薄っすらと、沈んでいた大地が潮の引きによって現れるように、ヘルメスは目を覚ました。
身体がやや重く、瞼を開くのも少し億劫に感じるほどで、随分と長く眠っていた様な気がする。
どうやらベッドに寝かされている様だが、少なくともバレアレ家のベッドでない事は確かだ。
ふかふかのベッドはあの家には無いし、なにより天井の高さが3倍以上はある。
「ここは……」
漸く身体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。
これまたバレアレ家で与えられた部屋の10倍はあろうかという広さの部屋であり、壁にはよく磨かれた大理石の柱やその他豪華な装飾品が備え付けられている。
豪華絢爛というよりは、もう少しシックな、厳かな印象の部屋であった。
ヘルメスは混乱する頭を掻きむしり、現在の状況に至るまでの記憶を辿る。
(えーと……最後の記憶は留守番してたら変な女が来て戦闘になって……いや、ちがうな。ん?夢か?……確か最後にすんごい疲れる戦闘をした記憶が……)
ちぐはぐな記憶の追跡に集中する。
――と、不意にベッドと対角に位置する両開きの扉がノックされた。
「はい?」
「――失礼致します」
凛と鳴る澄んだ声の人物は、音も無く扉を開くと部屋の入口に立ち、此方を伺った。
メイドだ。
ゲームやアニメの中でしか見た事の無いメイドが立っていた。
おまけに可愛いときている。
やはり、今の状況自体が夢なのか。
「御加減如何でしょうか。お食事やお飲み物、その他必要な物がございましたら、用意致します」
「――い、いえ!大丈夫で……ござい……ます!」
緊張して、おねぇ言葉の様な返事を返してしまう。
「畏まりました。それでは、これよりモモンガ様がお見えになります。そのまま寛いでお待ち下さいとの事です」
そう言うと、メイドは僅かに目尻を強張らせた。
無表情を取り繕っており、普通の人間であれば見抜けない程の僅かなものであったが、闇妖精の優れた視力と洞察力が無意識にそれを見抜く。
怒らせるような真似をした記憶は無い為、その心中までは推し量る事は出来ないが。
メイドは見事な一礼をすると、また音も無く扉の外へと姿を消した。
「……何がなんだか。――っと、ん?裸?」
ふと、自身が何も着ていない事に気付く。
分厚い布団を被っていたので下半身の露出こそしていなかったが、上半身を女性に見せてしまった事に気恥ずかしさを覚えた。
(まぁ現実世界の頃と違って、ゲームアバターのボディは綺麗だからまだマシかな。――裸?)
アイテムボックスから適当な伝説級ローブを取り出して纏いながら、違和感に気付く。
引っかかった単語は二つ。
モモンガ。
裸。
曖昧だった記憶は、まるでパズルの様に組み合わさっていき、今までの出来事が明確になっていく。
全身から嫌な汗が噴き出していくのを感じ、鼓動が早まる。
嘘だ。
きっと夢だ。
これが夢でなければ、俺は自分を保つ事が出来ない。
モモンガという人物も、ユグドラシル廃人であった自分が脳内に作ったモノであり、本物の訳が無い。
自分は――全裸で暴れまわる変態である筈が無い。
現実逃避をしているヘルメスの耳に、再びノックの音が入る。
姿を現したのは死の支配者――ユグドラシルプレイヤーであれば知らない者はいないと言ってもいい、非公式ラスボスであった。
後ろ手に扉が閉まり、ゆったりとした動作でベッドまで近付くと、ヘルメスに向けて言葉を掛ける。
「おはよう。
「殺してくれ」
ヘルメスはベッドに再び倒れ込むと、それだけを告げて瞼を閉じた。
◆
「――えぇと、既に回復はさせましたが、大丈夫ですか?なんせHPとMPがほぼ尽きかけていましたから」
目の前の不死者は、先程とは打って変わり、こちらを心底心配している様な柔らかな態度でヘルメスの様子を伺っていた。
声も何オクターブか高くなっている気がする。
「え、えぇ大丈夫です。此方こそ失礼しました」
そうですか、と表情を持たない骸骨の身でありながら、安心した様な雰囲気を見せる姿がなんだか可笑しく感じてしまう。
やがて、ベッド脇にちょこんと座った不死者は、ヘルメスが何度か深呼吸をするのを見届けてから、再び声を掛ける。
「まずは初めまして。こちらのヘルメスさんは……という形ですが、なんか変な感じですね。私はモモンガと言います」
小さくお辞儀の様なものをしつつ、不死者――モモンガは自己紹介をする。
「此方こそ初めまして。ヘルメスと言います。……この度は危ない所を助けていただき、ありがとうございました」
まずは礼を言うところからだろう。
記憶が正しく、これが夢でないのであれば、自分はこの人に対し、とんでもない迷惑を掛けたことになるのだから。
叡者の額冠に支配されている間、ヘルメスは深層意識のみの存在であったが、その時の記憶は共有されており、その
「いえいえそんな!困っている人がいたら助けるのはあたりまえ、ですから」
神様なのだろうか。
大魔王などと思っていた自分が情けない。
「えっと……それで、一体ここは何処なんでしょう?」
自己紹介を済ませたところで、まずは基本的な質問から始める。
モモンガ曰く、ここはナザリック地下大墳墓第9階層のロイヤルスイート、客間の一室だという。
