内角108度。
私、小阪ちひろは高校二年生です。
勉強はそこそこ、運動もそこそこ、ルックスも多分そこそこ。なんなら大概そこそこ、そこそこに高校生をやっています。悪くはない、悪くないなと思っています。楽しいです、高校生。そりゃあ、悲観することもなくはないですけど。
幼馴染はミスコンに出てしまうような陸上美少女、ライバル(私の自称だけど)は言わずと知れたトップアイドル。他だって純真無垢で可愛い自称悪魔、王子気質のお嬢様、とっくに大人な雰囲気のクラス委員…………そうなると、少しは自分を卑下したくもなるものです。こいつらのせいです。
よく成績を表す五角形でいうと、私のは平均値でまとまった綺麗な五角形です。悪くはありません、内角全て108度。でも、たまにやっぱり尖ったものに憧れます、鋭角の30度。って歩美分からないかな。
歩美みたいに、かのんちゃんみたいに、エリーみたいに、結みたいに、みやこみたいに。でも、私は彼女らにはなれません。どう憧れたって、なれません。
でも、逆もまたそうなんです。彼女たちだって、私にはなれない。私は私です、小阪ちひろです。それを示したいから、もしかしたら示さないと不安だから、私はこうしてたまに歌います。喋ります。そうしたら誰かがそれを拾い上げてくれて、こんな平凡な私の塊でも誰かに届いたんだって私が勝手に思って私がーーーー
ーーーーダメ。ダメだ。天を仰ぐ。
「あちゃ〜〜、惜しいなぁ」
まとまった、と思ったのに。私はマイクを消して、ため息をつく。電源プラグを抜いたテレビに、情けないような、にやけたようなどっちつかずの私の表情が映っていた。
いつもならうるさくPVが流れているカラオケ店だ。練習のために、とはいえ静かすぎて落ち着かない。電源を入れ直そうとして、堪える。もう少し続きを、と思った。
ーーそうやって誰かが拾ってくれたら、少しずつ、そう少しずつ。私も、きっと尖っていけると思うんです。もちろん、聴いてくれた誰かも。音楽に限った話じゃありません。なんでも、そう。勉強も、恋愛も本当なんでも少しでも尖って、変わっていけたら。
そうしたら、私もいつか、もっと私になります。誰かもきっと。
私は高校二年生、小阪ちひろです。悩みは朝、髪が跳ねること。嬉しいのは、好きな人の笑顔を見ること。好きなのは、…………歌うことです。歌わせてください、いつかのために。じゃあ聞いてください、『ハッピークレセント』。
「…………は?」
腕組み、これまでただ黙して聴いていた彼が表情は変えないまま一言漏らす。明らかに不服を示す態度に、なにと聞き返した。
「いや、なんでこのタイミングでカバーなんだよ。どう考えても流れが違うだろ。物事ってのは流れの生き物で、AがあるからBになるのに、今のだとAからGだ。普通、ここは自作の曲だろ。それにーー」
途中、長い説法を聞いている気分になって、後頭部の髪を正す。ゲームに限らず、語り出すと厄介なやつだ。でもそれだけ真剣に考えて聞いてくれた、ということではあるわけで、それは嬉しくなくもない。あぁ、笑顔だけじゃないな、見られて嬉しい表情は。
気づいたら思いが高ぶり余って、横に倒れこむ。そこは桂馬の膝上、肉付き加減は歩美以下だけれど、心地は何者にも変えがたい。
「……なにさ、いいじゃん」
「よくない」
頭を優しく持たれ、下される。ソファの弾力は中々のものだったけれど、彼氏のももには敵わない。
仕方なく起き上がる。頼んでいたポテトフライをつまむ。味は期間限定、イチジクミント。割と絶望的に合っていない。
「よくそんなの食べるな、とか思ってるでしょ」
「……まぁ少し」
「桂木、一本でも食べた?」
桂馬は、ふるふると横に首を振る。
そう、私は高校二年生。まだいたずらだって、してもいいはずだ。
「美味しいんだけどなぁ。私の味覚が間違ってないこと、彼氏さんに証明してもらいたいんだけど」
