ゴブリンマスクを被ってみれば、文明開化の音がする! 作:ゴブリンライター
「これは 心因性の記憶障害ゴブね」
白衣を身にまとい、ひときわ大きなモノクルサイトを、赤く、怪しく発光させているマッドマッディクスが、ゴブスレニクスにそう下した。
さながらマッドマッディクスの姿は、マッドサイエンティストのような風貌である。それもそのはず。かのマッドマッディクスは、その名が示す通り、リトルシャイア一のマッドなサイエンティストなのである。
「心因性?」
僅かな間があった後、ゴブスレニクスが問う。「記憶障害」という意味はなんとなく理解できるが、「心因性」という言葉は初耳だった。
「精神的ストレスや
おそらく きっとオマエさん 相当怖い目にあったゴブよ」
マッドマッディクスが両手をジタバタさせて答える。何かのジェスチャーぽくもないが、特に意味はなようだ。ゴブリンの伝統的な会話法である。
「治るのか?」
最も重要なことを、ゴブスレニクスが質問する。
「もちろん もちろん 治るゴブ!
脳波に異常はないないゴブし 認知症や解離性障害の疑いもないゴブよ!
極度の精神的ショックによる 一時的な記憶喪失だろうゴブから そのうち自然と治るゴブ!」
「……そうか」
そうゴブスレニクスは、吐き出すように小さく呟いた。
「シュコォ……シュコォ……
それでも これでも いろいろと 不安でしょう 心配でしょう
それなら これなら 提案が!
ヤるなら ヤるなら 催眠療法や薬物治療 あるあるゴブが いかがゴブ?
マッドマッディクス的には 是非とも被検体になってくれると ハッピー嬉しい ありがたいゴブ!」
そう言われてゴブスレニクスは、さっきから部屋の片隅にさり気なく置かれている、“怪しげな催眠道具”や“ボコボコ泡出すヤバめな薬品”をチラ見した。
もしかしなくとも、嫌な予感がする……。
ゴブスレニクスは再びマッドマッディクスと向き合うと、きっぱりとした口調で言った。
「いや、それは遠慮しておこう」
「シュコォ……シュコォ……
そうか そうか そうゴブか
上手くすれば ゴブリ医学の発展に 大きく大きく貢献できるチャンスだったゴブが 嫌と言うなら仕方がない 残念ゴブ」
マッドマッディクスが、心底残念そうなマスクをする。
そんな様子を見て、ゴブスレニクスは少しだけマッドマッディクスに悪いと思ったが、大部分のところでは、“懸命な判断だった”と思っていた。
「なんにせよ 日常生活を送る分には 全く支障はないゴブから
あんまり そんなに 焦らずに 長い目で治療していくゴブ
記憶喪失になったゴブリンは とてとてレアなケースゴブしね」
マッドマッディクスの知識欲に染まりきった赤いレンズが、ゴブスレニクスをジッと捉える。僅かに背筋がゾッとする感覚がした。
「シュコォ……シュコォ……
そういえば こういえば オマエさん 外から来たゴブリンだったゴブね?」
「……ああ、どうやらそのようだ」
記憶があやふやな上に、自分がゴブリンであることに違和感は有りまくりだったが、周りのゴブリンたちが言うには、どうにもそうらしい。
「ならオマエさん リトルシャイアは初めてゴブな?
ここには “働かざる者食うべからず” という「法」があるゴブ
記憶喪失といえども ここで暮らしていくなら 働かないとご飯は食べれないゴブ」
悠々自適でマイペースに見えるゴブリン社会といえども、ニートは断固として許さない主義なのであった。ゴブリン社会もそこそこ世知辛いのである。
とは言えども、リトルシャイアのゴブリンたちは生来より勤勉で、集団に対する奉仕精神が本能的に高いものだったので、殆どのゴブリンたちは、全くこの「法」を意識したことはなかった。
そんな中でも、数少ないおサボり精神を持つゴブリンでさえ、“より良い休息法を研究しているゴブ”、などというあからさまに怪しい名目でも、ギリギリ働いている認定されるので、カレらの基準は結構ガバガバなものだった。
何にせよ、リトルシャイアで生活するには、何らかの形で“働いて”、カレらの社会に“貢献”しなくてはならない。それがたとえ、記憶喪失中のゴブリンであっても、だ。
「シュコォ……シュコォ……
そんなワケで こんなワケで ゴブスレニクス
オマエさん なにか好きな「仕事」や「趣味」はないゴブか?」
