ゴブリンマスクを被ってみれば、文明開化の音がする!   作:ゴブリンライター

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ゴブリン・アイデンティティー

 ゴブリンスレイヤーは空を飛んだ。

 

 正確には飛ばされたかもしれないが、どちらにせよ、そんなことは初めてだった。

 

 急上昇、急降下、急旋回、急停止──そのたびに内臓がせり上がり、血液が逆流する。視界が狭まり、色調が消え失せた。意識が彼方へと吹き飛んでいく。

 

 高性能ゴブリンマスクと防護服を装備するゴブリンであれば、これくらい手荒なマネをされた方がアトラクションぽくてエキサイティングするのだろうが、ただの革鎧と鉄兜でしかないゴブリンスレイヤーには少しばかり刺激的すぎた。

 

 意識を失いだらんと脱力するゴブリンスレイヤー。そんな彼をネオ・ファウストはがっちりホールドし、ゴブリン的「安全第一」でリトルシャイアへと輸送する。

 

 轟音を響かせてリトルシャイアの「レンドロン広場」に着陸したネオ・ファウストは、ゴブリンスレイヤーをゴブリン的な意味で優しくポイ捨てすると、ゴブリンスレイヤーは脳天から地面に直撃した。グシャァッと嫌な音がする。

 

 任務遂行を確認したネオ・ファウストが、再び任地に赴くためゴゴゴっと炎を噴射させて飛び去っていった。

 

 ポツンと広場に取り残されるゴブリンスレイヤー。水路のせせらぎが虚しく響き、一陣の風が哀しく吹く。ここは老若男女のゴブリンが集うリトルシャイアの憩いの場だったが、幸か不幸かまだ夜明け前であったため、ゴブリンの姿はない。

 

 ゴブリンスレイヤーは暫しのあいだ、無慈悲にもそのまま放置されることになる。しかしそれも束の間のことであった。

 

 ドーン! っという爆発音。夜明けを知らせる爆発が鳴り響くと共に、どこからともなくリトルシャイアのあちこちから、ゴブリンたちがゾロゾロと這い出てきたのである。

 

 うーんうーん、まだまだちょっと眠いゴブ。今日の朝ごはんはなんだろなゴブ。さてさてこれからなにをしようかゴブ。あぁ~腰が痛いゴブ。今日は採掘場にでも行こうかなゴブ。アンタ昨日も採掘場に行ったじゃないゴブか。

 

 そんな雑談を和気あいあいと交わしながら、どこかへとトコトコ向かうゴブリンたち。カレらが目指しているのは、広場の外れにある大きな建物──「クックノックス大食堂」だった。

 

 リトルシャイアの食卓事情を一手に担うこの大食堂は、最大収容ゴブ数約千五百ゴブリンを誇るリトルシャイアでも有数の巨大施設で、クックノックスを始めとする74名の給養ゴブリンと、27体のコッヘンドールによって、リトルシャイアのゴブリンたちの食欲とお腹を満たしていた。

 

 クックノックス大食堂が提供する食事は日によって最低三回は変わり、大抵の場合、日の出の爆発とお昼の爆発と日没の爆発の時にさり気なく変更される。

 

 今はちょうどその「日の出の爆発」の食事の時間というワケだ。リトルシャイアのゴブリンたちは日の出とともに目覚めると、まず真っ先にこの場所を目指すのが習慣になっていた。腹が減っては仕事も趣味もできぬというわけだ。

 

 クックノックス大食堂からはゴブリン的に美味しそうな匂いが漂ってきて、ゴブリンたちは期待に胸を膨らませる。

 

 これは我先にと行かねばならん! ゴブリンたちは競い合うようにしてクックノックス大食堂を目指した。ラプトルの臭み焼きのような人気メニューは、人気なだけあって競争率も高いのだ。

 

 ゴブリンたちは、まるで押し寄せる大波のような大群となって、ぞろぞろとレンドロン広場を横切っていく。

 

 そしてその最中、ゴブリンたちはとんでもないモノを見つけてしまった!

 

 これはなんということでしょう! 我らが憩いのレンドロン広場の端っこに、なんとも一風変わったマスクと防護服に身を包んだ、身の丈ニンゲンほどもある大ゴブリンが寝っ転がってるではないか!

 

 これはビックリなんたることか! 一体なにゆえこんなところでお寝んねを!? ゴブリンたちは不思議に思って、ワサワサとその大ゴブリンのところに集まって来る。

 

 ははーん、さてはこっそり深夜に抜け出して、酔っ払ってそのまま寝ちゃった感じゴブね。やれやれ全く仕方のないやつゴブ。こんなところで居眠りするだなんて、なんてだらしのないゴブリンなのかしら。ゴブリンたちは思い思いにそんな感想を述べていく。

 

 本来なら大忙しの日の出の時間だというのに、ゴブリンたちは寝っ転がってる大ゴブリンが気になって、興味津々の様子だった。次から次へとゴブリだかりができて、それに伴って、何だ何だっと、どんどんどんどんゴブリンたちが集まってくる。

 

 どうしたなんだ何事か? 大丈夫? 平気? 何があったの? なんでも、酔っ払って眠りこける大ゴブリンが広場で発見されたそうだぞ! あらまそれはまあまあ! それは確かに一大事!

