錬金術師世に憚る   作:みずのと

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第28話 暗躍する影

 

 

 ニグン・グリッド・ルーインは目を覚ます。

 視界に広がるのはもはや見飽きた見た石畳と石壁。

 そして己の立場を知らしめるかのように立ち並ぶ鉄格子である。

 囚われの身であるニグンは、手足に繋がれた鎖をいつものように見やると、再び目を閉じた。

 ここはリ・エスティーゼ王国内の何処なのだろうか。

 もう幾度となく繰り返した疑問を虚空に投げかける。

 こうして鎖に繋がれ、鉄格子の中にいるのだから、牢屋には違いないのだろうが、他の罪人の姿が見当たらないことから考えるに、ろくな施設ではないのだろう。

 あの村――カルネ村にて捕らえられたニグンは、本来の標的であった筈のガゼフに捕らえられ、この牢屋に運ばれた。

 あれから何日が経ったのか。

 ()()()()()()()がこの部屋に訪れてはニグンに拷問をかけていったが、法国の秘術である口封じの魔法がある以上、呻き声をあげることはあれど、なんらかの情報を漏らすことは無かった。

 無論、魔法の効果が無くとも、この腐った王国に与える情報などありはしないのだが。

 そもそも、ニグン達が村々を襲って回った事情など、ガゼフを丸腰で寄越した王国の貴族共の方が一番知っている筈である。

 

(神は……ヘルメス様は今なにをしておられるのだろうか……)

 

 ニグンは雑多な思考を隅に追いやり、自身が遭遇した闇妖精の姿を再び思い出す。

 脳裏に焼き付いたのは、まだ若干の幼ささえ感じさせる黄金の髪たなびく闇妖精の姿であった。

 

 優秀な部下達を一瞬にして屠った圧倒的な魔法。

 仮にも陽光聖典隊長を任ぜられている自身を圧倒した気配(オーラ)

 一見して大人しそうな風貌ながら垣間見せた、妖艶で邪悪な笑顔。

 最後に神が自身に触れた時、『何か』を奪われた様な、そんな錯覚を覚える程の衝撃であった。

 

 思い出して一度身震いする。

 恐ろしい。

 奥の手として用意していた第七位階魔法による天使を屠ったあの魔法。

 その魔法の名前すら、ニグンは知らない。

 桁が違ったのだ。

 あれこそ、伝説に聞くぷれいやー。

 そう、『神』に違いないのだ。

 

 しかし。

 ああ、しかしである。

 自分は間違えたのだ――とニグンは歯噛みする。

 

(しかし、であれば、自分はどうすればよかったというのか……)

 

 繰り返してきた自問自答。

 ニグンの思考はいつもそこで詰む。

 法国の在り方を神は否定され、法国招致は失敗に終わった。

 神の――闇妖精の言葉だけを拾えば、その稚拙さたるや、まるで世間知らずの子供であった。

 ニグンの語った法国の理念は、弱小種族である人類守護の観点から考えれば、間違っていない。

 無論、神である彼だからこそ、大小様々な策謀を巡らし、時として同族を手に掛ける我々を滑稽に思ったのだろう。

 彼が八欲王の様な存在だとは思えない。

 間違いなく、神として降臨なされた存在なのだ。

 どうすればよかったのか。

 どうすれば正解なのか。

 答えを。

 答えを与えて欲しかった。

 

「生きているか」

 

 堂々巡りになっていたニグンの眼前から、声が聞こえた。

 顔を上げたニグンは僅かに目を見開く。

 白銀の全身鎧。

 この薄暗い地下牢に、立派な装飾が施された白銀の全身鎧の男が立っていたのだ。

 無論、鉄格子の外にである。

 あまりに非現実的な存在が唐突に現れたことに、自分はとうとう気が触れてしまったのか――と不安になった。

 

「相変わらず血生臭いことをやっている」

 

 鎧の男が再び声を発したことで、ニグンは男の声が幻聴でないと悟る。

 血生臭いとはニグン含めた法国の事なのか、自身を拷問にかけた王国の事なのか。

 男の所属を図りかねるニグンは怪訝な表情を浮かべる。

 

「ニグン・グリッド・ルーイン。君が見たモノを教えて欲しい」

 

 口封じに派遣された法国の工作員。

 王国の裏組織の人間。

 ――否。

 この男はいずれにも属さない存在である。

 