マッドマッディクスの問いに、ゴブスレニクスは一瞬考え込む。しかし、考える必要などないことに直ぐ気付いた。
「ない……と思う。なにせ記憶がないものでな」
「そういえば そうだったゴブね なんとも記憶喪失ってのは 難儀なものゴブ
まあこの際 いい機会だと思って いろいろ試して 好きなコトを見つけてみるみるゴブ
最悪 マッドマッディクスの実験体……ゴブンゴブン ゴブが面倒みてやってもいいゴブ」
「いや、それは遠慮しておこう」
秒で断るゴブスレニクス。心底残念そうなマスクをして、マッドマッディクスはガッカリした。
「シュコォ……シュコォ……
そういうことなら とりあえず 今後のことは“コイツ”に相談するといいゴブ」
そう言うとマッドマッディクスが、おもむろにピコンっと三次元ディスプレイを起動してみせた。青白い光線が軌道を描き、空中に何か投影していく。はたして現れたのは、何処にでもいそうな至って平凡なゴブリンだった。
空間に映し出されたゴブリンが、ゴブスレニクスの目の前でクルクルと回旋している。
「彼は?」
ゴブスレニクスが仰ぎ見て訊いた。
「その名も この名も カレの名は “アルデニクス”というやつゴブ!」
「アルデニクス?」
「何かとゴブたちの世話を焼く まあ一種の相談役みたいなやつゴブ
大抵の困りごとは コイツに丸投げ……任せるのが ここの流儀ゴブ
きっと力になってくれるでゴブよ!」
投影されていた立体映像が、マッドマッディクスの「丸投げ」という言葉に反応したのか、「えっ!?」というリアクションをした。まるでこの場にいるかのようにリアルな反応だ。
「……そうか、わかった」
ビックリする3Dアルデニクスを華麗にスルーして、ゴブスレニクスは頷く。
「シュコォ……シュコォ……
それじゃあ マッドマッディクスは “ムキムキマッチョになる新薬開発” とかで忙しいゴブから お大事にゴブ~」
リトルシャイアの実質的な
さながら、アルデニクスが憧れる「光の戦士」のような仕事ぷりだ。
かの「光の戦士」にまつわる様々な逸話は──正に八面六臂に大活躍な、スーパーウルトラな逸話だ──話に聞くだけでは「スゴい」とか「立派だ」としか思えないものであったが、こうして我が身になって体験してみると、中々どうして大変である。
あっちでゴソゴソこっちでゴロゴロ、そっちもこっちもシッチャカメッチャカ、いそいそせわせわ忙しない。しかし、それでもアルデニクスは気にしない。大変だからって気にしない。憧れの光の戦士だって、きっとそう思ったに違いない。
そんなアルデニクスのところにやって来ましたは、何を隠そうゴブスレニクス。無口いえども無駄に存在感溢れるゴブスレニクスの気配に、素早く気づいたアルデニクスは、その姿を見るなり衝撃を受けた。
どどどどうしてこんなところにニンゲンさんが!? これはビックリたまげたな!
そう、それなりに世間に詳しいアルデニクスは、ゴブスレニクスの正体を、見事に一発で見破ってみせたのだ!
実はゴブスレニクスの正体は、ゴブリンではなく「人間」だったのだ! いわゆる、ゴブリンのような人間ってヤツである。エオルゼアを西へ東へ旅をして、“外”の世界をよく知るアルデニクスにしてみれば、ゴブスレニクスの正体を見破ることなど、朝メシ前だったのであった。もっとも、もう朝メシは食べてしまっていたので、朝メシ前ではないのだが……。
アルデニクスのところに来たゴブスレニクスは、どこからどう見ても鎧を着た「ヒューラン♂」だった。確かに着込んでいる装備は標準的なゴブリン装備に似てなくもないが、明らかに骨格が人間の“ソレ”である。一体全体、いつの間に紛れ込んでしまったのか。
「シュコォ……シュコォ……
オマエさん オマエさん このこのアルデニクスに ナニナニ何か 用ゴブか?」
とはいえ決して慌てることなく、慎重に言葉を選んでアルデニクスは問いかける。ニンゲンさんが紛れ込んでしまったのは由々しき事態だが、まだ慌てるような事態ではないし、時間ではないのだ。
「俺は、ゴブスレニクス……マッドマッディクスに、ここに行けと言われて来た。ここでアルデニクスというゴブリンに相談しろ、とな。アンタがアルデニクスで合っているか?」
「……そうゴブ そうゴブ そうゴブよ!
ゴブがアルデニクスで合ってるゴブよ!
