「そこに隠れている奴、出てこい」
立香たちがネロを伴ってローマを巡っているころ、クルタはローマ周辺の偵察に出ていた。
アサシン・エミヤが負傷により療養し、荊軻がローマ帝国の軍務を行っていたため、代役という形で哨戒任務を行っていた。
聖杯を取り込んでいるため、
マスターである立香に危機が及んだ際にもすぐさま帰還できる距離を半径に敷いた警戒網。
それに何かが引っ掛かった。
「出てこないなら問答無用で殺す」
早すぎる最後通牒と共に殺気をまき散らす。
「待った待った待ったー!せっかちすぎるわよアンタ!」
物陰から出てきた人物。その姿に、クルタも思わず顔を歪めるのであった。
「皆の衆、心配を掛けたようだが、もう安心してくれ。余はこの通り万全かつ完璧な皇帝として立ち直った!」
一同の前できっぱりと宣言するネロ。その姿に荊軻も安堵と共に息を吐く。
「それはよかった。まだずるずると縮こまっているようだったら、ブーディカばりの張り手を何発も叩き込む所だったぞ」
「それは勘弁願いたい!あの一撃は首がもげそうなほど痛かったからな!」
思わず叩かれた頬を抑えるネロ。誰も突っ込んではいなかったが、帰ってから数日は頬っぺたが片方だけオタフクのように膨れ上がっていた。
もし立ち直れてなかったら、今度は両方の頬がぷっくりと膨らんでいたことだろう。
「それでは早速軍議に移ろう。無論叔父上と奴――そう、敵ネロを倒すためのな!」
『敵ネロ……うん間違ってないけど、なんかしっくりこないような』
「余も奴も同じネロなのだろう?ならば識別するにはこれしかあるまい。それともなにか他に代案があるのかロマンよ」
『いやーそういわれると……あ、こんなのどうです?赤色が主体なので、こちらのネロ陛下のことをハバネロとか呼ぶのは?』
「フォフォフォウ?」
フォウの呆れた鳴き声が、カルデア陣営全員の心境を代弁していた。
バカなの?と。
「なに馬鹿なこと言ってんだ。もっとマシなアドバイスでも出せねぇのかテメェは。殺すぞ」
そんな白けた軍議の間に刺々しい空気を纏った男が現れる。
誰あろうクルタであった。
雰囲気同様の鋭さを持った視線は、宙に投射されているロマンの姿を抉り取らんばかり。
『ひっ!ごめんなさい殺さないで!』
「ふざけたこと抜かすからだアホが」
「お帰りクルタ。それで、サーヴァントはどこに?」
「……そこまで来てる」
皆の期待の視線がクルタに集まる。
哨戒に出ていた先ではぐれサーヴァントを発見したことが伝えられた立香は、すぐさま連れてくることを命じた。
微妙な間があったもののクルタはこれに了承の意を返し、合流して帰還することが決定。その情報は既に全員に共有されることとなった。
敗戦以降途絶えていた朗報。クルタから齎された福音。否が応でも期待してしまう。
「ふっふーん!待たせたわね!真打エリちゃん、ここに登場!アンタたちに最高のプレゼントを届けに来たわ!」
「ワン!キャット運送だ!お届け物はこちらに!伝票にサインまた肉球での押印を!着払いの代金にはニンジンを所望する!」
なおそれは福音というより、特大の厄ネタに近かったが。
アマデウスが居れば「なんでこんなド級の爆弾なんざ持って帰ってきてんだよ!」とブチ切れること間違いなし。
どこかのフランスで見たドラゴンガールと、初見ながらヤバさが分かる種別不明娘の二人組。
「いやーうんうんなるほどなー。……チェンジで」
余りのアレっぷりに人類最後のマスターあるまじき発言が思わず飛び出るのであった。
「ちょっとなによチェンジって!?この完全無欠のスーパーアイドルに向かってその言いぐさは?!」
「ムム!業者の指定があるときは予め言ってもらわなければ困ると、キャットは苦情を入れさせてもらうワン!なおキャットのおススメは紹介得点でニンジンが貰えるアマゾネスドットコムだワン」
「とんでもない代物を連れてきたものだな、大英雄」
「うるせぇ。詳細も聞かず連れて帰ってこいなんてほざいたマスターに文句言いやがれ」
「いや、このローマに彼女たちを召喚した世界が悪い。俺は悪くない」
『うわぁ、世界にまるごと責任転嫁したよ……』
「仕方ありませんドクター。マスターの精神衛生上必要な処置であるかと」
「まあ、言いたいこともわからなくは、ないな」
新たな人物の登場に喧々囂々となる室内。
その中で静寂を保つ者が一人。
一番騒ぎそうな人物であるネロ・クラウディウスである。
その視線はエリザベートを捉えて離さない。
気づいた彼女も口を紡ぎ、鋭く見返す。
二人の間に奇妙な沈黙と空気が満ちる。
見つめあい、そしてどちらともなく笑みを溢した。
「アンタはいずれ、私のライバルになりそうね」
「うむ。余も貴様にシンパシー的なものを感じるぞ」
不敵な笑みを浮かべる二人に、立香は――ついでに座にいるアマデウスも――何故か背筋を凍らせた。
