ホームルームが終了し、担任の釈放宣言と共に放課後が訪れた。
クラスメイト達がガヤガヤと賑やかに教室を後にしはじめる中、いつもなら真っ先に教室を出て行く筈の裕太が、今日は珍しく机に頬杖をついたままぼんやりと窓の外を眺め続けている。
クラスメイト達がそんな彼を面白がって「あれは恋する乙女の目ですわー」なんて笑っていたが、実際の所は当たらずも遠からじと言ったところか。もっとも、頭の中に浮かんでいる姿は女の子の華やかさとは真逆を行くものであったが。
二階の教室から見えるのは、体育の授業で野球を行っていたあのグラウンドだ。
ちらほらと運動部に入っている生徒達の姿が現れはじめるが、もちろんあの時の特撮ヒーローめいた人物──グリッドマンだったか──の姿は見えるはずも無い。
あの授業の後からずっと、裕太の頭の中ではあのグリッドマンの姿と声がグルグルとリピート再生を繰り返している。
──果たして、あれは一体なんだったのだろうか?
この世に未練を残した地縛霊説、古代文明人の復活説、火星人の侵略説等々etc.
様々な仮説が裕太の脳内に沸き起こってくるが、自身の発想ながらどれも全く信じる気になれない説ばかりだった。
「うあー……自分でバカだバカだとは思っていたけど……まさか幻覚まで見るようになったって言うのか?」
裕太は頭を抱えると苦悶の声を上げながら、両手でグシャグシャと自身の紅みがかった髪をかき回す。
頭が悪いのは勉強しないせいで、頑張れば人並みにやる事もできる。
落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない。
……そう信じる事で今まで力強く健気に生きてきた裕太だったが、自身の頭がポンコツだとなると話はだいぶ変わってくる。名誉を挽回する事も、汚名を返上する事もできないとなると、回避のしようもなく人生が詰んでしまう。
「……いや、まてまてまて。アレが幻覚で、俺の頭がポンコツだと結論付けるのはまだまだ早いよな! なにか、なにかトリックがあるに違いない……!」
推理小説の名探偵ばりに顔を引き締める裕太。
そして、ゆっくりと目を閉じると、もう一度グリッドマンの姿を思い出してみる。
そこに何か手がかりになるようなものがあるに違いないと信じて。
少年の脳内にモヤモヤとビジョンが浮かび上がる。
……そして、それは一瞬にして霧散した。
「ひゃん!?」
暗闇に覆われた視界の中、頬に触れるひんやりとした感触。
突然の事に裕太は思わず素っ頓狂な声を上げて、びくりと身を震わせた。
その冷たいモノが誰かの『指』だと認識した瞬間──プニニッと自身の頬が左右へと引っ張られる。
「あははー。ヘンな顔だー」
「…………あのさぁ」
自分を笑う聞きなれた声に相手が誰かを理解した裕太は、目を瞑ったままに非難の声を上げ。
そして、今度はゆっくりとその目を開くと、目の前の人物を憮然とした表情で見やる。
裕太の視線の先──そこには喜色を帯びた顔で彼を見つめる少女の姿があった。
「あは。ごめんごめん。あんまり無防備に目を瞑ってるもんだからさ、ついついーって感じ」
「お前は目を瞑ってる人間を見たら、ついついそいつの頬を引っ張るのか……アカネ」
「まっさか。そんな事するわけないでしょ? 私が引っ張るのはユータ君のほっぺだけ☆」
誰でも彼でもいいってわけじゃないんだよ、とばかりに。
少女は真面目な表情を一瞬だけ浮かべ、すぐにコロコロと笑って見せた。
男であれば……いや、男でなくても口許を緩めてしまうような愛らしい笑顔。
しかし、それを向けられている筈の裕太は、顔面に張り付けていた渋面をさらに濃くし。そして、ちょっぴりとだけ拗ねた様に口を尖らせてから、再び窓の外へと視線を投げやった。
彼女の名前は新条アカネ。
裕太にとってはクラスメイトで、隣の席に座って授業を受ける女の子──と言うだけでなく。
保育園の頃から付き合いがある、いわゆる『幼馴染み』と言うやつだ。
