのこととかも、まだ全然わかっていないですし。今日なんか、授業に全くついていけなかったし、何か外国の変な同級生に絡まれるしで、散々でした……」

 少し気弱な発言を耳にして、俺は仕事を中断し、後ろを振り向いた。

 案の定、一夏君はテーブルの上でぐったりとしていた。その横でカップに注がれたコーヒーから湯気が立ち昇っている。

「お疲れ様、一夏君。ISのことは担任の先生に相談してもらったほうがいいけど、それ以外については遠慮なく俺に聞きに来てくれていいよ。あとは一夏君の頑張り次第かな。少しずつでもいいから、毎日努力することが必要だね。大丈夫、君ならやれるさ」

「せ、先生……!」

 勢いよく顔を上げた一夏君は、何故か感激していた。そうとう追い込まれていたようだ。教師である俺はまだマシだけど、一夏君は教室という空間で女子に囲まれていたのだからそれも仕方ないか。

 俺は一夏君を労わってあげようと、保健室の隅にある冷蔵庫から小さい箱を取り出す。その箱は全体的に黒く、箱の表面には製造会社の名前が書いてある。赤いリボンで巻かれたそれは、まだ貰ってから解いていないために、しっかりと結ばれている。

「一夏君。甘い物は好き?」

「えぇ、まぁ、そこそこは」

「良かった。はい、これでも食べて」

 俺はその箱をテーブルの上に置き、一夏君の前まで移動させる。

「え、何ですか、これ」

「織斑先生からお裾分けで貰ったチョコレート」

 箱を不思議そうに見つめていた一夏君の表情が一瞬にして硬直し、青ざめた。

「どうしたの?」

「あの、幸野先生。これは、千冬姉――織斑先生から、貰ったんですよね?」

「うん、そうだよ」

「それなら、先生が食べたほうがいいんじゃないでしょうか?」

「うん。確かにそうなんだけど、実を言うとあまり甘い物は得意ではなくてね」

 俺が答えると、一夏君は制服のポケットから取り出したメモ帳とボールペンを手にし、何かを書きこみ始めた。何を書いているのだろう。鬼気迫る雰囲気を感じて少し声を掛けづらかったけど、どうにか口を開いて事情を尋ねた。

「どうしたの? 何かあった?」

「いえ、千冬姉に頼まれ――じゃなかった、何でもないです!」

「そう?」

 忙しそうにしている一夏君を見て、俺はリボンを解いて箱を開けた。中にあったのはトリュフチョコだった。数は九個。大きさはどれも同じだが、色やデザインは様々だ。味や食感も一つ一つ違うのだろう。

 俺はその一つを手に取ると、口の中に放り込む。少し硬めの外殻に歯を立てると、中のクリーミーな層にたどり着いた。そこは噛もうとせずとも中身が蕩けるようで、苦みと甘みが絶妙にマッチした味が口いっぱいに広がる。

 甘くて美味しい。だが、やはり甘い物が得意ではないため、一個でかなり満たされてしまった。ブラックコーヒーと一緒であればどうにかこうにか食べられるのだが、無理矢理食べるのは織斑先生に失礼だ。それならば、俺以外に美味しく食べてくれそうな人に食べてもらうのがいいと思ったのだが。

「やっぱり、お一ついかが?」

「いいです!」

「そっかぁ」

 一夏君にちらりと視線を向けて訊ねると、首を横に振られてしまった。織斑先生から貰ったというのが何か関係でもあるのだろうか。

 結局俺は、一夏君の相談に乗りながらチョコレートを一人で食べ切ることにした。残り二つほどになった辺りで胸焼けしそうになったけど、どうにかブラックコーヒーで落ち着くことができた。流れで全部食べてしまってから思うのも遅すぎるけど、幾つか残しておいて明日以降に少しずつ食べれば良かったと思った。

「甘い物を渡すのは控えるように言っておかないと……」

 何故か安心したように呟く一夏君が印象的だった。

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