私が、沖野雪也の身でありながら真田幸村としての一生を思い出して一週間が経った。父上と母上の前でも、やはり言葉遣いは沖野雪也のものとなり肉親の二人は私の存在について一切気づいていないようである。少しばかり、そのことが申し訳なく、私としてはやはりこの真田幸村の記憶は抹消したい所存であるが、どうにもこうにもこの記憶は根強く私の頭から離れない。
学校に通うことも慣れた私は、授業を受ける度に乱世の世の習いとは格段に違う事実に衝撃を受け、文字通り目を回していた。しかし、定期テストなるものがある限り、私も授業を生半可な気持ちで受ける訳にはいかぬ。鍛錬を行うときのように、集中力を高めて事に当たっていることもあってなんとか授業についていくことは出来た。
授業についていくことができたのは、もう一つの理由がある。度々長行兄上が私を慮って、家に訪ねてくださり、私が授業を聞いても理解出来ぬ所を親身に教えてくださることもそうなのだ。長行兄上は、兄上のように物知りで私に授業以外のことも話してくださった。兄上同様、話上手なので幾らでも聞いていられるのだ。私は前世でも今生でも、兄上に恵まれたと思う。
忍に似た明依殿は私と共に登校することが日課であるようで、私は彼女を待たさないためにも沖野雪也が起きていた時間よりも三十分早く起き、玄関前で彼女を待つことにしていた。その度に、明依殿は私の顔を覗きこんでは言うのだ。
「雪也~、やっぱもしかして変なものでも摘み食いしたかにゃ? 最近、アッシが来るよりも先にいるじゃん。大丈夫なの? 無理してない?」
「気にするな。女子と待ち合わせて行くのだ。私がそなたを此処で待っていることは普通であろう」
明依殿は何故か私のこの言葉に驚いたようで、大きなくりくりとした目を戦慄かせて、大袈裟に後ずさるのであった。そして、何度も目を擦っては私の顔を覗き込む。明依殿こそ、体調が芳しくないのかもしれない。
そう思って告げてみると明依殿は私から顔を背けてさっさと学校へと行ってしまうのだ。乙女心は秋空よりも変わりやすしとは言うが、全く持ってその通りだと思う。
学校に着くと生徒玄関で明依殿とは別れる。私も運動靴を上履きに替えようと下駄箱へと行って、取り替えていると「おはよう、雪也」と横から三輝殿の挨拶が掛かった。
「おはようございます、三輝殿」
「雪也は朝から元気だな。俺は、眠くてしようがないのだよ」
三輝殿はそう言うだけあって、眼が眠そうに閉じかけている。私は三輝殿に苦笑して、三輝殿が眠くなっているその訳を口にした。
「また、遅くまで起きられたので御座るな。夜更しは体に悪いですよ」
「分かっている。だが、あの続きが気になってだな」
「本を読まれていたのですか?」
「否、フェルマーの最終定理だ」
三輝殿は、三成殿のように数字が得意らしく、たまに数学の問題に取り掛かっては夜な夜な計算をしているようなのだ。私には縁のない夜更けの嗜みだ。
私は三輝殿と連れ立って教室へと赴くことにした。三輝殿とは隣のクラスゆえ、向かう先が同じなのだ。
「コラァ! 慶斗!! お前はまたそんな格好をしおって!! また耳に穴を空けただろ!? どんだけその耳にジャラジャラと付ければ気が済むんだ!?」
「ハッハー、今日もセンコーは元気だねぇ」
「お前は毎回毎回その大きな体と済まし顔でちょこまかちょこまかと逃げおって!!」
「逃げないと怒られるからねぇ」
教室へと向かう私と三輝殿のすぐ側を風のように駆け抜けた大柄な男がいた。二メートルもあるのではないかと思われる巨体がどうしてあれ程早く走り抜けられるのかが分からない。まるで、名馬の松風のような見事な走りっぷりであった。
その後ろをやや離されて走るのは禿頭の教師である。黒のジャージを着込んだ壮年の男性が顔を真っ赤にして、逃げる大男を追って私と三輝殿の隣を駆けて行く。片拳をぶんぶんと頭上で振り上げている様からかなり立腹しているようだ。
「また伊勢谷に遊ばれているのか、あの教師」
「三輝殿はあの御仁をご存知なのですか?」