「ま、それは良いとして。……なにかあったの、ユータ君? 一日中、ずっと窓の外ばっかり見て」
「良くないよ。………あぁ、いや……なにかあったかと言われれば、なにかあったんだけど……なにもなかったと言えばなにもなかったと言うか……」
「え、なになに? ……それって、なぞなぞ? 哲学?」
なんでだよ。──そう言い返しそうになった裕太であったが、ぐむむっと口をつぐむ。
「じゃ、なんなのよ」と問われれば、裕太も返す言葉が見つからないからだ。
要領を全く得ない裕太の言葉を受けて。
アカネは自身の顎先へその白い指を添えると首を傾げるようにして、彼の言葉の真意について考え始めた様子であった。
……昔っからの付き合いながら、いちいち動作が絵になるヤツだ、と。
その姿を横目で眺めながら、裕太は静かに高鳴った胸の鼓動に、ほんの少しだけ頬を赤くさせた。
新条アカネは文句のつけようがない美少女である。
裕太の友人の弁を借りるならば『才色兼備才貌両全の最強女子』とまで評される程で、しかもそれが誇張でも何でもなく、幼馴染みである裕太ですらその点に関しては頷くほかないというのだから恐れ入る。
もっとも、そのせいで高校に入学したての頃には大いに苦労もさせられた。『校内一の美少女である新条アカネとクラスメイトで席が隣で幼馴染み』という傍から見れば『幸せの天和アガリ』な境遇から、クラスの男子達に様々な尋問を受けるという受難の日々もあったのだ。それもあって、裕太はいまいち素直に自身の境遇を手放しで喜んだりなどできないのだが……それで早々に男子連中とは打ち解ける事が出来たのだから「アカネちゃん様々」と言ったところで、やはり落ち着くのだろうか。
「──わかんないなぁ…………あっ」
「……どうしたんだ?」
裕太の吐き出した難問にうんうんと難しそうな顔で唸るアカネ。
しかし、ややあって。
「思い出したんだけど」とばかりの声を零すと顔を上げ、目の前に座る裕太の顔を覗き込む。
さらり、と。
涼やかな音を立てて、アカネの薄紫色の髪が彼女の肩を流れた。
アメジストにも似た澄んだ瞳が、裕太の顔をじっと見つめる。
「クラスの男の子達がさー、裕太が恋煩いしてるーなんて言ってたけど…………もしかして、そゆこと?」
「……はい?」
今度は裕太の方が、アカネの言葉に難しい顔をする番だった。
そして、すぐに小さく吹き出すと破顔する。
「何を言い出すかと思えば……俺が誰に恋煩いするって──」
「宝多 六花──」
裕太の言葉を遮る様な勢いで、自身の言葉を重ねてくるアカネ。
いつにない彼女の迫力に、裕太はきょとんとした表情になりつつも、ごくりと息を呑む。
なんだか不機嫌そうに見えるのは自身の思い違いだろうか? ……とはいえ、今の間に自身がアカネの機嫌を損ねる様な事をしたか思い当たる節もなく、裕太は次の言葉を探しながらアカネの瞳を見つめる。
見つめ合ったまま。
何故か生まれた無言の時間が、二人の間に横たわる。
「──……だったりしてー? 男の子に人気あるからなー、六花ってさ」
いったい、どれだけの時間が経過したのか。
傍から見ればほんの少しの間だったのだろうが、裕太にとっては5分にも10分にも感じられる長い長い沈黙。
それを先に破ったのは、アカネの茶化した様な言葉だった。同時にアカネの雰囲気も一気に弛緩して、元のゆるやかさを纏い始める。
……よく分からないが機嫌は元に戻ったらしい、と。
裕太もホッと胸を撫で下ろす。
「……それこそ、あるわけないだろ。接点だってそんなにないのに」
宝多 六花と言えば、裕太にとってはアカネと同じくクラスメイトの女の子だ。
……しかし、それに付け加えて幼馴染みであるアカネとは違って、六花と裕太の関係と言えばそんな程度でしかない。
座っている席だって教室のほぼ対角同士で離れているし、学校ではお互いに朝の挨拶くらいで言葉を交わす機会なんてほとんどない。
