「……リザードマンとの戦争……ねぇ」
今朝の日刊なざりっくの見出しは、近々行われるらしいトブの大森林に生息するリザードマンとの戦争に関するものであった。
ヘルメスは、バレアレ薬品店2階の自室で、ウインドヘルム産のローストコーヒーを啜りながら、記事を流し読む。
ナザリック近郊のトブの大森林奥地で発見された湿地帯には、複数の部族からなるリザードマン達が暮らしており、この度、綿密な戦力分析を終え、開戦を決定したとのことだ。
目的としては、アンデッドモンスターの触媒となる死体の確保と、コキュートスら守護者達の成長を図るため、とある。
(いよいよ、魔王染みてきたなモモンガさん)
ヘルメスは、宣戦布告の文言をああでもないこうでもないと練る骸骨の姿を想像して苦笑する。
こうして新聞記事に載るよりも前、この件については、モモンガから聞いて知っていた。
まるで観劇に誘うかのようなノリで、観戦のお誘いがあったのだが、ドンパチにはそこまで興味が無いため、丁重にお断りしたのだ。
「さて、そろそろ掃除を始めないと、ばあちゃんに尻叩かれるな」
新聞を折りたたんでアイテムボックスに仕舞い込むと、ヘルメスは残っていた珈琲を一気に流し込み、気分を入れ替える。
ユグドラシルでは実現不可能であった「戦争」という、超規模で行われるPVP観戦に興味が微塵も無いかと言われれば嘘になるのだが、ヘルメスにはヘルメスでやるべき課題がある。
それは、ナザリックアイテム生産部門統括として、何より、未知なる知識の探究者、
◆
魔術師組合エ・ランテル支部。
ヘルメスは、石造りの5階建ての塔の前にいた。
戦士やレンジャーといった者達にとっての拠点となるのが冒険者組合だとするならば、魔法詠唱者にとっての拠点となりうるのが、この魔術師組合だ。
各種スクロールや杖、魔法の武具等を取り扱う、魔法に関わる全てが集約されている施設であり、バレアレ薬品店で作られた魔法薬の一部も、此方に卸している。
過去に一度だけ、魔法詠唱者であるニニャに案内をしてもらった事があった為、迷う事なく辿り着く事が出来た。
荘厳な造りの建築物は歴史を感じさせる重厚なものであり、入口の大きな格子状扉をくぐると、エントランスホール、そして大きなロビーへとつながる。
高い吹き抜けの天井からは魔法の灯りを宿したシャンデリアが幾つも垂れ下がっており、ロビーラウンジのソファには如何にも魔法詠唱者然としたフード付ローブを着た者達の姿があった。
壁には、冒険者組合のものよりも、より洗練された印象の掲示板が設けられており、貼られた羊皮紙を見ながら、魔法詠唱者達が集まって何かを話し込んでいる。
想像以上のファンタジーな雰囲気に、ヘルメスはニヤけそうになるのを必死に堪えた。
(いいじゃん。いいじゃん。……冒険者組合のあの殺伐とした感じとは違って、なんだか知的でいい感じ)
ヘルメスはバレアレ薬品店のツナギでは無く、ローブを着て来ればよかったかなと考えながら、静かに歩を進め、ロビー最奥のカウンターに立つ女性に声を掛けた。
「はじめまして。バレアレ薬品店より参りました、ヘルメスと申します」
闇妖精であるヘルメスの容姿に驚いた様子の女性であったが、すぐに笑顔を浮かべ対応する。
「ヘルメス様ですね。お話は伺っております。すぐに責任者の者が参りますので、あちらのソファでお待ちください」
「ありがとうございます」
ヘルメスは言われた通り、飽きない店内を見回しながらソファで待っていると、やがてローブを着込んだ痩せ型の中年男性が近づいた来た。
「お待たせした!ようこそ、当魔術師組合へ!ここの責任者をやっているテオ=ラケシルという者だ。すまないね、今、茶の一つも持ってこさせるので、待っていてもらえるかな?」
まくし立てるように挨拶をしてくるラケシルに、ヘルメスは笑顔を浮かべつつ、握手を交わす。
「本日は此方の我儘を聞いて頂き、ありがとうございます」
「いやいや!私の方こそ、是非君には会いたいと思っていた所なんだ。冒険者組合長のアインザックからも聞いているよ。君が作るポーションや応急膏の品質は、今やエ・ランテル一という話じゃないか、やはりバレアレさんに見初められた人物なだけはあるね」