「……ちひろ、からかってるだろ。大体僕は甘いものは苦手なんだ」
「さて?甘くないってば、ミントのおかげでさっぱり。それは食べたら分かるよ」
桂馬が半信半疑、そろりとポテトへ手を伸ばす。私はその隙に、コーラにたくさんのレモン汁とシロップを合わせた特製ドリンクを桂馬の手前に移した。
さっきドリンクバーで作ったのだ。一口飲んだけれど、喉が目覚めるみたいな味がした。
口にポテトが入ると、よほどまずかったらしく頬が歪む。私が笑っていたら、桂馬はドリンクを手に取った。けれどそれは、別で桂馬が用意していた烏龍茶で。
一息で飲み干して、
「さすがに引っかからないからな」
ちょっと得意そうな顔をする。可愛いなぁもう、と思いつつもなんのこと、と素知らぬふりを決めて、またポテトを一本取る。やはり美味しくはない。
「そもそもなんでこんなフレーバー頼んだんだ」
「物は試しって言うじゃん?ほら、私バンドマンだし!なんでもやって、なんでも歌にしちゃうの」
「……クズバンドマンが不倫の言い訳にしそうなこと言ってるな」
その言いようは、ちょっと胸に応えた。じっと桂馬を見つめる。眼鏡の奥、つぶらな瞳が少し左に逸れた。それでもじっと見据える。
「クズじゃないし!私、割と一途……だから」
「き、急に真面目になるなよ」
私は首を振った。そうじゃない、そうじゃなくてーー
「わ、分かってるよ、そんなこと」
まぁこうでもないんだけど、赤点ではないか。
私は桂馬の首の後ろへ手を回す。男の子にしては長い後ろ毛、多少手入れが行き届いていなくて産毛も混じっている。
指先の感覚に、心臓が高鳴った。桂馬はどうだろう、触れれば、寄せ合えば分かるのに。そっと背中を抱いて寄せてくれれば、思えどそううまくはいかない。
「なんだよ。そんな正面から見られても、僕は動揺もしないしなにもしない」
簡単に突き放されてしまった。動揺くらい、したかと思ったんだけど。
あんまり何度もやると、効果も薄れるということだろうか。言われてみれば、最近はよく同じように仕掛けていた。回数過多かもしれない。
しかし、とはいえ。ここはライブMCの練習だとか、勉強だとかなんとか言って連れ込んだカラオケ屋、密室である。その点では、学校や帰り道とはわけが違う。
みすみす、この機を逃すわけにはいかない。それは、たとえ店員さんに見られていようが関係ない。ネットに流されないのなら多少見せつけてやってもいいとさえ思う。
私はまたマイクを握って、朗々とMCの練習を再開する。連れ込む口実にしたとはいえ、これも大切なのは確かである。画面越し、反射して映った桂馬の顔は呆れた様子だった。
でもめげませんよ、私。普段からゲームにばかり精を出して構ってはくれないことも多い彼に、恋しちゃった所以、これくらいは耐えられるようになっていた。
私はまた朗々と話す。MCにもバージョンがあって、今始めたのは、さっきのとは別の特別版だ。文化祭とか、呼んでもらったライブハウスとか大きな場所でやる時のとっておきである。
そして、今回はさらにスペシャル仕様だ。
ーー曲には色々な種類があります。
誰かのために作った曲、私のための曲、みんなの思いを写し鏡にした曲。どれも私にとって、欠かすことのできないワンピース、あっ服じゃなくてかけらなんですけど。どれも特別で大好きで愛しいです。でも、それよりなにより特別なのが一曲だけ。
それは私が書いたんですけど、実はそうじゃないかもしれなくて。気づいたらできていて、誰かに書き上げられたみたいに、手が勝手に動いて作った曲です。私の、大切な人に贈る、そんな曲です。
ちらり、桂馬をまつげの先から伺う。さすがに少しは照れているだろうか、果たしてそんな淡い期待は少しだけ報われていた。頬の上がほんのり赤らんでいる。だが、私にはまだまだ手がある。
「聞いてください、「らぶこーる」」
「って、またカバーかよ!?ちひろが書いたものじゃないし」