 

 リトルシャイアのゴブリンたちは、こんな感じで、結構、何気に、面倒見が良いヤツらだった。持ちつ持たれつの精神が、ゴブリ社会を円滑に回す秘訣なのだ。ゴブリンたちは困っているゴブリンを見ると、なんだかんだで放っておけないタチだった。

 

 眠りこける大ゴブリンは、“随分と薄汚れた防護服になんだか古めかしい鉄製マスク”と、随分古風な姿をしている。

 

 そこそこイカしたデザインだけれど、機能性についてはイマイチのようで、ゴブリンたちの評価もイマイチだった。空気清浄機能や環境適応機能どころか、体温調節機能すらも付いていない。見た目は大きな体をしているが、体格に似合わずまだまだ未熟な若者ゴブリンのようだ。

 

 もしかしたらひょっとすると、外から来たゴブリンかもしれないぞ!

 

 どこかのゴブリンがそんなことを言い出す。それは確かに言われてみれば、そんな風に見れば、そんな風に見えなくもないかもしれない。それならば前時代的なマスクと防護服に説明がつくし、仄かに香る体臭が原始ゴブリンぽい理由にもなる。

 

 リトルシャイアのゴブリンたちは、寝っ転がってる大ゴブリンが「外ゴブリン」だと分かって、歓喜に包まれた。外ゴブリンの中にも我々のような文明開花ゴブリンがいたのだ! ゴブリンたちが諸手を挙げて喜び合う。

 

 外ゴブリンといえば、大抵「ナントカの軍勢」とかいう良く分からないヤクザみたいな連中に支配されていて、全くコミュニケーションの取れないヤンキーゴブリンばかりだったけれど、この大ゴブリンを見る限り、決してそんなことはなかったのだ。外ゴブリンの中にも、ちゃんと話の通じそうな文化ゴブリンがいたのである。

 

 ゴブリンたちはこれまで、森の外の文明とは積極的に関わろうとはしてこなかった。ほぼ一方的に喧嘩を売られたり、因縁を付けられたりしてきたことはあったが、ゴブリンたちからコミュニケーションを取ることは殆どなかったのだ。現在定期的に関わりがあるのは、精々、なぜか気に入られてしまった見習い冒険者たちぐらいである。

 

 その見習い冒険者たちにしても、交流相手というよりも“勝手にやって来て防衛兵器をボコボコにしていく傍迷惑な相手”でしかなく、交流しているというよりも競争しているというのが正しかった。ゴブリンたちは「争い合い」や「殺し合い」は好まないが、「競い合い」ならば大歓迎だったのである。

 

 ゴブリンたちは見習い冒険者との競い合いを通じて、様々なことを学んだ。競い合う楽しさ、より効率的な兵器の運用法、戦術戦略の洗練、新たなゴブリ兵器……そしてなにより強く学んだのは、「ニンゲンってヤバいッ!!」ということだった。

 

 どんなに情け容赦のない鬼畜なギミックやトラップを仕掛けても、見習い冒険者たちはその尽くを見事に突破してみせるのだ。「ナニナニの軍勢」が何ヶ月も躓いている防衛機構を、だ。

 

 もちろん、何事も最初は上手くはいかないものである。だが、最終的には必ず解法を見つけ出し、見事クリアしていった。中にはゴブリンたちが想定していなかった意外な方法で突破することもあり、今ではもう「マニピュレーター」にまで到達しているのである。

 

 見習い冒険者たちの強さは、「ナンチャラの軍勢」なんか目じゃないくらいブッチギリの強さだった。しかし、そんな恐ろしい強さを誇る見習い冒険者たちでさえも、人間基準で見れば、その名の通りただの「見習い」でしかなかった!

 

 これが「見習い」じゃなくて「正」とか「聖」とか「天」とかになったら、いったいどうなっちゃうの? ゴブリンたちは戦慄した。

 

 これは認識を改める必要がある──ゴブリンたちは心底そう思った。

 

 これまでのゴブリンたちの人間基準は、骨の髄まで調べ上げた「貢献者A」が基準になっていたのだが、実際には貢献者Aはニンゲンの中でも規格外に弱い部類だったらしく、基準としては全くもって相応しくなかったようである!

 

 ゴブリンたちはデータを重んじる主義だった。貢献者Aと見習い冒険者たちならば、どちらがより参考になるデータなのかは、赤ちゃんゴブリンでも分かることだった。「1」と「3」ならば当然「3」の方が、ゴブリン的にも統計学的にも参考になるのは一目瞭然である。

 

 どっちもあんまり変わらないじゃないかというツッコミは、ゴブリンの辞書にはなかった。

 

 とはいえ貢献者Aのデータもおざなりにすることはできない。結局ゴブリンたちは彼女たち4人の平均値をニンゲンの最低基準とし、予てより練っていた「ある計劃」の見直しを図った。

 

 実のところゴブリンたちは、パンサァードールなどのゴブリ兵器を完成させたあかつきには、ゴルダナル大森林の外に進出することを密かに目論んでいたのである。

 

 大森林の隅々まで網羅したゴブリンたちには、もはや森は全てを知るところとなり、カレらの知識欲を満たす「未知」は、もうめっきり見つからなくなっていたのだ。それでもゴブリンたちの探究心は留まることを知らず、遂にはゴルダナル大森林ですら越える領域に到っていた。