さてさて ならなら ゴブゴブゴブ アルデニクスに相談とは いったい全体なんの相談ゴブ?」
ゴブスレニクスの見た目はどう見てもヒューラン♂だったが、見た目がヒューラン♂だからといって、アルデニクスは特に贔屓はしないゴブリンだった。
世界はとてとて広く、ゴブリン以外の種族もとてとていっぱいいる。むしろ全体から見れば、ゴブリン族はまだまだとてとて少数派だろう。そのことを、世界中を旅してきたアルデニクスは、良く良く理解していた。
だから、どう見ても人間であるゴブスレニクスにも、いつもと変わらぬ姿勢で対応する。
ゴブスレニクスがなにゆえここまで迷い込んでしまったのかは、まだ分からない。しかし、どうやらお手製のゴブリン装備を身にまとっているようだし、名前の雰囲気もゴブリンぽかったから、きっと志を共にする「同志」なのだろう、とアルデニクスはこっそり得心した。
彼の地──リトルシャイアのモデルにもなった──「イディルシャイア」でも、こういったことは良く良くある話だったし、まあギリセーフだろう。
「どうやら俺は、記憶喪失らしい」
突然の衝撃発言に、アルデニクスはびっくらこいたリアクションをした。まさかまさかの初手爆弾発言である。
「あれま それは 一大事! いったいナゼナゼそんなことに!?」
「分からない。マッドマッディクスには、“心因性の記憶障害”と言われたが……」
そう言われただけで、エオルゼアの冒険者でもあるアルデニクスは、大体のことをまるっと察した。エオルゼアでの冒険者稼業において、察しが良いことは必須技能である。察しが良くなければ、到底生き残ることはできない。ましてや、何かと言葉を省きがちなゴブリン族なら、なおさらである。
「なるほど なるほど そうゴブか
それなら これなら 分かったゴブ
このアルデニクスが オマエさんの力になるなるゴブよ!」
そう言ってアルデニクスが力強く手足をバタバタさせた。その頼もし気な発言に、ゴブスレニクスといえども少しばかりは勇気付けられたし、ほっと一安心したのもまた事実だった。
あやふやな過去に拭いきれぬ違和感。ゴブリンたちが矢鱈と親切で友好的だったお蔭でパニックになることはなかったが、不安なものは不安で仕方なかったのが正直なところなのである。
「俺は、森の外から来た……ようだ」
「ほうほう ほうほう そうゴブか」
納得といった感じで頷くアルデニクス。
森の“外”から来たならまだしも、森の“中”から来たとしたら、それはとてとてえらいこっちゃな事態である。危うくネオ・ファウストの防衛アルゴリズムが、大改修に迫られるところだった。
ゴブスレニクスの話は続く。
「……どうやら俺は記憶喪失らしい」
「さっきも聞いたゴブが そのようゴブね 大変ゴブ」
「……それで、記憶を取り戻したいと思っている」
「それはそれは 当然の成り行きゴブな」
「だがマッドマッディクスに拠れば、記憶は時間が経てば自然と戻るそうだ」
「おお それは良かったゴブ! とててな朗報ゴブな!」
我がことのように喜ぶアルデニクスを見て、ゴブスレニクスは静かに頷いた。
「……それで、記憶が戻るまでの間、どうすればいいのか、身の振り方を教えてほしい」
「そうか そうか そういうことゴブか
さてさて オマエさん 「名」は ゴブスレニクスでよかったゴブな?」
「そうだ、俺はゴブリンスレイ……いや、ゴブスレニクスだ」
何を言いかけたゴブ? とアルデニクスは内心思ったが、空気を読んで野暮なツッコミは止めておいた。空気を読むことも冒険者の必須技能であるし、特に、アルデニクスは空気の読めるゴブリンを自称していた。
「それなら これなら ゴブスレニクス オマエさんに いくつか質問ゴブ
オマエさん ここで暫く リトルシャイアで暮らしてみるゴブ?」
首を傾げて訊くアルデニクス。短期でも長期でも相応の“仕事”はあるが、確認しておくことに越したことはない。
「できればそうしたいと思っている。行く宛ても、今のところはないからな……」
「なるほど なるほど それは これは 大歓迎ゴブ!
リトルシャイアにも良い刺激になるゴブから! ゴブスレニクス 大歓迎ゴブ!」
「そ、そうか」
何やら大歓迎な様子のアルデニクスを見て、ゴブスレニクスはなんだか不思議な気持ちになった。嬉しいような恥ずかしいような……もしかすると、これまで碌に歓迎されない人生……いやゴブ生を送ってきたのかもしれない。
さてさてそんなことはお構いなしに、アルデニクスはジタバタと話を続ける。
「それなら これなら ゴブスレニクス
オマエさん 「好きなこと」や「得意なこと」はあるあるゴブか?」
マッドマッディクスにも訊かれたが、改めて言われてゴブスレニクスは考えた。腕を組んで考えた。霞んだ記憶の中を模索して、“何が好き”で、“何が得意”だったのかを、今一度思い出そうとした。
しかし──
「……分からない」
答えはさっぱり浮かんでこない。ゴブスレニクスの記憶の中は、いまだ空っぽのままだった。
「……そうゴブか」
少しだけ悲しそうなマスクをしたゴブスレニクスを見て、アルデニクスがそう慰めるように言う。
「けれでも それでも 心配するな!
