『私は他人に、時間とは何かと問われなければ時間がなにものであるかを知っている。しかし、他人に時間とは何かと問われれば途端にして正体を見失ってしまう』
ーーー先日、読んだ書にその様なことが書いてありましたが、私としても身に覚えのある話でした。
ああ、申し遅れましたね。私は現代では中国地方で幅を利かせていたと言われている毛利元就の三男坊にあたる小早川隆景と申します。流石、父上と言うべきか四百年経った今でもその名は日本中に轟いているようで、息子としては鼻が高い限りです。
流石に四百年も経っているので意識はともかく、小早川隆景としての体は既に朽ちています。今は早川悠という『楽市楽座通り』にある『早川文具店』の小倅です。今回は長男として産まれて、頼りになる兄弟もいない一人っ子という身の上。賑やかだった兄上達がいないのは少々寂しいことです。
今生でも活字中毒を患っている私は、やはり本が手放せず齢三つにして本の虫の二つ名を家族から頂くことになりました。あの頃は私もどうかしていたのです。まだ文字が読めるはずもない、赤子に毛が生えたような時分から本を読むことが、どれほど異常だったのかを客観視出来ませんでした。
しかし、私は三年も本から遠ざかっていました。毛利の家族であれば、私を労ってくれたでしょう。『よく三年も耐えたな』と。
けれども、今生の家族は下町にあるうらびれた文具店の一族です。戦前からあると言う歴史しか取り柄のない文具店の店主の父上と母上は、私のこの読書行為を少々気味悪がりました。
隠居した祖父だけは私を分かってくださり、本を定期的に与えてくれたのですが、私は久々に孔子が読みたくなってそれを所望するとひっくり返られてしまいました。
ーーー確かに、まだ七つにもならない童が孔子を所望するのは少し可笑しかったのかもしれません。
毛利家であれば、父上が大手を振って与えてくださったのですが・・・私の書庫もですが、父上の書庫も大層立派でした。
今生の父上はあまり書を嗜むことがなく、テレビでの野球観戦と昼寝だけを趣味としている方で、そのためか私との距離のとり方を未だに迷っておられるのです。
母上はもう私のこの活字中毒っぷりを認めて、放っておいてくれるのですが。まさか、今生では親子関係に確執が出来るとは思いませんでした。
私達毛利家は、あの乱世では珍しいくらい仲が良かったのです。父上も我々兄弟を三本の矢に例えて下さって、いつの間にやらその三本の矢が私達兄弟の二つ名になっていた時は驚きましたけど。
「ハァ。毛利のことを考えていると父上の冗長な伝記が恋しくなってきました。今生でも物書きな父上が欲しかったと言えば贅沢になるのでしょうか」
「元就公は物書きでは無かろう。あの方は安芸の大名であった筈だ」
「確かにそうでしたね。でも、父上は川に流されながらも筆を離そうとはしませんでしたから」
つい愚痴のようなものが口から飛び出ると返信がありました。本好きの会が、完全下校の七時までに終わり、私は主催者として椅子を片付けたり、図書室の戸締まりをしていました。そして、図書室の鍵を職員室に返還したところで、私の話し相手となってくれる英語教諭と鉢合わせたのです。
「あ、彼処の和菓子屋は中にイートインスペースがあるんですよ。良かったら団子でも食べて行きませんか?」
「駄目だ。駐車場がないゆえ駐車出来ない」
「ああ、それは仕方ないですね。母さんの夕飯もあることですし、今日は諦めます」
私が座っている助手席の隣りにある運転席でハンドルを握っているのは表立っては言いませんが、顔色の良くない青年です。この青年は、職員室で鉢合わせた英語教諭です。春夏秋冬、祝休日でもダークスーツを着込んでいるので何時も厳格な雰囲気を彼は漂わせています。
「それにしても、まさかあの両兵衛の黒田官兵衛殿から英語を学ぶことになるとは・・・生きていると何があるか分からないですね」
「同意だ。まさか、私も卿にものを教えることになるとは思わなんだ」
