団地下のコンビニエンスストアで買い物を済ませ外に出る。
「あ」
「おん?」
この日、低斗はかつての相棒であった迎井高司(むかいたかし)と出会った。
「げっ!? 低斗……」
「うわぁ……高司……うわぁ」
身長が162センチ程度の、作業着を着て髪を金髪に染めた、如何にも柄の悪い男。同年代なのにタバコや酒の味を知っている、いわゆる外れ者だ。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
高司は声を荒げ、低斗の胸ぐらを掴もうとする。低斗はそれをするりと受け流し、背後に回る。
「落ち着け。お前と会いたくて来たわけじゃない。ただ夜食を買いにきただけだ」
「オレだってお前に会いたくて来た訳じゃあねぇよ! タバコ買いに来たんだよ!」
「法律くらい守れよ。まだ未成年だろうに」
しかめっ面した高司は「うるせぇよ」と捨て台詞を吐くと、ノロノロとコンビニの中へと入っていった。
低斗は夜空を見上げながら、高校生の思い出に耽る。飾りでもあり、傷でもあるあの頃の思い出。今思い返すと鼻で笑えるような、だけどその頃はとても必死だった、そんな日々。強く、ただひたすらに強く生きてきたあの頃の思い出に、勝るものはきっとない。それほど輝かしく、汚れきった経験なのだ。
買い物を済ませた高司は用もないのにまだいる低斗を目の敵にし、
「なんでまだお前いるんだよ」
すると低斗は高司の目を真っ直ぐに見据えて、伝えた。
「バイクの後ろに乗せてよ」
「は?」
「少し、話したいことがあるんだ」
無言で振り向き、歩く高司。彼の乗っているバイクは黄緑色がよく映えるビッグスクーターで、年季が入ってるものの、古さは感じさせない機体だ。
エンジンをかけると、高司は短く「乗れよ」と言った。
「ヘルメットは?」
「んなもんねぇよ」
***
バイクは高台を目掛けて走り出した。目的地に着くまで、2人は無言だった。心地よい向かい風が頬を伝い、学生という縛られた立場である毎日を忘れさせるよな解放感を与えてくれる。夜空を眺めると、今日は十六夜だった。となると、あいとの夜は14日目の月だったのかと勝手に解釈した。あの日は今日より星が少なかった。いや、街中だから街灯に埋もれていたのだろうか。少なくとも久方ぶりの相棒との再開を祝福するには、十分な月と星の明るさだった。
コンビニから走り出して約10分。ベンチがある広場についた。この広場からは街の景色が一望でるのだが、眺めは最悪。例えるならそこから見る街の風景は何かの実験施設のように見えてしまう。しかし高校生の時、彼らにとってここは憩いの場だった。それが何故だったのか。理由はもう忘れてしまった。
がらんどうの駐車場にバイクを駐車し、低斗は街の見える所へ、高司はベンチへとそれぞれ移動した。
「それで? 何でオレを呼び止めた?」
高司はコンビニで買ったメンソールのタバコに火を付け、項垂れながら話しかけてきた。姿だけ見ると、職人という言葉が中々板につく。彼の職業はペンキ屋だっただろうか。言い方が変かもしれないが、そういう匂いが見て取れる。
「……あいに会った」
「はぁ!? あいって、あの都市伝説のか? マジか実在したのか……」
驚いた顔をした高司はタバコを持っていない方の手で頭を抱え、
「で? ヤったのか?」
「いやヤってない。そもそもそういう話じゃない」
「じゃあなんでオレを呼び止めたよ? てかそんなことでオレ呼び止めたのか?」
低斗は振り返り、街の風景を眺めたまま目を瞑った。バイクに乗っていた頃とは違った夜風がすり抜けていく。風で本のページがめくれるように、昔の記憶が少しだけ蘇った。沢山のことを忘れてしまった今だが、何故この場所が好きだったのかわかった気がした。
***
着いた先はラブホテルだった。橙色の灯りが柔らかな雰囲気を演出し、白い壁は先入観を無くし溶け込みやすい空間を創っている。当然のように置かれているダブルベッドはここに女の人と入ってしまった意味を説教を聞かされるかのようにこの目に焼き付いた。10畳程の広さの、特に当たり障りのない部屋だ。