 

 しかし、そんな折に現れた計算外の強さを持つ見習い冒険者の登場によって、ゴブリンたちの「計劃」は一旦取り止められることとなる。ゴブリンたちの“外の世界への進出”は、当面の間「延期」となったのだ。少なくとも、見習い冒険者たちとの「競い合い」を経て、彼女たちを鼻をほじりながら倒せるくらいに強い機巧兵器を創り上げるまでは……。

 

 外の世界は危険でいっぱいだ。見習い冒険者のような「つえぇーニンゲン」が、まだまだゴロゴロいると予想される。そんな危険が危ない世界に、なんの準備もなく飛び込んでいくほど、ゴブリンたちは無鉄砲ではなかった。

 

 だからこそ、「外から来た話の分かりそうなゴブリン」の来訪は諸手を挙げて大歓迎だった。「外の世界」を知り、まだ見ぬ「未知」を知る「同族」の来訪は……。

 

「シュコォ……シュコォ……

 それにしても 見れば見るほど「ニンゲン」みたいな 不思議なゴブリンさんゴブね」

「もしかしてひょっとすると 実は「ニンゲン」だったりして」

「何をご冗談を 確かに一風変わってはいるが 「マスク」をしているし 少し原始的だが「防護服」も着ているゴブ」

「それにこの仄かに香る匂いは まさにゴブリンそのものゴブ! 一週間は洗っていない ばっちいゴブリンの匂いがするゴブ!」

「確かに確かに ちょっと原始的だけど 間違いなくゴブリンゴブ ちょっとニンゲンみたいだけど コイツは立派なゴブリンゴブ!」

 

 ゴブリンたちは、見た目がちょっとニンゲンに似ているからって、決して贔屓はしないヤツらだった。寝っ転がってるだらしのないニンゲンみたいなゴブリンは、そうは言ってもきちんと立派なゴブリンなのだ! 

 

 そんなゴブリン的論理思考で、ゴブリンたちは「気絶しているゴブリンスレイヤー」のことを「ゴブリン」だと認識した。一風変わったマスクと防護服だが、「マスク」と「防護服」をしている以上、この寝っ転がってるゴブリンが「ゴブリン」であることは確定的に明らかなのである。

 

 ゴブリンたちは自らが作り上げた治安維持システムに絶大な自信を持っていた。さらに、その一翼を担うネオ・ファウストのことも大いに信頼していた。そんな優秀なゴブリ兵器が、リトルシャイアのど真ん中でニンゲンが居眠りしていることを許すはずもないし、有り得るはずもなかった。

 

 それにカレが外ゴブリンなら、擬態とかカモフラージュとかそんな理由で、ニンゲンみたいな見た目をしている可能性もある。ゴルダナルの文化ゴブリンは、見た目がちょっとニンゲンに似ているからって、変な偏見は持たないのだ。なんにせよ、ゴブリンたちはゴブリンスレイヤーのことを自らの同朋であるとした。

 

 さてさて、それじゃあそれならば、未だ目覚める兆しのない外ゴブリンを、みんなで起こしてあげようか! ということになって、そういうことならばっと続々と集まってくるゴブリンたち。こういった「放置ゴブリン」は、ネオ・ファウストの配備以降、まあまあそこそこ良くあることだったので、ゴブリンたちは慌てず騒がず落ち着いて対処した。

 

 まずはバイタルチェック──なんとゴブリンスレイヤーの防護服には、「バイタルチェック機能」がついていなかった。外ゴブリンの文化はちょっと遅れてるゴブね、と呑気に思うゴブリンたち。仕方がないので視診で容態を窺う。

 

「シュコォ……シュコォ……

 それにしても これにしても 見れば見るほど 個性的な格好のゴブリンゴブね」

「マスクは鉄製 防護服は革がメイン……素材を統一していないのは 外ゴブリンの流行りゴブか?」

「頑丈そうな造りゴブけど 傷だらけだし 汚れが多くてばっちいゴブ

 ちゃんとお手入れしないと せっかくのイカしたマスクがもったいないゴブ」

「ならきっと コイツはズボラな性格のゴブリンゴブね それならこんなところで居眠りしちゃうのも 頷けるというものゴブ」

「見たところ 呼吸 体温 共に異常なし それなら起こしてあげようそうしよう だれか気付薬とか持ってないゴブか?」

「それならこれなら ゴブが持ってるゴブ ホレこれゴブ」

 

 そう言ったゴブリンが取り出したのは、なんとも怪しげに発光する瓶詰めの謎エキスだった。

 

 それをホイっと渡すお薬ゴブリン。

 

 手渡されたゴブリンは、渡してきたゴブリンをチラリと見てから、瓶詰めになった気付薬らしき謎エキスをチラリと見ると、「ま、いっか!」と思ってゴブリンスレイヤーのマスクの隙間からドバドバっと投入した。

 

「……ゴッ……ゴボッ!? ゴボゴボゴボ! ……ゴボボボボボ!?」

 

 激しくむせ返るゴブリンスレイヤー。それでも容赦なく注ぎ込まれる謎エキス。気絶した状態でもマスク越しで飲食できるのはゴブリンたちの常識だったので、一切容赦がなかった。 

 

「ガハッ、ゴホッ、ゴボォッゴボゴボゴボゴボッゴボッゴボッボゴッ!? ……ガッ、ガハァッ!!」 

 

 そして遂に鉄兜から謎エキスが溢れそうになった頃、ガバァッと覚醒するゴブリンスレイヤー。

 

 ゴブリンたちは流石ゴブリン製の謎エキス! と思ったが、実際にはただ単純に息苦しくて目覚めただけだった。

 

「ガハッ、ゲボォ、ゴホッ……ハァ、ハァハァ……グッ……こ、ここは……?」

 

 視界が霞んでいる。気分は最悪だ。息が苦しい。頭の奥がズキズキする。動悸が激しく高鳴り、体が痙攣していた。ここは何処だ? いやそもそも……()()()()

 

「シュコォ……シュコォ……

 オマエさん ホントにホントに大丈夫か?