分からないなら見つければイイ! 見つからないなら探せばイイ! 空っぽなら埋めればイイ!
今はなんにもなくっても いつか分かるさ“大切なモノ”!」
アルデニクスの励ましに、ゴブスレニクスは勇気付けられのか力強く頷いた。
「ああ、そうだな」
「シュコォ……シュコォ……
そういう こういうわけだから ゴブスレニクス ここで色々体験してみるゴブ!
そうすりゃそのうち“好きなこと”も “得意なこと”も分かるゴブ! そうすりゃきっと 記憶も思い出も キレイさっぱり元通りゴブ!」
斯くして、記憶喪失のゴブスレニクスによる、楽しい楽しいゴブリン職場体験が、始まることとなった。
ゴブスレニクスは寡黙だが誠実な性格だったようで、どんな仕事でも真面目にこなし、どんな趣味でも興味を示して、とてとて良く働いた。
ゴブスレニクスの「防護服」の性能はそれなりで、ハッキリ言ってしまえばイマイチだったが、その標準よりも遥かに大きすぎる体格を十分に活かして、運搬作業や採掘作業などの力仕事も、難なくこなしてみせた。
そんな精力的に働くゴブスレニクスのことを、ゴブリンたちは微笑ましく見守り、幾ばくもしない内に、ゴブスレニクスはリトルシャイアに受け入れられていった。
そんな新参ゴブリンのゴブスレニクスに、リトルシャイアのゴブリンたちは良く世話を焼いた。特に真っ先に世話を焼かれたのは、ゴブスレニクスの「防護服」である。
素材も性能も貧弱すぎるゴブスレニクスの「防護服」は、ゴブリンたちからしてみれば危なっかしいの一言で、何をするにしてもゴブリンたちをどぎまぎさせた。
それなので、ゴブリンたちは「ゴブたちでゴブスレニクスの「防護服」をなんとかかんとかしてあげるゴブ!」ということになって、そんなこんなでゴブスレニクスの「防護服」は、ゴブリンたちによって魔改造が図られることになったのである。
「シュコォ……シュコォ……
というわけゴブから ゴブスレニクス
何か何か リクエスト あるあるゴブか?」
「このまま、という選択肢は──」
「ないないゴブよ!」
「……そうか」
ゴブスレニクスは謙虚なのか、あるいは自身の装備に無頓着過ぎるのか、どういうワケかゴブリンたちの提案を頑なに拒否しようとしたが、やる気その気元気になったゴブリンたちの暴走を止められるほどではなく、最終的には折れる形になった。
あれも、これも、それも、どれも……終いにはドンドン悪ノリし始めて、そのあまりにもアレな性能に、ゴブスレニクスは“敵に奪われた場合の危険性について云々カンヌン”と力説を述べて改めて固辞しようしたが、「生体認証システムにおける盗難防止機能」とかいう意味不明な説明を受けて、見事に轟沈した。
斯くして、ゴブスレニクスの「防護服」は、見た目こそ全く変化はないが、もはや別の“何か”に変態した。
「シュコォ……シュコォ……
──そんなワケで 以上で「真・防護服」の機能説明を終わるゴブが 何か質問あるあるゴブか?」
「……いや、ない」
とはいえ、それをゴブスレニクスが使いこなせるかどうかは、別問題である。
リトルシャイアのゴブリンたちには、各々に「個室」が与えられていて、もちろんゴブスレニクスにも「個室」があてがわれていた。
ゴブリンたちの「個室」には、生体認証で入る扉以外には、出入り口と呼べるものは全くなく、容易に中の様子は窺えないようにできている。それは、「素顔」に関して強烈な忌避感を持つ、ゴブリン族ならではの風習からであり、「個室」は、厳重なまでにセキュリティーが敷かれ、プライバシーが確保されていた。
新参ゴブリンであり、数少ない外ゴブリンだと思われているゴブスレニクスは、想像以上に注目の的であり、さらには防護服の一件で、それなりに人気者になっていたためか、ゴブスレニクスが一人になれるのは、その「個室」に入っている時だけだった。
ゴブスレニクスにとって、一人になれる時間が少ないのは、なんともむず痒く、複雑な気分にさせるものだったが、決して悪いモノとも感じなかった。
記憶は掠れてしまっていて、まだ思い出すことはできないが、ゴブスレニクスはずっと一人ぼっちでいた気がする。
僅かに浮かんでくる思い出の中に友達はなく、もちろん、その中に仲間と呼べる者もいない。それは、ただ単に記憶喪失のせいなのかもしれないが、それだけが原因ではない、とゴブスレニクスは感じていた。
