授業後のホームルームも終わり、鞄の中に教科書等を詰めていた頃に奴は喧しくやってきた。
「三輝! 三輝! 大変だ! 大変なことになったぞ!!」
只でさえ地声が人よりも数倍大きいというのに、無駄に大声を出して俺のクラスにズカズカと他クラスでありながら入り込んできた兼人に、俺は至極面倒くさそうに言う。
「喧しいのだよ。そう喚かずとも貴様の声は聞こえている」
「おお……そうなのか、我々の絆が成した妙だな」
別にそんな故がある訳がないが、この男にツッコんでも時間の無駄だ。その手の二の舞いはもう踏まぬと決めている。
俺は詰め終わった鞄を手にしたまま、兼人がそうまで喚く理由を聞くために「それで?」と促してやった。
兼人は俺の促しにまた姦しく騒ぎ立てそうになったが、ピシャリと宥めてやると元越後の執事なこともあって、理路整然とした物言いで長之さんが呼び出しを受けたことを話した。
「……貴様、何故そのことを雪也に真っ先に伝えた? こうなることは分かっていただろう?」
「不覚を取った。まさか、雪也があの様な行動を取るとは思わなかったのだ。雪也の義心を見誤るとは不甲斐ない……!!」
下唇を食んで本気で悔恨している兼人が俺の目から逃れるように俯く。いつもは呆れ返るほどに前向きな男であるのに今回に至ってはその質も作用しないらしい。
俺はよく兼人の脳天気具合に苛立つことが多いが、兼人が素直に落ち込むさまはそれ以上に苛立つ。
この男程、我を省みることが似合わない者もいないだろう。我ながら馬鹿なことを言っている自覚があるが、やはり俺にはいつもの兼人が性に合っているのだ。
「こうなれば仕方あるまい。よく考えれば、雪也があの様になってまだそう時間も経っていないのだ。我々が雪也を測り間違えることがあっても致し方無いのだろう」
「だが、私は雪也も幸村も知っているのだ。それなのに、この様なことになってしまった……!」
兼人の口から飛び出た『幸村』の名に心の蔵が不穏な音を鳴らす。
それはさながら警鐘の音にも聞こえた。
ついには、顔を片手で覆ってしまった兼人に俺は言葉を言い淀む。
「兼人……本当に──ー」
「そう思うのか」と続けようとして、それが口から飛びでないうちに押し潰す。もし、その問に兼人が肯定したとして、俺は一体なんと言えばよいのかまだ心を決めていない。
俺は兼人のように幸村がこの平成の世に息づくことを素直に喜べないのだ。
勿論、友としてまた幸村と時を重ねられることは嬉しい。
この上なく喜ばしいことだ。
しかし、武士として生を全うした幸村にとってこの時代はどうなのだろうか。そんな疑問が雪也と幸村を重ねるようになってから、常にこの身に付き纏うようになった。
武士として生まれ、育ち、生き、死んでいった幸村は、俺や兼人のようにこの世に順応出来るのだろうか。
この俺や兼人でさえ、時にはこの世の倣いに馴染めないこともあるのに、真の武士である幸村であれば、俺達以上の当惑があるだろう。
俺はもうこれ以上の当惑は受け入れられない。
煩わしさばかりになった平成の世を厭うてしまうことは、目に見えている。
「こうなってしまえばあの方を頼る他ないかもしれぬな」
二人して表情を曇らせていると、いつのまにやら僅かに復活していた兼人が顎に指をかけて宙を睨んでいた。
兼人の言う『あの方』が気になった俺は勿論、その人物について尋ねる。
「なんの話をしてる?」
「……ん? ああ、三成か。いや、最後の頼みとなる人物に参詣しようかと思っていたところなのだ」
また俺の昔の名を呼ぶ鶏頭にツッコんでいては話も進まないので、俺は敢えて無視をすることにした。
若干こめかみ辺りが痛いが、それも無視して兼人の話に続きに耳を傾ける。
「あの方であれば、例の紙の差出人に心当たりがあるやもしれん。よし! 善は急げだ! 三成!! 行くぞ! 我らの絆のために!!」
生気を取り戻した兼人の目が天へと注ぎ、指もそちらへと突きつけて大声を出すせいぇ、俺達に全クラスメイトの視線が向く。
従って、俺は問答無用で兼人の頭を叩き、「この馬鹿っ!」と罵ったのは言うまでもないことだ。
