空の世界では一般的な存在。各地に現住する凶暴な動植物から、魔法やそれに類する力により生まれる精霊の類まで、十把一絡げに魔物扱いされる。
星晶獣が魔物を生み出し使役することもある。
「単刀直入に聞きます。あなた、アイドルに興味はありませんか?」
「あの、えっと……それ、あたしに言ってます?」
しばらく口をパクパクさせた後、なんとか絞り出した言葉がそれだった。
「はい、あなたに」
「こっちの子じゃなくて?」
「はい、あなたです」
「アイドルに興味って、ファンとしてとかではなく?」
「はい、アイドルとしてデビューすることに、という趣旨です」
アイドルとして、デビューするってことは……つまり、あたしがアイドルになる? それも、あの346プロの? 何かの間違いじゃなくて?
「それはまた、どうして」
「あのお店での振る舞いから、あなたに光るものを感じました」
「はぁ」
至極真剣な様子の男性の言葉に、気の抜けたような返事しか返せない。
それでも彼は何か手ごたえを掴んだのか、
「今すぐに返事を、とは申しません。もし興味がおありでしたら、ぜひその名刺の連絡先までご連絡をいただければ」
「はぁ、わかりました」
「お時間を取らせてしまいすみません。では、失礼します」
最後に柔和な笑みを見せて、346のプロデューサーは一礼して去っていった。
「……どうしよう」
「えーこ、どうしたの?」
「あたし、アイドルにスカウトされちゃった」
スカウトって、都市伝説じゃなかったんだ。
「アイドル? えーこ、うれしくないの?」
「ううん、そうじゃないの。そうじゃなくってね……」
ずっと憧れてたアイドルに、それもあの凛ちゃんたちと同じ346プロの所属になれるかもって、ホントは凄く嬉しいはずなんだけど、なんだか現実に気持ちが追いついてないっていうか、実感湧かないっていうか……
……その、本当にあたしが、こんな地味で取り柄もないあたしなんかが、アイドルになってもいいのかなって――
「だいじょうぶだよ、えーこ。だって、フィーがいるもん!」
「フィー……」
「だからね、こわくないよ。ちゃんとアイドル、できるよ! えーこなら!」
ぎゅっとあたしの手を握って、励ましてくれるフィー。
……なんだか、あたしの気持ちが分かってるみたい。ううん、ひょっとしたら、本当に伝わってるのかも。だって、八年も一緒にいたんだもんね。
「……ありがと、フィー」
「うん! フィー、えーこのこと、大好きだから!」
そう言ってはにかむフィーを見てると、こっちまで頬が緩んじゃう。
ともかく、フィーのおかげで少し心がすっきりした気がする。後は、スカウトのことをお父さんとお母さんに話して……
ぐぅぅ
「あっ、えーこのお腹、今ぐーって鳴ったよ! ぐーって!」
「ちょ、そういうこと実況しなくていいから!」
……その前に、ご飯食べなきゃね!
☆
「へぇ~、栄子がアイドルにねぇ……勉強と両立できるんなら、悪くないんじゃない?」
「すごいじゃないか、栄子。あのしまむー……コホン、えー、島村卯月ちゃんだっけ、あの最近有名なアイドル。そんな子と同じ事務所なんだろう?」
「え、反対しないのかって? 栄子が嫌っていうんなら別だけど、嫌じゃないんでしょ? 人生、何事も経験よ、け・い・け・ん」
「そうそう。娘があの346プロのアイドルだなんて、親としては鼻が高いぞ~。ただ……そうだな、栄子がちゃんとやれてるか、時々様子を見学しに行ったりはしてみたいな、うん」
と、いうわけで。
両親にスカウトの件をお話ししたところ、すんなりOKをいただきまして。
……うん、もうちょっと反対とかされるのかなーって思ってたから、実はちょっと拍子抜けしてたり。
とりあえずプロデューサーさんへの連絡は明日することにして、昨日のフェスの戦利品を整理していたら、気が付けばもうすっかり夜になっていた。
「よかったね、えーこ! えーこのお母さんもお父さんも、えーこがアイドルするの、うれしいって!」
あたしの横で、上機嫌そうにくるくる回るフィー。
まさか、自分がアイドルになれるなんて……昨日のあたしに言ったって、絶対信じないよね。今だって、電話してみたら「ドッキリでした~」みたいなオチじゃないかって、少し疑ってるくらいだもん。
………………
「……ドッキリじゃないよね?」
「どっきり? えーこ、びっくりしたの?」
良かった、このフィーの反応は天然だ。もし今朝フィーが出てきたとこからドッキリだったりしたら、きっともう何も信じられなくなってたと思う。
「ううん、なんでもない。気にしないで」
……でも、そっか。考えてみたら、あたしが初めてフィーに会ったのって夢の中なんだよね。ってことは、フィーがドッキリの仕掛け人じゃなくて「せいしょうじゅう」なる正真正銘の不思議生物なのは間違いないわけで。
未知との遭遇&アイドルにスカウト。うん、あたしの一日、濃密過ぎじゃないかな?
