バレアレ薬品店の朝は早い。
日の出を迎える前に、リィジーに叩き起こされたヘルメスは作業場の掃除に取り掛かる。
案の定、新人の一日は掃除から始まる、というのはどの世界でも共通のものであるらしい。
ヘルメスは欠伸をしつつ、大して汚れてもいない床を箒で撫でるだけの掃除をする。
初めは、下っ端であるが故の小間使いに、不愉快になるかと思っていたが、存外悪い気がしていない自分に少し驚いていた。
尊大で余裕のある
「これっ!しゃんと掃除するんだよ!手抜いたら朝飯抜きだからね!」
様子を見に来たリィジーがヘルメスに喝を入れる。
バレアレ薬品店の制服替わりなのか、白のシャツに茶色のツナギを着用し、既に職人モードとなっており、もちろんヘルメスも今は同じツナギに袖を通している。
異世界ババアとのペアルックである。
「はいはい。ちゃんとやってますよ、ばあちゃん」
「誰が、ばあちゃんか!『師匠』って呼ぶんだよ普通は、まったくお前さんは常識から叩き込まなきゃならんようだね……」
早朝から血圧を上げるリィジーに謝罪をしつつ、ヘルメスはこの平穏なやり取りに苦笑した。
(うんうん。異世界に転移してどうなる事かと思ったけど、ずっとこんな感じで平穏に暮らせないもんかね。魔法や剣のドンパチから始まったあの村は大変だったけど、生産職の俺にはこっちの
ヘルメスは平和ボケした頭でそんな事を考えつつ、直近の目標について整理する。
まずはこの店で修行を積み、この世界におけるポーション錬成技術を手に入れる。
そもそも、この店に弟子入りしたのはあくまで金稼ぎの為であり、ポーション錬成技術は賢者の石で一発獲得……の筈であったのだが、これが何故だか上手くいかなかったのである。
『錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける』
賢者の石の覚醒とともに、ヘルメスの頭の中に刻まれたフレーバーテキストであるが、この『
この世界独自のスキルの様なものである
この事から、賢者の石の能力発動には、いくつかの条件があると推測出来る。
一つ、ユグドラシルのシステムに依らないものである事。
二つ、魔法やスキル等、何かしらの術理をもって構成されているものである事。
ヘルメスがこの世界の文字を理解出来ていない事も、二つ目の条件が原因と考えられる。
聞けば、この世界のポーション錬成方法は薬草を使うものが主であり、魔法を使うものもあるが、その工程はおおよそ「作業」に近いものであった。
賢者の石で会得しようとして失敗したのは、ポーション錬成技術が術理として認識されず、二つ目の条件に合致しなかった為であろう。
もちろん、これはあくまで仮説であるし、ひょっとしたらもっと細かな条件があるのかも知れない。
(まぁ、なんにしてもしばらくは大人しくお仕事しようかね。時間はたっぷりあるんだし)
闇妖精は長命種だ。
時間は無限と言ってもいい程ある。
掃除を終え朝食を済ませた後、ヘルメスはリィジーから最初の仕事を任される事となった。
薬草が山の様に積まれた籠と、すり鉢の様な器具がヘルメスの前に置かれる。
「薬草をすり潰す作業だ。目安はどろどろの液状になるまで。力がいる作業だから根気よくやんな」
(確かにこんな作業は、賢者の石で会得する様なものじゃないよな……)
想像以上にアナログなポーション作成に肩を落とすも、気を取り直し、まかせろとばかりに作業を開始する。
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり
鼻が曲がりそうな強烈な薬草の香りに顔を顰めながら薬草をすり潰していく。
スキルでポン、で錬成するユグドラシルの錬金術とはもはや別物である。
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり
生産職とは言えレベル100の筋力は伊達では無く、肉体的な疲労こそ無いが、なるほど確かにこれは根気が必要だ。
カンストしてはいるが、ステータスが上がったりしないだろうか。
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり
「……ヘルメスさん大丈夫?休憩挟みながらやって下さいね」
「えぇ、問題ありません。お気遣い感謝しますンフィーレア先輩」
「あはは。止めてくださいよ、ヘルメスさんの方が年上なんでしょうし」
