黄昏時の七星剣武祭の試合会場。
決勝戦において散々高熱に晒され、直後に降り注いだ雨に鎮火されたとは言え、荒れ果てた状態だった。
既に職員も一般の観客もおらず、夕暮れに赤く照らされ、影が長く伸びたその場所で。
今、二人の剣士が見えていた。
「お久しぶり、ですね。」
「そうだね。」
片や腰に夜が如く暗い太刀を差した、作務衣姿の少年。
片や両腰に美麗な双剣を差した、白い修道服を纏った女性。
どちらも普段は柔和な顔つきで、穏やかな雰囲気を漂わせている。
しかし、今ここにおいて、二人は周囲のあらゆるモノを切り裂かんばかりの剣気を滾らせていた。
「貴方に勝つために、もう一度会うために、ここに来ました。」
……………
元々、彼女は戦う理由が無かった。
鍛え始めた理由がそもそもダイエット(兼糖尿病対策)だったし、自国に侵攻してきた同盟と連盟の二大勢力を蹴散らした時も自身の故郷と生活を守るため以上の意味は無かった。
故にこそ騎士道や武士道に愚直に生きる者達が羨ましかった。
故に頼まれれば、十分な理由になると判断すれば、割と誰にでも手を貸す。
あの最後の時、解放軍に手を貸していたのもそうだった。
そして、僅か二太刀で斬り伏せられた。
完全に知覚外の距離から、一切知覚できない完璧な隠形のまま、音を遥か彼方に置き去りにする踏み込みによって、超神速の抜刀術が放たれる。
今でも思う。
あの時、あの一太刀目を防げたのは間違いなく奇跡だった。
その一太刀を凌ぐだけで霊装の片割れである左の剣は斬られ、発生した真空と大気の乱流によって動きを阻害される。
そして、霊装の破壊による精神への衝撃に意識を朦朧とさせながら、残り一太刀で相手の次撃を凌ごうとして、空間ごと霊装と身体を両断された。
残ったのは、泣き別れさせられた上下半身と、空間切断の余波で壊滅した解放軍の面々。
そんな惨状を一瞬で作り上げた作務衣の男は、斬り捨てた者を一顧だにする事なく、霊装である刀をしまってその場を立ち去っていく。
男を除けば生者のいない場所だと言うのに、男の気配は変わらず希薄に過ぎたが、死に行くエーデルワイスには辛うじて男の姿が見えていた。
その男に、エーデルワイスは柄にもなく声をかけようとした。
しかし、当然ながら出来ない。
世界最高峰の超人的実力者である彼女だが、流石に上下半身が両断され、肺が二つとも両断された状態では声を上げる事すら出来ない。
既に五感も曖昧で、直に完全に意識を失って死ぬだろう。
だが、それでも彼女は自分を正面から破った彼に、一度だけで良いから声をかけたかった。
賞賛とも、焦燥とも、驚愕とも、愛情ともつかない思い。
ただただ激情としか言いようがないソレを、彼女は暗くなっていく視界の中で彼に届けたかった。
だが、不可能だった。
彼女はそのまま、覚めぬ眠りに就いた。
その筈だった。
しかし、奇跡は起こった。
気付けば幼児の頃になっていた。
精神が、記憶だけが子供の頃の自分へと上書きされた状態で、日付等も巻き戻っていた。
やり直せる。
そう気づいた時は喜んだが、しかし、問題があった。
どうやったら彼とお話できるのだろうか?