此処に鉄扇がないことが本当に何よりも悔やまれる。
***
あの兼人の騒動から暫くして、俺達は今只管に階段を上っていた。
戦乱の世でもないので、俺達は今はもう鍛錬はしておらず、運動部に入ってもいないので、体力がついているとは言い難いのが現状だ。
中学の時分は俺も兼人も校則として必ず部活に入らねばならなかったので、運動部にそれぞれ所属していたが、三国高校にそのような校則は無い。
よって、今や本当に運動不足に陥っていると言っても過言ではない俺達なのだが、何故か兼人は息切れもせず階段を早足で上っていくのだ。
少し息切れの兆候が出ている俺だが、流石にこの無様な様を友には晒したくない。
俺は努めて息を吐きすぎないようにして、兼人が率先として上っていく後ろ姿に、一体いつになれば目的地に着くのだろうかと考えた。
兼人の目的地は屋上であった。
三国高校の屋上は常に扉に南京錠が掛かっている故、入ることが出来ないのだと風の噂で聞いたことがあったのだが、今の屋上の扉にその南京錠の姿は見られない。
僅かに隙間が開き、外の陽気が漏れる屋上に兼人が「やはり、今日も居られたか」と一人納得顔をしている。
「何故、屋上が開いているのだ? 確か此処は禁足地でもあると聞いていたのだが?」
俺の詰問に近い問いかけに対して、兼人は「うむ」と一つ首を縦に振る。
「そうなのだが、あの方はどうも此処を気に入っているようでな。この屋上に入り浸っておられるのだ」
兼人が頼みとする人物なのだから、少々普通ではないとしても可笑しくはない。
兼人が過去、薫陶を授かっていたことがある女性も普通ではなかったのだ。
もしかしたら、この先にいる人物もあの女性のように気性の荒く、腹の中に一物の一つや二つは抱えている輩かもしれない。
俺は、過去に友が女性から傷めつけられて喜んでいた姿を頭の隅から抹消して、ゴクリと生唾を飲み干した。
確か、この忌々しい記憶は当時に見て直ぐ抹消した筈なのだが、未だこの頭にこびりついていたとは……未来永劫思い出しくないものだ。
俺の葛藤を露知らず、兼人は躊躇なく屋上の扉を押し開いた。まだ『あの方』に会う心の用意が出来てはいなかったのだが、こうなれば思い悩んでいても仕方ない。
兼人が開いた扉の向こう側から、夏の日差しに近くなった陽射しが俺達に降りかかった。
思わずその眩さに目を眇めていると、次いでサッカーコート程はありそうな広大な屋上の全貌が視界に映った。
横に並んでいた兼人がまたさっさと屋上へと踏み入り、給水塔の方へと迷いない足取りで近寄っていく。
俺も兼人を追って給水塔へと寄って行き、段々と近づいてくる五メートルはありそうな給水塔の上に人の姿を見つけた。
その給水塔の頂点には、猫じゃらしを口に咥えて寝っ転がっている小柄な人物が一人、初夏の太陽光を浴びて気まぐれそうに伸びをしている所であった。
兼人は給水塔のすぐ側までやってくると「おーい! 猫殿!!」と訳のわからない名を叫び呼んだ。
「なんだ、そのふざけた名前は」と俺が聞くよりも早く、給水塔の上から気の抜けた「はあい」と兼人の呼びかけに応える声が降ってくる。
「なあに、浅越君。俺、今昼寝の真っ只中なんだけどー。この至福の時間を潰してまでの俺への用ってことで良いんだよね?」
しかも、その人物はたかだか昼寝如きで大層な物言いをしている。
俺の脳裏でとある人物の顔がぼんやりと浮かび上がったが、同時にどうとも言い表せない感情が湧いてき、慌ててそれに蓋をした。
秀吉様が全幅の信頼を寄せ、その才を欲しいと言わせた過日の軍師の姿は、今も俺には強過ぎる。
「うむ、そうなのだ。実は今回も猫殿のお力を拝借したい。私の友とその従兄弟が大変な事態の渦中にあるのだ。私はなんとしても、友とその従兄弟を助けたい! 猫殿、今一度、私に力を貸してはくれまいか!?」
「まぁ、君が持ってくる案件なんだから厄介事だよねえ。んー、分かった。俺もちょうど君に聞きたいことがあるし、それに答えてくれるなら手伝ってあげるよ」
