今年こそ、長野に行きたかった・・・。
初めて挑んだテストはなかなかに強敵で御座ったが、私には心強い味方がいたために、初陣は華々しく飾れることが出来たと思う。
長之兄上や三輝殿、兼人殿が世話を焼いてくれたゆえ、シャーペンを止めることなく書き進められた。あとは、泰然としてテストの返却を待つのみで御座る。
テストという難題を超え、少し私の気も緩んでいたある日のこと、事は起きた。
「雪也! あの人混みの向こうに私が言うものがある!!」
上擦り声の兼人殿を追い越して、私は人が山となっている場所へと潜り込んだ。人と人の間を縫い歩いて、どうにか最前列に出てこれた。
私の前にあるのは主に生徒連絡や学校行事のスケジュールが書かれた紙を貼る掲示板だ。部活もこの掲示板を使用しているようで、所々に彼等の予定が書かれた紙も見受けられる。
だが、今日私がこの人混みを分け入ってまでやってきたのはこの様な紙を見るためでは御座らん。
「長之、兄上……」
掲示板の真ん中に、目立つように貼られた一枚の紙切れ。
『沖野長之と伊勢谷慶斗にツグ。明後日の夜八時、上田公園に来い。来なければ、お前達の身内に悲劇が降りかかるだろう』
新聞を切り抜いて文の体裁を繕っているその紙切れは、長之兄上と慶斗殿に向けられた手紙であった。慶斗殿は、直接話したことはないが依然に一度だけ姿を拝見したことがある。
大柄な金髪の御仁の慶斗殿は、昔の戦友である慶次殿と似ているような気がする。
そんな慶斗殿と長之兄上が揃って、誰かから呼び出しを食らったのだ。
自然と険しくなる眉間を放って、私は人混みを飛びだした。
「雪也っ!!」
背に兼人殿の呼ぶ声が掛けられるが、私にはそれに応える余裕がなかった。兼人殿がそれ以上私を追跡しないことを良いことに、私は二年生の教室が並ぶ三階へと向かう。
事の始めは、兼人殿が昼休みなのに私のクラスを訪れたことであった。平和なこの時代に似つかわしくない決死の顔で、私のクラスに顔を出した兼人殿は「大変だ! 雪也」と仰った。
普段通り、雪也の友人に囲まれて昼餉を摂っていた私は兼人殿の尋常ならざるご様子にエビフライを齧ることを止めて、兼人殿の話を聞こうと席を立った。
私が教室の戸までやってくると兼人殿は、いきなり私の腕を掴んでずんずんと廊下を歩き始めたのには驚きが勝った。
「ど、どうされたのですか? 兼人殿」
「雪也、心して聞いてくれ。長之さんが妙なことに巻き込まれたようなのだ。私もまだ状況の一端すら伺えないでいる」
「長之兄上がですか!?」
兼人殿が神妙な顔をして頷く。
私は事態の深刻さを瞬時に察して、兼人殿に引っ張られるがままについていく姿勢から隣同士で歩く姿勢に変えた。
常人よりも足が早い兼人殿の早歩きはついていくのもやっとだったが、掲示板の前に出来ている人の群れを見つけた私は、いつの間にやら兼人殿の拘束も振り払って人の群れに飛び込んでいたのである。
長之兄上が何故、あのような不審な手紙に呼ばれなければならないのか。
絡みつく嫌な予感を持て余して私は階段を駆け上る。
一分と経たずに階段を上り切ると私は息も整えないままに、長之兄上のクラスの開いている窓から長之兄上を探した。
私の突然の登場に気付いた上級生達は、私に不思議そうな視線を向けてくる。あまり私のクラスと変わらない昼の情景に感慨を抱く暇もなく、私は長之兄上の姿を探す。
「雪也? こんな時間に私のクラスにまで来てどうしたんだ?」
「長之兄上……!」
私が見つけるよりも早く、長之兄上が私の存在に気づきお声を掛けて下さった。長之兄上も友達に囲まれて昼餉を摂っている最中であったらしい。
口に含んでいる分を嚥下すると長之兄上はいつもと変わりないご様子で私の下へと寄ってきて下さる。
「長之兄上! 一階の掲示板はご覧になりましたか!?」
「一階の掲示板……? いや、今日はまだ見てないが」
不思議そうな口振りの長之兄上に、私はそれを口にするべきか此処にきて逡巡する。
長之兄上の心の安寧を、あんな紙切れ一枚で乱して良いのだろうか。
今なら、教えずに秘密裏に処理することも───と考えが至るが、今の私はただの“沖野雪也”出会ったことを思い出し、下唇を噛む。
そんな私の様子を見かねて、長之兄上が「雪也?」と私の名を呼んだ。
───兎にも角にも、話してみないことには始まらない。
私は覚悟を決めた。
「実は一階の掲示板に長之兄上と慶斗殿宛に書かれた紙が貼られているのです。差出人は不明で、ただ上田公園に明後日の夜八時に参られるよう記されたもので──ー」
私の話を聞いて長之兄上は顔を歪ませた。
それから、心当たりを探すように顎の下で指を組む。宙を彷徨う視線が何かを思い出すように右往左往するが、分も掛からない内に決断を終えて教室の外へと出て来られた。
「分かった。私も一度見ておこう、その私宛の紙とやらを」
「長之兄上、もし呼び出しに応えるのであれば私もお供いたします」
「先走り過ぎだ、雪也。それに仮に私が応えたとしても、雪也は連れて行かない」
「何故です!? 長之兄上!!?」
まさか長之兄上に私の同行が阻まれるとは思わず、抗議めいた目を向けてしまう。例え、長之兄上と言えども、あの様な不審な呼び出しに一人で向かうなど無謀で御座る。
私一人だけがお供したところで、そう兵力が増えるわけでもないが、一人よりからはずっと良いに決まっている。
「案ずるな。慶斗というのは伊勢谷のことだろう? 彼も一緒に呼ばれているのなら、そう大したことにはならないだろう」
私は長之兄上の真意を知れずに小首を傾げた。
何故、慶斗殿が一緒であれば大丈夫だと長之兄上は仰るのだろうか?