「それはそれとして、汝らは我がローマ帝国、ひいては余の力となるべく参戦してきた。そういうことでよいのだな」
「え?違うけど?」
「む?違うぞ?」
確認の言葉をあっさりと否定されて、ネロは怪訝な表情を浮かべる。
「なに?では何のためにわざわざここまで足を運んできたのだ」
「だから最初に言ったじゃない。プレゼントがあるって」
「いやーエリちゃんからのプレゼントはいらないっていうか、人命に関わるというか」
「キャット運送は依頼成功率10000パーセント!一度の依頼で100倍の満足と返礼を!キャットもびっくり、ニンジンが増えに増える魔のネズミ算がここに完成!さあ、これが欲しくば身代金を払うがいい!」
「ど、どういうことでしょうか先輩……?」
「無茶は言わないほうがいいシールダー、バーサーカーの言い分なんて理解できる方がおかしい」
「君は何かを持ってきたんじゃなくて、誰かを連れてきたってこと?」
「ザッツライトなのだな!褒美に肉球スタンプで貴様のハートをキャッチアンドブロークン!」
スパルタクスとコミュニケーションが取れる男、藤丸立香。意思の疎通に隙などなかった。
「あらあら、やっと紹介いただけるのかしら。あまりレディを待たせるものではなくってよ」
喧々諤々、混迷極まる室内に更なる人物が現れる。
「む?お、おおっ!」
視線を向けたネロが思わず声を上げる。
そこに、究極の美があった。
可憐、清楚、愛らしさ。その極限。美しきヒトガタ。
なれど根本からして人類とは異なることを、その隔絶した気配が示していた。
「うむ、うーむ、可憐、可憐だが、寝所に招く気分にはならぬな」
「あら、そうなの?残念ね、ふふ、もしそうなら最高に
『ん?ん?今何か不穏な事言ってなかったかい?』
「いえいえ、そんなことはありませんわ。知的なお方」
アルカイックスマイルに近い笑みを浮かべてはいるが、仏というより悪魔的な気配を感じざるを得なかった。
『ん?はあ!?嘘だろ!?し、神霊だって!?』
カルデアの分析結果を受け取ったロマニの声が、室内に反響する。
神霊。
とうの昔に地表から世界の裏側へと消え去った神々。
人理という人の世において、現れることのない超越的存在。
それが、今彼らの前にいる少女の正体であった。
「ふふ、そうよ。私の名前はステンノ。以後お見知りおきを」
嫋やかに微笑む彼女。神の名を名乗る彼女の笑みは、神々しく、魔性を帯びていた。
誰もが手を伸ばさずにはいられない一輪の華――。
「ボケっとすんじゃねぇよ、マスター」
「先輩っ!?」
目が覚めるような一撃が立香の側頭部に直撃した。
頭が揺れるとか、意識が飛ぶとか、そういうことは起こりえない。ただ痛みだけが残った。
下手に意識があるだけ苦痛が長引く、後遺症等はまるでない神業の張り手。
「そいつは野郎を惹きよせ食い物にする、そんな質の女神だ。気付け」
痛みにより言葉が出てこない立香は目線で苦情を入れての答えがそれであった。
立香は思い返す。あの時自分は、先ほど出会ったばかりの女神に、何を言うでもなく惹きつけられていた。
それこそ、己ができることなら何でもしてしまいかねないほどに。
――そう、それが断崖に咲いていようが、男であれば
それが、ステンノという
「……ありがとうクルタ、それはそれとして何も殴ることはなかったんじゃ?」
「性悪女神に目を付けられたテメェが悪い」
「なるほど。流石はかの光の御子。経験者がいうと説得力が違うね」
「あぁ?」
エミヤの売り言葉は即座に買われ、ほのかに殺気が立ち込める。
「双方それまでだ。矛を収めよ。この余の!御前であるぞ。控えぬか」
「正論だが、自分で言うものがあるか」
調子を取り戻したネロは
「さて、そこなキャットなる者が運んできたのが汝、ということであったが、して目的は?我らと共にもう一人の余が率いる軍と戦ってくれるのか?」
「まあ。戦いなんて、恐ろしくてとてもできませんわ」
否定する姿はらしいが、実際には恐怖など微塵も感じていない。ただ面倒くさがっているだけだ。
周囲の者達も、それをうっすらと嗅ぎ取っている。この女神が能動的に動く姿は想像できていなかった。実際彼女が動くとすれば、自分の享楽のためか、妹たちに関わることのみである。
故に、このステンノの行動は極めて例外的であった。
「そもそも用があるのは私ではなく、こちらの殿方ですわ」
そう言って彼女は木の枝を取り出した。
木の枝を取り出した。
木の枝を。
「殿、方?え?何?あれ、雄の木ってこと?」
「いえ、どうなのでしょうか?樹木については、あまり詳しくなく」
「
「ごめん何言ってるか流石に分かんな――ん?」
突如として、木の枝が話しはじめた。
どこからどう見ても普通の木の枝が威厳たっぷりに話す光景に、さしもの立香も言葉が詰まる。