それに対してここリトルシャイアでは、共に働くゴブリンたちに溢れ、仲間も多く、友達も、もしかしたら出来たのかもしれない。四六時中一緒にいるカレらは、こんな風に言うのは気恥ずかしいが、もしかするとこれが、家族と呼べるものなのかもしれない、とゴブスレニクスは思うようにまでになっていた。
ゴブリンたちは仲間意識が高いながらも、プライバシーというものを大切にしていた。厳重なセキュリティーを誇る「個室」の存在もそうだが、決して「素顔」というものを詮索しようとはしないという部分に、それが良く現れているだろう。
ゴブスレニクスにとってそれは、とても新鮮な感覚だった。
“前にいた場所”では、ゴブスレニクスのマスクは何かにつけて脱がされそうになるモノで、「素顔」は常に危機に晒されているものだった。みんながみんなゴブスレニクスの素顔が気になって、ことあるごとに覗き見しようとしていたのだ。
ゴブスレニクスがそのことをゴブリンたちに話すと、カレらは口々に「なんて鬼畜な所業なんだゴブ!」と憤った。ゴブリンたちにとって、素顔を探ろうとするのは、万死に値する極罪なのだ。
別にゴブスレニクスにとっては、素顔を詮索されることは、そこまで嫌なことだとは思っていなかったが、ゴブリンたちの反応ももっともだと思っていて、そしてどちらかといえば、下手な詮索をしないゴブリンたちの方が、より好ましいとさえ感じていた。
リトルシャイアの生活は、ゴブスレニクスとって充実したモノで、心地よいものですらあった。夜、安心してぐっすり眠れたのは、とても久々なことだった気がする。
ここにはやるべき“仕事”がいくらでもあり、興味深い“趣味”がいくらでもあった。前いた場所では、やるべき事は“一つ”しかなかった。いや、
またゴブリンたちは、“学び教える”ということに至上の喜びを見出しており、新入りゴブリンであるゴブスレニクスに対しても、積極的に教育を行ってくれた。
医学、薬学、農学、錬鉄術、数学、物理学、機工学、ゴブリ科学などに代表される一般学問から、錬金術、魔術、魔法、魔科学などの神秘学、音楽、美術、文学などのゴブリ芸術……多くの場合は、ゴブスレニクスには高度すぎて、一朝一夕では理解できない内容ばかりだったが、実践的な部分に関しては、ゴブスレニクスはよく学び、よく習得した。
ゴブリ火薬の調合や使用法、「青燐水」という燃える水、そしてその利用法、ゴブリタンクなどの乗り物の操縦法などが主な“ソレ”だ。
現在リトルシャイアでは、中心部にある古代遺跡である「リトルシャイア城」の改修工事が急ピッチで進められており、それゆえゴブスレニクスの成長はとてとてみんなに歓迎された。働き盛りのゴブリンは、いくらでも必要だったのだ。
リトルシャイア城の改修工事には、働きゴブリンも趣味ゴブリンも一丸となって作業に参加していて、これまでにない一大事業となっていた。
リトルシャイア城は古い建物でもあるせいか、「城」というよりは小さな「塔」のようにしか見えないショボイものだったが、ゴルダナルのゴブリンたちにとってこの城は、「最初の家」であり「文明発祥の地」でもあったので、とてとて大切にされて親しまれていたのだ。
リトルシャイアの住民の一員として、ゴブスレニクスもこの名誉ある仕事に率先して参加し、とてとて真摯に作業した。
そうしてこうして、リトルシャイアでの日々は過ぎ去っていき、空っぽだったゴブスレニクスにも、“好きなもの”や“得意なもの”ができていった。いやもしかすると、ただ単に思い出してきただけなのかもしれないが……。
ゴブスレニクスは主に力仕事や農作業など、体を使う仕事を良く好んだ。また、研究者基質なのか知識の習得に貪欲で、良くベテランのゴブリンたちに質問したり、自ら実験を行ったりもしていた。趣味に関しても、どうやら「謎かけ」に関心があるらしく、良くゴブリンたちに謎かけを出して四苦八苦させていた。
だが、その中でも特に積極的だったのは、「ミートイートミート」に棲む家畜たちの世話で、もう滅多に外敵など出なくなったというのに、毎日律儀に夜明けとともに牧場の見回りをして、破損した柵がないか調べたり、外敵の足跡がないか探すなど、まるで生来の仕事であったかのように、熱心に取り組んだ。
「こうして牧場の仕事をしていると、なぜだか心が落ち着く……」
ちょうど様子を見に来ていたアルデニクスに、ゴブスレニクスはそう吐露した。
そんなゴブスレニクスをマジマジと見て、アルデニクスが言う。
「シュコォ……シュコォ……
もしかするとオマエさん 外の世界では 牧場とかで 働いていたのかもしれんゴブ
とてとて手付きが 慣れてるゴブ」
「そうか?」
「そうゴブ そうゴブ!