初対面でのリップサービスは人付き合いの基本であるが、随分な好評価に若干たじろぐ。
ヘルメスがニコニコと営業スマイルを浮かべていると、周りを警戒するように見回したラケシルが、小声で言葉を続ける。
「……なんでもあの「漆黒」のモモン君も、君を贔屓にしているそうじゃないか。今はミスリル級の彼らだがね……先日の
吸血鬼退治――これは、例の視察の一件に関する後始末のうちの一つである。
血の狂乱を発動したシャルティアを目撃した冒険者が、その情報を持ち帰った為、エ・ランテルでは一時パニックに陥っていた。
そこで、ヘルメスからの報告を受けたモモンガは、急遽ユグドラシル金貨を消費してレベル50程度のドッペルゲンガーを召喚し、シャルティアを模した形態を取らせたうえで
レベル50といえば、この世界では相当な脅威の存在の筈である。
漆黒の英雄モモンと美姫ナーベは、結成された討伐隊と合同で追跡に当たり、吸血鬼を捕捉。激しい戦闘が繰り広げられ、多くの冒険者達が倒れていく中、唯一互角に渡り合っていたモモンが、秘蔵のマジックアイテムを使用しこれを退治した。
――良く出来た、もとい、素晴らしい英雄譚である。
「……それはそれは。すごいですねぇ冒険者チーム「漆黒」は」
「そうなんだ。ここ、エ・ランテルは交易の要所である大都市なんだが、「漆黒」はエ・ランテル始まって以来、初のアダマンタイト級になるんだよ」
ヘルメスらの尻拭いを、英雄モモンの名声を高める事に利用するモモンガは流石だなと、思う反面、なんとも複雑な心境であった。
ラケシルは、そこまで語ると、じっとヘルメスを見据える。
「……さて、そんなモモン君だが、そんな彼が言っていたのだよ。バレアレ師に従事しているヘルメス氏こそが、世界一の錬金術師であると……」
「ぶっ」
ヘルメスは運ばれてきたお茶を噴き出す。
(聞いていない。聞いていないぞ、そんな話)
サムズアップするお骨様の姿が脳内に浮かぶ。
「そ、そうですが。何度か冒険者組合で薬を売ったことがありましたが、そんな評価を……それは光栄なことですね」
「……モモン君は、とても、そうとても希少な高位階魔法が込められた魔封じの水晶を持っていたのだが……もしや、あれもヘルメス君が……」
「い、いえ!違います!あくまでポーションやらの消耗品ですよ」
「そうかい……まぁ、それもそうか。本業は薬師という事だし……変な事を聞いてすまないね」
色々と勘繰られてボロが出るのもまずいと考え、ヘルメスは本題に入る事にした。
「それで、今日は
「ああ、そうだったね!余談が長くなってしまってすまない。では、案内しよう」
ラケシルは、手招きしながら立ち上がると、ロビーを出て別塔に向かう。
ようやく、本日のお目当てに辿りついたことに、安堵しつつ、ヘルメスは前を行くラケシルについていく。
――数日前。
店番をしていたヘルメスの元に、デミウルゴスから《伝言/メッセージ》での相談があった。
曰く、ユグドラシル由来の素材の消耗を抑える為、この世界に流通する羊皮紙でスクロール作成を試みたところ、羊皮紙が燃え上がり失敗したと言うのだ。
現在、ヘルメスの手によりポーション備蓄の目途は立っていたのだが、多用するスクロールの備蓄が出来ないのは痛手であった。
ここは、マジックアイテム生産部門統括としての自分の出番であると、デミウルゴスには「任せなさい」と返答をしたのであるが、これがなかなか難航している。
実際に、ヘルメスも現地の羊皮紙を入手して試してみたところ、ユグドラシル金貨を鋳溶かすまでは良いのだが、いざ魔法を込めようとした段階で、報告通りの炎が上がり、失敗してしまったのだ。
錬金術スキルである『素材強化』を使用しても第二位階が限度であった。
考えられる原因は2点だ。
一つ、羊皮紙の質がユグドラシル製のものより悪い。
二つ、スクロール製造技術がユグドラシルとは異なる。
一つ目については、羊皮紙のそもそもの材料である羊の見直しから必要になってくる。
二つ目については、ポーションの例もあるので、こちらの世界での製造方法さえ判明すれば解決できるかも知れない。
