お豆腐メンタルのアイドルマスターシンデレラガールズ 作:冬月雪乃
深夜。
うっかり寝てしまった私は相も変わらず飛び起きた。
生の実感。私はここにいて、私は私なのだと自覚するための自傷に及び、後始末をし、虚無感に襲われて背もたれに体重をかける。
ひっくり返って強かに頭を打ち付けた。
痛い、と呻きながら起き上がり、視線は自然と机の上に。
見つめる先には名刺。
(株)美城プロダクション
芸能部門 アイドル課 主任プロデューサー
武内 誠
そう銘打たれた立派な名刺だ。
軽く調べてみると、プロデューサーはこの武内さん以外いないらしく、業務調整からケアまで、全て一人でこなしている超人だとか言われていた。
実際凄い。
「……もし、全て正直に言って、ダメならそれで良いか」
私は自分で分かるくらい限界が近い。
むしろ今までよく耐えた方だと思う。
薬の濫用。自傷行為。
次はなんだろうか。援助交際か? 笑えない。
あんな、下らない記憶如きに私の人生をめちゃくちゃにされてなるものか。
怒りの炎が身を焦がす。
そしてその湧き上がった衝動のままに、
「——もしもし。夜分遅くに申し訳ありません。私、夕方に名刺を頂いた篠原夢見ですが……えぇ、はい。送っていただいてありがとうございます。決心、というか、心が決まったので、そのうちに、と。はい。ご迷惑をおかけします。はい。えっ、そこまで早く動いて頂けるのですか? 恐縮です。では明日の夕方に。はい。本田さんに案内してもらおうかと思っていますが——はい。分かりました」
私は、ここから変わってみせる。
ダメで元々。むしろ色々と不利だ。傷とか。
限界は近いが——絶対に負けない。
#
次の日。
私は本田さんを待っていた。
校門で待ってると武内さんを介して伝えてもらっている筈なので、そろそろくるはずなのだが——。
「夢見! 待った?」
「いえ。大丈夫ですよ。それより、今日はお願いします」
頭を下げる。
本田さんは慌てたように、
「わわわわ、別にいーってこれくらい! いやー、まさか私の知らないとこでスカウトされてるとは思わなかったけど、夢見なら大丈夫でしょ!」
「なんです、その根拠のない——」
反論しようか、と思ったが辞めた。
本田さんはすごく嬉しそうだし、水を差すのもどうかと思ったのだ。
本田さんは先導しつつも、様々なことを私に教えてくれた。
それは仲間の事だったり、レッスンだったり。
現場の雰囲気を軽く伝えてもくれたし、厳しい面もある世界だとも。
そうして相槌を打っていると、本田さんは一つの建物を前に止まった。
「ここだよ」
見た目は普通のビルだ。
だが、その異様さは入っているテナントである。
上から下まで。全て美城系列でまとめてある。
「行こ?」
「はい」
ちょっぴり——いや、強がるまい。
すごく緊張しながらビルの中に入っていく。
何かが変わる予感を、胸に秘めながら。
#
「こんにちは。今日は来てもらってありがとうございます」
「いえ、昨日はむしろすいませんでした」
「大丈夫ですよ。仕事していましたから」
ちなみに電話をかけたのは深夜一時である。
「さて、それでは——」
「その前に、私、自傷していますが、大丈夫なんですか?」
はっきりと言い切った。
武内さんは目を見開いて驚いているが、私が左手首の包帯を見せると、瞑目した。
——ダメか。
「いえ。大丈夫です」
武内さんの言葉は予想外だった。
「何があったのかはわかりません。が、貴女はそれを悔いていて、出来れば辞めたい。しかしそのきっかけがない。あるいは辞められない」
「えぇ」
「本田さんといるときに浮かべていた笑顔は素敵でした。あの笑顔が出来るあなたなら、きっと大丈夫です。傷は……衣装などで隠していけばなんとかなるかと。水着などの場合にはテープやファンデーションの類を駆使しましょう」
「凄い、自信ですね」
「——様々なアイドルを、人を見てきましたから」