筆頭管理ゴブリンのシェパーラポクスも えらく褒めてたゴブ!
“ゴブスレニクスは 生まれついての畜産家ゴブな”って!」
「……そうか」
言葉は濁したが、言われて悪い気持ちはしなかった。
穏やかな風が吹き、木々が揺れる。実に長閑な雰囲気だった。どこか懐かしい、不思議な気持ちがする。
もしかすると本当に、ゴブスレニクスはかつて牧場で働いていたのかもしれない。もしくは牧場に住んでいたか……。
「それにしても、ここには「牛」はいないのだな」
牧場を眺めながら、ゴブスレニクスはふとそう言った。
ゴブリンたちの牧場には、山羊や羊、豚、兎、鶏、養蜂、はてはウルフやラプトルなどの魔獣も飼われていたが、唯一「牛」だけはいなかった。
「シュコォ……シュコォ……
ゴルダナル大森林 色々な獣 色んな魔物 いっぱいたくさん棲んでたゴブが
けれでも けれでも モーモー 牛だけは見つからなかったゴブ 残念無念また来世ゴブ
ゴブスレニクスは 牛のコト 知ってるゴブか?」
「ああ、良く世話をしていた……と思う」
ゴブスレニクスにとって「牛」は、とてとて慣れ親しんだ家畜だったようだ。牛の乳で作ったチーズとシチュー……思い出の中にある、とても優しく懐かしい味。ゴブスレニクスはそれが大好物だった。
「シュコォ……シュコォ……
それならこれなら 今度クックノックスに頼んで 作ってもらうといいゴブ
牛の乳はないけれど 他の乳でいいのなら レシピさえあれば クックノックスなら作ってくれるゴブ」
「そうか? では、期待しておこう」
ゴブリンたちの料理は、多くのものが無味乾燥で味気ないものや、独特すぎて得体の知れないものが多かったが、乳製品に関しては、ゴブスレニクスの口にまあまあ合っていた。中でもゴブリンチーズなどは、時折、禁断症状が出てしまうほどに大ヒットである。
しかし、そうは言ってもその他の食品に関しては、残念過ぎる場合が殆どで、ただのゴブリンにとってはそうでもなかったが、ゴブスレニクスにとってみれば要改善事項であった。あまり食事に頓着しないゴブスレニクスであっても、だ。
そういったワケで、早速アルデニクスのアドバイスを実行に移したゴブスレニクスは、なんとか思い出したレシピをクックノックスに伝えると、少しだけヴァリエーション豊かな食事が出されるようになった。
ゴブスレニクスの食事事情が、多少なりとも改善された瞬間である。
このように、ゴブスレニクスがゴブリンたちの知識を吸収する傍ら、ゴブスレニクスの持つ知識も、少しづつではあるがリトルシャイアの中に浸透していった。外の世界に興味津々なゴブリンたちは、よくよくゴブスレニクスの言葉に耳を傾け、積極的に自らの文化に吸収していったのだ。
ゴブスレニクスの持つ知識は、多くの場合、既存のものであることが多かったが、「古きを知り 新しきを知る」を合言葉に、ゴブリンたちは決して無碍にはしなかった。
そうやって新たに取り入れられた知識や技術は、「外界風」とか「ゴブスレ流」などとも呼ばれ、リトルシャイアのゴブリンたちに慣れ親しまれていった。
ゴブゴブ言わない「外界風」の喋り言葉や、あまり派手でない古風な見た目のマスクと防護服──ゴブ並外れた身長や、ゴブリンらしからぬ寡黙な性格も相まって──ゴブスレニクスは一躍リトルシャイアの人気者に躍り出ることとなる。
リトルシャイアのゴブリンたちは、どうにかこうにか「ゴブゴブ」言わない喋り方をマスターしようとしたり(しかし、当然ながらどう頑張ってもゴブゴブ言ってしまうサガだった)、わざわざ見た目を古風なマスクと防護服に換装したり、若者ゴブリンたちを中心にして、ゴブリンたちはこぞってゴブスレニクスの真似をしようといった。
なんやかんやで、ゴブスレ流の一大ブームの幕開けである。
渦中のゴブリンであるゴブスレニクスは、当然ながら、空前の人気者となり、少しばかり口数が少な目のゴブスレニクスであっても、そんなことはお構いなしに、ゴブリンたちは良く良く話しかけた。
あれこれ、それこれ、どここれ、そここれ……主に訊かれたのは、やっぱりゴブスレニクスの「記憶」に関することで、外の世界に並々ならぬ関心を持つゴブリンは、ゴブがゴブがと我先に話を聞いた。
少しだけ思い出してきた記憶を頼りに、ゴブスレニクスは静かに語った。
「……多分俺は、牧場に住んでいた。そこには多くの牛がいて、毎日の食事はその牛の乳や肉を食べていた」
「ほぇええ 外の世界もゴブたちと あんまりそんなに 変わらんゴブのね~」
「ゴブゴブ 外の世界の牧場はどんなだったゴブか?