そんな訳で、二つ目の要因を解決するため、わざわざリィジーの伝手を頼り、こうして企業見学に来たのである。
前を行くラケシルが、行き着いた部屋の木製扉を開く。
部屋の中は、背の高い棚が壁を埋め尽くしており、その何れにも丸められた羊皮紙が納められていた。
中央には木製の机が二つ並べられ、魔法詠唱者たちが何やら作業をしている。
「ここでスクロールを生産しているのだよ。見るのは初めてかい?」
「ええ。……とても勉強になります」
作業をしている魔法詠唱者達の手元を観察すると、どうやら羊皮紙に何やら羽ペンで文字を書き込んでいる様であった。
描いているのは魔法陣と文字の様であるが、当然、何が書いてあるのか、ヘルメスにはさっぱり分からない。
分かるのは、魔法陣と文字の羅列が、金色に輝いているという事だけだ。
「金を鋳溶かして、インクにしているのですか?」
「そうだね。魔力を通すのに、最も適している金属は金だ。魔法陣を描きながら、魔力を込める。一枚一枚手作りな訳だから、どうしても高価になるのだよ」
「なるほど……」
要は、羊皮紙への魔力の込め方が違う、という事なのであろう。
ユグドラシルにおいて、羊皮紙の入手は基本的にNPCショップでの購入だ。
『魔法を込める事が出来る』と設定されている羊皮紙なのだから、当然簡単に魔法が込められる。
しかし、この世界における羊皮紙は脆弱であり、魔法を直に込めるには耐久度が足りない。
そこで、魔法陣を描きながら少しずつ魔力を込める、というやり方で羊皮紙を焼かずに魔法を込める、という訳だ。
職人技をじっと見つめながら、ヘルメスは心中で頭を抱える。
(仮に、このやり方を俺が会得したとして、あまりにも作業効率が悪すぎるな)
ポーションと異なり、大量生産にあまりに不向きなのである。
一日に作成できるのが数枚というレベルであるし、込める魔力を間違えれば、羊皮紙が燃えてしまい、それまでの作業が文字通り灰に帰すことになる。
そもそも、ただの羊皮紙である以上、このやり方で高位魔法を込めることが出来るという保証も無いのだ。
「……ラケシルさん。使われている羊皮紙は特別な羊皮紙なのですか?」
「ん?あぁ、そうだね。本を纏めるものに比べれば、厚さはかなりあるし……それなりの羊を使っているよ。確かエ・レエブルのブランド羊の物を仕入れているのでは無かったかな?」
ラケシルの言葉に、ヘルメスは何かが引っかかった。
「……ん?そのブランド羊以外で作ろうとするとどうなるんです?」
「いや、作成は出来るのだがね。まぁ未熟な者が魔力調整を誤って燃やしてしまったり、魔法の効果が不安定だったりするのだよ。その点、エ・レエブル産の羊は非常に質が高く安定しているんだ」
「……それや」
「え?」
羊皮紙が弱いのなら、
◆
『と、いう訳でモモンガさん。牧場を作ってほしい』
『いや、という訳でと言われましても』
魔術師組合での企業見学会を終えたヘルメスは、バレアレ薬品店2階の自室のベッドに寝ころびながら、モモンガに《伝言/メッセージ》を飛ばしていた。
『スクロールの確保はナザリックにとって重要な課題でしょう。ねぇお願い。パパ牧場作って』
『誰がパパですか。しかし牧場ですか……うーん、森を少し切り拓いて作ってみますかね?』
『さすがモモンガ様。大好き。』
『ちょっとー、冗談でも様は止めてくださいよー気持ち悪い』
ヘルメスはモモンガに、夢の牧場計画の概略を伝える。
まず質が良いと噂の、王国東側に存在するエ・レエブル産ブランド羊を大量に集める事。
それから――
『データクリスタルを……餌として与える!?』
モモンガの素っ頓狂な声がヘルメスの脳内に響いた。
『声でかいですよモモンガさん……。いいですか?現状では、俺の素材を強化させるスキルを使っても第二位階が限界。なら、羊そのものの質を高めた方がいい』
『にしたって、なんか勿体ないような気が……』
『大丈夫です。俺のスキルである『無からの創造/クレアチオ・エクス・ニヒロ』なら、回数制限はありますけど毎日錬成出来るんですから。データクリスタルを砕いて粉末状にしたものを餌の穀物に混ぜるんです。あ、餌のランクも分けて、生育にどんな影響が出るかの実験も行いましょう』