「得体の知れない者に語る言葉など無い。叫んで看守を呼ばれたくなければ去れ」

「……酷い声だね。舌を裂かれたか、喉を潰されたか」

 

 やれやれといった具合で鎧の男が首を振る。

 落ち込んだ様な声を出してみせてはいるが、どこか演技臭い。

 鎧の中身は本当に人間なのだろうか。

 

「……どうやって、ここまで侵入した」

「最初に聞く質問がそれかい?ここには魔法的な結界は無かったからね。侵入するのは難しいことじゃない」

 

 ニグンは舌打ちできぬ身で舌打ちしそうになる。

 魔法を軽んじる王国、というのは法国でも周知の事実であるが、仮にも法国の人間を捕らえる施設がこうもザルであることに頭が痛くなる。

 杜撰な管理にあるおかげで、捕えられてから早い段階で、法国の使い魔が自身の元に派遣され、あの日にニグンが見聞きした事実――ヘルメスの存在――を伝えることが出来たという面もあるのだが。

 

「手荒な真似はしないと約束する。なんだったら拘束を解いてあげてもいい」

 

 鎧の男が両手を広げて、条件を提示する。

 騒がれることなく、こんなところまで侵入できる男なのだ。

 恐らくは、実際に実行可能なのだろう。

 

「何が知りたい」

「話が早くて助かるよ」

 

 男の所属は不明なままだ。

 まずは目的が知りたい。

 

「単刀直入に聞こう。君は王国辺境の地で、強大な力を持った存在に遭遇してしまった。違うかな」

 

 心臓がどきりと跳ねる。

 この男は何かを知っている。

 

「……」

 

 下手な回答をすれば口封じの秘術が適用される。

 無駄な問答をするつもりは無い。

 だが、それを図星ととったのか、鎧の男はさらに続けた。

 

「そうだな。君の国の言葉でいえば、『ぷれいやー』もしくは『神』とでも呼ぶような。ちょっとやそっとじゃない、とてつもない力の持ち主だ」

 

 法国でも一部の者しか知り得ない言葉を男が並べ立てた事に、ニグンはさらに警戒を強める。

 

「無理な話だと思うけれど、そんなに警戒しないでくれ。君達が、君達なりの使命を帯びて王国に不法入国していたことも知っているけれど、それに関してとやかく言うつもりは無い」

 

 ニグンは半ばガタの来ていた頭を必死に回す。

 この男が知りたいのは降臨された『神』のことに違いない。

 そして、その神が王国内に現れたことも知っており、ニグンと接触したことも知っている。

 闇妖精――『ヘルメス』様の名が出てこないという事は、男が知りたいのはその御名に違いない。

 問題はそれを知ってどうするのか、である。

 この男に害せるとは思えないが、なんだか良くない予感がする。

 

 ヘルメス。 

 

 既にそっぽを向かれた神である。

 くだらない、と自身と祖国の理念に袖を振った者である。

 だが、何故だろうか。

 神の名をここで告げることに抵抗があった。

 

「何か知っている様子だね。カルネ村に行って聞くのもいいんだけど、この身は少し目立つからね」

 

 欺瞞(フェイク)だ。

 カルネ村に行く労力と、王国の秘匿施設にこうして侵入する労力、どちらが手間かなど、考えるまでも無い。

 それに、もしその言葉が真実であるならば、()()()()()()()()()()()()のか。

 脱げない理由がある、という事である。

 六大神の残した神器の中に、一度着ると二度と脱ぐ事の出来ない呪われた装備があるという噂を聞いたことがあるが、その類だろうか。

 どんな理由かはいくつか考えられるが、いずれれにせよ、まともではない。

 

「ガゼフ・ストロノーフにでも聞いたらどうだ。私を捕らえたのは奴だ」

「……」

 

 ニグンの言葉に、鎧の男が僅かに口ごもる様子を見せた。

 顔が完全に隠れたフルフェイスの全身鎧を着ている為、表情など伺い知ることは出来ないのだが、何か言いにくい様な、複雑な事情がある様な、そんな仕草に見えた。

 

「もちろん聞いたさ。だが知らぬ存ぜぬの一点張りでね。あの日、村々を襲っていた君達と交戦したのは私一人だと言って聞かないらしい」

 

 ()()()

 ――伝聞という事は、直接聞いた訳では無いという事なのか。

 協力者がいる上で、自らニグンに会いに来た理由はなにか。

 