「おお! 左様か、猫殿!! かたじけない!!」
兼人が大仰に両手を掲げて、感涙せんばかりにその猫殿とやらに礼を告げていると、給水塔で寝っ転がっていた人物が不意に立ち上がって、給水塔に掛かっている梯子を使わずに飛び降りてきた。
五メートルはあると思われる給水塔の頂点から身軽く飛び降りてきた猫殿に、流石の俺や兼人も目を白黒させる。
あの時代であれば、日常茶飯事の光景であったがこの世でこんなことをする人物が未だにいるとは思わなかった。
猫殿はそう呼ばれるだけあって、まるで本物の猫のようになんてことない様子で着地したが、後から痺れがやってきたらしく「うわ! ビリビリが来た!!」と叫ぶやいなや、ピョンピョンその場を今度は飛び跳ね始めた。何とも落ち着きがない男だ。
俺の目が段々と半目になっていくのも気にせず、俺達と同じ制服に身を包んだ小柄な男は、若干涙目になって早速聞きたいこととやらを聞いてきた。
───まさか、それが俺達の正体を迫ることとは思わず、俺達は完全にこの男の呆れた動向に気を緩めていたのだ。
「えっとじゃあ、早速だけど浅越君。君の隣りにいる狐みたいな顔した子は豊田三輝かな?」
「うむ。この男は三輝で間違いない」
驚いたことにこの男がした最初の質問は俺のことであった。
何故、俺のことを知っているのかが分からず、自分の視線に険が篭っていくのが分かる。男も俺が不審に思っていることを敏感に察知したようで、にへらとこれまた気の抜けそうな笑みを浮かべる。
「そんなに身構えないでよ。俺、まだ名前合ってるかどうか聞いただけだよ。あ、何で知ってるかとか、野暮なこと聞かないでよね。豊田君は隣のクラスの委員長なんだし、俺が知ってても可笑しくないでしょ」
話の詰め方が手馴れている。人を言葉で繰ることに長けていると見て間違いないな。
体の芯が伸びていくのが手に取るように分かる。最近はあまりこの様な駆け引きはやっていなかったが、それは同時に俺も平和ボケしていたことを示している。
つい昔の癖で腕を組む。面白い、久しぶりの舌戦だ。時には頭を使っていなければ鈍ってしまうからな。
俺の態度で向こうも思うことがあったようだ。あからさまに面倒くさそうなため息を吐いて背を曲げる。
「なんかやる気になってるみたいだけど、俺、別に君と戦うつもりとか全くないから。というか、寧ろ仲間なんだろうから仲良くやっていくべきだよ、俺達」
「なんの話だ? 俺には全く話が見えてこないのだが?」
「そりゃあねえ。俺と君の間には決定的な齟齬があるし。俺が知りたいのはその齟齬なんだよね」
「齟齬……?」
俺の疑問に男は「うん」と素直に首肯する。
そして、今度はニッコリと人好きしそうな笑みを、まだ幼少の名残がある幼い顔に閃かせて腰に両手を当てた。
「まあ、先ずは俺から手札を見せるべきか。俺は竹田玲。浅越君と同じクラスだよ───そして、此処からが一番聞いてほしい所。俺、実は前世の記憶ってのがあるんだよね」
竹田と名乗る男の言葉を最後まで聞き終わらないうちに俺と兼人は顔を見合わせた。兼人も竹田のカミングアウトには驚愕しているようで、目を極限まで見開いている。
その兼人の目には、やはり引きつり顔の己の顔が映っていた。
俺達の異様な行動に竹田は更に笑みを深めて、言葉を止めずにあっさりと吐き出す。
「前世では俺、竹中半兵衛って奴だったんだ。ねえ、君達。俺のこと知ってるよね? 越後の直江殿と秀吉様の子飼いである三成殿」
ニンマリとそう言って笑う武田の顔は、確かにあのいけ好かない、しかし秀吉様が生涯惜しんだ天才軍師の面影があった。
岐阜に行った際に、半兵衛の菩提寺にも参詣して来ました。
彼の館跡地と菩提寺がある一帯は、かなり交通の便が悪い所でしたが、長閑で忙しない毎日から離れるには丁度いい所でもありました。
半兵衛といい、郭嘉といい、やはり才能を持った人間は早死し、主君に惜しまれる美談がワンセットだよなぁと思いつつ、そういう美談大好きだと言いながら、執筆する私です。
でも、董卓や久秀みたいな人も大好き。
絶対いつか、書いてやるからな二人共。