『贅沢な羊だなぁ』
ヘルメスは、時間はかかるが、長期的にはナザリックの利になる事を強調する。
モモンガも最終的には「マジックアイテムに関してはヘルメスさんに一任しているので」と、ヘルエスの計画にGOサインを出してくれた。
『では、後でデミウルゴスに細かな計画を立ててもらいましょうか』
『あ、でも。結構な一大事業になりそうだから、まずは、私が直接ナザリックに行って、説明というか、お願いをしますよ』
牧場の建設や飼育する羊達の管理の事を考えると、アウラやマーレの協力を仰いだ方がいいかもしれない。
今日はもう寝るだけであるし、善は急げとも言う。
モモンガの許可を得ると、ヘルメスは転移の魔法でナザリック地表部へと向かった。
◆
「おや。マーレ?」
転移したナザリック地表部。
目の前に現れたのは、自分と同じ
ヘルメスが転移したのに気が付き、とてとてと小走りにやってくる様は非常に可愛らしい。
「こ、こんばんわ。ヘルメス様。ようこそおいで下さいました」
「こんばんわ、マーレ。モモンガさんからの遣いかな?」
ペコリと杖を抱きしめる様に握ったまま、頭を下げるマーレにヘルメスは優しく語り掛ける。
ほぼ初対面である為、第一印象は大事だ。
「は、はい。ナザリック内を案内する様に、えっと、言われて来ました」
「そうかい。じゃあ……まずは君達のいる第六階層までの案内をよろしく頼むよ、マーレ」
上目遣いに潤んだ瞳で此方を見るのはやめて欲しい。
変な趣味が目覚めてしまいそうな自分を戒める。
「で、ではっ、案内いたします。ついてきてください」
マーレの案内で、ヘルメスは第六階層に向かう。
転移門をいくつも経由し、恐らく最短ルートを通っているのだろう。
ただ子供の歩幅のせいか、随分ゆっくり進んでいる気がする。
「……」
無言でマーレの後ろをついて歩いている為、その小さな背中を眺め続けることになるのだが、ぼーっとしていると、ふいに背中からぎゅっと抱き着きたくなる様な衝動に駆られた。
慌てて、首をぶんぶんと振る。
(ば、バカ!何を考えているんだ俺は!相手は男だぞ!いやいや、子供だぞ!)
弁明しておくが、決して性愛的な欲求からでは無い。
闇妖精の身体になった為だろうか、同種の存在であるマーレに対し、妙な親近感を覚え、まるで親戚の可愛い甥っ子姪っ子を愛でる様な、そんな感情がふっと沸いてしまったのだ。
「あの……ヘルメス様」
(まずい!何か気取られたか?)
ヘルメスは緩みかけた表情を引き締める。
「……ヘルメス様は、ぶくぶく茶釜様ともご交友が、あったのでしょうか?」
「ぶくぶく茶釜さん?」
インパクトの強いぺロロンチーノの姉という事で、もちろんヘルメスは面識があった。
というよりも、この姉妹は揃ってインパクトが強いので忘れようが無いと言った方が正確だ。
イメージするのは、常にぺロロンチーノをどつく姉としての姿である。
遅れて、彼女が闇妖精の双子の創造者である事を思い出す。
「……もちろん知っているよ。基本的に前衛職の人達には、ポーションが重宝されていたからね」
振り返ったマーレが、驚愕に目を見開くのが見て取れた。
その反応を可愛らしく思う反面――遠く離れた親を想う子を見ている様で、心が少し痛んだ。
「ほ、本当ですか?あの、ぶくぶく茶釜様のお話を、えっと、シャルティアさんみたいに、お聞かせ下さいますか!?」
「そうだね。ただ、それはお姉ちゃんも揃ってからにしようか。マーレも、お姉ちゃんが自分よりも先にお話ししてたら嫌だろう?」
マーレは今思い至ったといった風に「あっ」と声を上げる。
「そ、そうですね。失礼しました。僕もお姉ちゃんと一緒にお話を聞きたいです」
良い子だ。
きっと、この子は虫も殺せないような良い子なんだろうな。
と、同族フィルターを通じ、勝手な思い込みをしたまま、再開したマーレの案内に続いていく。
そのやり取りを皮切りに、マーレは少しずつ、ヘルメスと会話をしてくれるようになった。