「……さすがに友人である彼女に無理強いすることは出来ないし、お気に入りみたいだから……」

 

 鎧の男が小声で何かを呟くがニグンに聞き取ることは出来なかった。

 既に右耳の鼓膜は破壊されている為だ。

 

「話を戻そう。どんな力を持っていた?魔法詠唱者だと予想しているが、戦士や盗賊だったりするかい?」

「……魔法詠唱者だ」

 

 もはや「会っていない」などという回答は無意味だと悟り、もう少し情報を引き出させる意味でも、此方も小出しで情報を提供する必要があるだろうと考え、質問に一つ答える。

 これで、『残りは二つ』。

 ニグンは自身の首にナイフを当てがわれる情景をイメージした。

 法国の口封じの秘術は、特定の条件下で、言いたくないと思う質問に答えることで発動する。

 

「……一人だったかい?」

「何?」

 

 予想外の男の質問に、思わず素の声をあげてしまう。

 逡巡を経て、男の質問の意図に気が付く。 

 そう、自身はヘルメスが一人でいる所しか見ていないが、かの偉大な六大神、唾棄すべき八欲王のように、ぷれいやーと呼ばれる存在は、複数で降臨されることもあるのだ。

 

「……」

 

 ニグンは沈黙する。

 ニグン自身は、ヘルメスが仲間を連れているという印象は抱いていなかった。

 神に謁見したという事実に浮かれるあまり、その可能性を完全に失念していたのだ。

 

「分からない、といった感じかな。ふむ、だが大事な所だからよく思い出して欲しい。連れ立っていた者が仲の良い者だとも限らない。あるいは魔物の類の可能性もある。そんな者が近くにいなかったかい?」

「……」

 

 沈黙を続けるニグンに、鎧の男はため息をつくように肩を竦めた。

 

「では次の質問だ。どのような魔法を使う?何位階まで使っていた?」

 

 名前を問われたらどう話を逸らそうか、と思案していたニグンは、心中で胸を撫でおろす。

 その程度であれば回答しても自然だろう。

 

「……雷系の魔法を使用していた。あとは土系統の森司祭魔法と……さらに別の高位階の魔法も行使していたが、そこまでは分からん」

「随分と欲張った構成の魔法詠唱者だ。となると、一発は怖くない器用貧乏タイプ……とか、リーダーは言っていたか……?」

 

 独り言のような声量で鎧の男がぶつぶつと呟く。

 こちらが質問に答えてくれると知り、饒舌になったようだ。

 一方で、こちらは質問に回答したのが二つ目。

 『残りは一つ』だ。

 

「……そろそろ此方の質問にも答えてくれないか。お前は一体どこの手の者なのだ」

「――知らない方が君の為にもいいと思うんだけどね」

 

 脅し、というよりは、此方の身を慮っての言葉の様に聞こえる。

 

「そのうち、君を始末もしくは救出するために法国の連中が来るんだろう?いや、法国なら前者の可能性の方が高いんだろうけど、後者だった場合、知らない方がいいって事もあるだろう」

「うちの事をよく知っている口ぶりだな……十中八九前者だろうが、これ以上、得体の知れない相手なら私も口を噤むぞ」

 

 ニグンの言葉に嘘は無いと悟ったのか、鎧の男が諦めたように語りだす。

 

「……アーグランド評議国の者さ。君たちが忌み嫌う、ね」

「評議国……」

 

 アーグランド評議国。

 仮想敵国とまでは言わないまでも、人類が異形種共に喰われている中、知らぬ存ぜぬを突き通す真なる竜王が支配する国家である。

 ぷれいやーの匂いを嗅ぎつけ、こうして王国まで工作員を送り込んできたという事だろうか。

 強大な力を持つ国家である為、表だっての対立は出来ないが、人間を食料とする種族の国をも是とする、相容れない存在である。

 

 かつて、八欲王が地上を支配していた時代。

 竜王達はぷれいやーによって大量に殺害された。

 ならば、新たなぷれいやーの情報を得たとしたら、何をしようと画策するか。

 今はまだ、法国を信用してくれていないヘルメスであるが、いずれこの世界の事を知り、心変わりをするかもしれない。

 評議国の知るところとなれば、神といえど無事では済まないかも知れない。

 

「さて、君が対峙した存在についてだが……あれは世界の異物だ。『神』なんかじゃない。彼らが持つ力は、この世界に大きな歪みをもたらす。一部の例外はいるけれど……例えそれが善なるものであったとしてもその影響は計り知れないんだ」