しかもどこからか偉丈夫の姿を幻視させるほどの
ローマ陣営の皆が困惑している中、ただ一人驚愕で息すら止まっているものがいた。
「ま、さか……いや、そんなはずは……」
新たな空気を取り込めず、肺に残った空気を絞りだすようにして漏れた声が、ネロの口から聞こえた。
頼りない足取りでステンノ、ひいては枝の方へと近づいていく。
姿だけを見れば、黒のネロを目の当たりした時と同じ。有り得ないものを見たという驚きも一緒である。しかしそこに込められた感情は全く違った。
黒のネロに抱いたは嫌悪。そして今抱いている感情の名は畏敬。
「この気配は……もしや貴様は、いや貴方は……神祖、であるのか?」
「然り。我こそがセプテムの丘にてローマの礎を築いた
疑念が確信に至り、ネロはここに感極まる。
「そちらの殿方が私たちが暮らしている島に流れ着いてきたの。神の気配があるからといって手を伸ばしてしまったのが失敗だったわ。まさか島から離れてこんな所まで運ぶ破目になるなんて。まったく、殿方の手は取っても、殿方を手に取るなんて、するものではないわね」
「当初はキャットがキャリーする予定であったが、ゴッドパワーを失った肉球ではもふっとはじかれてしまうゆえ、ものぐさ女神に足労してもらったのだ」
「そうか、そなたが神祖を……。心よりの感謝を。ステンノ殿」
皇帝が、国の頂点が頭を下げた。それは何時の時代においても、その国において何よりも重い意味を持つ。
軽々にするべきではない行為。それでもなおネロは躊躇なくそれを行った。
神祖をローマに連れてきてくれた当然の礼として。
ステンノは黙って、しかし微笑みと共にそれを受け取る。心の底より出た謝意は、この女神にとっても心地よいものであった。
「ネロよ。今代のローマの具現たる
「はっ!」
ネロは顔を上げ、神祖ロムルスを見つめる。
彼女にとって例え木の枝に成り果てようと神祖であるのならば、彼が言う通りその程度瑣末なことだ。
目前に居るのは神祖である。それをしかと受け止めた上で、彼女は堂々と彼の前に立つ。
相手が誰であろうと――それこそ神祖ロムルスであろうと、今のローマ皇帝は己であるという自負を持って。
「それでよい」
その姿こそが、当世のローマ皇帝として全てを受け止めている姿こそが、彼が求めていたネロ・クラウディウスであった。
「お前がお前の末を知り、揺れ動いていないか案じていたが、どうやらそれは杞憂だったようだ」
「いえ。神祖の仰るとおり、余はローマ皇帝としてあるまじき振る舞いをしておりました。それを収めれたのは一重にカルデアの者達、そして我らがローマの国民たちからの愛でございます」
「よい。周りの者に助けられる。
ロムルスの体が神々しく光を放つ。
ステンノの手から離れ宙に浮かぶ。
「ローマと敵対したネロは、
人の力と神の力を分割した。それを聞いてロマニが声を上げる。
『いや、無茶苦茶だ!半神だからといって己の霊基を人間と神に分けるなんて出来っこない!』
「
余人の理解を超えた無茶苦茶な理論である。理論の前に台詞自体が難解極まるのだが。
何言ってるかまるで分かんない。皇帝同士の会話が始まってから、当事者以外の全員が思ってることである。
「ネロよ。今代の
輝きは強さを増していく。
「これを手にすればもう一人のネロが取り込んだ我が国生みとしての力。それを抑えることが能うであろう。次なる決戦の際に必要となる力だ」
文字通り神に導かれ、ネロは光へと手を差し出す。その光景はさながら宗教画のようで。
「ネロよ。最期に頼みがある。
「はっ。何なりと」
「――
光は触れた手から腕へ、そして全身へと伝わっていき、全身を包み込む。
暖かく、力強い光が五体を駆け巡る。それはまさしく加護と呼べるものであった。
「……神祖よ。必ずや」
皆の前へと進み出て、振り返った彼女から感じる存在感は、今までとは全くの別物。いっそ神秘的とも呼べる。
しかしその立ち姿は、先ほどと変わらない。
神祖から何を託されようが、どれほどの難敵があろうが、もはや揺れることなく、崩れ落ちることもない。身から溢れる奔流を、外から掛かる重圧も、全て受け止め凛と立っている。
神祖に言われるまでもなく、誰に認められるまでもなく、彼女はこのローマの皇帝であるがゆえに。
「皆の者、待たせた!これより改めて軍議を執り行う!必ずやもう一人の余を、打ち倒すためのな!」
「――応っ!」
ローマを担う大木。
立香とマシュは、ネロの姿にそれを見たのであった。
「ん?何でエリちゃんはここまで来たの?」
「プレゼントよプレゼント。負け戦が続いてるんでしょ。兵も大変だろうから慰安のためにワタシの歌を――」
「ノー!センキュー!」
立香の、全力の、渾身の、心の底からの、お断りであった。