 心配するな安心するとイイ ここは 我らが彼らがゴブリンたちの理想郷「リトルシャイア」ゴブよ」 

「……リ……トル、シャイア?」

 

 その地名には聞き覚えがあった。だが、それを何処で聞いたのか()()()()()()。まるで朝霧の中に迷い込んだかのように、記憶が曖昧だった。怒りとも、恐怖とも、歓喜とも言えぬ感情が湧き上がってくる。何故そう感じる? 何故、俺はここにいるんだ? 

 

 呼吸が荒く、酸素が足りない。脳に血液が行っていなかった。何もかもがあやふやで、何もかもが曖昧だった。吐き気がする。しかし吐くべきモノがない。胃の中は空だった。

 

 ゴブリンスレイヤーは辺りを見渡した。おびただしい数の「小人」たちが無数にいる。頭を覆い隠すほどの大きなマスク。丸いレンズの瞳。足先から手の先まで至る全身防護服──誰かが言っていた、マスクをした「何か」。それが何だったのか思い出せない。記憶の中が空虚だった。

 

「お前たちは……誰だ……?」

 

 頭を押さえ、震えながらゴブリンスレイヤーは訊いた。

 

「シュコォ……シュコォ……

 オマエさんオマエさん マジでホントに大丈夫ゴブか?

 オイラたちはどこからどう見ても 「ゴブリン」に決まってるゴブ

 生まれてこのかた「ゴブリン」だし 死んでこのかた「ゴブリン」ゴブ」

「ゴブ、リン……だっと!?」

 

 その「名」に、ゴブリンスレイヤーは言いようのない「執着」を感じた。

 

 言い知れぬ感情が溢れてくる。恨み、嫉妬、執念、後悔、悲しみ、虚しさ、恐怖、そして歓喜……それでも記憶は蘇ってこない。俺は「ゴブリン」に何らかの「執着」がある。だがそれが、何なのかが()()()()()()

 

「お、俺は……いったい……」

 

 狼狽する様子のゴブリンスレイヤーに、ゴブリンたちは心配そうに声をかける。

 

「シュコォ……シュコォ……

 オマエさんオマエさん さっきから大丈夫ゴブか? なんだか震えていて 苦しそうゴブ どこか痛いところでもあるのか? 体調は? 気分は悪くないゴブか?」

「……分からない……俺は、俺は……()()?」

「もしかしてひょっとして オマエさん 自分が誰か分からないゴブか!? 綺麗さっぱり忘れてしまったゴブか!?」

 

 おお、それはなんということだ! ザワザワとざわつくゴブリンたち。

 

「グッ、アァァァァ……思い、出せない、何も……思い出せない……俺は、俺は……」

「しっかりするゴブ! とりあえず落ち着いて深呼吸するゴブ!

 はい! 吸って吸って吐いて! 吸って吸って吐いて!」

「──ってそれはラマーズ法ゴブ! フザケている場合ゴブか!?」 

 

 ゴブリンたちがしょうもない寸劇を繰り出している最中、ゴブリンスレイヤーはなおも苦しんでいた──ゴブリン、リトルシャイア、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリン、ゴブリン……スレイヤー……。

 

「お、俺は……俺は……ゴブリン、スレイヤー……」

「ゴブリンスレイヤー? それがオマエさんの名前ゴブか?」

「どうやらそうっぽいゴブね」

「「ゴブリンを殺す者(ゴブリンスレイヤー)」だなんて なんともけったいで物騒な名前ゴブ」

「全くもって「ゴブリン」ぽくない名前ゴブ」

 

 ゴブリンたちが口々にそう言う。

 

「……ゴブリン、ぽくない? ゴブリン……俺は……俺は、ゴブリンなのか?」

「シュコォ……シュコォ……

 なのかもなにも その通りだゴブ! イカしたマスクに防護服 ちょっと見た目が古臭いけど オマエさんはどこからどう見ても 立派な立派なゴブリンゴブ!」

「ただし名前がブサイクで とてとて残念なブサゴブリンゴブ!」

 

 そんな余計な一言を加えてしまうゴブリンたち。変なことを口走ったゴブリンはコテッと一発殴られる。

 

 ゴブリン的に「ゴブリンスレイヤー」という名は、「ix(美男)」も「ox(美女)」も入っていない、めちゃんこダサい名前だった。

 

 せめて「ゴブスレニクス」だったり「ゴブスレオクス」だったりしたらマシなのになあ、と思うゴブリンたち。外ゴブリンの命名法則は、見た目と同じように一風変わっているようだった。