彼女の家がジャンクショップを経営していて、買い物で何度か店を訪ねたりはしているが、それだってそこが六花の実家だと知ったのはつい最近の事だ。もちろん、それでお互いの距離が少し近づいて……などと言ったこともなかった。
むしろ、裕太としてはどうして自分が宝多 六花に恋煩いしているなんてアカネが思ったのか、そちらの方が不思議に感じられたくらいである。
確かに……確かに宝多 六花もまた、目の前にいる自身の幼馴染みに負けず劣らずの美少女であるのは事実だが。
「ほんとかなー? あやしーなー? 正直に吐いちゃった方がラクだよー、ユータ君?」
すっかり元の調子に戻ったらしいアカネは、意地の悪い笑みを浮かべながら。
座っている裕太の方へまわると、すりすりと自身の体を裕太へと擦り付ける様にして纏わりつく。
こんな光景を他の男子達が見れば、血の涙を溢れさせて裕太を溺れさせようとするかもしれないが……幸いなことにと言うべきか、いつの間にか教室は裕太とアカネの二人きりとなっていた。
窓の外に広がる空は、すっかりと濃い茜色に染まっている。
「お、お前は粘着質な取調官か何か!?」
狼狽する裕太の声を聞いてさらに楽し気な表情を見せるアカネは、すっかり悪ノリしている風情である。
裕太の過去の経験からして、こうなったアカネはめちゃくちゃしつこい。
「あは。質問はすでに拷問に変わっているのだー」
ふんわりと裕太の鼻腔をくすぐる、女の子特有の甘い香り。
アカネの胸の辺りから与えられる柔らかな未知の感触が、裕太の後頭部に触れる。
このままで不味い…! ──裕太の本能が警鐘を打ち鳴らす。ちなみに何が不味いのかって言うのは男の子のヒミツである。
「あっ……」
後ろから自身の体へと腕を回そうとするアカネから、するりと抜け出す様にして。椅子から立ち上がった裕太は振り返ると、厭世とした表情で彼女の頭へと軽くチョップを落とす。
「あう!」
「……調子のりすぎ」
「えへへ……反省してまーす」
チョップを入れられた頭をさすりさすり。
それでも絶対に反省なんかしていないアカネの笑顔に嘆息を零すと、カバンを手にして裕太は教室の外へと向かって歩き出す。
途端に少し慌てた様子で、アカネがその背中へと言葉を投げた。
「あっ。ユータ君、今日の光画部の活動なんだけど何を──」
「ごめん、今日はパス。……用事あるのすっかり忘れてた」
「…………そっか。それじゃ仕方ないね」
聞く者が聞けば、どこか縋ろうとする様にも聞こえたアカネの言葉。
しかし、彼女の悪ノリですっかり精神をすり減らした裕太はそれに気づく事もなく、後ろ手に空いた手を振って歩いていく。
すうっ、と。
アカネの言葉がトーンダウンした。
「──あのさ、アカネ」
「……? なに?」
教室の扉へと手をかけたところで、裕太がアカネへと振り返る。
先ほどまでのはしゃぎ様が嘘の様に静かになっていたアカネの表情に、ほんのりと笑顔が浮かぶ。
「おかしなことを聞くっていうのは俺もよく分かってるんだけど…………グリッドマンって、聞いたことあるか?」
「……グリッドマン? んー。聞いた事ないけど……それって円谷? それとも東映? 東宝?」
「いや、特撮ヒーローの名前ってわけじゃないんだけど」
『〇〇マン』って名前からすぐに特撮ヒーローに思考が飛ぶ辺り、さすがと言うべきか。
しかし、ダメもとでと思いながら聞いてみたものの、やはりそう簡単に『グリッドマン』の謎は解けないらしい。……そもそも解ける謎なのか、それすらも謎なのだが。
「まぁ、いいや。変なこと聞いてごめんな……また、明日」
「うん。ばいばい」
気持ちを切り替えるように、表情を笑顔へと変えて。
アカネへと向けて小さく手を振ると、裕太は教室を後にする。
そんな裕太を笑顔で見送ったアカネは、彼の姿が扉の向こうへ消えてもなお、振り返した手を下ろそうとはしなかった。
「──……また、明日」
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