「桂木ってば、やけに、かのんちゃんの曲詳しいね」
「そんなことはいいだろ!」
眼鏡の奥のきりりとした瞳が尖る。
またお説教の開始だ。ちょっとは甘い言葉と展開を期待してくれた証拠か、さっきより当たりが強い。いい傾向である、相手は確実に籠絡されかかっている。こうなれば、畳み掛けるのが定石というもの。のらりくらり説法をかわしていたら、撒いていた種がついに芽を出した。
「ダブルジンジャーソーダで〜す」
大学生風の店員が部屋に入ってきて、飲み物を置いていく。交互に私たちの顔を見たのは、どんな関係かと確認したかったのだろう。
恋人に見えたにちがいない、きっと。私は自信があった。ちょっと胸を張って店員が出ていくのを見送ると、桂馬は不満顔をしていた。
「こんなの頼んだのか?記憶にないけど」
「うーん、……私もないな。おすすめください、とは言ったけど」
「それしかないじゃないか。でも、これがおすすめってとんだリア充志向の店だな」
「今は桂木もじゃん」
桂馬は、それには応えなかった。ただ、二つの口に分かれた一本のストローを、引きつった目で見ていた。ダブルとはつまり、カップルドリンクのことである。
無論、私が頼んだのだ。ドリンクバーを取りに受付に行った際、こっそりと。おすすめ品は別にあった。たしか、タコのシソ唐揚げ。在庫を間違えて発注したらしく、余りに余っているとか。けれど、それは私には関係のないことである。問答無用で、これを頼んだ。甘いものが苦手なのは百も承知であるから、クリームメロンソーダはやめた。
「ゲームなら返品しているところだよ。まぁもう仕方ない。僕のコップに移してーー」
「仕方ないから、このまま飲もうよ。もったいなくない?」
私はカップを持ち上げた桂馬の手を上から抑える。温かい手だ、指だ。その隙間に指を絡められたらな、想像する。そしたらきっともう離さない。握ったまま家に帰って、一緒にご飯を食べて起きて一日を過ごす。そうやって日々を繰り返したい。
「だって、言ったらこのストローだけでお金かかってるようなもんだよ。ジンジャーエールなんて、ドリバーにもあるんだし」
「……通常盤と限定盤で、挿絵が少し違うだけのゲームみたいだな」
「なに言ってるのかわからないけど、いまのこれが限定ってこと?」
「一応、そうなる」
私はピンときた。百十番じゃない。
「いつも、桂木はゲーム見つけたら限定を買えって言うよね」頬が、人形が糸を引かれたかのように釣りあがってしまう。テストはいつも満点、学年一位は当たり前の桂馬に、理論で勝つなんて滅多にない話だ。
「それとこれとは」
「別じゃないよ、同じ。これはゲームだと思えばいいよ」
しばらくの沈黙のあと、桂馬は横に広いグラスをとる。
「……じゃあ、ぼくは左のストローで先に飲むから、ちひろはあとで」
「それ意味ある?って言っても仕方ないか〜〜」
「そうだそうだ、全く」
もちろんつゆほども思っていない。
桂馬がストローを咥えたのを見はからって、私は反対側のストローを口で捉えにかかった。先を噛んでしまったが、しょうがない。
髪が頬にあたる。肌触りのよい髪だ、もしかしたら陽に当たらなさすぎたせいなのかな。
私は一口さえ飲まないまま、その髪を手に取る。
「お、お前!いきなりされたら驚くだろ!」
いよいよ動揺を隠せなくなった桂馬が慌てて私から距離を取る。ジンジャーソーダの表面に泡が立った。ほんとガードが固いったら。
宝石のように大事に育てられた女の子みたい。私?私は、この際、手段を選ばず宝石を狙うお宝ハンターでもいい。
「ごめん!急に飲みたくなったの」
「急すぎる!ほんと読めないことばっかりしやがって、お前は〜〜!」
愉快だ、本気で怒ってるわけじゃないことなんて分かりきっている。お前、と言われたくない人も多いらしいけど、私としては結構好みだ。私にだけ、気を許してくれているような気になる。
「分かってたでしょ、そんなの」