「嗚呼、あの大男は俺と同じクラスだからな。伊勢谷慶斗と言って、どうも思い出しくない輩と似ていて気に入らん」
眠そうだった眼を正して、嫌そうに慶斗殿と教師の背を見送っている三輝殿に私は曖昧な相槌を打った。
「そうなんですか」
「あのどら声といい、間延びした口調といい、背丈ばかりが伸びた体といい。全く持って碌でもない類似点ばかりだな。あやつが松風にでも乗って現れたら、俺は即刻討ち取りに行くぞ」
慶斗殿とよく似ているその御仁は三輝殿にとって余程、腹に据えかねる御仁であるようだ。三輝殿が眦を上げたまま教室に入っていき、私も自分の教室へと入っていく。
・・・・・・私はあの御仁の後ろ姿を思い出していた。
二メートルもあるのではないかと思われる巨体と、後ろに一本で結われた金髪。鈴蘭の如く耳に付けられた耳飾りに、柔らかな間延びした口調。
『傾いてるかい?』
以前、そう言って何度も戦場に乱入してきた大男は、私にとって恩人であった。私に武士としての在り方を教えて下さり、真田家の再興にも惜しみなく力を貸してくれた日本一の傾奇者。
「慶次殿も、もうこの世には居ないので御座るな」
あの方だけは、誰かに討たれる姿が想像出来なかった。松風に乗って、日本中の戦場を駆け巡る慶次殿は武士の誰よりも武士の肝を分かっておられた。
己の机に鞄を提げて、私は席に腰掛ける。ピロリンと尻のポケットから鳴ったその音に促されて、私は制服の尻ポケットから四角い物体を取り出した。
平成の世には、あの頃よりとは比べようにもならない程の便利な道具が存在する。この四角い物体ーーースマートフォンとやらもその一つだ。このスマートフォンを持っていれば、スマートフォンを持っている他の者達と言葉のやり取りが出来る。戦場では沢山の伝令と忍が敵の情報を持って走り回っていたが、このスマートフォンとやらがあればその様なことにはならなかったであろう。戦場の常識はこれ一つで覆るのだ。私がこの平成の世を恐ろしく思ってしまう要因に便利すぎる道具の存在があった。
スマートフォンの中に入っているアプリの一つ、RAINに着信があったようだ。三国高校は、基本スマートフォンの持ち込みは可能だが、授業中は使ってならないために電源を消しておくことが定めであった。昨夜、兼人殿と愛と義の相互性について語り合っていた時からそのままにしていたのであろう。私は、返事だけをして電源を切ろうとRAINを開いた。
誰からの着信だろうと思えば、長行兄上からであった。
『晩の七時に雪也の家に向かう』
どうやら、今晩も長行兄上は私に勉学を教えてくださるようだ。長行兄上は、バスケ部に入っており、部活後は大変だろうと思うのだが、私の遠慮を長行兄上は笑い飛ばしていつも我が家に訪ねて下さるのだ。長行兄上は番茶を好まれるので、今日も家に戻り次第ご用意せねば。
『承知しました。道中にお気をつけて』
この平成の世では、牢人や野武士、乞食に陥った農民等に襲われる心配はなくなったが、それでも夜の道中には危険が伴う。私の兄上であればそのような者達に遅れをとったりしないのだが、長行兄上は木刀一つ、握ったことがない御仁だ。各言う沖野雪也も鍛錬などをしたことがない男子だ。私も恐らくは、乱世のように体を思い通りに動かせないであろう。腕も足も真田幸村であったころと比べると頼りないほど細い。
兄上に返事を送って、私はスマートフォンの電源を切った。それを尻ポケットに仕舞った所で、私の目前にはいつの間にか二人の女子が現れていた。
二人共、明依殿のように頭頂部で髪を一つに括っているが、髪質が正反対であるためか同じ髪型をしていても様子が違うように見えた。右側にいる女子はキツ目の顔立ちをしており、髪が波打っているせいか華やかな様相であった。左側の女子は瞳の大きな幼い面相の者で、真っ直ぐに床に伸びた髪が私には厳格の象徴に見えた。彼女達は私の机前に立って、椅子に座る私を見下ろしている。
「ちょっと良い? 沖野君」