そして、彼女は旅に出た。
探して、探して、探して、心折れかけて、故郷に再びやってきた軍勢を蹴散らして、また探し続けて……
漸く、意中の彼を見つける事が出来た。
彼の存在を、この世界での実在を知って心は歓喜に包まれた。
その時見つけた彼は未だ若く、しかし将来は間違いなくあの男になる事がエーデルワイスには分かった。
しかし、接触する事は出来なかった。
こんな変な体験、聞いた事もないし、何て声をかければ良かったのか分からなかったのだ。
そうやってまごついている内に、彼はあっと言う間に消えてしまった。
慌てて探してももう遅い。
手がかりはなく、しかも当初の目的を叶える千載一遇の機会を羞恥と動揺から逃す等言い訳もしようもない。
久々に故郷に戻り、どずーんと落ち込んでいると、日本国首相の使いと言う人物が現れ、勧誘を受けた。
当初こそ断ろうと考えたものの、しかし渡された資料の中にあるあの少年の写真に、速攻で掌を返してYesと電話口に叫んでいた。
その場であの少年と出会う約束を首相に取り付けて、こうして世界最強の犯罪者にして剣士として名高い「比翼」のエーデルワイスは日本へとやってきたのだ。
……………
しかし今、二人はこれ以上の言葉を交わすつもりはなかった。
共に、剣のみに生きるにあらずとも、それでも剣と共に生きてきた者達。
万感の思いを語るには、己の言葉にならぬ激情を伝えるには、言葉よりも雄弁なものがある。
「「 」」
音にすらならない小さな呼気、それが二つ。
それと共に両者から全く同じ軌道・速さ・タイミングで斬撃が走り、
斬、と
試合会場が両断された。
……………
「あれがお兄様の本気……。」
本来前衛ではない珠雫がその戦闘風景を見る事が出来たのは、偏に水の操作による癒しを応用した自己改造・自己強化によるものだった。
自己改造・自己強化によって得たリソース、それを動体視力に全て割り振る事で、彼女の目は漸く思い人の姿を影のみだが捉える事が出来る。
そこまでしてもなお、珠雫の目には二人の残影しか見えない。
そして、二人の振るう剣腕に関しては全く見えない。
二人の腕が消える度、試合会場には斬撃痕が増えていく。
回避や相殺する度に起きる鋼同士の擦過音と火花、そして鎌鼬にも似た事象に、先程から観客席にいる各勢力の伐刀者達にも被害が出ている。
昼間は会場を守っていた防護力場等が今はないし、そんなものはあの二人には意味が無いからだ。
その気になれば己の剣気のみで対象を切断できる一輝(偽)と彼相手に互角に戦うエーデルワイスにとって、観客への被害さえ除けばこの場所は無人の野とそう変わらない。
(これが世界最強の戦い。あの人が見ている光景。)
ここまでしたのは珠雫が一度として兄にして最愛の人の全力の戦闘というものを見た事が無かったからだ。
それは当然だ。
一輝(偽)は家庭においては穏やかで温厚で放任で、しかし必要とあらば嫌われたとしても必ず躾をし、本当に必要ならば断固として処断する父だった。
過剰な暴力等を振るう事はない。
そんな彼が唯一本気で殺そうとしたのは、長男が厨二病を拗らせて解放軍のプロパガンタに傾倒し、参加しようとした時位だろうか。
その時ばかりはガチで9割殺しまで行き、そのまま止めという所で他の兄弟姉妹達が参戦して説得&時間稼ぎして辛うじて誰も死なずに済んだのだが…
(今、あの子達がいたら、何て言うのかしら?)
未だ生まれていない嘗ての我が子達。
父も母も愛したあの子達が、父の剣士としての本当の姿を見た時、どう思うのだろうか?