私は年甲斐もなく、そして私らしくもなく高揚していた。
別に、アイドルに憧れていたわけではない。
ただ、この人なら私をきっと導いてくれる。そんな強い予感がしていたからだ。
「あと、私と約束して欲しいのですが」
「大丈夫です。どうしても耐えられない場合を除いて、自傷行為は控えます」
「……すいません」
「いえ。やっと頂いたきっかけなんです。無駄にはしません」
「もし、耐え切れない場合、私や、仲間を頼って下さい。耐えられない理由は言わなくてもいいです。雑談でもして、気を紛らわせたりは出来るでしょう」
「——、ぁ……」
その言葉は衝撃だった。
誰かを頼る。言わなくていい。
私にはなくて、いいや、無意識に避けていた選択肢だからだ。
なぜかは分からない。
けれど、迷惑をかけたらならない。やってはいけない。そう勝手に禁忌に思っていたことだった。
「私たちは共に歩む仲間です。あなたが転んだなら、手を差し伸べるくらいのことはしたいのです」
「——、はい。ありがとう、ございます」
なんで、こんな事に気付かなかったのか。
分かっている。夢だから、正直に言っても信じてもらえないから。
だけど、違う。
言わなくてもいい。
頼っていい。
あぁ、なら、私も、
「私も、出来る限り、頑張ります」
「えぇ。しかし、無理はしないで下さい。それでは、こちら書類です。ご両親の承諾が必要なものもありますので、サインと捺印をいただきましたら郵送でも構いませんのでお願いします。封筒も一緒に渡しますね。あ、それぞれ二枚入っています。一枚は控えですのでそのまま持っていて下さい」
分厚い書類を渡される。
機密の規約、コンプライアンス、未成年者就労承諾書——ざっと見る限りそれらの細かい規約たちがたくさんだ。
持ってきていたスクールバッグに書類を入れる。
「では、少しレッスンを見学しましょうか」
「是非お願いします」
見てろよ見知らぬ記憶。
私はおまえなんかに絶対負けない。
決意も新たに、私は武内さん——武内プロデューサーの背を追った。
#
レッスンスタジオ。
そう銘打たれた部屋は六階にあった。
ここまで武内プロデューサーは無言。私も無言だ。
時折振り向いているのは優しさか、それとも左手首が気になるのか。
結局包帯しか見せていない。中身はちょっと今朝方やらかしたばっかりなので見せたくなかったのもある。言われたら見せる気ではいるが。
「こちらです。篠原さん」
「はい。あ、本田さん——」
そこには真剣な表情で鏡を見ながら踊る少女が三人いた。
一人は本田さん。後の二人は長い黒髪のクールな人と、純朴な少女と言った雰囲気の茶髪の人だ。
どちらも背中からお尻くらいまでの長さの髪がある。
私も同じくらいだ。差別化するなら、うなじで細くまとめているくらいか。
とはいえ、さすがプロのヘアケア。艶も柔らかさもキューティクルも、見ただけで全然違うと理解する。
「来月から入る事になる予定の三期生です。少しレッスンを見させてもらっても?」
武内プロデューサーがトレーナーらしき人に声をかける。
視線。上から下まで。
それを尻目に、本田さんが二人を連れて近寄ってきた。
「こっちのクールなのが渋谷凛。こっちの可愛いのが島村卯月ね!」
「あ、はい。篠原夢見です。よろしくお願いします」
簡単に紹介してもらい、名乗って頭を下げる。
渋谷先輩が柔らかく笑い、よろしく、と返してくれ、島村先輩は快活によろしくお願いします! と返してくれる。
「あ、本田先輩——」
「うわぁっ!?」
「なんですかその奇声」
「いや、夢見に先輩って呼ばれたら背筋がぞわってしてさ。気持ち悪いから普通に未央でいいから」
「分かりましたみーちゃん先輩」
「距離感が極端だ!? しかも先輩呼びは外さない頑固!」
「二人は知り合いみたいだね」
渋谷先輩が笑いながら会話に入ってくる。
島村先輩もだ。
「はい。学校では仲良くさせてもらってます。勉強に付き合ったり」