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり
「……」
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり
「……」
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり
「ねぇ、ばあちゃんもういいー?」
「師匠って呼びなって言ってんだろう!そんなに早く終わる訳が――」
リィジーは目を見開く。
籠の中の薬草は全てすり潰され、緑色をした液体がガラス瓶に詰められていたのだ。
通常であれば半日はかかる作業の筈である。
「へぇ驚いた、お前さん中々根性あるね。腕も細っこいのに」
腕が細っこいは余計である。
リィジーはガラス瓶を傾けながら、中の液体の具合を見る。
「……ふむ。雑な仕事をしようもんなら尻を叩いてやろうと思っとったが……繊維が細かく砕かれておる。初めてにしてはたいしたもんだ」
(何かと尻叩きたがるな、この婆さん……)
ヘルメスは何んとなしに自身の臀部をさする。
ともあれ、どうやら下拵え的な作業は及第点だった様だ。
「ヘルメスや。この薬草をすり潰した液がポーションの主な原料になる訳じゃが、これだけでも弱くはあるが癒しの効能がある」
ふむふむ、とヘルメスはメモをとりながら、以前に薬草に解析魔法をかけた際、『治癒効果(微)』判定だった事を思い出す。
「今日は量があるから、全部をポーション原料とせずに、
「応急膏?」
「なんじゃ、応急膏も知らんのかい。下級ポーションよりもさらに安価な治癒アイテムじゃ。この薬草液を、綿の布に塗布したもので、傷口に張り付けて使う」
「ん……?あぁ絆創膏!」
「ばんそう……?まぁそういう訳で、この薬草液の一部はそちらに回す。数は……20枚もあればいいかね」
手本を見せよう、とリィジーは、5センチメートル四方の薄手の布に木匙で薬草液を塗り付け、目の粗い台紙に張り付けた。
随分と雑な絆創膏だ、と思いつつ、見よう見まねでヘルメスも同様に作成していく。
簡単な作業であったので、あっという間に20枚の応急膏が完成し、最後に匂い消しの香水を全体にまぶす。
「……ふむ。よし、じゃあお前さんこれ売ってきな」
「へ?売る?」
「このアイテムは安さが売りだからね。《保存/プリザベイション》かけてたんじゃ割に合わん。冒険者組合にでも行けばそれなりにさばけるだろう……そうさね、一枚10銅貨で売ってきな」
「えぇぇ……はぁ……」
まさか初日から、治癒アイテムの出張販売までやらされるとは思っていなかったヘルメスは間抜けな返事を返す。
それにしても一枚10銅貨とは、ポーションの平均価格を鑑みれば、確かに安い。
パン屋におけるパンの耳の様なものだろうか。
「すごいやヘルメスさん、おばあちゃんが初日にそんな事までさせるなんて初めてだよ!」
「ンフィーレアや!余計なことは言うんじゃないよ!……お前さんみたいな他所者はきちんと顔売っとかんと舐められる……もしダークエルフだなんだって因縁付けてくる様なのがいれば……うちの店の名前出しな」
リィジーは照れ隠しなのか、早々にポーション作成作業に戻ると、早くお行きとヘルメスをどやしつける。
ぶっきらぼうではあったが、ヘルメスに対する配慮なのだという事は理解出来た。
(まさかツンデレババアにときめく日が来るとは……)
ヘルメスは籠いっぱいに乗せた応急膏を抱え、バレアレ薬品店を後にした。
◆
「ま、まいどー。バレアレ薬品店でーす」
ヘルメスは冒険者組合の扉を開け放つと、喧しくない程度の声量で声をあげる。
先日同様、ゴロツキの様な厳めしい男達の視線が此方に突き刺さるが、これも錬金術習得の為の修行の一環と思えばなんて事は無い。
「バレアレ製の応急膏入荷ですー。今日のはいい薬草使ってるんで……えっと効き目抜群ですよー」
適当な謳い文句を垂れ流しながら、室内のテーブルの間を練り歩いていく。
皆一様に闇妖精であるヘルメスの顔を見ては目を見開くばかりで、一向に買い手がつく雰囲気は無い。
そもそも、出張販売をした経験など皆無の上、商人スキルも持たないヘルメスにまともに販売業務が務まる筈も無いのだ。
一個も捌けずに帰ったらリィジーにどやされる、と内心に焦りが出始めた頃だった。