ヘルメスと同じく、ユグドラシルから転移した点は同じだが、モモンガの場合、NPCとギルドホームも一緒に転移してきたらしい。
ギルドホームごと転移とは、豪奢な話もあったものだと溜息がでる。
それから、モモンガからこれまでの事の経緯を聞き、ヘルメスも自身の記憶の範囲で事情を説明した。
更には、ユグドラシル最後の日から今日に至るまで、現実世界で何をしていたのか、と話の種は尽きない。
モモンガは、カンスト級プレイヤーすら支配する、この世界独自の魔法というものに興味を惹かれた様だが、それ以上にヘルメス自身や賢者の石の話題に喰いついてきた。
「それが世界級アイテム……『賢者の石』ですか。隠し職業専用とはまた、糞運営もニッチな事しますね」
モモンガはアイテムコレクターらしく、虹色に輝く指輪を見ながら顎に手を当てる。
「まぁ、錬金術師にとってのコレクターアイテムに近かったですけどね。ただフレーバーテキストが実現化されるこの世界の影響で凄まじい効果が今は宿っています」
「……この世界独自の理に該当するタレントや、例の「始源魔法」が使えるという事でしたか。確かにチートですね」
「それも凄いことではありますが……テキストの全文は『錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける』というものなのですが、この『魂をも生み出す』という部分が特に、ですかね」
「それがどうかしましたか?」
「実は、今の自分はレベル100ではありません」
「え!?」
モモンガは思わずといった感じでのけぞる。
表情が無い分、リアクションが大きい気がするのだが、本人は気付いているのだろうか。
「指輪からの知識ですが、始源魔法はMPでは無く、魂を消費します。この魂というのが何なのか、正直分かりませんが、経験値に近しいものであるのは確かな様です。実際、始源魔法を使ったせいで、レベルダウンを起こしているんです」
「そんな……この世界で高レベル分の経験値を回収するのはかなり難しいですよ!どうするんですか!あんなしょうもないアイテムのせいで全裸になってレベルまで失って!なくすのは羞恥心だけで十分でしょうに!」
悪気があるのかないのか。
ヘルメスの心の傷を抉りながら、モモンガが捲し立てる。
「お、落ち着いて下さい。それで、このフレーバーテキストの話に戻るんですが、この指輪、どうも魂に近しい存在である経験値を、今も私に供給し続けているんですよ」
「……それは」
「もうこれは推測でしかないんですがね、『魂をも生み出す』っていうフレーバーテキストは、本来であれば賢者の石に纏わる伝説、生命創造等に関する部分を謳ったものだと思うんですが、実際に魂……つまりは経験値を生み出す装置にもなっているんじゃないかと」
モモンガは文字通り開いた口がふさがらないといった感じでヘルメスを見つめる。
実際、ヘルメスもすごいアイテムに化けたものだと驚いている。
「ちょ、ちょっと待って下さい……という事はですよ?経験値を消費する超位魔法も使い放題っていうことに?」
「あぁ、それは出来ません。これが曲者でして、魂イコール経験値、では無いんですよ。魂に近しいものが経験値というだけで」
「……詳しくお願いします」
モモンガはまるで分からないといった様子で首を傾げる。
ヘルメスも指輪からダイレクトで流れてきた情報を言語化するのは難しいな、と感じる。
「つまりですね……うーん、例えるなら……水をパンパンに吸ったスポンジがあるとしますよ?スポンジの一部を千切り取ってしまうのが超位魔法。スポンジから必要な水分だけを吸い取るのが始源魔法といった感じですかね。」
「……ほぉ。スポンジごと削り取る超位魔法では、指輪は水分の補填をしてくれない、いや、出来ないという事ですか」
「そういうことになりますね」
うーん、と頭を捻るモモンガ。
実際、自分でも分かりにくい概念だとは思う。
モモンガとの戦闘時、ヘルメスが《始源魔法・魔法上昇/オーバーマジック》を使用した際にガクンとMPが無くなった様に感じたのは、レベルダウンによる最大MPの減少によるものだ。
「それで……現在のレベルはどれくらいなのですか?」
「数値で見る事は出来ませんが、98位ですかね?そこまで激しい消費では無かったようで。感覚的にはあと2~3日もすれば100に戻るかと」
「そうですか……」
「幸い、スキル自体はレベル100時のものまで使用できます。ステータス値がレベル相応のものになるという感じですね」
「……」
ここまで話したのはモモンガを信頼してのものである。
覗き見をしていたのは事実だが、悪い人物でないのは助けてくれた事からも明確だ。
何より全裸を晒しておいて、今更何を隠そうか、という開き直りの部分も大きい。
――と、ここまで話した段階で、何故かモモンガの雰囲気が険しいものになる。
「……聞いておいてなんですが、何故そんな大事な秘密を私に明かしたのでしょう?」
「え」
思ってもいなかった言葉に思わず返事に詰まる。
「私が貴方の話をどこかに漏らしたり、貴方を利用しようとするかもしれませんよ?そういった危険性を考えましたか?ユグドラシルにおいて情報戦は基本にして応用。些か、不用心過ぎはしませんか?」
(あぁ……本当に……その通りだ)
ユグドラシルにおいて、自分はここまで不用心であっただろうか?
