とうとう定期テストとやらが一週間後に控えるこの頃、私は二人の友人達と机に座って顔を合わせていた。
「雪也、ここのHelpは助けるではない。困難を切り抜けるだぞ」
「ここのYの解答は間違っている。ただの計算間違いのようだから直ぐに解けるだろう」
「むむっ! 雪也! イニシアチブをとるの意味を間違っているぞ!」
「これは応用だな。公式の選択まではあってるが、そこからの捻りで躓いている」
窓辺の向こうから野球部の元気な掛け声が聞こえてくるだけの静かな空間の中で、私の目前から三輝殿と兼人殿の容赦ない間違いの指摘が飛んでくる。机一杯に広げた各教科の教科書やノートを見比べながら、私はテスト前に配られたそれぞれのテスト対策プリントに向かい合っていた。
そもそもの発端は、昨日の帰り道のことであった。
「此度のテスト、私は良い点が取れるでしょうか?」
「何時になく弱気だな。雪也がそうも気落ちするのは珍しい」
長之兄上に勉学を教わっているとはいえ、私は今最低限の知識だけを詰め込んでいる状態だということは授業で何度も思い知らされた。不意に教師が出してくる応用問題になると、途端にシャーペンが動かなくなる私は、これではテストの点も満足には取れないのではないかと思い悩んだのだ。これでは、折角長之兄上に面倒を見てもらっているのに申し訳が立たない。
私は長之兄上とする勉強会以外でも教科書を開くことにした。休み時間にも開いているものだから、雪也の友達がからかってきたり、心配してきたりするが、私はそのどれもに曖昧な返事を返してテスト勉強に掛かりっきりになった。集中力だけは誰にも負けないだろうと兄上や兼続殿に言われる私は、日を追うごとにテスト勉強に熱を入れていった。
流石にこれは不味いだろうと雪也の友は思ったらしい。特段として、昼餉を抜くほど私もテスト勉強に入れ込んだつもりはないが、彼らから見て休み時間も黙々と教科書に向き合っている私は異様に見えたようなのだ。
『雪也、確かにお前は前に自分で三国高校にはギリギリで入ったっつてたけどな、流石に初っ端のテストがヤバかったくらいで留年はしねぇぞ?』
『そんなに根を詰めてたら鬱になるさー。な、雪也。ちょっとは体動かそうぜ』
『そうそう。世の中程々が大事なのよ。程々にやってれば案外なんとかなるもんだ』
机に置いていた教科書を取り上げられ、友達に促されて中庭へといつの間にやらつれ去られた。そこでバレーをしたり、ドッヂボールをしたりしている内にすっかり私は友人達が計画した息抜きのドツボにはまっており、休憩時間中にテスト勉強をすることを忘れてしまうようになった。
私が、兄上や兼続殿に褒められた集中力の半分を乱世に忘れてきたのか、それとも沖野雪也が元来飽きやすい質で御座ろうか。私はその原因究明もままならない様で、テスト一週間前を迎えてしまったのだ。
なので、そんな折にこんな愚痴めいたことを零してしまった。愚痴など吐いてしまうとは、己の弱い精神が情けない。知らず知らずに漏れる嘆息が己の虚弱さを主張しているようで嫌になる。
三輝殿と兼人殿はお互いに顔を見合わせて、次いで二人揃って私に顔を向けた。
「そこまで雪也が追い詰められているとは思わなかった・・・そうだ、明日に勉強会をしないか? まだ明日は水曜であるし、テストまで時間があるだろう」
「おお! 名案だな! 三輝!! 私も勿論参加するぞ!!」
「三輝殿、兼人殿・・・」
私はいつもこの二人に助けられてばかりだ。二人が私に注いでくれる友愛に私は何度感謝してもし足りぬ。せめて、暗い顔は見せまいと笑顔を取り繕ったが二人は何故か顔を顰めて、顔を横に振った。
「これは重症なのだよ。雪也が表情を取り繕い始めるだなんてあり得ぬ」
「うーむ。これは気を引き締めてやらねばな!」
こうして、翌日に友二人から勉強会を開いてもらったのだが、私はそのかいあって二人から指導を頂いていた。「気合が入るぞ!」と兼人殿から『必勝!』と書かれた鉢巻を頂いたので、それを額に巻き私は改めて気合を入れなおした。その姿勢で、各教科に挑んだのだが、勉学というのは鍛錬と違い、気合でどうにかなる部分があまりに少な過ぎた。
