少女は広い世界に独りぼっち。
エンブラ帝国の城、ヴェロニカ皇女と呼ばれる存在は一人きりでティータイムをしていた。
城の中庭に持ち出された緻密かつ豪華な細工が施してあるテーブルと二つの椅子。片方の乗る主人の居ない椅子はこの空間の寂しさを助長させる。
お気に入りの温かい紅茶も一人で淹れたものである。流石にテーブルに置かれた菓子類は女中達が作ったものだ。
念入りに、毒が混入されていないか確かめられ作られた茶菓子をつまみ口の中で転がす。意外性の無い普通の焼菓子。
ヴェロニカは孤独な子供だった。実父はもう居ない。母も、それは同じこと。城で休むときも、政務をする時も一日の大半を一人で過ごしている。
少し前はそうじゃなかった。父が居た頃、後妻が来た時、一人きりでは無かった。素敵な兄弟だって居た。
過ぎ去りし日のことを思い出すと、ヴェロニカの心にドス黒い靄が渦巻き出す。何時もの事だ。どうにも出来ない苛立ちが彼女を襲う。
そうすると声が聞こえてくるのだ。その声はとても冷たく、重々しいが強かった父の面影を思い起こさせる。だから、声の主の言う事は正しいのだと思っている。
孤独な心を埋めてくれるのは何時もその声や、そして召喚に応じた英雄達だ。
英雄達を戦わせるのは”面白い”。書物でしか知らない遠い異界の英雄達が自分の言う事を聞いてくれる。契約の力とは言え、ヴェロニカは万能感を覚えた。
それは少女の思い描くお人形劇。血濡れた英雄同士の残酷な遊び。
英雄を私物化し兵として扱うなど、本来ならば誰かに糾弾されてもおかしくない唾棄すべき所業だ。
だがこの城には、この国には、誰も彼女を咎める者は居ない。叱ってくれるような、それでいて路を指し示してくれるような存在は居ない。
可哀想な独りぼっちの皇女、それが今のヴェロニカだった。
だからこそ新しくアスクにやってきた召喚士が気に食わない。いきなり現れた癖に、さっそく沢山の仲間に囲まれている様に見えた。
契約した英雄だって奪っていった。戦う力なんてこれっぽっちも無い人間なのに。そんなエクラを嫉ましくも羨ましく思う。
(つまんない...)
思い通りに何かもかも上手く行かない。
「不機嫌そうだな」
気付けば中庭に仮面の魔導騎士が立っていた。優しく微笑む彼。降り注ぐ柔らかい昼の光が、夜を彷彿とさせる黒の衣装に似合わず、何だかちぐはぐで可笑しな印象を受ける。
その姿でさえも騎士を愛おしく素敵だと皇女は思う。
「帰ってきたのね。こんどはどこに行っていたの?」
「アスク王国が呼び出した召喚士に挨拶をしてきた。暫く監視していたが、驚くほど普通の男だった」
「ふぅん、またでかけるの?」
「ああ。まだ捜し物も見つからなくてな。また直ぐに出掛ける」
魔導騎士の言葉にヴェロニカは下唇を噛む。本当は行かないで欲しい。彼と一緒に居たい。教えて欲しい事も話したい事も沢山ある。
「待って」「行かないで」などと言葉が出たのならもしかしたら独りぼっちの可哀想な皇女ではなくなるかもしれない。けれどもし言葉を口にしたとして彼を困らせたり、彼に否定されたりするのはとても嫌だった。
だから、
「いくまえに、すこし休むべきだわ...あたたかい紅茶はいかが?お菓子もあるわ」
心の中にある不安や寂しさを不敵に笑う事で蓋をして閉じ込めた。少しでも引き留めたいと思いながら。
ヴェロニカの様子に気付いたのか解らないが「いただこう」と、言うと空いていた椅子に座る。
言葉は交わされない。だが、二人で飲むと何の変哲もない紅茶が特別なものに感じるほどヴェロニカは暖かい気持ちになった。
(あたしが淹れた紅茶を飲んでくださっている。おいしく淹れられたかしら...)
そんな事を思いながらぼんやりと仮面の騎士を見つめる。
「...ヴェロニカ、カラダの具合がおかしい事はないか?」
「びょうきはしてないわ」
「そういう事では無くて、自分が自分で無くなってしまうような。...そんな恐ろしい感覚に陥ったりはしていないか?」
「よくわからない...。でも、こえがするの」
騎士が何故、そんな事を言い出すのかヴェロニカには解らなかったが自分の事を気遣ってくれている事は理解出来た。
だから素直に感じた事を言う。
「うばえ、ころせ。って。だから、ころそうって思うの」
あの声が内なる自身の感情なのか、天の導きなのか判断は出来ない。だが、その声の通りに行動すればきっと良い方向に何事も進む筈だと思っている。
しかしどうしてだろう。ヴェロニカの言葉を聞いた仮面の騎士は、仮面越しでも解るほどに哀しそうな表情をしてしまった。
自分は間違った事を、彼に嫌な思いをさせるような事を言ってしまったのかと不安になる。
「...そうか」
騎士は一人頷くと、飲みかけの紅茶のカップもそのままに出掛ける支度を始めてしまった。
「...紅茶のおかわりは、いらない?」
「そうだな遠慮しておくよ」
どうにか少しでも一緒に居たくて紅茶を更に勧めてみたが断られてしまった。
「お兄様...」
遠ざかる愛しい背中にか細い声を投げかける。気付いた騎士はヴェロニカの方に振り向いた。
「...いってらっしゃい」
兄はやらなければいけない事があるのだ。引き留めてはいけない。自分だってエンブラ帝国で政をしなければいけない。
その想いがヴェロニカの本心を覆い隠した。
遠い、手を伸ばしても届かないであろう背中を見て思う。兄妹ならどんな事をすれば正解なのだろう。どうやって兄と触れ合えば良いのだろう。
そう思った瞬間、頭に声が響く。厭な気持ちを晴らしてくれるとても純粋で無垢な残酷な遊戯。
「えいゆうに教えてもらえばいいのよ...」
兄妹の英雄が異界に存在する事をヴェロニカは知っていた。
「あたしに観せてね。きょうだいのきずな...」
独りぼっちの不器用な少女を、”声”は導く。