草原を走り抜け見えてきた大きな不思議な形状の日本の柱。あれがアスクの門なのだろう。まるで古代の遺跡だ。
普段から運動をしてない俺だけがひいひいと呼吸を乱している。汗も出てきた。
疲れたから汗をかいた訳ではない。目の前の惨状に恐ろしいものを感じ、全身から冷や汗が噴き出した。
白い隊服を赤く血で染めた兵士達が、倒れている。嗅いだことない酷い臭いが空気には満ちていた。
心臓がキリキリと痛み、胃の底から厭なものが込み上げてきたが無理矢理飲み込む。
現代で生きていたらこんな光景を見る機会はそうそう無いだろう。当たり前だ、人間がこんな無慈悲な惨状を生み出してはいけない。
隣では目を見開いたシャロンが口元に手を当てて息を呑み、アルフォンスが怒気をはらんだ深い溜息をする。
「アゾット、大丈夫!?意識は...、待って、傷薬があるから喋らないで」
武器である斧を手放したアンナが、近くに倒れていた特務機関の制服を着た男を揺さぶる。
逃げようとしていたのか背中から一撃、金の鎧も粉々に打ち砕く力で襲われたのだろう、酷い怪我を負っていた。
「う、うう...。た、隊長...来てくれたんですね...」
「いいから、喋らないで!!」
「異界の英雄達が...、アイツらが現れて、みんな抵抗したのに...歯がたたない...門、門を...守れませんでした...ぐっ......」
アゾットと呼ばれた兵士はそう言って瞳を閉じる。まだ息はあるようで、アンナは彼を優しく寝かせた。
辺りを見回しても戦える兵は殆ど居ないみたいだ。比較的傷の浅い者達は同僚を介抱したり、戦意を喪失している。
酷い、無惨と言うしかない。
「...あれは」
惨状の中、門の前には戦場に似つかわしくない、華奢で小柄な少女が佇んで居る。
黒い衣装に、頭には大きな冠を模した髪飾り。一目で特権階級の人間だと解る立ち姿。
人形の様に虚ろな表情をした人間の少女が、俺達を見つめていた。
「ヴェロニカ皇女」
アルフォンスが呟く。
と言うことはあの少女がエンブラ帝国の召喚士...、あんな小さな女の子が!?
とても驚いた。ミネルバと契約をし侵略行為を行なっていた人物が少女だとは思いもしなかった。
「あたしの英雄達...うばって、こわして。じゃまするものはころしても良いわ。この国がなくなれば、じゃまものはいなくなる。英雄達はすべてあたしのもの...」
昏い瞳の少女は俺達を気にかけることもなく謳う。それは誰に向けた言葉なのだろう。
子供らしい。と言うには暴力的で悪意と傲慢に満ち溢れた台詞だ。
ヴェロニカの言葉に微かに憤りを覚える。自分の為にだけに侵略行為をして争いの原因を作る。それだけに飽き足らず傷付ける事も厭わないなんて。
『対して利益も出せないプロジェクトが邪魔なんだよなー、早く潰れろ。五月蝿い客も別に要らないし。はぁー...、アタシって可哀想。お仕事は好きなのに、気持ち良く働けない』
ただ年端もいかない少女が我儘を理由に理不尽な暴力を振るって言い訳では無い。
俺の心に渦巻くのも英雄を言いなりにするなんて酷いと思う独善的な正義で、で過去の事に縛り付けられたただのトラウマの揺り起こしによる怒りだが何も言わずには居られなかった。
「そ、そんな...!!そんな、ころすなんて酷い事言ったらご両親が悲しむぞ!!」
具体的に浮かび上がった感情をどう少女に言えば良いのか迷い、俺はまぬけ極まりない言葉を吐いた。
ヴェロニカに対する俺個人の怒りや嫌悪感はただの俺のあてつけでしかないし、こんな昏い表情をした女の子に酷い事は言えない。
例えこの惨状を生み出し、英雄を契約により従えさせている悪人かもしれない娘でも、凶行に及ぶのは何か大きな原因がある筈だ。
だとしたら責任はこの子を放置している親にある可能性が大きい。と、まぬけながらも自信を持って言った言葉なのだが特務機関の面々もヴェロニカもキョトンとした顔をで俺を見つめている。
...あぁ、そっか。ヴェロニカが皇女と言う事は皇帝である父が居る。その皇帝がいるエンブラ帝国がアスクに侵攻してきていて。たぶん、彼女がアスク王国に侵攻してくる事は両親公認だ。
恥が極まって悲しさが込み上げてきた。まぬけどころの話じゃない、俺は馬鹿だ。
顔が真っ赤になって震えてきたところでヴェロニカはやっと俺を認識したのか愛らしい小さな皺を眉間に刻む。
「あなた、その神器...。そう...あなたがアスク王国の召喚士。あなたからころすわ」
「えっ」
「よわってるあなたたちを英雄でこわすのはつまらないわ...、つぎにあったらあたしの英雄でばらばらにしてあげる。...おしろに帰ってあたたかい紅茶でものもうっと」
そう言うとヴェロニカは扉の向こう側に姿を消してゆく。侵略した異界につながっているのだろうか。
「帰ったみたいだな...」
肌に纏わりついていた重い不穏な空気が少しは軽くなる。
見た目はただの少女そのものだが、かなり力の強い魔道士でもあったのだろう。
「それより早く治療部隊を呼んで。みんな怪我をしているんだから」
「だったらミネルバ王女達に力を借りよう。飛竜や天馬なら人や物資もなんなく運べる」
肩の力を抜く前にアンナが指示をとばしアルフォンスが提案する。一人で動ける兵士達もそれに従いばたばたし始めた。
エンブラ帝国の兵士は殆ど撤退しているようで良かった。これなら救護も負担にならない。
やっとひと段落したのか。良かった...、張り詰めた糸がようやく切れた。
かなり無理をして気を張っていたのだろう。強制的に瞼が閉じられ身体から力が抜ける。
頭から地面に激突しそうだったところをアンナに抱えられ、そのまま意識を落とした。