やっぱり完全自動式で ライン工のごとく管理されてたゴブか?」
「いや、ここよりももっと古くて、昔ながらと言うべき牧場だったと思う。視界の果てまで牧場が広がっていて、木でできた柵があり、その中に家畜がいて、牧草を食べる。俺は主に、その修理保全を行っていた……と思う」
ゴブスレニクスの話に、ゴブリンは盛りに盛り上がった。
「ゴブゥゥ そうなのか そうなのか
それなら これなら 牧場は オマエさんだけで 管理していたゴブか?」
「……分からない。ただ、ここのようにハーベストドールの手を借りていたワケではないと思う」
ハーベストドールとは、パンツァードールを農作業用に改良した、非戦闘用機械人形のことだ。
「シュゴォォォ……
そこらへんは ちょっとちょっと 遅れているゴブのかね」
「シュコォ……シュコォ……
それは それは 当然のことゴブ!
なにせ なにせ 外の世界とは あの「見習い冒険者」級が跋扈する 混沌の地ゴブよ!
きっとゴブたちみたいな テクノロジーに頼らなくても やっていけるんだゴブ!
な! ゴブスレニクス!」
「……すまん、どうだったのかは、よく思い出せない」
少なくとも、ハーベスドールのような機械人形はなかったと思われる。
ゴブスレニクスは、更に記憶を探った。
「……確か、俺以外にも誰かがいたはずだ……赤い髪をした……「誰か」……そして、それと一緒にいる、「誰か」が……」
だがその顔も名前も、日差しに照らされた「影」のようになっていて、思い出すことができない。とても大切な誰かだったはずなのに、忘れてはいけない大切なヒトだったはずなのに、思い出すことができない。
「シュコォ……シュコォ……
ここにきて そこにきて まさかの“赤毛”とは
きっとゴブスレニクスは その鬼のような赤毛に こき使われていたに違いないゴブ!」
ゴブリンたちにとって、「赤毛」は鬼門だった。「赤毛」は色々な意味で不吉の象徴だ。良いことにしろ、悪いことにしろ、碌なもんじゃない。
「……そうなのか?」
ゴブスレニクスは首を傾げた。
ゴブリンに「赤毛」が忌み嫌われていたとは、初耳だ。ゴブスレニクス的には、「赤毛」には良い印象しかなかった。とても優しい、安らぐ印象だ。
「きっと そうゴブ! そうゴブ!
きっと きっと ゴブスレニクスは
そこで受けてた ヒドいヒドい仕打ちに もうマヂ無理 耐えきれず
どうにか こうにか 命からがら 飛び出して 自由奔放 出奔 逃奔!
ほうほう体で逃げ落ちた その先 この先 あの先が
ここそこ そこここ リトルシャイアだったゴブ!
記憶を失ってしまったのは きっと その悪しき過去を忘れ去るため そして 安堵感からゴブな!」
「……そう、なのか?」
熱弁するゴブリンの気迫に若干引きつつも、ゴブスレニクスは真面目に受け答えした。
「シュコォ……シュコォ……
そんな冗談はさておいて 消えてしまった記憶の片隅にいるということは
きっと きっと ゴブスレニクスにとって “大切なヒト”だったに違いないゴブ!」
同席していたアルデニクスが、“大切なヒト”という部分をさり気なく強調して、おもむろに言った。上手いこと誘導して、ゴブスレニクスが記憶を思い出すのを手助けをしてあげようという、アルデニクスなりのゴブ心からだった。
「大切な……か」
「それなら これなら もしかすると
その赤毛は ゴブスレニクスの
若者ゴブリンが、茶化すように言う。
「番?」
「恋人とか 結婚相手とか そんなステキな相手のことだゴブ
ゴブスレニクス オマエさん ニンゲンを番にするだなんて 命知らずというか 隅に置けないやつゴブね!」
他の若者ゴブリンが、そう鼻息荒く付け加えた。
「赤毛を番とか パネェゴブ!」
「ゴブスレニクス パネェやつゴブ!」
ジタバタと興奮した様子で言うゴブリンたち。
「モテモテ ゴブスレニクス 羨まけしからんゴブ
ちょっとや そっとくらい ゴブたち非モテゴブリンにも 分けてほしいゴブ」
一躍時のゴブリンとなっていたゴブスレニクスは、その個性的な見た目も相まって、中々にモテモテのゴブリンだった。なんでも、物静かでクールな感じが、今どきのゴブリン娘にウケウケらしい。ちなみに、クールなゴブリンも物静かなゴブリンも、本来なら存在しえない。