何故か怒りやすかったり、レベル差があるのに油断したりと、確かに不用心になっている節があった。
呆れられたか。
そうヘルメスは感じた。
ただ……そう。
久々にユグドラシルの、同郷の者に会って浮かれてしまったのだ。
気落ちし、ヘルメスが項垂れた時であった。
「――ですので。ヘルメスさんを放っておくのは危険ですので、ナザリックで保護します。異論はありませんね。いえ、あっても聞きませんけどね」
そんな台詞に、顔を上げてモモンガを見れば、彼は腕を組み、ソッポを向いていた。
無骨な骨は表情こそ無いが、どう見ても照れている。
フレンドに誘うのに必要なのは簡易的な定型メッセージのみだが、この世界ではそうもいかない。
まるで、初めて「お友達になりましょう」と誘った子供のような、不器用なモモンガにヘルメスは茫然とする。
なんだこのお骨様は。
なんというお人好しなのか。
なんという
「――ツンデレなのか」
なんか言いましたか?――という絶対に聞こえているだろうに聞こえないふりをする不死者に、ヘルメスは、笑い声をもって返すのであった。
「こちらこそよろしく。モモンガさん」
◆
「病み上がりに話し込んで悪かったな、ヘルメス。引き続き、身体を休めてくれ」
「ありがとうモモンガ。そうさせてもらうよ」
モモンガは部屋の扉を開け放つと、扉の前にいるメイドにも
「シクスス――だったな。ヘルメスを頼むぞ。無論、心配はしていないが……失礼の無いようにな」
モモンガの言葉に一般メイドのシクススは一瞬身体を強張らせ、畏まりました、と臣下の礼を取る。
モモンガはうむ、と小さく頷くと転移で部屋の前を後にした。
シクススは、至高の主が、守護者でも無い一般メイドの自分の名前を覚えていた事にいたく感激し、そしてたった今、目の前で起こったことに驚愕していた。
「……モモンガ様が呼び捨てで呼び合う仲……あの殿方は一体……?」
ナザリックにおいて、至高の御方は神に等しい、否、神そのものと言える存在である。
その御方を呼び捨てできる存在など、それこそ至高の41人以外にあり得ないと思っていた。
事実、あの殿方が目を覚ました事を報告した際、出向かせるのでは無く、至高の主自身が赴くと伺った時は、自身の聞き間違いかと思ったほどだ。
主に部屋まで出向かせる存在等、このナザリックには存在しない。
主からは「客人として丁重に扱うように」とだけ言われているが、これは気を引き締めなければいけない。
メイドの不始末は主の不始末として、捉えられかねないからだ。
あの闇妖精の殿方が何者かは知らないし、自分が知る立場に無い事は百も承知であるが、シクススは一人、頬を張って気合を入れなおすのであった。
◆
「……さて、問題はこれからどうするかだが」
自室に転移したモモンガは、眠れもしないのに豪華に飾り付けられた寝室へ向かうと、これまた上等なベッドにうつ伏せに倒れ込みながら独り言を漏らす。
ヘルメスとの接触は上手くいった。
深層意識下の彼と話をしていたので、大丈夫だとは思っていたが、もし断られたらと不安に思っていたので、漸く緊張を解くことが出来た。
しかし、まさかギルドメンバーと親交があったとは思わず、つい話し込んでしまった。
聞けば、ヘルメスのあの丁寧語系の厨二ロールはウルベルト由来らしい。
ヘルメス自身の能力や世界級アイテムも大変貴重なものであるが、そんなものは二の次であり、「本音を語れて、愚痴を言う事も出来る人物」の確保が出来た事は非常に喜ばしい。
ナザリックの絶対支配者は心の支えとなる存在に飢えていたのだ。
「ナザリックに属する事に対して抵抗が無いのは助かったが……問題は
人間蔑視。
もはやアレルギーとも取れるそれが、ナザリック配下に根強く広がっていることにモモンガは頭を抱える。
ヘルメスは、アウラやマーレと同じ闇妖精であり、純粋な人間ではない。
それも、脆弱なこの世界の人間種では無く、ユグドラシルの民ともいえる、いわば同郷の者だ。
だが、それが通じるとも思えない。