 

 神官である自分に神とは何かを説教するとは、なかなかに皮肉な男である。

 

「法国が力を持つことがそんなに怖いのか、アーグランド評議国は」

「……六大神の再臨を夢想するのもいいけれど、常に最悪の事態は想定してしかるべきだね」

 

 男の口振りからは、ぷれいやーの存在に対する忌避感が強いように感じられる。

 無論、八欲王達によって、多くの竜王を失った苦い経験があるのだから当然だろう。

 六大神にしても、人間種にとっては救世主そのものであったが、そこに他種族は含まれていない。

 

「ぷれいやーを見つけたとして……そしてどうするのだ」

 

 ニグンは男の核心を突く。

 その答え次第では――。

 ニグンは選択をしなければならない。

 

「見極めるのさ。善なるものか邪悪なるものか。そして、世界を害するものか否か。その上で判断する」

「……」

 

 男の言葉は酷く冷たいものだ。

 冷たく。

 そして、傲慢に聞こえた。

 まるで、自らが世界の裁定者かのように――。

 まるで、世界を守護しているのは自らであるかのように――。

 

「……力を持ちながら、人間を家畜とする国家を良しとする評議国が……思いあがったものだな」

「言い方が気に入らなかったなら謝るよ。私個人の考えとしては、特定の種を根絶やしにしようとは思わないけれど、弱肉強食は自然の摂理じゃないかな」

 

 この口振りと価値観。

 鎧の中身は亜人やビーストマンの類であると、ニグンは当たりを付ける。

 

「ならば、神がその力を振るうことも、また自然の摂理なのではないのか」

「……いや、彼らは異物さ。この世界に元からいた存在ではないのだから、これを自然と呼ぶことは出来ない」

 

 今の現状を受け入れろという。

 神にすがるは、自然の摂理に反するという。

 絶対的な強者が、弱者に弱者のままでいろという。

 なんという理不尽か。

 結局は、自身の優位を保ちたいだけではないか。

 喰らう側でいたいだけではないか。

 傲慢。

 怒りから、ニグンの噛み締めた口の端から紅い血が一筋流れる。

 

「……さて、もはや質問するまでも無い雰囲気だけど……その様子だと今度のぷれいやーも『人間種』なんだね。彼?いや、彼女?はどんな人物だったんだい?」

 

 一呼吸置き、ニグンは鎧の男を睨む。

 

「……傲慢なる評議国の者よ。奢る強者よ。貴様が吐いたその言葉。いつの日か貴様自身の口から『()』に伝えてみるがいい……」

 

 ニグンは、自身の中で臓物が破裂するような衝撃を体感する。

 衝撃の直後、身体が震え、大量の血液が喉を上がって床に飛散する。

 法国の秘術は上手く発動してくれたようだ。

 これ以上、この男に『神』に関する情報は与えたくない。

 

「なに?」

 

 ニグンの様子に、鎧の男は初めて動揺した様子を見せる。

 

 神は――『ヘルメス』はまだ法国を、この世界について知らないだけだ。

 いつか。

 いつの日か、人間種の為に立ち上がってくれる日が来るはずなのだ。

 なぜなら、彼もまた人間種――闇妖精なのだから。

 どうか、その日まで、評議国の奴らに害されることの無いように。

 

「神よ……い、ま……」 

 

 ニグンは言い切ることなく、更に多くの血を吐き――絶命した。

 血の匂いが充満した薄暗い地下牢で、鎧の男だけが残された。

 男は呆けた様にしばらくニグンを見つめ、やがて事切れてることが分かると頭を掻いた。

 

「まいったな。蘇生の魔法は使えないし」

 

 それだけ呟くと、即座に転移の魔法を発動させる。

 それは位階魔法では無く、始源魔法と呼ばれる世界に干渉する魔法であった。

 転移を済ませると、視界には空が広がっており、眼下には先程までいた王国の収容施設が小さく見えた。

 祖国に向け、飛行をしながら鎧の男――真なる竜王ツァインドルクス・ヴァイシオンは一人ごちる。

 

「死をも厭わず庇うか……やれやれ、先に名前を聞いておくんだったな」

 

 情報を出し渋りするニグンの様子を見て、そんな予感はしていたがどうやら予想は的中していたようだ。

 しかし、彼の部隊が全滅したという状況からも、ぷれいやーが法国に恭順した様子はなさそうである。

 