ナザリックや第六階層での暮らしぶり、モモンガがいかに素晴らしいか、といった内容である。
なんとなく、打ち解けてきたかな、と手応えを感じたヘルメスは、ふと気になった事を質問してみる
「それで……お姉ちゃん、アウラは何処にいるんだい?」
「えっと、お姉ちゃんは今お風呂入ってます」
(え……それって大丈夫なのか?変なこと起きないだろうな)
「い、一応、男の人に会うんだから身だしなみはしっかりしなきゃって言ってました……」
「……マーレ。そういうのは黙っておいてあげるのが紳士だよ」
頭を抱えたヘルメスと、不思議そうにそれを眺めるマーレは、ゆっくりとしたペースで歩を進めていく。
◆
「こんばんわ、ヘルメス様。第六階層守護者アウラ・ベラ・フィオーラです。ようこそ第六階層までお越し下さいました」
第六階層ジャングルの中心にある巨大樹の前で、アウラは見事な礼を見せてくれた。
おどおどした印象のマーレと異なり、しっかり者の姉といった印象である。
マーレはその段階で、ヘルメスに対して自己紹介していない事を思い出し、その事で姉に叱られていた。
どこかで見たような光景に思わず笑みをかみ殺す。
(それにしても……)
姿を現したアウラを目にした瞬間――ヘルメスは視線が釘付けになってしまった。
さらさらと輝く黄金の髪。
マーレと非対称のオッドアイ。
小さいながらも、マーレとは異なる女性としての体躯。
そして、髪の揺れた先から、ちらりと見える褐色の長い耳。
その全てが、ヘルメスの意識を持って行こうとする。
(いやいやいやいや。だから、まずいって!モモンガさんに殺されるって)
人間の生き死にに鈍感になっていたり、視覚聴覚の異常な発達等、闇妖精の身体になり、精神が身体に引っ張られている事実をこれまで幾度か体感してきたが、今回のそれは群を抜いて自覚させられるインパクトがあった。
(自分にロリコン趣味など無い筈だ。自分はぺロロンチーノさんとは違うんだ)
この世界に転移して、自分は異性への興味が希薄になったと勘違いしていたが、そうでは無かった。
人間という、別種族の中で生活していた為に気が付かなかっただけであり、なんなら、リアルの頃以上のものを今の自分は抱えてしまっているだろう。
アウラに対して抱く感情は、マーレに抱くそれとは違うという事を、ヘルメスは否が応でも感じてしまっており、今ほど、己の種族を強く意識したことは無い。
ヘルメスは、自身への嫌悪感を断ち切るように、舌を静かに噛みちぎり、呼吸を落ち着かせると、漸く本題に入っていった。
「……牧場?」
「……ですか?」
双子の声が見事に重なる。
「そうです。まだ実験をしてみよう、という段階でしかありませんが、スクロール調達用の羊を集めて牧場を運営しようと考えています」
ヘルメスは、先程モモンガにしたものと同じ説明を双子に伝えた。
羊ねぇ、とアウラが腕組をして頭を傾ける。
「トブの大森林の一部を切り開き、牧草等の環境の制御をマーレ。羊達の管理をモンスターテイマーでもあるアウラ。それぞれに任せたいと思っています。お願いできますか?」
双子はしばし、お互いの顔を見合うと、声を揃えて首肯した。
「お任せください!」
「……ありがとうございます。なお、この計画は、マジックアイテム生産部門統括である私と、ナザリック地下大墳墓最高支配者であるモモンガさんによる、連名での勅命となります。二人の働きに、期待していますよ」
ヘルメスの言葉に、双子はおぉと声を漏らし――表情を硬くした。
期待を込めての言葉であったのだが、変にプレッシャーを与え過ぎたかも知れない。
「さて……では、仕事の話は以上ですので、少しだけ、ぶくぶく茶釜さんのお話でもしましょうか……」
双子の期待する様な目に気圧されながら、ヘルメスは静かに語りだした。
◆
(はぁ……大人気なくドギマギしてしまったけど、まだまだ二人とも子供なんだな)
ぶくぶく茶釜の話を、双子はベッドで聴きたいというので、まるで子守唄の様に、ヘルメスはベッドで床につく二人に語って聞かせた。
語る内容はといえば、タンク職である彼女らしい、実に血生臭いものが多かったのだが、二人は満足してくれた様であり、寝息を立て始めたところで静かに退散した次第である。