 

 そんなことを思われているとは露知らず、ワナワナと震えるゴブリンスレイヤー。

 

「お、俺は……ゴブリンだった? 俺は、ゴブリンなのか? ゴブリンだったのか?」

 

 うわ言のように繰り返す。

 

 まるで信じ難い話だが、これが事実であると示すかのように、ゴブリンスレイヤーの周りにいるのは誰も彼も「ゴブリン」ばかりだった。

 

 彼もゴブリン、彼女もゴブリン、貴方もゴブリン……ならば「俺」も「ゴブリン」なのではないだろうか? 徐々にそう思い始めてしまうゴブリンスレイヤー。

 

 ゴブリンスレイヤーは「ゴブリン」というワードに、異状なまでの「執着」を感じていた。それは、自分自身の種族が「ゴブリン」だからなのだろうか? 自らの種族に執着を持つことは、別に不思議なことではない。ゴブリンスレイヤーは歪む意識の中でそう思った。

 

 さっきから様子のおかしいゴブリンスレイヤーに、ゴブリンたちは困惑する。せっかく出会うことのできた外ゴブリンだというのに、なんだかさっきから悶え苦しんでいる様子。明らかに異常アリの兆候だった。

 

 もしかしてひょっとするとこれは……。

 

「シュコォ……シュコォ……

 もしかしてもしかしてオマエさん「記憶喪失」ゴブか?

 大事な大事なオマエさんの「過去」 なくしてしまったゴブか!?」

 

 記憶喪失というものはそんなに簡単に起きるものではない。相当過酷な環境に長時間晒され、大きなショックを頭部に受けるか、深刻な酸素不足に陥るか、ヘンな薬品を大量に摂取しない限り、滅多に起きるものではなかった。そしてゴブリンスレイヤーはその全て当て嵌まっていた。

 

 いったいこの外ゴブリンの身に何が起きたというの? 事情を知らぬゴブリンたちがそう心配する。ゴブリンスレイヤーはまだ俯いて震えていた。

 

「シュコォ……シュコォ……

 どうやらこうやらこの外ゴブリンさん なんだか記憶喪失みたいゴブ」

「えーっ! それはとてとて可哀想!」

「なんたることか一大事!」 

「「過去」をなくしては 「今」も「未来」も見えはしない」

「どうにかこうにかなんとかしてやらねば!」

「そうゴブ そうゴブ! 記憶を失くした外ゴブリン 助けてやらねばゴブリンの名が廃る」

「然り然りその通り!」

「さあみんなで救おう外ゴブリン よそ者だとしても変わらない ゴブリンならば関係ない ダサい名前でも問題ない みんなで救おうゴブリンスレイヤー!」

 

 ゴブリンたちはやいのやいの言って、ゴブリンスレイヤーを助け起こした。

 

 ゴブリンスレイヤーは平均的なゴブリンよりも大分体格が大きく、さらには体重も重かったが、パワードスーツ的な機能も持っている防護服のお蔭でチョチョイのチョイだった。

 

 ゴブリンたちに助けられ、なんとかかんとか立ち上がるゴブリンスレイヤー。まだフラフラとしているが、しっかりと二の足で立って、ゴブリンたちにお礼を言った。

 

「……すまない」

 

 素直にそう言うゴブリンスレイヤー。

 

「気にすることないないゴブ 困った時はお互い様ゴブからな!」

「……そうか」

 

 ゴブリンたちは立ち上がったゴブリンスレイヤーを、改めて上から下までまじまじと見つめた。

 

 平均的なゴブリンよりも三周り以上も大きいその体格は、ゴルダナルのゴブリンたちの中では頭六つ以上も抜けていて、非常に目立つ。子供ゴブリンと大人ゴブリンよりも体格に差があった。

 

 外のゴブリンは育ちが良いゴブね~っと呑気に思うゴブリンたち。

 

 みすぼらしいがよくよく見ればかなり使い込まれたであろう「マスク」と、薄汚いが見たこともないデザインの「防護服」をしているゴブリンスレイヤー。うーん、これはどこからどう見ても完全にゴブリン!

 

 最初見た時は古臭くてダサいと思ったが、改めて見るとこれはこれで味があって悪くなかった。

 

「シュコォ……シュコォ……

 さてさてゴブリンスレイヤー……うーむ やっぱりこの「名」はいただけないゴブ

 ゴブリンスレイヤーという「名」では 美男も美女も分からぬゴブ」

「……そうなのか?」

「そうなのゴブ そうなのゴブ!

 美男美女が分からねば ゴブリンスレイヤー 全くもってモテないゴブ! 全くモテないブサゴブリンゴブ それはイヤイヤ 嫌でしょう?」

 

 ゴブリンスレイヤーは思った。別にモテモテになりたいわけでは──しかし、口下手な上に記憶喪失になっていたゴブリンスレイヤーには、咄嗟に否定することはできなかった。

 

「シュコォ……シュコォ……

 そうだそうだイイこと思い付いた

 いっその事 これを機会に「改名」するのはどうゴブか?