左側にいる女子が口火を切った。沖野雪也の記憶では、彼女を天野と呼んでいる。よって、私も天野殿と彼女をお呼びしよう。
「私に何用で御座ろうか?」
沖野雪也の言葉に変わらず、私の言葉が口から飛び出てしまった。彼女達は私のこの言葉に驚いたらしく、面食らったようで女子同士で視線を交わし合っている。
またこの現象が起きてしまった。これで、私の言葉を今生で聞いた人物は彼女達で六人目となる。未だに、この謎を解明出来ないでいる私は頬が引き攣るのを感じた。彼女達の次の台詞が想像できるが、さて、今回は一体どう話せば良いものか。
「沖野君って、そんな話し方してたっけ? ね、ねぇ、稲ーーーゴホンゴホンっ、佐奈? どうだったかしら?」
何故か体調が芳しくない天野殿に私の口調について尋ねられた佐奈殿も視線を泳がせている。
「えっと、確かに稲ーーー私も沖野君の話し方に違和感を覚えました」
何処か落ち着かない二人を私は見渡して、嗚呼、この右側の女子は家康殿を敬愛している女子であったなと初日の出来事を想起していた。確か、このクラスの学級委員長を務めている女子で清廉潔白が服を着て歩いてるような方であったと沖野雪也は記憶している。
まだ一年であり、三国高校に入って間もない沖野雪也が彼女達について知っていることはそう多くないが、この二人はよく一緒に居ることが多いようだ。
「そんなことよりもっ! 聞きたいことがあるの、沖野君! ね、佐奈!」
「え、えぇ。そうなんです。沖野君」
二人はまだ様子が可笑しかったが、本題に移ることにしたようだ。私も口調についてこれ以上尋ねられても満足に返事が出来ぬので、二人の本題に耳を傾けた。天野殿が目配せするように、佐奈殿を見やる。佐奈殿はそれを受けて、緊張を解すように息を吐き出した。どうやら、私に用があるのは佐奈殿であるらしい。私は佐奈殿が話す決心がつくのを待つことにした。
「あ、あの。沖野君。たまに沖野君を訪ねて昼休みに来られる上級生の方がおられるのではないですか。もし、居られるのであれば、あの方は、その、どういった方なのでしょうか?」
いざ決心を固めて佐奈殿が私に尋ねてきたのはその様なことであった。佐奈殿の言に要領が得ない私は腕を組んで、たまに昼休みに訪ねてくる上級生について考え込む。
「髪を一つに縛っている殿方です。柔和な顔立ちで、いつも貴方を優しく呼んでいるお方で。もし、戦地で猪突を繰り返したら、優しく窘めてくれそうな殿方のことなのですけども・・・」
「佐奈ぁ、その説明じゃ流石に分かりっこないわよ」
「嗚呼、長行兄上のことですね」
「って! 分かるんかい!?」
佐奈殿の分かりやすい説明のお陰で、この私にも佐奈殿が誰のことを言っているのか分かり申した。佐奈殿がお探しの人物は、長之兄上のことであるらしい。佐奈殿は「長之殿」とその名を確かめるように呟くと頬を薔薇色に染めた。大層、愛らしいご様子だ。
「その殿方は長之さんと言うのですね。偶然でしょうか、お名前もよくあの方と似通っておられます」
「流石にそれ以上の偶然は無いと思うわよ。そもそも、アタシ達が一緒に居ることのほうがおかしいんだから。でも、アタックするのは全然良いんじゃない? 恋に生きろ! 命短し乙女って言うし」
「アタックだなんて・・・! ふ、不埒ですわ! 甲ーーー夢花!!」
佐奈殿は焔のように顔を赤くして、私に「教えてくださり有り難うございます」と律儀に礼を述べて佐奈殿の席へと舞い戻っていった。天野殿は、そんな佐奈殿の背を追って私の前から居なくなる。
私は帰り際にでも賑やかなお二人を見送って、頬杖をついた。父上はよく、物を考える際に胡座をかいてその上に頬杖をつき、虚空を眺めていたものだ。
長之兄上のことを佐奈殿が尋ねて来られたからだろうか。
兄上に嫁いだ義姉上を佐奈殿に重ねてしまったのはそんなゆえあってか。
私は平成の世に一週間も居るというのに、まだ乱世のことばかりを考えてしまうのであった。
静岡空港はもう少し、バスの本数を増やしてほしいです
家康だって、多分そうしたほうが良いと言ってると思います