「救いはギルドメンバーらの何人かと交流があった事だな。……至高の存在の友人、うん、この線で押すしかないか」
かつての仲間たちの名前を出されて、納得してくれない配下はいないだろう、とモモンガは当たりをつける。
後はモモンガとヘルメスの演技力と台本次第だ。
台本、というのは、ナザリックの面々らにヘルメスを紹介する場での事である。
顔を見せて周知しておかなければ、ヘルメスの身に何かあった時に厄介な事になる可能性があるからだ。
(ん……?待てよ。そういえば、親交が盛んになったのは例の1500人イベントの時って言ってたな……もしかすると……)
説得材料について思案していると、ふと思いついた事があり、モモンガは自身のアイテムボックスをごそごそと漁る。
(お。あったあった。……よし、これなら……)
そう呟くモモンガの手には一本のユグドラシルポーションが握られていた。
◆
ヘルメスはベッドの上にだらしなく寝転がる。
聞けば2日ほど眠り続けていたらしく、回復魔法を施したのに何故目を覚まさないのかと、かなり心配をかけてしまったようだ。
ユグドラシル時代を含め、ヘルメスはナザリック地下大墳墓に立ち入ったのは初めてとなる。
あくまで闇の錬金術師として、影の協力者という姿勢を貫いていたからだ。
こんな事になるなら、自分もどこかのギルドに入って、ギルドホームでも作っておくんだったな、とも思う。
「しかし……この異世界への転移で、モモンガさんが本物の魔王に成っていようとはね……」
先程まで部屋にいたモモンガを思い出し、ヘルメスは乾いた笑いをこぼす。
ホームギルドごと転移し、NPC達が意思を持ち動き出す。
そして、その意思とはモモンガさんをナザリックの絶対支配者として忠義を尽くす事。
心強いのと同時に、心労が絶えないとは、まさに自分と真逆の環境にいたと言えよう。
冗談で、モモンガ様、と呼んだ時のあの悲壮な表情は忘れられない。
(……それにしても、俺のお披露目パーティーをするから、って簡単に言ってたけど、あれどういう意味だろうな。なんか色々脅かされたけど……)
ヘルメスはモモンガに手渡された羊皮紙を広げて、眉根をひそめる。
そこにはモモンガが殴り書いた、ナザリックのルールや気を付けなければならない点が箇条書きにまとめられた文字が並んでいる。
① ナザリックのほとんどは異形種で構成されており、人間種に不寛容なので注意してください。
② ギルドメンバーを崇拝している(私も含め)ので、二人の時以外に、茶化したり、ふざけたりしない様に注意してください。
③ お披露目の時まであまりフラフラしないように、下手するとトラップとか踏みます。
④ ナザリック内は基本的に転移が効かないので、注意してください。
⑤ 配下達の前では「モモンガ」と呼び捨てにして、古代の錬金術師ロールでもなんでもいいので、対等の者である事を示してください。
⑥ ⑤の補足として、モモンガはナザリックの支配者、ヘルメスさんは古代の錬金術師、そのロールを演技と見破られないように注意してください。
⑦ 全裸で出歩かないでください。
⑧ 以上の事柄を頭に入れたら、この羊皮紙を処分してください。
⑦は完全にふざけている。
自分の事を幼稚園児か何かだとでも思っているのか。
だが、他の項目も中々にぶっとんだ内容が多く、注意してくださいと書かれてはいるが、どう注意すればいいのやら。
モモンガは歓迎したいと言っていたが、この文面からは、どう考えても歓迎されているという雰囲気が伝わってこない。
――ふ、とヘルメスはモモンガが部屋を出ていく際にした会話を思い出す。
「あ。そういえば!地下霊廟とかってどうなりました?モモンガさんが超位魔法ぶっぱなしたり、二人で大暴れしましたよね!大惨事になってないですか?」
モモンガは振り返ると、何てこともないような口調で答えた。
「あぁ。大丈夫です。
ヘルメスはため息を吐く。
ここから生きて帰る事くらいは出来るよね?と思案しながら。