 

 ツァインドルクス――ツアーは、世界の監視者として常に世界の異変に気を配っている。

 100年の揺り返し、といつしか呼ばれるようになった世界の揺らぎを、数か月前に感じ、その調査を行っていたのだ。

 評議国に次いでぷれいやーと関わりの深い国家――スレイン法国の動きは定期的に観測するようにしていたのだが、ある日、トブの大森林でキナ臭い動きをしていた部隊が忽然と消息を絶ったことを知った。

 すぐに現地に向かって調査を行い、わずかに残された痕跡を追跡していたのだが、ある地点でそれが()()()()()()()()()()のだ。

 戦いがあったのであればその痕跡がある筈なのだが、そのようなものも無く、欺瞞の痕跡すら見つけることが出来なかった。

 友人であるリグリットの手を借り、カルネ村という森からも近い地域で、スレイン法国と王国戦士長の小競り合いがあったことを知り、珍しく自ら動いてみたものの、結果はこのざまである。

 不自然な出来事が連続している以上、ぷれいやーが絡んでいるのは間違いないだろう。

 

「……恐らくは単独転移者であり、人間の男。これまでの動きを見るに、なるべく目立たず、痕跡を消して行動している節がある。殺戮者では無いのかもしれないが、敵対者には容赦がない……といった所か」

 

 ツアーが最も警戒しているのが、八欲王の再来である。

 転移者は、一部の例外を除き、強大過ぎる力を持ってこの世界に現れる。

 そして、その力に溺れ、やがて世界に厄災を齎すのだ。

 一部の例外の一つは、ツアーがかつて、リーダーと呼んだ人物である。

 彼は誰よりも弱かったが、異世界による恩恵なのか、めきめきと力を上げていき、世界を救った人格者であった。

 情報が少ない以上、油断はできないが、今度の転移者はそんな人物に近い者なのではないか、そんな希望的観測がツアーの脳裏をかすめる。

 人類至上主義が根強い法国出身であるニグンには警戒されてしまったが、世界に及ぼす影響が少なく、善なる者であれば、ツアーは基本的に静観してもよいと考えていた。

 

「まぁそうだな……そうやって油断させておいて、実は背後に巨大な『ぎるど』が潜んでいました、なんて展開(シナリオ)が一番恐いかな」

 

 気になるのは自身の痕跡を消して回っているという点である。

 少なくとも、ツアーが知るぷれいやー達に、そのようなタイプの者はいなかった。

 この世界に転移し、早い段階で複数の人間に手をかける豪胆さはある癖に、すぐにその痕跡を消して回っているのだ。

 まるでツアーのような存在を感知し、警戒しているかのように。

 

 リーダーの話によれば、この世界の住人達は総じて『れべる』が低いのだと言う。

 転移した者の多くはその力に溺れてしまうが、この者は違うというのか。

 もう少し調査が必要である。

 

 ツアーは、少なくなってしまった古くからの友人達へのお願い事が増えた事に不安を覚えながらも、やがて王国の空から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈Barなざりっく特製ドリンク一杯無料券〉

 

 ヘルメスは、モモンガが編集を務める『日刊・なざりっく』の付録としてついてきたクーポン券を、恐る恐るバーのマスターである茸生物(マイコニド)に手渡す。

 マスターは、クーポン券を恭しく受け取ると、

 

「かしこまりました。しばしお待ちを」

 

 とだけ告げ、何やらカウンターで準備を始めた。

 落ち着いた渋い声のマスターであるが、頭部に口と思しき器官が存在しない為、その声はどこから発せられているのだろうと不思議に思う。

 

 ヘルメスが訪れたのは、ナザリック地下大墳墓第九階層にあるBarなざりっく。

 落ち着いた照明が室内を静かに照らすショットバーで、酒を並べたカウンターに椅子の数は八つ。

 静かに酒を楽しむには十分なスペースで、大きすぎず小さすぎず、絶妙な空間が作られている。

 久々にナザリックを訪れたヘルメスは、友がせっせと拵えたであろう新聞のミシン目を丁寧に切り取り、クーポン券を持参していたのだ。

 もちろん、こんなものを使わずとも、モモンガはいつでもナザリックに遊びに来るように言うのだが、まだまだ部外者である自分には敷居が高い為、いい口実になってくれて助かっている。

 