「確かに雪也は昔から勉強が苦手であったが、どうにも釈然としないのだよ。長之さんを追って三国高校に入るって言った時もこの様に苦労していたが、今の雪也とはその仕方も違うーーーーーそうだ、この躓き方はまるで何年も勉学に身を置いていなかった中高年のよなのだよ」
半分以上的を得ている三輝殿の言に内心で冷や汗をかいた。私は短くとも九度山に入った時期からはあまり勉学をしなかった。そして、この時代の知識をまだ持て余していることもある。
三輝殿の隣に腰掛けている兼人殿がポンと会得したように拳で掌を叩いた。
「確かにそうだな! 曾祖母が鶴の降り方を忘れたと言って教えた際と被るような気もする」
「ああ、あの御年百歳を超えられる元気な方だな。人間五十年と詠った信長も驚くだろう。まさか、人間が百歳も生きるとはな」
「私も曾祖母を見習って百を超えることを目標としているのだ!! そして、ギネスブックにこの浅越兼人の名を刻むのだ!!」
「こんな暑苦しいご老人は俺としては願い下げだが、ま、頑張るんだな」
私の耳は最早、機能することをよすことにしたのか三輝殿と兼人殿の会話さえ取り込まなくなっていた。二人に指摘された間違いを脳を捻りながら必死に直していき、机の上に大量の消しカスが生まれていく。何度も何度も書きなおしているせいか、紙も若干薄汚れてきているが私は構わず解答をその上から書き続けた。
私達が勉強会を始めて、一時間が経つだろうか。漸く、英語、国語、物理が片され私も始まる前よりかは幾分か気持ちが楽になっていた。大きく伸びをしている私の前で三輝殿が口の端を引き攣らせ、兼人殿が感心したような顔つきで正答に辿り着いた紙を手にとり眺めている。
「俺達の声が聞こえなくなるまで集中するとは、な。しかも、一度した間違いは絶対にやらぬ。似たような応用ならば、閃きで正答に辿り着ける・・・」
「流石だな、雪也! しっかりと私達の教えを覚えられているようだ。この調子ならば、テストもそう悪い点は取ることはないだろう」
「真で御座るか!?」
つい兼人殿の太鼓判に食らいついてしまった。しかし、私のいきなりの問いかけに兼人殿は鷹揚に頷いて、躊躇いなくそのまま太鼓判を押してくださった。
「中学の時ときと比べてやはりかなり違いがあるなーーーーーどうにも被る。やはり、雪也はーーーーー」
盛り上がる私と兼人殿の傍で三輝殿は何やら考え事に耽っているようだ。顎に指を置いて、ぶつぶつと頭を整理するように独白を何度も行っている。私は三輝殿の邪魔をしては悪いと思い、その独白の意味を問うような野暮はしなかった。暫く休憩にしようと言う兼人殿に頷いて、茶を飲むためにこの部屋を後にしようと席を立った所で、同時に部屋の戸が開く。
未だに考え事をしている三輝殿は戸が開いたことに気が付かなかったようだが、いざ外に出ようとしていた私と兼人殿はそれに気付いた。戸は遠慮がちに小さく開いて、外からひょこりと男子の顔が出てきた。
天然パーマというものであるのか、特徴的な癖毛を持つその男子は、私達の姿を確認して顔を綻ばせた。
「まだ居られましたね。学習室に入ってから一時間も経つので、もう帰られたのかとも思いましたが、居られたようで良かったです」
柔らかな笑みが似合うその男子は戸を完全に開ききって、部屋の中へと入ってきた。その男子に兼人殿の誰何が飛ぶ。誰何と言ってもそう険しいものではない。
「貴方は、どなただろうか?」
不思議そうな顔つきで入ってきた男子に名を問う兼人に、男子はしまったと口に手を当てて慌てた調子で自分の名を告げた。
「私は早川悠です。二年生で、図書委員を務めています」
「ああ、図書委員の方でしたか。もしや、学習室で用が御座いましたかな? 今日は私達以外誰も居らず貸し切りでしてな、机はかなり余っておりますぞ」
男子は悠殿と名乗り、この学習室が併設されている図書室の管理を任された図書委員の人間であるようだ。上級生と知って、兼人殿が悠殿に言葉を改めた。
「いえ、そういう用事では無いのです。実は、今図書委員会が企画した『本好きの会』を開催していまして。皆さんが学習室に入られて一時間の時が経ちますから良ければ息抜きに少しだけ参加されないかと誘いに来たのです。もし、勉強の邪魔をしたのであれば申し訳ないことをしました」