「すみません。一つ売って頂けますか」
「はい、まいどあり――ってあれ?」
声に振り返れば、そこには中性的な少年――ニニャが笑顔を浮かべて立っていた。
彼の背後には、パーティーメンバーと思しき連れの姿もある。
「ヘルメスさん、バレアレ薬品店で働いていたんですね。応急膏、一個買わせて下さい」
「あぁ……あなたがニニャの言っていた……あ、私も一つお願いします」
「ふぅん……闇妖精なんて初めて見たけど、結構なイケメンじゃないの」
「ルクルット。冷やかしは良くないのである。……ヘルメス殿、私にも一つ譲って頂きたい」
ニニャを皮切りに全員が一度に喋りだす。
どうやら自分の事は彼から聞いていたらしいが、皆一様に人の良さが滲み出た笑顔を浮かべていた。
ヘルメスが銅貨と引き換えに応急膏を手渡すと、次第に周りで様子を見ていた冒険者達も集まってきた。
闇妖精だという事で絡まれる事態を危惧していたのだが、大したトラブルも無く、籠いっぱいに持ち込んだ応急膏はあっという間に完売した。
やはり効能が低いとはいえ、生傷の絶えない冒険者にとって安価な治癒アイテムは希少品であるらしい。
「有難うございます、ニニャさん。おかげで商品を捌く事が出来ました」
「いえ、そんな!……昨日頂いた品の事を考えれば、お釣りがくる程度の事しかしていませんよ」
一息ついたところで、ヘルメスがニニャに礼を述べると、ニニャは顔を赤くさせ謙遜をした。
思えば、いきなり見た事も無い闇妖精が組合に現れ、売り歩きを始めたのである。
通常であれば怪しむ所を、冒険者であるニニャが率先して声掛けする事で、周りの冒険者の不信感を和らげてくれたのだ。
「あ、そうだ。僕の仲間を紹介しますね」
ニニャは何故か焦った様に、背後を振り返りパーティーメンバーを紹介してくれた。
銀級冒険者チーム『漆黒の剣』のリーダーであり、戦士のペテル・モーク
ややナンパな印象の、野伏のルクルット・ボルブ
体格が良くおおらかな口調の、森司祭のダイン・ウッドワンダー
(最小限の人員ながらバランスの取れたメンバーだな。欲を言えば神官が欲しいくらいか)
そんな事を考えながら漆黒の剣のメンバーを観察していると、リーダーのペテルが口を開いた。
「ニニャから聞きましたが、道案内のお礼にとても高価なポーションを譲って頂いたとか……この場を借りてお礼申し上げます」
「いえいえ、とても親切にして頂いたものですから。それに将来有望な
ヘルメスは大仰なお辞儀をしながら述べる。
「あっ……!ちょっと、ヘルメスさん!止めてください!」
「なに照れてんだよニニャ。……にしても、さっすがヘルメスの旦那!お目が高いね~」
「これも何かの縁。有事の際は、是非バレアレ店を利用させてもらうのである」
彼らは駆け出しの銀級冒険者チームではあるが、とても気持ちの良いチームであった。
今日はモンスター討伐による日銭稼ぎを行うつもりで、組合に集合していたのだという。
「――なるほど。モンスターを討伐し、その部位を持ち帰る事で討伐モンスターに応じた報奨金が支払われると」
「まぁ、街道の危険が減り、俺たちの懐も潤う、誰も損をしないWINWINの関係ってやつだな」
クエスト依頼とはまた別の、冒険者の貴重な収入源についての話を聞いたヘルメスはふむと唸る。
既に商品を売り捌いてはいたが、なんとなく親しくなった漆黒の剣メンバーと駄弁り――もとい、情報収集活動を行っていた。
今日は店に帰っても大した仕事も振られないだろうと、絶賛サボり中であり、冒険者でも無いのに漆黒の剣の面子とつるみ、椅子を引っ張ってきて勝手に座り込む図々しさである。
冒険者。
既に知ってはいたが、やはり想像以上に夢の無い仕事である。
この世界で冒険者という職業の存在を知り、最初にイメージしたのは、ユグドラシルにおける『ワールドサーチャーズ』であった。
まさに未知を既知とする彼らの活動は、ゲームの世界での事とは言え、まさに冒険者そのものであったが、この世界におけるそれは単なるモンスター退治屋か何でも屋である。
(まぁこっちの世界の錬金術師が、ごりごり薬草を煎じるだけの職業とも思っていなかったからおあいこか……)
そんな栓の無い事を考えていた時だった。
冒険者組合の扉がばんと開かれ、既に組合内にいた冒険者達の視線が一斉にそちらに注がれる。
(それにしても……取り敢えず入ってきた人間全員を睨む決まりでもあるのか?)