恐らくあいは客によって場所や接し方を変えるのではないだろうか。客の望んだままの人に、場所に、行為に……。そうして人を癒し、『救う』。それが彼女、なのだろう。
「それじゃあシャワー浴びましょうか」
荷物の整理が終わったのか、彼女は低斗に話しかけた。「レディーファーストでどうぞ」と返事をすると、彼女は「あら、ふふふ」と微笑み、そのままバスルームへと姿を消した。 自分でも洒落た言葉を使ったもんだなと思う。
自分で言うのも何だが、岸田低斗という男はとても真面目な人間だ。不良のクセして学校をサボったことは一度もなかったし、なんなら周りが掃除をサボっていたとしても、1人で黙々とするような人間だ。酒もタバコもしなかったし、周りが無免許でバイクを乗り回している時も、健気に自転車で追いかけていた。どこまで落ちぶれたとしても、人間として最低なことはしなかった、できなかった人間だ。
そんな自分が、何故娼婦に誘われ、イエスと返事をしたのだろうか。相手があいだったから? たまにはやんちゃしたいと思ったから? 純粋に女に興味があったから?
わからない。今日のことは多分これからも、一生解せることはないだろう。
なんだか座ろうにも落ち着かず、あいのことを立ったまま待った。それにしても遅い。かれこれ5分は経った。高司はよく「女子の着替え、風呂、買い物は長くなるのが当たり前」と言っていたが、自分がせっかちなだけなのだろうか。低斗はその体制のまま天井を仰いだ。
その数分後に、あいは風呂から上がってきた。バスタオルを体に巻いた状態で、服は着ておらず、まるでこのホテルが自分の部屋であるかのように振舞った。立ちっぱなしで待っていた低斗を見るとクスリと笑い、
「別に座っていてもよかったんですよ?」
「……別に。なんだか座るのも落ち着かなかっただけだ」
そう返事をすると、低斗も風呂の方に歩いて行った。
脱衣所からは気のせいか、少し甘い匂いがする。女性特有というよりは、きっとあいの匂いなのだろう。服を脱いで床に脱ぎ捨てると、そそくさとシャワーを浴びた。
***
あの頃の僕達は、間違いなく少年だった。
拳を握りしめ、現実と闘った。気に入らないものには片っ端から喧嘩を売ってきた。
でも、だからこそ、痛みがわかるのかもしれない。
***
シャワーを浴び終わると、さっき着ていた服を着て、ベッドの方に向かった。
バスタオルを巻いていたあいは、水色がかったベビードールに着替えていた。低斗を見ると、無言で手招きする。
「じゃあ、しましょうか」
ベッドに座ると、あいは話しかけてきた。右手で安心させるかのように手を握り、左手で宥めるかのように肩を撫でた。慣れない感覚に、体が小刻みに震える。彼女からは風呂場で嗅いだ時よりも濃厚で、優しい彼女特有の匂いが、もてあそぶかのように鼻孔をくすぐった。左手が少しずつ肩から首、頬えと伝ったところで、低斗が口を開いた。
「寝るだけでいい」
「え?」
「一緒に寝るだけでいいから。それ以外は何もいらない」
まるで豆鉄砲をくらったかのような顔をするあいに、更に続ける。
「僕真面目だから、やんちゃしようとするとすぐ失敗する。それになんだか罪悪感にも付きまとわれるし。だから、寝るだけでいい」
自分の本心を包み隠さず言った。そう、これが自分、岸田低斗なんだ。
満足気に少し胸をそらしてみると、口元を抑えながら笑うあいがいた。
「そんなお客さんは初めて。面白いんですね」
「よく言われるけど、どこが面白いのかよくわかりません」
「その真面目なところですよ」
「存在まるごとじゃないですか」
その返答にまたくすくすと笑うあい。彼女は立ち上がると、自分のベッドに入った。
「ほら、来てください。大丈夫、何もしませんから」
やんちゃのつけが回ってきた。これから低斗は、小さな罪を犯す。