私はこの前の女子達の会話を想起して、その様な会があったことを今しがた思い出した。私はこの時代の本には疎いゆえ参加を断念したのであったが、そう言えば今日行うとあの紙には書いてあったのだ。この悠殿の誘いに歓喜したのは兼人殿であった。
「おお! その様な催し物があったのか。なかなかに有意義な会であるようだな」
「ええ。とても面白い会ですよ。本であるのならば基本何を持ち込んでも咎められない気楽な催し物です。漫画でも雑誌でも、兎に角紙に文字の列が並んでおり、それを複数枚で綴じた物であれば良いのです。文も冗長であろうが、短文であろうが構いません」
「正に本好きが集まる会・・・という訳なのだな」
悠殿に本好きの会について説明を受けていると、三輝殿が漸く物思いを止めて我々の会話に加わられた。三輝殿も本は嫌いではないだろうから興味深い話なのだろう。悠殿は三輝殿の確認に更に柔和な笑みを深めて「はい」と頷く。
「本好きに悪い人は居ません。いえ、本を語っている最中の人に悪い人は居ないと言うべきでしたね。何事も自分の好きなことについて語っている最中であれば、人は鷹揚になれるものです。その最中に癇癪を起こす人などそういません」
「己の話さえ遮られないのであればな」
「ああ、確かに自分が感想を話している最中に割って入られるのは嫌ですね。つい、水を飛ばしてしまうかもしれません」
悠殿の冗談に兼人殿も「その気持ちはよく分かるな」と同調していた。私はあまり、好物について語ることはないので今一会得出来る話ではなかった。うむむと私なりにその話についての落とし所を探っていると三輝殿が悠殿に顔の前で手を振っていた。
「悪いのですが、今回の会は控えさせて頂きたい。雪也もまだ不安が残っているようですし、我々も彼の面倒を見ると言った手前、その様な催し物にうつつを抜かしたくはないのです」
「かなり心惹かれる催し物ですが、三輝の言うとおりですな。もし、また開催されるようでしたらその際に伺いたいものです」
「お二人方、私に遠慮は入りませぬが・・・」
話の流れからして、お二人方は本好きの会に参加されると思っていれば、お二人方は私の世話を見るために参加されないと仰られた。私にとって、その気遣いは嬉しいところだがそうまで己のことで負担を掛けたくない。
しかし、三輝殿も兼人殿も否と言って前言を撤回しないのであった。
「何を言っている。別に雪也に遠慮等していない。俺はお前の面倒を放課後見ると言ったのだ。約束は違えぬのだよ」
「そうだぞ、雪也! 愛と義の戦士が約束を違えるなど不義なことはせん!!」
お二人方は私との約束を守ると言ってこの場に居続けてくれるつもりだ。私は感極まってお二人方の誠意に頭を深く下げた。私もこのように立派でありたいものだ。
「どうやら私は余計なことをしてしまったようですね」
「いえ、そうのようなことは御座らん! 私もまた本を読み始めたらこの会に参加しとう御座います!! その際は、無骨者の私ですが歓迎してくれましょうか」
大阪ではこ田舎の粗忽者と言われていた私だ。この様な文化人の集まりに参加しても良いものかと今更であるが一抹の不安を抱いた。しかし、悠殿はきっぱりと来ても良いと断言してくださったのだ。
「勿論です。この会には貴賎はありませんし、参加するにあたって必要な素性は三国高校に在籍しているという点だけです。私としては、学外からも募集したいのですが、警備上それは難しいとのことで・・・。まだ見ぬ本と巡りあうことこそがこの会の趣旨なのです。なので、どうか気負わずに参加してください」
悠殿の懐の深さに私は感服いたした。口元が緩んでいくのを止められず、私は誘ってくださった悠殿にも頭を下げた。
次の本好きの会には必ず参加しとう御座るな。テストが終われば、書店にて何点か購入しようとこの時決めて、私は兼人殿とその後予定通りに茶を飲みに廊下に出た。学習室に出る際に悠殿とも一緒に出たのだが、その折に悠殿に「貴方はまるで武士のようですね」と笑い混じりに言われたことには少々肝を冷やすことになった。
そう言えば、オロチ3を買おうか買わないかで悩んでたんですが、このままだとその悩みを抱えたまま年を越しそうです