と、ヘルメスは半ば呆れながらも、彼らにつられる様に扉へと視線を向けた。
そこには、漆黒の全身鎧を着込んだ偉丈夫と、絶世の美女ともいえる美貌を持った女が仁王立ちしていた。
◆
静まり返る冒険者組合。
それもその筈であり、入口に立つ全身鎧の男は背丈が2メートルはあろうかという大男なのである。
シンプルなデザインの鎧は、黒地に細かな金の細工が施された逸品であり、背には深紅のマントをたなびかせ、長大な両手剣を二本差ししている。
『どこぞの貴族の道楽か』『見た目ばかりの目立ちたがり』そんな囁き声が聞こえてくる中、ヘルメスは周囲の冒険者達とは少し違う見解を得ていた。
(なんかユグドラシルっぽいデザインだな)
ヘルメスは日は浅いながらも、この世界における冒険者や騎士の姿を見てきたが、彼らの身に着けている装備はいずれも粗末な造りであった。
しかし目の前の戦士が着込んでいる鎧は、どこか現実離れした、そう、まるでゲームの世界にありそうなデザインをしていたのだ。
特に両手剣を二本差している辺り、若干の厨二臭ささえ感じさせる。
「見ない顔ですね。冒険者登録でもしに来たのでしょうか」
「いや、銅のプレートを付けてるな」
メンバーの中で最も観察眼に優れていそうな野伏のルクルットが、出入口から距離はあるものの、謎の戦士の階級が最下級の銅であることを看破する。
直後、鼻の下を伸ばしてなんともみっともない声が続いた。
「……それよりも注目すべきは鎧の隣にいる娘だろ。あんな美人見た事ねぇ……」
(確かにすっごい美人さんだ……でも装備は普通だな)
この世界の人々は何故かすべからく美男美女が多いのだが、戦士の隣に立つ魔法詠唱者と思しき女性は、艶のある漆黒の長髪を後ろで束ね、白磁を思わせる透き通るような白い肌をしており、飛び抜けて美しい容姿を持っていた。
ただ、こちらはシンプルな白シャツに茶色のマントという、こちらの世界にも馴染むであろう装備をしている。
戦士の鎧の素材は何だろうか、とぼんやりと眺めていると、不意に戦士と美女の視線がこちらに向けられた。
(え、何?……あぁ、闇妖精が珍しいのか)
……にしては、随分と長い時間、此方と目が合っている気がする。
というよりも、視線はそのままに動きが固まったと表現する方が的確かも知れない。
ヘルメスはもちろん、漆黒の剣のメンバーにも戸惑う様な空気が流れた。
「……ひょっとして、知り合いですか?」
リーダーのペテルが小声で此方に話しかけるが、そんな訳も無く、ヘルメスは小刻みに首を横にふる。
戦士の方は、顔全体を覆う兜のせいで判然としないが、美女の方は、心なしか敵を見るような鋭い視線を向けている気がする。
ぞくぞくしなかった、と言うと嘘になるかも知れない。
なんとなく目を逸らすのも変な気がしてしまい、じっと此方からも見つめ返していると、やがて美女が戦士に何やら耳打ちするような動きを見せる。
すると、戦士は美女の頭をすぱんとはたくと、漸く視線を外し、受付台に向かい連れ立って歩いていった。
しばらくの間、周囲の視線がヘルメスへと注がれる。
「ヘルメスさんを見ていた様子でしたが……なんだったんでしょう?」
「……さぁ」
こちらが聞きたかった。
おかげで変な雰囲気になってしまったではないか。
「なぁペテル。あの二人組を、俺たちのモンスター討伐に誘うってのはどう?」
「えぇ?」
ルクルットは二人組、もとい美女の方に興味津々といった様子を隠そうともせず、鼻息荒くリーダーに提案した。
何故か、ニニャが冷たい目でルクルットを見ている気がする。
「さっきも掲示板見たけど、銀級以下対象じゃ大した依頼なかったろ?新入りだろうし、誘えば来てくれるんじゃねぇかな?」
「そりゃ、そうかも知れないが……」
ペテルは曖昧な返事をしながらも、掲示板でクエスト依頼の一覧を眺めている様子の二人組をちらちらと見やっている。
どうやら、冒険者としての仕事の話題に移りそうだな、とヘルメスは席を立った。
「では私はそろそろ失礼します。……ペテルさん、もしもあの二人と一緒に仕事に行くのであれば、お土産話を期待していますよ」
「ヘルメスさんまで!」
ヘルメスは漆黒の剣のメンバーらと挨拶を交わすと、冒険者組合を後にする。
背後では、ペテルが二人組を誘うか否かの多数決を取る声が聞こえていたが、一体どちらに転ぶのだろうか。
また、あの二人組は誘われたとして、それに応じるのか。
興味は尽きないが、そろそろ戻らないとリィジーにサボりがバレそうだ。
(それにしても、あの両手剣……
気の乗らない冒険者業も、外野から見てる分には楽しそうだなぁと思いつつ、バレアレ薬品店への帰路につくヘルメスであった。