「別に俺はモテたいわけでは……」
「カーッ! やっぱりモテるゴブリンは 言うことが違うゴブね!?」
嫉妬に憤怒する若者ゴブリンたち。とはいえ本気で言っているワケでもなく、一通り愚痴をこぼし終えると、誰ともなくゴブゴブと笑い出した。
ゴブスレニクスに番がいるらしいということは、まだまだ一人身の独身ゴブリン♂には朗報だったし、密かにゴブスレニクスに想いを寄せていた独身ゴブリン♀には悲報だった。
ちなみにアルデニクスは未だに独身ゴブリン♂の筆頭ゴブリンだった。なぜだ……リトルシャイアでも最古参のゴブリンだというのに……。
ゴブリンたちが笑い合う中、ふとゴブスレニクスは物思いに耽った。
記憶の片隅にいる「誰か」
今にも泣き出しそうな顔をした「誰か」
赤い色の、長い髪の「キミ」
大切な「ヒト」
もしかするとソレを思い出せば、自分が何者だったのか、思い出せるかもしれない。
リトルシャイアに来て、ゴブスレニクスは優しさを知った。温もりを知った。安らぎを知った。
リトルシャイアのゴブリンたちは、気の良いヤツらだった。少なくとも、“今”のゴブスレニクスにはそう感じられた。
こんなにも多くの“誰か”と食事を共にし、こんなにも多くの“誰か”と一緒に働いたのは、初めてのことだった。
霞む記憶の中では確証はないが、それでも確かにそうだった。
彼らゴブリンたちは、口下手なゴブスレニクスにも気軽に声をかけてくれた。
打算や下心ない親切。いや、そもそも彼らは親切だとも思ってない。極々自然に、まるで十年来の親友であるのように、ゴブスレニクスに接してくれた。
それが嬉しかった。
ゴブスレニクスはずっと孤独だった。
誰かの優しさに触れただとか、誰かの温もりに包まれたとかいうのは、記憶喪失以前に皆無だった。
ずっと一人ぼっちで生きてきた。
孤独こそがカレの生き方だった。
いや、本当にそうだったか?
本当に一人ぼっちだったのか?
ゴブ──────はずっと一人だったのか?
いや、決してそんなことはなかったはずだ。
記憶の片隅にいる「誰か」
そして、それよりもずっとずっと昔にいた、とっても優しかった「あのヒト」
誰よりも優しくて、誰よりも偉大だったあのヒト。
ゴブスレニクスが一番好きだったあのヒト。
もうどこにもいないあのヒト。
だってもう、あの人は「ヤツら」に──あの醜くて、薄汚くて、卑猥で、憎たらしい「ヤツら」に……
あの「
そこで、目を覚ました。
警鐘が鳴り響き、遠くの方から炸裂音が聞こえる。
ゴブリンたちが騒がしい。嫌な予感がする。
「なにがあった!?」
個室を飛び出て、近くを通りかかったゴブリンに問う。
「シュコォ! シュコォ!
なにもなにも 緊急事態ゴブ! 緊急事態ゴブ!」
「緊急事態?」
「そう! ヤツの来襲ゴブ! 見習い冒険者のお出ましゴブ!」
『リトルシャイア城』
リトルシャイアの中心に立つ、小さな「塔」。ゴルディオン闘技場やゴルダナル大石碑などに並ぶ、リトルシャイアの三大ランドマークとして、ゴブリンたちに親しまれている。
リトルシャイア城は、ゴブリン文明の発祥の地であり、ゴブリンたちの最初の家でもあった。元々は古ぼけた古代遺跡でしかなく、雨露を凌ぐために、原始ゴブリンたちが利用していたものが、現在でも残されているのである。
その後、ゴブリンの文明開化と共に、リトルシャイア城は都市発展の中心地となった。
そのため、「リトルシャイア」はリトルシャイア城を中心にして発展しており、主な代表的な建築物としては、リトルシャイア城を背にして右手側に「ゴルディオン闘技場」、左手側に対見習い冒険者用に開発された「ミダースウェイ」などがある。
リトルシャイア城は、一見しただけではただの小さな「塔」のようにしか見えないが、実際には地下に巨大遺跡が埋まっており、全体像を鑑みれば、「城」と呼称しても差し支えない規模になる。
そんな歴史あるリトルシャイア城であるが、長年増改築を繰り返されていて、現在でも、ゴブリン総員による改修工事が行われている真っ最中だ。
さらなる近代化に期待が寄せられる。