戦場はより一層、苛烈さを増していく。
クルタとカリギュラ。二人の戦いは広がりを見せ、周囲を囲う密林の中へと場所を移していた。
人間のまま怪物になった皇帝。
人間のまま異形を纏った英雄。
最早互いに、語る言葉は必要なし。
周囲に響くは、破壊と破滅の音のみであった。
二人の攻防は一進一退。
カリギュラは外法にて吸収した魔力をふんだんに使い、拳脚を繰り出し。
クルタは人外なる魔獣の力を存分に使い、爪牙を振るう。
足場にした樹木が弾け、木っ端となる。
乱立した木々を駆け、立体的な軌道を描き、ぶつかる両者。
その余波は近くの木々を揺らし、半ばから圧し折る。
豪腕が巨木を砕き、爪牙が大木を輪切りにする。
瞬く間に森林は伐採され、見るも無残な有様へと変貌していく。
彼らの隔絶した膂力に、大地が静かな悲鳴を上げる。
引きずり出された根は地面は巻き上げ、周囲に土砂の雨を降らす。
そのような些末事、気にも留めるはずがなく。
両者は互いを葬らんと力を振るう。
膠着する戦況。今はまだ互角、いやクルタが僅かに先んじている。
カリギュラの動きを徐々に捉え、傷を与えつつあるのがその証明。
されど有利不利を語るなら、間違いなく利はカリギュラにあり。
超越的な力を得たカリギュラにすら対応し、動きを読みきる。まさに戦争と戦闘の申し子。
この状況が続いていくのなら、勝者はクルタに確定する。
しかし、それも長くは続かない。
もとより十万以上の魂を喰らったカリギュラとクルタでは、魔力量に雲泥の差がある。
クルタが立香から
膨大な魔力で基礎能力を大幅に底上げしたカリギュラに対して、宝具を使うことで無理矢理戦闘に持ち込んでいた。
持てる魔力の全てを宝具に回しているのだ。
温存など度外視。長期戦は最初から視界にすら入っていない。
故にクルタが望むのは短期決着。それ以外になし。
徐々に目減りしていく魔力に、されど焦ることなく、淡々と、冷静に機を窺う。
一方カリギュラは、クルタの状況を重々承知している。当然狙うは長期戦。
華やかさなどは要らない。彼が求めるのは確実な勝利。
クルタは必ず何処かで仕掛けてくる。それさえ凌げば、後は宝具が切れるまで待てばよい。
決めに行くのは、その瞬間。
両者の思惑は噛み合う。攻める機を窺うクルタと、凌がんと待ち受けるカリギュラ。
戦場の悲惨さとは裏腹に、両者の思考はどこまでも冷静に、その時が来るのを待っていたのだった。
※※※
劇場はより一層、熱量を帯びていく。
赤熱の炎が空を裂く。
陰鉄の
見事放たれた炎刃は、あっけなく黒い刃に散らされる。
炎を掻き分け奔る一閃。見知った太刀筋。一合二合。防ぎ捌くが、加速する刃に間に合わず。
「くぅっ!」
致命の一手。かろうじて、堅牢なる盾が滑り込む。
死角より迫る、暗殺者の凶刃は、一瞥すらなく弾かれる。
「どうしたっ!威勢がよかったのは口だけか!」
「マスターっ!?」
花の周りを舞う色とりどりな虫のように、種種様々な【魔術】が放たれる。
狙いはなし。末帝の怒りの前に一切の区別はない。皇帝も戦士も、シールダーもアサシンも。勿論、サーヴァントもマスターも。
「こっちは大丈夫っ!マシュは戦闘に集中して!」
「フォウフォーウ!」
訓練の成果を発揮する時間だと、立香は重くなった体を押して宮殿中を逃げ回る。
先を走るフォウ君を信頼し、その後に続いて全力で足を動かしていた。
「ふんっ!焦っているのか?ずいぶんと乱暴な戦いっぷりではないか!」
「ほざけぇっ!」
激昂に合わせてか、黒炎が猛々しく燃え上がる。
飛来する鉛弾を焼き尽くし、赤炎を纏った剣を受け止める。
黒が赤を受け止め、飲み込み、弾き飛ばした。
「ぬあっ!」
「あぁっ!」
剣を掲げ、魔力が渦巻く。
「もう貴様の顔すら見るのが面倒だ!疾く散るがいい!