「えーこ、えーこ。明日はアイドル、するの?」
「明日? うーん、プロデューサーさんの予定を聞いてないし、明日すぐは難しいんじゃないかなぁ。あたしも学校だし……あっ」
そうだ、学校!
あたしが学校に行ってる間、フィーをどうするか決めなくちゃ。
フィーの見た目って小学生くらいだし、転校生っていうには無理があるし、不思議パワーで誤魔化すにも限度があるだろうし……やっぱり、このままだと連れてけないよね。
……あ、待てよ。フィーって「せいしょうじゅう」、石から女の子の姿になれる生き物なんだよね? だったら……!
「ねぇフィー、フィーって元の石の姿に戻ったりはしないの?」
お守り石に変身すれば一緒に連れてけるじゃん! フフーン、あたしって天才!
そんな考えから、フィーに確認するつもりで訊いてみたんだけど。
「…………え」
……あれ、フィー、何だか泣きそうになってる?
「……えーこ、フィーのこと、イヤだった?」
「ほあっ!?」
どうしてそうなるの!? え、何かあたしマズいこと言った!?
「……う、うう……!」
「待って待って、泣くの待って! ストップ! 嫌じゃない、全然嫌じゃないから!」
「……ほんとう?」
「ホントだって! よーしよしよしよし、フィーは可愛いなぁ~!」
ぎゅーっと抱きしめて全力で撫でる、撫でる、撫でまくる!
「……えへへ、えーこ、あったかい」
よしっ、ナデナデ大作戦成功!
「ね、わかったでしょ? あたしは別に、フィーのことが嫌になったわけじゃないって」
「うん。……ごめんね、えーこ」
「ううん、あたしこそ変なこと訊いちゃってごめんね」
理由はよく分からないけど「石に戻って」みたいな台詞はフィーにとって地雷ワード。よし、覚えとこう。
お守り石大作戦は使えず、となると……うーん、明日の学校、どうしよっかなぁ。
☆
「ねぇ、フィー」
「なぁに?」
「あたしはね、フィーのことが好きだよ」
「フィーもえーこのこと、大好きだよ!」
「ありがとう。だからね、それを前提にして聞いてほしいんだけど」
「?」
「今日はね、あたし、学校なんだ」
「学校? ……学校! フィーも行ってみたい!」
「うんうん、行ってみたいよね。あたしも一緒に行けたらいいなって思うんだけど」
「えーこ?」
「フィーが学校に来るとね、あたし、とっても困っちゃうんだ」
「……そうなの?」
「そうなの。だからごめんね、フィー。あたしが学校に行ってる間、いい子でお留守番、できる?」
「……わかった。えーこのためだもん。フィー、お留守番するね」
☆
好意を利用して言うことを聞かせる。
実際はフィーにお留守番するようにお願いしただけなのに、こう聞くととっても卑劣な行為な気がしてくるから不思議だよね!
……うん、帰りに何かフィーの喜びそうなものでも買っていこう。あの寂しそうな笑顔は良心に刺さったし。
ということで、あたしの良心の呵責と引き換えに、とりあえず無事学校に来ることは出来たわけだけど……
『じゃあこの問題、浪野さん、答えられますか?』
『…………』
『……浪野さん?』
『っ、あっ、ひゃっ、はい! えっと……――』
『じゃあ次の段落を読んでもらうのは……浪野さんにお願いしようかな』
『…………』
『……おーい、浪野さん?』
『っ、ごめんなさい、ええっとぉ……――』
てな具合で、正直、授業に全く集中出来てなかったと思う。
いやね、だってしょうがないじゃん? 今日はあたしの人生が変わる連絡をする日だし。どんな風にすれば失礼がないかなーとか、アイドルになったらまず何をするんだろうなーとか、そんなことばっかり考えちゃって。
「栄子、今日どしたのー?」
「あ、千沙。どしたのって、何が?」
「いや、何だかボーっとしてるなーって。……ひょっとして、こないだのライブのことでも考えてた?」
……うん。まぁ、当たらずとも遠からず、みたいな?