成長を促す為に、あえて疲労無効の装備をさせていないというモモンガは立派なパパさんだな、と苦笑した。
「さて、ナザリック内を下手にうろつくと罠が発動するし、どうしようか」
巨大樹の外で立ち尽くしていると、ふいに見た事のある影が姿を見せた。
「ヘルメス様。こちらでしたか」
「おや、デミウルゴス」
最上位悪魔は、いつも通りの真っ赤なスーツを身にまとい、此方に近付いてくる。
「モモンガ様から、ヘルメス様が此方にいらしてると伺いまして。実はご報告したい事がございまして……」
「いや、良いタイミングでした。アウラ達が寝てしまったので、どうしようかと思っていた所なのです」
ヘルメスは苦笑しながら言うが、「ヘルメス様を差し置いて寝るとは不敬な」と、デミウルゴスが不快感を露わにした。
それを慌てて押しとどめ、話題を変えることにする。
「実は、スクロールの件で二人に相談がありましてね。報告書に纏めるよりも、直接話した方が早いだろうと、お邪魔した次第です」
「……!」
瞬間、デミウルゴスの表情が硬くなるが、ヘルメスがそれを察知するよりも早く、表情にはいつもの笑みが張り付いていた。
ヘルメスは、双子にも語って聞かせた「牧場計画」を説明し、その間、デミウルゴスは一切の言葉を挟むことなく、黙って聞き入っている。
(……あれ?デミウルゴス。なんも意見しないけど……なんかこの計画に穴があったりする……?)
そして、ヘルメスはと言えば、得意気に説明をしながらも、ナザリック一の知恵者の無言のプレッシャーにビクつく小者っぷりを披露していた。
一通りの説明を終えるが、デミウルゴスの様子に不安を覚えたヘルメスは、適当に言葉を繋げ、それっぽい事を言っておこうと試みる。
「……デミウルゴス。貴方はこう思っているのでしょう……時間がかかりすぎると」
「いえ!その様な事は決して!」
(図星かな)
珍しく狼狽したようなデミウルゴスの様子に、ヘルメスは心中で落ち込む。
「……例えば、です。羊皮紙の材料として、
デミウルゴスが何故かゴクリと唾を飲み込むのが見えた。
「ですが、果たして、それは羊皮紙と言えるのでしょうか?読んで字のごとく、羊皮紙とは羊の皮をなめして作られた紙です。それはユグドラシルに限らず、我々のいた次元、リアルの世界においてもそうでした」
「……それはつまり、ヘルメス様は
ヘルメスは、なんの意味も無く、ふふと笑う。
ただの雰囲気を出す為の笑いであり、出まかせの台詞を考えるための時間稼ぎのそれである。
「デミウルゴス。大事なのは『何事にも美学が必要だ』という事です……」
「美学……」
「ナザリック地下大墳墓の最奥の地、玉座の間に、何のトラップも備えられていない理由を知っていますか?」
「……いえ。寡聞にして存じ上げません」
ぐるぐると頭の中で台詞を構築していたヘルメスに、一筋の光が走る。
これだ。
このセリフを使うしかない。
「もし、玉座の間まで攻め込まれたらナザリックは陥落するでしょう。ならば、ここまで攻めてきた勇者達を正々堂々と迎え討とう。それが『悪の美学』だ――ウルベルトさんの言葉です」
デミウルゴスは大きく目を見開く。
「つまり、私が言いたいのはですね、デミウルゴス。やはり、羊皮紙は羊から取れる皮であって欲しいのですよ。それが私の……錬金術師としての私の『美学』なのです。たとえ多少の時間が掛かろうともね」
最後の台詞は目を閉じ、両手を広げるという、中二病であったウルベルトさんも真っ青になるであろう、中二ロールであった。
やがて、大きな間を空け、デミウルゴスが言葉を発する。
「……恐れ入りました。もはや、全て見通されていらっしゃるのですね。牧場の件、私も微力では御座いますが、尽力して参ります」
(……?)
「ありがとうございます。デミウルゴス」
よく分からないが、納得してくれたような雰囲気なのでこのまま誤魔化してしまおう、とヘルメスが静かに第六階層を後にする。
そして、デミウルゴスは、そんなヘルメスの後に続く。
背中に回された彼の右手の中には、くしゃりと潰された、