「キリスト教の洗礼を受けていることもあって、官兵衛殿の和訳はとても美しいです。私は貴方の授業が好きですよ」
「それは結構」
生徒と教諭が二人だけで車内にいるこの状況、もし私達の性別が違っていたら、軽く警察沙汰になっていたでしょうね。人間というのは何時の時代も変わらないものです。
私と官兵衛殿はただの生徒と教諭という関係ではありません。
前世では、何度か戦場で智を競うことになり、雌雄を決することもあった好敵手という関係でもあるのです。
彼の前世は黒田官兵衛。秀吉様の下で竹中半兵衛殿と共に知勇を奮っていた偉大な軍師です。彼等はその知勇を畏れられて、両兵衛と日本中から呼ばれていたんですよ。
私が亡くなった際はその官兵衛殿が惜しんでくれたという逸話が残っているんです。前にそのことについて聞いてみたのですが、真顔で「事実を言ったまでだ」と言われました。彼にそうまで褒められるとは、私も男を上げたものです。
官兵衛殿が運転する車が赤信号で止まりました。道案内しなくとも、私の家まで車を走らせてくれる官兵衛殿に、今日で送られるのは何度目かなと少し考えました。
彼の存在を知ったのは高校に入学して一年目の秋でした。図書委員として真面目に働いていたおりに、たまたま前を通り過ぎた英語準備室で孔子の暗唱が聞こえたものですから、つい気分が昂ぶって突撃してしまったんですよね。
そしたら、その人物が官兵衛殿だったのです。何故か英語の教材を片手に孔子を諳んじていた官兵衛殿でしたが、私を見て目を丸くするや一つ。
「卿は、小早川隆景か」
後から聞いたのですが、今の私の姿と前世の私の姿はよく似ているそうです。そして、その日はまだ読んでいる途中の人間失格を持っていたものですから、直ぐに宛がついたようです。
もし、その片方の手に剣を持っていれば、戦場で会ったのかと錯覚しそうになったと言っていました。
私達は直ぐ様お互いの状況を報告し合いました。官兵衛殿も至って普通の中流家庭に生まれついたものの、なんの運命の悪戯か黒田官兵衛の魂のまま生まれてしまったと途方に暮れていました。
しかし、彼は切り替え早く仕方がないと早々に自分の状態の整理を行ったようです。現代と乱世の理の違いに戸惑うことはあったようですが、どうにか就職も終え、あとはどう余生を過ごそうかと考えている最中とのこと。
まだ三十にもなっていないのに、些か老後に思いを馳せるには早すぎるような気がしますが、よくよく考えれば彼と半兵衛殿は乱世の間もずっと隠居したがっていた覚えがあります。
赤信号が青に変わり、車が発信します。アスファルトによって整備された広い車道を、今でもたまに奇怪に思ってしまうことがあります。官兵衛殿は私よりもこの平成の世を長く生きていますが、一体どういう心境にあるのでしょうか。
二十を過ぎ、三十近くになっても私はまだ平成の世に不慣れなのでしょうか。
乱世をまだこうやって具に眺めているのでしょうか。
嗚呼、疑問がとめどめなく沸いて出てきます。
その質問を官兵衛殿にすることは酷なような気がして、私は窓からすっかり帳の降りた東京を眺めました。闇夜の濃度も違うこの東京で、四百年の時の長さを感じます。この日本は私達が戦に明け暮れていた日本とは別物です。
この日本は私の知らない日本。
そのことが時に・・・胸に虚空を抱いたような心地になります。
「官兵衛殿、私は国会図書館の司書を目指そうと思います。日本で一番本に近い場所だと思うのですが、なかなか良い将来設計だと思いませんか」
官兵衛殿はフロントガラスの先から視線を逸らさないまま言葉を発します。私の弾んだ声音に影響されない、どんな時も抑揚のない声音は自然と私の揺れる心内を宥めているようでした。
「卿らしくて良いのではないか」
半ば予測していた官兵衛殿の返答に笑みを深くして、私は流れ移ろう車外の景色を車が止まるまで眺めていました。
山口県民は吉田松陰先生を大切にしていますが、毛利家も誇りにしています
安芸大名や長州藩といった曲者を産み育てたかの地にはいつか行ってみたいものです