――ここだ!
先に見せた、世界を燃やす劫火の宝具。その詠唱。その始まり。
その瞬間、荊軻は音もなく駆けだした。
「その七日目は今ここに!」
――残り十歩、必ず殺す。
放射される熱に肌が焼かれようと、その足は止まらず。
「余は再び、トロイアを――」
――
無音にて放たれる、死すら厭わぬ必殺の刃。
それが今、振りぬかれた。
刃先、目標の首を通過し。
その姿、陽炎のように揺らめき、空に溶ける。
「便利なものだな、【忍術】というものは」
匕首を振り切り、
黒薔薇は、刈られることなく現れた。
古代ローマ皇帝が、遠く東方の【忍術】を使うなど、何の冗談か。
その冗談すら、【皇帝特権】は可能とする。
「一歩、足りなんだな。アサシンよ」
目線が合う。生き残った皇帝と、失敗した暗殺者。
古今東西。両者の結末など、変わることなし。
掛け声はなく。悲鳴もなく。
袈裟斬り一閃。
隕鉄の剣は、するりと荊軻を切り裂いた。
「荊軻っ!」
朋友の名前をネロが叫ぶ。
それに応える声は、もうない。
心臓を割られた以上消滅は免れず、肺を裂かれたために声を上げられず、背骨を断たれたために、立ち上がることすら叶わない。
体中から光を放ち、空に溶けていく。
立香が、マシュが、エミヤが、二人のネロが悟った。
荊軻の死は、ここに決まったと。
「
スキルの名は【感情凍結】。
近い/遠い未来にて、現れる女神/少女が持っていた、氷のように冷たく冷酷な精神性。
もし憔悴や憤怒したと見えたなら、それは末帝が
心を乱したと思わせ、あからさまな隙を見せてやれば、見事に
「貴様御自慢の仲間とやらも、どうやらたいしたことなかったようだな」
あっさりと罠に引っかかり、躯を晒したアサシンを嘲笑する。
「きっさまぁ!」
朋友を愚弄した己が果てに、ネロは声を荒げる。
感情のまま一歩踏み出した彼女の足は、地を這う黒炎の波に遮られた。
「そう慌てるな。貴様の言葉を借りるなら、そうさな、優雅さの欠片もない上、見苦しい」
剣を構えなおし、黒のネロは悠然と歩を進める。
「さて、これで残り四人。いや、そこなマスターにはこのローマの結末を見てもらうとして、残り三人」
すぐに終わらせてくれようぞ。
そう考えて、黒のネロは残った敵を仕留めんと意識を集中させた。
四人の姿を見据える。
今にも燃え尽きんとする赤い薔薇。疲労困憊の盾の騎士。決定打を持たぬ暗殺者風情。マスターは後生大事に、
――待て。
――死中に活あり。この
最期の一歩、ここに踏まん。
消滅の寸前。意識が深遠へと堕ちる、その手前。
己への警戒を完全に捨てた皇帝の背中を見て、彼女は動いた。
全ては一瞬のうちに完結した。
半身を捨て去り、僅かな繊維を引き千切り、用済みとなった内臓を落としながら。
己が刃を、
「――な、に?」
もう終わったものと荊軻を意識の外に置いた、置いてしまった。
暗殺者を前にして、背中を見せた末路など決まっている。
皇帝に刃を突き立てた。
彼女はその手応えに不適な笑みを浮かべ……瞬く間もなく、最期まで一言も発することなく、光となって舞台からはけた。
結果だけ見れば、ただ背中を刺しただけ。
左の背部。部位から見て、脾臓どころか腎臓にすら刺さっていないだろう。
常人ならいざ知らず、英霊にとっては致命傷にならず、不死を持つ人間ならばかすり傷に等しい。
アサシンが放ったという事実だけを考えるならば、お粗末ともいえる今際の一刺し。
「が、がぁぁぁっぁぁぁっぁ!!」
変化は、劇的に訪れた。
耐えがたき激痛が走り、その場に崩れ落ちる。
その痛みの前に、【感情凍結】など何の役にも立たなかった。にじみ出る脂汗を拭う事すら出来やしない。
炎を無造作に吹き上げて、近寄らせぬようにするのが精一杯。
刺されたネロは困惑した。
あの深手では動くことなど出来ぬはず。ましてや攻撃するなど有り得ない、と。