 我らがゴルダナルの文化ゴブリン イイこと 新しいこと 記念すべきこと ステキなことあると 「改名」する習わしがあるゴブ」

「ウムウム それはナイスアイディアゴブ

 外から来たゴブリンスレイヤー これを機に「改名」してみるみるゴブ!」

「……改名? どんな「名」が良いんだ?」

 

 根は真面目なゴブリンスレイヤーは、ついうっかりそんなことを訊いてしまった。

 

 ゴブリンスレイヤーの台詞に、ゴブリンたちは大いに盛り上がる。名付けはゴブリンにとって最高に名誉なことであり、最高に楽しい娯楽だったのだ。

 

 ゴブリンたちは口々にゴブリンスレイヤーの新たな「名」を考える。記憶を失くしたから「アムネシクス」。風来坊ぽいから「サマヨエリクス」。眠りこけていたから「スリーピクス」。森の外のから来たので「アウトサイクス」。

 

 色々ナイスなアイディアが飛び出してきたが、結局、最後に選ばれたのは「旧名」を大事にして、単純にもじった「ゴブスレニクス」だった。

 

「シュコォ……シュコォ……

 今日からこれからオマエさんは 「ゴブリンスレイヤー」改め「ゴブスレニクス」ゴブ! ゴブリンスレイヤーイクスを略して ゴブスレニクスゴブゥウウ!!」

 

 ゴブリンたちが大歓声をあげる。

 

「俺の名は……ゴブスレニクス……」

 

 噛みしめるようにそう言うゴブリンスレイヤー改めゴブスレニクス。

 

「早速気に入って貰えたようで ゴブたちも満足ゴブ!

 さてさてすっかりイケメンになったゴブスレニクス どうやらオマエさんは「記憶喪失」の疑いがあるゴブ」

「シュコォ……シュコォ……

 でもでも安心するとイイ 同族のゴブたちが付いているゴブからな!」 

「そいじゃあオマエさんは とりあえず詳しい診察を受けるために 今から「マッドマッディクス診療所」に……」

 

 その時、胃の中が空っぽだったゴブスレニクスのお腹が、ぐぅううっと鳴った。それに合わせてゴブリンたちのお腹もごぶぅううっと鳴る。

 

「……その前にひとまず食事にするゴブ! 腹が減っては仕事も趣味も 記憶を取り戻すこともできないゴブ! それじゃあ さっさと向かうゴブ!」 

 

 そうしてゴブリンたちはウンウンと頷くと、再びクックノックス大食堂を目指して移動し始めた。腹が減っては仕事はできぬ、趣味もできぬ、過去を思い出すこともできぬ。そんな唄を即興で歌いながら、ゴブリンたちはゾロゾロと食堂に向かうのであった。

 

 そして、そんなカレらに連れられたゴブリンスレイヤー改め「ゴブスレニクス」も、フラフラと食堂へ移動するのである。

 

 

 

  

*        *

 

 

 

 クックノックス大食堂では、ゴブリンたちが整然と列を作り、専用のトレーを持ってワイワイと順番を待っていた。

 

 中には愛用の自家製トレーを持っているゴブリンもいるらしく、木製だったり、金属製だったり、なんだか良く分からない素材だったり、実に多種多様な装いだった。

 

 そしてその最後尾に、ゴブスレニクスは並んでいた。

 

 なぜこんなことになったのか自分でもよく分からない。流れに身を任せていたら、いつの間にかこうなっていたのだ。

 

 一緒に連れられてきたゴブリンたちに促されるまま、用意されていたトレーを持ち、列に並ぶゴブスレニクス。瞬く間にゴブスレニクスの後ろにも、ゴブリンたちの長蛇の列ができた。

 

 前にもゴブリン、後ろにもゴブリン、右にも左にもゴブリンゴブリン。地面を覆い尽くさんばかりのゴブリンの群れに、ゴブスレニクスは思った。やはりこれは、俺も「ゴブリン」なのか?

 

 ゴブリンの数は、ぱっと見ただけでも余裕で「百」は超えていた。下手をすれば「千」に届いているかもしれない。しかもそれは食堂にいるゴブリンだけの話で、普通に考えればもっといるであろうことは、容易に想像できた。

 

 何故だか理由は不明だが、ゴブスレニクスはその事実に言い知れぬ恐怖心を抱く。なぜこんなにも“ゴブリンたちがいることが怖い”のか、さっきまでの体調不良とは違う理由で、体がブルブルと震えた。

 

「シュコォ……シュコォ……

 そうビックリするもの無理ないゴブ なにせ「記憶喪失」ゴブからな

 でも安心するとイイゴブ 別にここに危険はないゴブよ 美味しい食事があるだけゴブ」 

 

 それでもゴブスレニクスの震えはとまらなかった。言いようのない複雑な感情が彼を支配する。

 

 人知れぬ原生林の奥底で、ゴブリンたちが社会を形成し、文化を築いている。規律だった行動をし、明らかな秩序が生まれていた。あのゴブリンが文明化している。あの「ゴブリン」がだ。

 

 ゴブスレニクスはそれが何よりも恐ろしかった。だがしかし、どうしてこんなにも恐ろしいと感じるのか、それが分からなかった。

 

 記憶の中が真っ白で、何もかもがフワフワとしている。そんな中でも僅かに浮かんでくる情景は、薄汚い格好をして、卑しく顔を歪めた小鬼の姿だった。

 

 そうだ、「ゴブリン」と呼ばれる生物は、そんな下劣で卑猥な種族だったはずだ。「俺」の周囲にいるこの「マスクをしたゴブリン」は、本当に俺の知っている「ゴブリン」なのか? 俺は何かどうしようもない勘違いをしているのではないか?