一輝(偽)の振るう剣は、殺人剣だ。
人を殺すという意味ではない、そんなものは剣術においては当然だから。
その真意は「己を殺す」事にこそある。
己の我を殺し、術理こそを最上とし、それに合わせる。
謂わば滅私の精神だ。
これは一輝(偽)が平和な世で育った中の人の精神では剣が振れないと考え、それ故に不要と判断した心や感情を斬り殺し、そして創作の中とは言え他者の剣技の模倣へと至らせた。
それは単に肉体面だけでなく、その精神性すら瞑想の果ての自己暗示とキャラクターへの共感という形で同一化させる。
無論、完全にとはいかない。
故にこそ、他の業と組み合わせて再現し、その上で己の肉体にとって最適な形へと改善し、更に必要とあれば改めていく。
そんな自分自身の心を好き勝手弄る精神的自己改造こそが、表に出ない一輝(偽)の本当の異常性なのだ。
(そんな人が、自分と漸く打ち合える人を見つけた…。)
今この瞬間も、瞬きの間に十を超え百に届かんとする斬撃が応酬されている。
互いに分かっているのだ。
目の前の相手が、この星で今たった一人己と戦える相手だと。
他の全てを有象無象と斬って捨てる二人が見つけた、この世でたった一人の相手。
それはつまり、麻薬にも似た昂ぶりに互いを晒しているという事。
ここまで来ては、自分の死すら己を止める理由にはならないだろう。
(でもま、一輝さんですし、大丈夫でしょ。)
と、珠雫は元夫現兄への愛と嘗ての夫婦生活を理由に、心底信じてる旦那の雄姿を目に焼き付ける作業に移った。
……………
(あぁ、何と甘美な時間でしょうか。)
音速を遥か彼方に置き去りにし、既に真空に近い領域の中で、両者はまるで舞を舞っているかの様だった。
幾ら斬撃を放っても、相手に反応しきれないという事がない。
今まで見えてきた多くの敵、否、的達ではただ斬られるがままだったというのに。
(ここまでの相手、死合った事がない。)
そして確信する。
この相手だけが、己の剣に合わせる事が出来る世界でただ一人の相手だと。
「ここまでだな。」
言葉と共に、場が静止する。
直後、斬り散らされていた大気が真空となっていた場所へと強風と共に戻っていく。
その圧にも小動もせず、二人はただ相手を見据えて微動だにしない。
「これ以上は、加減できません。」
「あぁ。」
既に試合会場は建て直した方が早い程に斬り裂かれ、斬り飛ばされ、斬り刻まれていた。
常人には、そこらの伐刀者には決して見えない領域での超高速・連続戦闘の余波だ。
実力のほぼ等しい二人の伯仲の戦闘は、容赦なく二人のスタミナを削り続け、今の二人の体力は万全の際の6割程度だろうか。
本来なら7割程度で仕切り直すつもりが、予想以上に興が乗ってしまってこうまで長引いてしまった。
「珠雫、天音!義父さん達を連れて今直ぐにここから逃げろ!」
それはこの戦いが始まって今まで見向きもしなかった家族への警告。
彼なりの思いやりの形だった。
一応二人共社会不適合者ではあるが、良識は持ち合わせている。
故にこそ、今に至るまで観客には一人の死者も出ていない。
だが、此処から先は分からなかった。
「分かりました!ご武運を!」
最愛の人の邪魔にならないように、珠雫達は急ぎ避難を開始し、それに釣られる様に他の物好き達も避難していく。
人数が少なく、全員が伐刀者である事もあり、会場はものの数分で二人を除いて無人となった。
「すまん、待たせた。」
「いえ、この位なら。」
実直な謝罪を、柔和な笑みで許す。
「では」
「始めましょう。」
そして、駆けた。
距離にして大凡10m。
それが刹那の内に零となり、両者の刃が鍔競り合う。
その停止の瞬間に、エーデルワイスが双剣の片割れで手首を落とさんと初速にて最速の妙技を発揮…
「喝ッ!」
する前に、鍔競り合っていた残りの一刀で一輝(偽)を弾いていた。
十分の一秒未満の僅かな停止、その瞬間に一輝(偽)が一喝の声と共に剣気を発する。
そうして放たれた指向性を持った剣気は全くのノーモーションで刃の延長線上にあるあらゆる物体を斬断した。
これぞ「蜻蛉切」の逸話を彼なりに解釈した業だ。
強いて名付けるならば、気斬とでも言うべきか。
弐の太刀に比べれば射程も切断力も劣るが、振る必要が無く、精神集中すれば放てるという一点は優っている。
初見殺しと言っても過言ではないこの業を、しかし比翼は肩を浅く斬られるだけで生き残り、剰え反撃さえしてみせた。
「お見事。」
「そちらも。」
見れば、一輝(偽)の手の甲に僅かな傷が付いている。
薄皮一枚程度のそれは、一輝(偽)が今生で初めて負う外傷だった。
「今度はこちらが。」
「来い。」
会場とその周辺を順調に瓦礫の山にしながら、人類史上最上位の剣士達の斬り合いは続く。
くそ、完結できんかった!
次、次で完結! ←フラグ