死の淵にて発揮するスキルを隠していたのかと思い至るが、それはすぐさま否定される。
ネロはアサシンの真名、荊軻の名を知っており、伝説を諸葛孔明――ロード・エルメロイⅡ世より聞き出していた。
その中にこれはという逸話はなく、そもそもが
荊軻にないのであれば、原因は
思い至ったネロはカルデアのマスター、藤丸立香を見やる。
そして見つける。
「き、さまぁ!何時の間に!?」
赤のネロの発言に激昂した後、すぐさま【感情凍結】を発揮した彼女は、無作為に見えて常に立香の挙動を注視していた。
戦況を覆しうる
すぐに殺すつもりはなかったが、令呪を使わせるつもりもなかった。それゆえに宝具で弱体化させ、【魔術】で動き回らせ、余計なことをさせないようにした。
もし立香が形振り構わず令呪を切ろうとしていたのなら、こだわり――手ずから
故に彼女は断言する。藤丸立香にそのようなそぶりはなかったと。
その言葉は正しい。立香は令呪を使っていない。
使ったのはマスターではなく、
秘密は立香が纏う礼装、それに搭載された最後の魔術にあり。
これは令呪の問題点を解消するため組まれた術式。
令呪は戦況を変える切り札足りえるが、そもそもの話し
マスターの目が届かない状況、マスターの指示が間に合わない状況、マスターが指示できない状況。十分に想定されうる事態だ。
ならばどうすればいいか。答えは簡単。
その使用権をマスターではなく、
令呪の一画を前もって割り振り、サーヴァントが任意のタイミングで使用できるようにする。
これぞ掟破りの
その魔術を使用しクルタと荊軻に、事前に一画ずつ使用権を割り振っていた。
いくら立香を注視しようが意味がない。
彼が言ったとおり、ネロに令呪を使ったところで仕事は終わり。
劇場の隅に置かれた
そして、慣れぬ痛みの中、彼女は目を背けていた事実を認めた。
かの始皇帝暗殺の際、書物には載らぬある事実があった。
彼女は命を奪えなかったが、別のものを剥奪していた。
刃に塗られた、九つの首を持つ蛇の毒。
不死を目指し、不死であった始皇帝から、不死を奪った猛毒の刃。
不死を得た皇帝からそれを取り上げ、死の運命を決定付けた。
彼女の宝具の本質はそこにあり。
自らの死を持って、敵に死を教える、不死の否定の刃。
それこそが荊軻の宝具、
令呪を求めてきたのは、荊軻から。
クルタはカリギュラとの戦闘時、もしものための切り札として有無を言わさず渡した際、荊軻は黒のネロ、その不死性を打ち破るための一助として求めてきた。
――であるならば、令呪を一つ私にくれまいか。あの黒いのの不死について、なんとかしてみせよう。なに、生前と同じことをまたやるだけだ。簡単さ。
荊軻はそう言って、朗らかに笑っていた。
立香たちは悟る。あのときには既に、彼女はこうなることを決意していたのだと。
斬られ、躯を晒し、意識から外れた瞬間、無言のまま令呪を使い、不死を否定する刃を突き立てる。
我が身を省みぬ荊軻のプランは、ここに相成った。
失敗する暗殺者。その役からは逃れることは出来ずとも、彼女は見事やり遂げたのだ。
即興劇は佳境に入る。
赤剣が黒炎のカーテンを引き裂く。
威風堂々と歩む赤のネロは、荊軻の刃が創った傷を見る。
今まで瞬時に治っていた傷が、治っていない。
末帝の不死が消失したことを、ネロは察した。
「見事であった、荊軻よ」
悲哀はあるが役目を果たし、笑みを浮かべ消えていった義侠に送るには相応しくない。
彼女にはただ、惜しみない称賛を。
未だ膝を付く黒のネロに、剣を突きつける。
ここからは自分が主役だと、言わんばかりに
「やっと
「ほ、ほざけ……っ!これで勝ったつもりか!」
「勝ったつもりではない。勝つのだ!そして、人の身になった貴様にローマのなんたるかを教えてくれようぞ!」
赤と黒。二つの薔薇。ある皇帝と少女の劇。
その幕引きまで、あと少し。
ネロパートだけ長いのは、コマンドシャッフルさんと荊軻さんのせい