 

 ゴブスレニクスは頭を押さえこんだ。「マスクをしたゴブリン」。何処かの誰かに、そんなゴブリンの話を聞いた気がする。

 

 確かそれは──

 

「グッ……」

 

 頭蓋骨の奥から激痛が響き、浮上しそうだった「記憶」が沈殿していく。どうやら「過去」を思い出すには、もう少し時間がかかるようだった。

 

 いつの間にかゴブリンたちの列は短くなっていて、その大群の割にはスムーズに消化されていた。気付けばもう、ゴブスレニクスの番になっている。

 

 鼻が曲がりそうになるほどに独特な匂いがゴブスレニクスに襲いかかり、彼の嗅覚を死滅させた。なんという匂いだろうか。とてもじゃないが食欲をそそる匂いではない。独特すぎて吐き気がしそうだった。

 

 悶絶するゴブスレニクスに、マスクの上にわざわざマスクをした給養ゴブリンが、カウンター越しに訊いてくる。

 

「シューコォ……シューコォ……

 ん? オマエさん あんまり見ないマスクゴブね 新顔さんゴブか?」

「あ、ああ……ゴブスレニクスという……」

「ゴブゴブ そうかそうか「ゴブスレニクス」ゴブか 中々イカした「名前」に「マスク」ゴブ オマエさんは体が大っきいから いっぱい食べるゴブ! さぁたーんとお食べ!」

 

 給養ゴブリンがお皿にドカッと「何か」を入れて、ゴブスレニクスに渡してきた。お皿にはドロっとしてグチャっとした粥状のモノが山盛りに盛られている。

 

 これは食べ物なのか? ゴブスレニクスはその摩訶不思議な不定形の物体を見て思う。

 

 これはゴブリンたちの日常的な朝食「ゴーブミール」だった。見た目も味もゴブリン好みの味付けで、ゴブリンたちにはお馴染みの料理だ。ちなみにニンゲンが食うものではない。

 

 目眩がしつつもゴブスレニクスがさらに前に進む。

 

 進んだ先にいたのは、これまたやっぱりマスクの上にマスクをした給養ゴブリンで、素早い手付きでゴブスレニクスのトレーに「何か」を載せてきた。

 

「シューコォ……シューコォ……

 オマエさんツイてるゴブな! 大人気の「ラプトルの臭み焼き」は オマエさんで最後ゴブ この後は残念無念の「ボイルドエッグ」ゴブ!」

 

 えぇーそんなー殺生な~! と後ろのゴブリンがショックで叫ぶ。ものスゴイ異臭を放つ肉塊が、ゴブスレニクスのトレーに載せられていた。

 

「……交換するか?」

 

 ゴブスレニクスが後ろに並んでいたゴブリンに訊く。

 

「えっ!? ホント良いゴブか!?

 いや~オマエさんとてとていいゴブリンゴブな! ありがとサンキュー愛しているゴブ!」

 

 ゴブスレニクスはボイルドエッグを受け取って、前へ進んだ。進んだ先にいたのはやはりマスクの上にマスクをした給養ゴブリンで、ゴブスレニクスにも見覚えのあるものを配っていた。

 

 少なくとも、見た目だけはゴブスレニクスが知っているモノだった。

 

「これは……チーズか?」

 

 給養ゴブリンに訊く。

 

「シューコォ……シューコォ……

 その通り いう通り ご明答 これはゴブリン秘伝の「ゴブリンチーズ」ゴブ

 ステキな匂いに ステキなお味 きっとオマエさんも夢中になるゴブ」

 

 しかしながらゴブスレニクスには、とてもじゃないが夢中になれそうな匂いはしなかった。ツンと刺激する腐臭がゴブスレニクスの鼻を貫く。

 

 配給はこれで終わりのようで、後は思い思いのドリンクをセルフで選ぶだけのようだった。独特な色と匂いのお茶や、赤黒い謎の液体、青白いボコボコした飲み物など、兎に角いっぱいある。どれもゴブスレニクスの舌には適しそうにもない。

 

 幸いにも「水」があったので、ゴブスレニクスはそれを側に備えてあった容器に入れた。水は信じられないくらいに冷たく、容器越しでもその冷気を感じ取れた。驚くべきことだが、飲料水は幾らでも飲めるようだ。

 

 食堂の席はゴブリンたちで埋め尽くされていて、ワイワイゴブゴブと仲睦まじげに会話を交わしている。

 

 ゴブスレニクスは一瞬立ち止まり、空いている席を探した。

 

「シュコォ……シュコォ……

 おーい おーい ゴブスレニクス! そうだそうだ こっちだゴブ~」

 

 一緒に食堂に来ていたゴブリンたちが、そう言って手招きしてくる。

 

 他に空いている席もなさそうだったので、ゴブスレニクスはフラフラとカレらの元へ向かった。

 

 ゴブスレニクスが席につくと、ゴブリンたちは思い思いに適当な祈りを捧げて、食べ始めた。ゴブスレニクスもそれを真似て、トレーに乗っている朝食らしき物体を食べ始めようとする。

 

「…………」

 

 マスクが邪魔で、上手く食べることができない。無理やりマスクの隙間から食べようとすると、隣のゴブリンがヤレヤレと様子で言ってきた。

 