まぁ、そうだよね。まさか一緒にライブを観に行った友達が、そのライブを主催した超大手芸能事務所にスカウトされてましたー、なんて、普通は思わないよね。
「ううん、ちょっと考え事」
「悩み事?」
「……ちょっとしたね」
まさか正直に伝えるわけにはいかなくて、適当にぼかして答える。
同じアイドルファンのよしみだし、千沙になら話してもいいかなーってちょっぴり思ったけど、下手に話して噂になっても嫌だしね。
「ふーん。ま、何かあれば相談には乗れるからね」
「ありがと。でも今のところは平気だから」
「なら良し。6限は体育だから、ボーっとして転んだりしないようにねー」
深く詮索しないで、千沙は教室を出ていった。
気遣いのできる千沙に感謝しつつ、あたしも体操服を準備する。
『ほんとさ、アイドルって凄いよね……憧れちゃうなぁ……』
『どうしてあんなにキラキラしてるんだろうね……』
『別世界の人、って感じだよね』
千沙とそんな話をしたのが、もう随分前のことみたいに感じる。
別世界の人、かぁ。……あたしがアイドルになるって知ったら、千沙もあたしのことをそんな風に思ったりするのかな。
☆
「栄子、今日えみちゃんたちとカラオケ行くんだけど、一緒しない?」
「えっ、行きたい! ……けど、今日はちょっと用事があるから、また今度で!」
「そう? じゃ、また明日―」
「また明日ね!」
ホームルームが終わるなり、学校を飛び出すあたし。
放課後のあたしに課せられたミッションは二つ。
まず、お留守番してくれたフィーにお土産を買って帰る!
それからいよいよ、プロデューサーさんに連絡!
カラオケのお誘いはとっても魅力的だったけど、今日ばっかりはこっちを優先しなきゃね!
ということで、まずはお土産入手のために渋谷のショッピングモールにやって来ました。
まぁ、お土産と言っても、ライブで散々散財した後だから、大したものは買えないんだけどね。
「うーん、どんなのがいいかなぁ」
ヘアアクセサリーとかの小物を中心に、フィーに似合いそうなものを物色する。
フィーって目がぱっちりしててよく笑うし、ストレートに可愛い系が似合うかな? けど、将来美人さんになりそうな感じだし、あえてクール系にしてみても映えるかも。うう~、迷うなぁ……
「……お」
あ、これなんか良いかも。瑠璃色の星のヘアピン。ちょこっと前髪を上げて纏めたりしたら可愛いんじゃない?
アクセを付けたフィーを想像して……うん、可愛い。決めた、これ買っちゃおう。お値段も良心的だし。
ええっと、レジは……あれ、誰もいない。
「すみませーん」
店員さんに呼びかけてみるも、返事がない。
周りを見回してみても、姿がない。
それどころか、辺りには「誰もいなかった」。店員さんだけじゃなく、他のお客さんすらも。
「…………えっ」
思わず口から出た呟きが、やけに大きく響いた気がした。
お店に流れていたBGMもいつの間にか聞こえなくなっていて、ショッピングモール全体が水を打ったかのように静かになっていた。
まるであたし一人だけが、この異常な空間に取り残されてしまったみたいで。
……いや、いやいやいや、ちょっと待って、やめてよこんなホラー映画みたいな展開。あたし泣くよ? 泣いちゃうよ? マジな心霊現象はマジで勘弁なんだからね?
「――――」
あっ、今人影が見えたっ! 良かった、あたしの他にも人がいたっ!
早速声をかけ、て……み、て……?
「――――」
人じゃ、なかった。
「――――」
全身真っ黒な、まるで影が実体を得て地面から浮き上がってきたような、人型の何か。
顔のないはずのそれは、あたしを「見て」、ゆっくりと、こっちに歩いて来た。
「う、あ」
あれは、危険。本能がそう訴えるけれど、脚が震えて、腰がへたって動けない。助けを呼ぼうにも、喉が張り付いたように、まともに声が出せない。
「――――」
「それ」はもう、あたしのすぐ傍まで迫っていて。
その、どす黒い闇のような手の、鋭い爪までが、はっきりと、見えて。
伸ばされる、黒い指。
のっぺらぼうが、笑う。
そして、
「蒼き炎よ、滅ぼせ」
蒼い炎が「それ」を包み込んで。
「それ」はあたしに触れることなく、溶けて消えた。
…………えっと、あたし、助かった、の?
「そこのあなた、大丈夫?」
後ろから声がかけられる。ハッとして振り向けば、そこには長い黒髪の女の子の姿があった。
「立てる? 怪我、してない?」
綺麗で整った顔立ちのその女の子は、あたしが良く見知った人で。
毎日のように顔を見ている。声を聴いている。
けれどその女の子は、きっとあたしのことを知らない。
蒼の衣装を身に纏って、一振りの剣を携えた彼女の名前は、
「渋谷凛、ちゃん……?」
あたしの、憧れ。
今をときめく346プロダクションの現役アイドル。
渋谷凛その人だった。