長之兄上は私の口に出さない疑問を察して、噤むことなく教えてくださった。
「この界隈で伊勢谷に武で勝てるものは居ない。あの男は昔から武神に愛された男なのだ。今回のことも喧嘩する口実が出来たと喜んでいるところだろう」
長之兄上は私を安心させるために嘘を吐いているということもないようだ。慶斗殿のことを本当にそう思っているようで、長之兄上は苦笑めいた思い出し笑いをする。
「この平和な世で窮屈な思いをしているらしい。だから、今度のことも私が何かをする前にあの男一人で片をつけてしまうだろう」
長之兄上にそうまで言われる慶斗殿に私は少しばかり羨望を抱いた。この時代で武神に愛されたという慶斗殿と、今や一人相手にするのも苦心する私との対比が浮き彫りになって、胸が苦しくなる。
満足に刀すら振れなさそうなこの体でも、またもう一度鍛錬すれば以前の力を取り戻せるだろうか。こんな大事に私はついそんな願いを抱いてしまうのであった。
*
長之兄上と共にあの掲示板まで戻ってくると、人混みは更に二周りほど膨れ上がっていた。皆が皆、近くにいる者達と顔を近づけあってひそひそと会話を交わしている。
そんな秘めやかな会合があちらこちらで行われている中、人混みの最前列の方から豪快な笑い声が聞こえてきた。
「ハッハッハッハ!! こりゃあいい。なかなか奴さん達も粋なことをしてくれるじゃねぇか」
腹から出ていると思われる通りの良いどら声に、人混みから声が失われる。人混みを前に足を止めた長之兄上に判断を伺うよう顔を向けると、長之兄上は先程の思い出し笑いと同じものを顔に広げていた。
人混みに一筋の道が割れるように出来ると、その道を躊躇いなく闊歩してやって来る大柄な男が一人。
正面から見ると獅子のような顔をしているその御仁は、一度だけ拝見したことがある慶斗殿だ。不敵な笑みを閃かせて、人の道を闊歩する御仁は私と長之兄上の姿を認めて不意に足を止める。
「よぉ、長之。お前さんもあれを見に来たのかい?」
親しげに片手を上げて長之兄上に声を掛ける慶斗殿に、長之兄上も首肯して「ああ」と返す。
「大体何処からのものなのか検討はついている。どうやら、私は巻き込まれ事故のようだな」
「そう言いなさんな。アンタの喧嘩もなかなか華があったぜ。今回もまた一つ舞っていこうじゃねぇか」
「私は貴方と違って、普通の暮らしを穏やかに送りたい────ーこれを最後にするつもりだ」
「つれないねぇ」
残念そうな口振りの慶斗殿であるが、呵呵と笑っているせいかそう落ち込んでいるようには見えない。一通り話した後、長之兄上との会話も終えたからか慶斗殿は廊下の奥へと姿を消していった。
「なかなか肝が座った御仁ですね」
大きな慶斗殿の背を見送りながら簡単な感想を口にすると、長之兄上が「ああ、困った男だ」と苦笑混じりに答える。
「あの男と一緒に行くから案ずることは何も無い。ただ、私は黙って奴の戦いぶりを見ているだけだ」
そして、まだ私が付いてくると思っているらしい長之兄上が、私を安心させるようなことを続ける。
───こうなったら、恐らく長之兄上は私の同行を決して許しはしないだろう。
その弟思いな頑固さが、どうしても嘗ての兄上と被ってしょうがない。
信之兄上のお供は諦めるしかないが、だからといって、援軍に駆けつけないという選択肢は選びたくない。
私は、二人宛ての手紙を盗み見して、それら全てを頭に叩き込んだ。
ついていけないのであれば、先回りするれば良い話だ。
二人が駆け付ける前に、全てを終わらせておけば万事解決するだろう。
幸い、一人であるが罠を作ったり、仕掛けたりする時間はまだありそうであった。
真田と言えば、武もそうですが、何より戦略戦が有名ですからね。
頭を使い、どうやって信之兄上を助けようかと考え込んじゃっています。テスト終わってからで、本当に良かったね。
そして、やっと慶斗が登場。
まだまだ先は長いですが、彼が出てくると序盤は終わりだなぁという気になります。