「シュコォ……シュコォ……

 なんだなんだオマエさん その様子じゃ ゴブリン流の食べ方も知らないゴブか?」

「……すまない、そのようだ」

「まあまあ 謝ることはない そんなことはない

 オイラが教えてあげるから ちょっと真似してみるゴブ さあ! ()()ゴブ」

()()か?」

「いやいや ()()ゴブ!」

「……()()か?」

「おしい! ()()ゴブ!!」

「…………()()か?」

「おお! そうゴブ そうゴブ! オマエさん 中々に飲み込みが早いゴブな! それならスムーズに食べれるゴブでしょ?」

「ああ、そうだな」

 

 そんなわけでゴブリ流食事法マスターしたゴブスレニクスは、ゴブリンぽく食事を再開した。

 

 まずは「水」──乾ききった体に、冷えきった水が染み渡る。色だけではなくその味までも澄み切っているようだった。非常に美味い。こんなに美味い水を飲んだのは初めてだったかもしれない。記憶喪失だが。

 

 続いて「ボイルドエッグ」──普通の固茹で卵の味がした。ハードボイルドな感じがする。良質なタンパク質を摂取したからか、鋭気が戻ってくる気がした。

 

 次に「ゴーブミール」──ワナワナと震えるスプーンでそれをよそう。マジマジと見つめる。見つめて、意を決してそれを食べる。咀嚼。匂いの割には味はしなかった。無味だ。何の味もしない。

 

 最後に「ゴブリンチーズ」──記憶はないが、自分は乳製品に少し拘りがあるようだ、とゴブスレニクスは自己分析する。鼻が曲がるほどの恐ろしい臭いだが、もはや嗅覚は麻痺していた。食堂中に匂いが充満しているのだ。ゴクリと息を呑んで食す。

 

「こ、これは!?」

 

 確かに匂いは果てしないが、その分コクが段違いだった。

 

 思わずゴブスレニクスがガタッと立ち上がる。長身のカレが立ち上がると、食堂中のゴブリンの注目の的だった。

 

 ゴブリンたちが何だ何だっとゴブスレニクスを見つめる。そしてゴブリンたちの視線を集めるゴブスレニクスは、そのまま何も言わずスッと座った。一瞬間があったのち、何事もなかったかのように、ゴブリンたちの食事が再開される。それくらい衝撃的な「味」がした。

 

 思ったよりもイケるものだな……ゴブスレニクスは静かにそう思う。嗜好が一致するなら、やはり俺はゴブリンか? そんなことさえも考えてしまうゴブスレニクスであった。

 

「シュコォ……シュコォ……

 どうやらどうやらその様子 すっかりこっきり気に入ったみたいゴブね」

「“外ゴブリン”の口に合うか心配だったゴブが 杞憂だったみたいゴブ」

 

 黙々と平らげるゴブスレニクスを見て、ゴブリンたちはそう言った。

 

「その「外ゴブリン」というのは?」

「ああ オマエさんは記憶喪失だから忘れてしまってるのかもしれないが オマエさんは 森の外から来た「外ゴブリン」なのゴブよ」

「森の、外のから来た?」

「そうゴブ そうゴブ

 オマエさんは リトルシャイア初めての 「外から来たゴブリン」ゴブ 初ゴブリンゴブ」

「アンタたちとは違うのか?」

「全然そんなことはないゴブ! 確かに見た目はちょいと違うが ゴブたち一緒のゴブリンゴブ! みんな同じお仲間さん」

「……そうか」

 

 ゴブスレニクスはズズズッと「ゴーブミール」を啜って答えた。

 

「なんにせよどうにせよ 腹ごしらえが終わったら 一度「診療所」に行ってみるゴブ! きっとそこで オマエさんの「記憶喪失」をどうにかする方法も 見つかるゴブ!」

「……ああ、そうだといいな」

 

 もう一度ゴブスレニクスは「ゴーブミール」を啜った。全く味はしなかったが、思ったよりも美味いと感じた。

 

 

 

 

 




ゴブリンチーズ

 アルデニクスより伝えられたゴブリンたちの秘伝のチーズ。元々はアルデニクスが青年時代に所属していたとある「組織」によって開発されたものらしく、アルデニクスが異世界に来訪したと同時にリトルシャイアへと伝来した。

 その独特な風味とコクによりゴルダナルの文化ゴブリンたちを虜にし、アルデニクスがいた前の世界では、その調理法を巡って、幾度となく血みどろの戦いが繰り広げられたとか、いないとか。その中でも最も有名なのは、絶世の美女ゴブリン「ブレイフロクス」にまつわる逸話で、その物語の中にはかの有名な「光の戦士」すら登場する。

 ゴブリンチーズ調理法は、リトルシャイアでも門外不出の最重要ゴブリ機密となっており、ゴブリン的に非常に厳重な状態で情報管理されている。詳しいレシピを知るモノは、アルデニクスしかいないというのがもっぱらの噂だが、真相は不明。

 ゴブリンマスクですら貫通する独特の匂いと、脳天を直撃するが如くのコクが最大の特徴。一体何の「乳」でできているかは、もし万が一食した時のためにも、知らないほうがいい。

異邦の料理人の擦り切れたメモ帳より抜粋


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