午後の授業も終わり、私は目を回しながら教室を出た。日本史以外の授業はどれも私に馴染のないことばかりで、沖野雪也の記憶があるお陰でどうにか理解出来ているものの、この様な頭の使い方は前世ではしなかったことだ。
前世で、父上や兄上が教えてくれたことは全て戦へと繋がったからこそ理解できたことであった。兵法も計算も、戦に勝つために覚えた勉学であり、私は二人から習ったことを基礎に策を立ててきた。
しかし、今生での勉学はテストで良い点を取るためにするものであるらしい。このテストの点がゆくゆくは自分の身を立てると言うのだから、少しは勉学への意欲が増す。だが、戦が無いこの世で私は一体、如何すれば良いのだろうか。
産まれてから死ぬまで、戦のことばかりを考えてきた。寝ても起きても戦とかけ離れなかった私は、これからのことを考えて茫然とした。
今朝は学校があるからと目的を見つけ、それを結論にした。しかし、この学校も私を四六時中縛っている訳ではない。夕方になると教室から放り出され、部活とやらに入ってない私には直帰の選択しか残されていなかった。
もし、乱世の世であったのならば、この空いた時間に鍛錬を積んでいただろう。いつ始まるとも知れない戦のために我が身を鍛えていた筈だ。
しかし、この世は乱世ではない。武士の死地と決めたあの戦はもう存在せぬ。そもそも、今の私は真田幸村ではなく、沖野雪也なのだ。真田の家門を背負っておらず、真田の存続を考えずとも良い。安穏とした平和な日々を過ごしていくだけで良いのだーーーーー沖野雪也として。
「そうだとして、私は如何すれば良いのだ・・・?」
武士にはあるまじき、気の抜けた声にピシャリと回答が叩きつけられた。
「私と帰れば良いのだよ。雪也」
返事があるとは思わなかった疑問に私は驚きで両肩を跳ね上げて、ゆっくりと声のした方を振り向いた。
そこには、不機嫌そうに顰めた顔付きで私を見詰めている男がいた。女顔とでも揶揄されそうな綺麗な顔立ちをした男は、腰に両手を当てて仁王立ちしている。
「嗚呼、三輝殿でありましたか」
私は自然と浮かんだ彼に紐づく記憶と名前に笑みを浮かべて、三輝殿に体を向け直した。だが、三輝殿は片眉を器用に跳ね上げて目を細める。
「雪也、何だその言葉遣いは?」
「え? 言葉遣いで御座るか」
「そうだ。まるで戦国の世にでも居るような堅苦しい言葉を繰るのだな」
しまった。どうやら、長行兄上同様、彼に対しても私は真田幸村のまま話してしまうようだ。昼餉を共に摂った友達とはこの様なことにはならなかったのだが、何故長行兄上と三輝殿には私のままで話してしまうのだろうか。
否、そう言えば明依殿にも私はこの様に話していた。この違いが私には分からない。真田ならばこの様な謎、やすやすと解き明かさねばならぬのだが。
「おおー! 雪也はそんな所に居たのだな!! 三輝、よく見つけた!!」
三輝殿に次いで現れたのは、穏やかそうな風貌の男であった。垂れた優しそうな眦が私と三輝殿を見て一層柔らかく下がる。私や三輝殿よりも背丈があり、彼は殊の外姿勢が良かった。
そして、そんな彼は今日私が遭遇した誰よりも声の通りが良く、また大きかった。戦場であれば、その凛とした声音で指揮を取ることが可能だろう。
私はこの男のことも知っていた。
「兼人殿まで・・・」
沖野雪也と豊田三輝殿、そして浅越兼人殿は幼馴染なのである。まだ七にもなっていない童が集まる保育園とやらで彼等は初対面を果たし、その後小学校、中学校、高校とを共に進んできた古馴染なのだ。この二人は沖野雪也にとっても格別の友であるらしく、二人を誇りに思っていたようだ。二人の記憶を手にとった今でも胸がポカポカと温かい。
まるで、三成殿や兼続殿を思い出したかのようだ。
「では、三人揃ったことだ。帰るとしようではないか!!」
私と三輝殿の肩を組んで、生徒玄関へと歩き出した兼人殿に三輝殿が抗議の声を上げる。
「鬱陶しいのだよ! なんなんだ、この手は!? 普通に歩いて行けば良いではないか」
「三輝、これは三位一体をより味わうために必要不可欠なことなのだ! そなたたちとの愛と義の志をより強固にするためだ」
「三位一体は毘沙門天では無いだろう!」
「何を言う!! 謙信公も御前も、重勝様とてこの世に愛と義を広めるのであれば、また私達はその愛と義を受け入れる立場でなければならないと仰っていた」
熱に浮かせれて、滔々と愛と義について話す兼人殿は、まるで本当に兼続殿のようだ。兼人殿は、真、上杉の方々を敬愛しているようで私も彼の心意気に拳を握る。
「はい、兼人殿! 愛と義は私が語るだけでなく、また誰かの愛と義を私は受け入れねばならないということですね。個と個が反響し合うような関係になってこそ、人は真に愛と義を悟れるのだと」
「嗚呼、そうだ! 今日の雪也は物が分かっているな!! そう、私達は個で存在しているだけは未完全な状態であるのだ。個と個が互いを認識し合い、触れ合うことで初めて個は完全体になったと言える!!」
「なるほど、大変興味深い話です」
「・・・ハァ。雪也、兼人。帰るのならば帰るぞ。貴様らに付き合っていると日が暮れそうだ」
どうやら兼人殿の話に夢中になってしまい、足元が疎かになっていたらしい。三輝殿が率先として肩を組んだ状態で進み始めたので、私も兼人殿も鈴なりになって三輝殿についていった。
流石にこの状態で、上履きは履き替えられないので肩を組むのを止めて、各々の下駄箱へと向かい、運動靴に履き替える。
私が上履きを下駄箱へと仕舞った折に、隣のクラスのため近くにいた三輝殿が再度あの話を私に持ちかけてきた。
「雪也、どうして今日は俺や兼人に殿を付けたり、敬語で話したりした」
憮然とした面持ちで私にそう問う三輝殿に、私は困ったような笑い顔しか披露できなかった。
「これには事情が御座る・・・・・・しかし、その事情を話すのは難しく、三輝殿が納得出来る話が私に出来るようには思えないのです」
「そうか。俺も、雪也に無理に話せとは言わん。その事情とやらが話せるようになってからで良い」
「かたじけない。いつか、きっと三輝殿には話すつもりで御座る」
三輝殿は私の返事を聞いて、「そうか」と頷いて、それでこの話は終いとなった。私と三輝殿よりもいち早く靴を替え終わった兼人殿が生徒玄関に出て、夕陽を仰いでいるのか立ったまま微動だにしない。
私と三輝殿は、兼人殿の横に並んで無機質な住宅街の向こうへと沈んでいく夕陽を眺めた。石や木造りであった家々はもう遠に無く、コンクリート製の縦に長い家ばかりがこの日本に並んでいる。
私達三人は、その後暫く雄大な夕陽を眺め続けて、誰からともなく足を校門へと進めて帰途についた。
次回、答え合わせですが、ほぼ正体は分かったと思います