輪をかけて自由にやりすぎては、いるかもしれないけれど。迷惑千万なのは、分かっているけれど。
それでもここでやめたら、これまでの努力が水の泡になってしまう。手は止めないべきだ。
次は、と私は壁に立て掛けていたギターケースをたぐる。なにも言わないままチューニングを始めた。最近ようやく耳でできるようになった。そんな変化を気づいてくれたらいいのに、思って弦の横目に桂馬を伺う。
「って、ちょっと!桂木〜〜?!」
なんとゲームを始めていた。
デート前に、今日のゲーム不所持は確認したはずだったのに、隠し持っていたらしい。
「ちひろが勝手をするなら、ぼくも勝手にさせてもらう」
桂馬は、ふっと息を吐く。髪が面を覆うまで俯いて、没頭しはじめた。
ちょっと、いらっとする。私が勝手をしていた手前、なにも言えないのがもどかしい。
だけど、内情が違う。私のは、少しでも桂馬に見て欲しくて、少しでも仲良くなって、あるならばその先を、と考えての行動だ。桂馬はーー、残念ながらたぶんそうじゃない。
個室の暗闇が、私の呼吸に混じって肺の奥に届く。呼吸をするたび、積もり積もって、内側から陰鬱な気持ちが広がっていく。ギターに下ろす指先にも伝わって、六つの弦が不整合に震える。
歌えない。本当はここで歌って、桂馬を少しはその気にさせるつもりだったんだけど。
「……もう帰るぞ」
しばらくしてから、桂馬が言う。私は、弱々しく頷くしかできなかった。
最悪、自己嫌悪がとめどない。
帰り道、私はスニーカーの先を見つめて歩く。今朝、デートに浮かれて下ろした新物。まだくすみもしない水色が、痛いなと思った。私、痛い。
桂馬の気を少しでも引きたかった。少しでも今より仲良くなれたら、あと一歩でいいから。
手も繋いでいない。ハグもない。キスだって付き合う前、文化祭の日以来ない。私は高校二年生、その奥へだって踏み出したいと思っている。
でも、勝手すぎたかもしれない。好き、というのは思うより難しい。自分でコントロールができなくなる。思いが溢れかえって、私を溺れさせる。困らせたかった?違う。困った顔も好きだけれど、ただ今ここにある好意を分かってほしかっただけ。裏目に出てしまったけれど。滲む目を、隣を歩く桂馬に見えないよう拭う。
このまま解散したら、来週には別れを切り出されそうだ。元々、私なんていなくても桂馬は一人で完結している。
そんなことまで思い至っていたから、
「なぁ、公園でも行かないか?少し涼みたい」
この誘いは藪から棒だった。
公園は角を曲がったところすぐにあった。落ち葉を払って、木の下に据えられていたベンチに腰掛ける。
遊具も少なく、風通りが良かった。近くに港がある町だけあって、この時期の風には潮が絡む。秋も深く、冬を間近にした夜のそれはかなり冷たい。インナーは二枚数着込んできたのだけど、冷え性気味な私の身体はせっかくの対策を嘲笑うように内から冷える。羽織った薄手のセーターを抱え込むように身を縮めた。
「なんなのさ、寒いんだけど」
「そう言うと思って、お茶を買っておいた」
「私、ミルクティーがよかった…………なんてね。ありがと」
準備のいいことだ。桂馬からボトルを受け取る。少し冷めかかってはいたが、私の手よりはずっと温かい。溝に沿って握りこんだ。
「で、涼むどころか寒いよ?」
「でもまぁ熱くなった頭を冷ますにはちょうどいいよ」
「……そうだね」
「そうだ」
何度か頷いて、桂馬は缶コーヒーの口を切る。ふわっと匂いが香ってきて、飲んではないけれど苦いなと思った。
なんのためにこんな場所へ連れられてきたのだろうか。
さすがに桂馬もこのまま終わりたくないと思ってくれたのか、それとも一週間後どころか今からフラれるのか。
私はお茶を含んで、苦さを逃した。
「なぁちひろ。僕には無理なのかもしれない」