「あっ、未央ちゃんがたまに自慢してくる篠原メモの!」
「なんですかその極秘文書みたいな扱い」
「いやぁ、つい」
「別に良いですけど……」
柏手が二つ。
トレーナーさんだ。
「休憩はそこまで。レッスンに戻るぞ!」
あとは壁際に寄り、武内プロデューサーと一緒に手拍子に合わせて動く三人を眺めるだけだ。
その表情は真剣で、しかし楽しそうでもある。
本田さんなんかはいつも以上に気合いを入れているのか、トレーナーさんに『普段からこうなら……』などと言われてバツの悪い顔をしていた。
十五分程だろうか。
あまり邪魔になっても悪いので、武内プロデューサーに連れられて部屋から出た。
「如何でしょうか」
「凄かったです」
「代表的な全体曲なんかは良く披露する機会があります。全てとは言わないので、いくつか目を通して下さい」
「わかりました」
「では、次は歌のレッスンの様子を見ようかと思いますが、一緒に来ますか?」
「お願いします」
——次は十階の一室。
二つに仕切られていて、マイクとノイズフィルターがある部屋と機材とを分けていた。
機材側からのみ出入りは可能になっていて、マイクの部屋には少女が一人で歌っていた。
「一ノ瀬志希さんです」
「一時期話題になりましたね」
『天才科学者、アイドルに一躍転身!』などという見出しで良くニュースになっていた。
聞き流していただけだから顔は知らなかったが。
こちらに気付いたらしい一ノ瀬先輩は私を見て怪訝そうな顔を一瞬だけし、その後隣の武内プロデューサーを見て納得した顔になった。
とりあえず頭は下げておく。
手を軽く振る返礼を受けた。
「よし、お疲れ様でした」
どうやらレッスンはちょうど終わるところだったらしい。
男性のトレーナーがこちらを見て、『どうせならちょっと歌ってごらんよ』と言う。
思わず武内プロデューサーを見れば、頷き。
仕切りの向こうでにへら、と笑う一ノ瀬先輩が手招きをしている。
入れば、ヘッドホンを渡されるついでに匂いを嗅がれた。
「!?」
「おぉー、不思議な匂い。男性的? でも確かに女性の……ハスハス……んーー、いや、女性主体で残り香みたいな……彼氏? ちょっとクセになるかもコレ」
「な、なにを!? 彼氏も居ません!」
「んー? じゃあ何だろうこの匂い。まぁいっか。気にしなくていーよーん」
いや気になるしめちゃくちゃ恥ずかしい。
というかサラッととんでもない核心を突かれて青ざめる。
「んふふー、なんだか色々秘密がありそうだねぇ? 解くのが楽しみ楽しみー」
顔色を楽しんだのか、にんまりと笑って部屋から出て行ってしまった。
自由な人だ。
促され、マイクの前に立つ。
「え、と、じゃあ、アカペラですけど……」
これから歌う曲は、記憶に埋もれたものだ。
何度も聞いて、楽譜に起こせるほどになった。
元は他人のものだし、それを自作と言い張るのは憚られるという罪悪感から私は遠慮がちにマイクに向かう。
「では——」
#
篠原さんが歌い出した瞬間、聞こえるはずのない伴奏が聞こえた。
ビリビリと肌が騒ぐ。
とんでもない完成度だ。
そして何より、
「——歌い慣れしてるねー」
「確かに。ただ、まだボイスレッスンは必要だし、改善の余地がある。ただ、歌に関しては逸材というほかないでしょう。良い拾い物をしたようですね。武内さん」
「正直、私もここまでとは思いませんでした」
そして気になるのは、聴いたことがない曲だという事。
もし自作であるなら、それを生かしたプロデュースが必要になるだろう。
私は頭の片隅に疑問を置いて歌声に意識を傾ける。
「んー、しかし、歌詞はあんまアイドル向けじゃないですね。メッセージ性が強過ぎる」
「心の何処かにある孤独に響く歌だよねー、これ。気に入っちゃった♪」
——欲しかったのは共感だけ。
そう流れる歌声は確かにピアノの幻聴を伴って、心の端にある孤独感を刺激していた。