「……………なにが」残念、後者っぽい。何を指すか、分かってはいても聞くしかなかった。目線は、涙が浮かんでいたら恥ずかしいから、念のために逸らした。
「普通に付き合うってこと。僕にはゲームで女の子を攻略したことはあるけどーー」
「ごめん。聞かなくていいかな」
やっぱりだめだ、泣いてしまう。私が立ち上がったところ、桂馬が私のバッグの紐を引いた。
「ちひろ?待て。たぶん勘違いをしてる」
「なにをさ。なにがさ。もうなんでもいいけどーー」どうせ私のことなんて。そう思ったら力が抜けて、私はまたベンチに座る。
「よくない。よくないから聞いてくれ」
「…………なに」
「僕はちひろ以外の誰かと付き合ったことがない。ゲームでさえ何千人落としたとはいえ、付き合ったことはほとんどない。だから、分からないんだ普通が。今日のちひろの行動だって、大体意図は分かる。けど僕にはできない。でもそれはーー」
ここで言い止まって、桂馬はまたコーヒーを飲む。一息に干してしまって、
「ちひろが大切だから、なんだ。それに、少しは格好つけさせてくれてもいいだろう」
「えっと」
「まさか別れようと言われるなんて思ってないよな。ぼ、僕は、さらさらその気はない」
目が離せなかった。正確には、たぶん桂馬がそうさせなかった。
光景から遅れて、ようやく言葉の意味を理解する。自然、涙が出た。
愛しいなと思った。やっぱり好きだなと思った。よかった、別れなくて済むんだ。嬉しいなと思った。単純なことしか浮かばない。
「…………で、なんで今日はあんなに勝手な振る舞いしたんだよ」
桂馬が私の髪を撫でる。柔らかい手、指の小さなささくれが少し痛そう。まだ頭の中は、単純なことばかりだ。
それでも返事をしないわけにはいかない。理由は、案外すぐに思い当たった。
「私は、108度だから」
「……それ、ライブの」
「そ。MCのやつ。でも本当じゃん?私って何にも持ってないの。だから不安だったんだと思う。このまま桂馬が私を好きでいてくれるのかな、って。だから欲しかったんだよ、こう既成事実と言いますか」
桂馬がくすりと笑う。こっちは本気だ、なにが面白いの。少し、むっとして聞いた。
「私は私、これから尖っていくんだ、とか言ってなかったか、ちひろ」
「そうだけど……尖りたいとも言ったじゃん。可能なら早いほうがいいよ」
「なぁ、それは僕が尖らせることもできるのか」
「うん?そりゃあ、まぁ」
「……そう、か。でも、もう十分尖ってるよ」
「どういうこと」
「頭、ハエついてる。ほら、尖ってるじゃないか」
「え!?は!?なにそれ!とんだ侮辱だ……ってそんなことより取って!」
私は頭を振って、髪を叩く。しかし、それでは取れてくれなかったらしく、桂馬が私を落ち着くよう諭した。
「取ってやるから、止まって」
「……う、うん」
桂馬が私の前髪を真剣そうに見る。実は最近、髪が傷んでいた。生来の茶髪が、一部クリーム色になっている。
ひっそり気にしていたのを、好きな人にまじまじと見られるのはこの上なく恥ずかしい。とはいえ、取ってもらわないわけにもいかない。目を閉じて、見ないようにする。
でこの上に意識を集めて待っていたら、唇に柔らかい感触が当たった。はっと目を開ける。
「ーーーー今キスして」
「今はこれくらいで許してくれないかな。僕だって別に、きょ興味がないわけじゃないから」
「というか、虫は!?」
「嘘だよ」
「は!?嘘にも種類ってのがあるでしょ!!」
責める言葉と裏腹に、顔には恋の血が昇ってきていた。夜風くらいじゃ、温度調節にならない。
ずるいな、この人は。でも好きだ。
抱きついたら、やんわりと離された。でも、好きだ。
私、小阪ちひろは高校二年生。勉強も運動もルックスも、全て及第点でやっています、全て108度です。これから、きっと尖ります。
でも既に、一つだけ誰にも負けていないものがあります。それだけは歩美にも、かのんちゃんにも結衣にも悪いけど負けません。
それはーーーー
好き。