「ヘルメス様?今マスターに何を手渡されたのですか?」

 

 一人でふらつくには怖すぎるナザリック地下大墳墓。

 ついてきてくれた闇妖精のアウラが、まだ幼いその顔をまっすぐヘルメスに向けて尋ねてくる。

 同じ種族として作られたこの身体の影響であろうか、今日もアウラは格別に可愛い。

 カウンター席に腰かけると、アウラとマーレも、ヘルメスを挟む様に席についた。

 両手に花――両手に双子である。

 足が床に届いておらず、ぷらぷらしているのがなんとも微笑ましい。

 

「モモンガさんから頂いたバーのクー……招待状ですね。なんでも特製ドリンクが頂けるとか」

「えー!羨ましい!」

「ぼ、ぼくも飲んでみたい……です!」

 

 なんでも、モモンガの教育方針らしく、背丈が成長するまでは、アウラとマーレはアルコールの摂取が制限されているらしい。

 大魔王然としたナザリックの最高支配者は、立派なパパでもあるのだ。

 

「さて、今日ナザリックへと赴いたのは他でもありません。モモンガさんと私の共同プロジェクト――羊皮紙専用羊に関する作戦会議の為です」

 

 双子の顔が真剣なものに切り替わる。

 モモンガの名前を使うのは、このナザリックにおいて、まだまだヘルメスに対する信頼が薄いという自覚からである。

 情けない話ではあるが、部外者である自分がスムーズに事を進めるにはモモンガの名前を出すのが一番手っ取り早いのだ。

 

「マーレ。牧場の準備は順調かな?」

「は、はい!えっと、既に平野は確保済みで、数百頭を飼育する厩舎と牧草地は出来ました」

 

 マーレの報告に、ヘルメスがうんうんと相槌を打つ。

 

 今回の『高位階魔法に耐えうる羊皮紙生産プロジェクト』の肝は、飼育する羊そのものを見直すというものである。

 マーレの森司祭としてのスキルを使用して牧場を用意し、アウラのテイマーとしてのスキルを使用して羊を放牧する。

 更に、ヘルメスの古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)固有スキルである、『無からの創造(クレアチオ・エクス・ニヒロ)』を使用し、生成される高レベルのデータクリスタルを、贅沢にも砕いて餌として与え、この世界の羊の質を高める、という計画だ。

 

「二人もご存知の通り、現在このナザリックでは、新たな高位階魔法のスクロールが生産出来ないという致命的な問題を抱えています。ナザリックに保管されているユグドラシル由来の羊皮紙を使う事も出来ますが、それは有限なものです」

「まぁ、それは分かるんですけれど……その、まどろっこしい作戦ですよね」

 

 アウラが少しだけバツの悪そうな顔で呟く。

 ヘルメスは、待ってましたとばかりに用意していた台詞を披露する。

 

「そうですね。しかし、ユグドラシルに保管されている資材を使用するという事は、ぶくぶく茶釜さん達が手ずから収集したモノを消費するという事でもあるのですよ?」

 

 闇妖精の双子は、はっとした表情を浮かべる。

 

「ぶ、ぶくぶく茶釜様のモノを消費するなんて、だ、駄目だと思います!」

「うん!このプロジェクト、なんとしても成功させなきゃ!」

 

 完全に親戚の叔父さん目線のヘルメスがうんうんと首肯する。

 更に言えば、この計画はナザリックとヘルメスの初の合同プロジェクトでもあり、信頼獲得のためにも、なんとかここで大きな成果を出しておきたいのだ。

 やがて、鼻息を荒くする双子の前にはオレンジジュースが運ばれ、ヘルメスの前にはオリジナルカクテル・ナザリックが差し出される。

 何層にも積みあがった不思議な色合いのカクテルで、一口飲んでみると、これがまた大変美味であった。

 至高の御方の友人として恥ずかしくないよう、所作に細心の注意を払いながらカクテルグラスを揺らし、それっぽい感想を述べることに集中する。

 

「……成程。歴史あるナザリックを表現した深い味わいのカクテルですね」

「ありがとうございます」

 

 表情は窺い知れないが、マイコニドのマスターは満足してくれた様子である。

 あまり細かな味の感想を聞かれると困るので、早々に話題を戻す。

 

「さて、プロジェクトの要である羊の調達ですが、この世界のエ・レエブルという土地で飼育されているブランド羊を手に入れたいと考えています」

「成程。いつ奪いにいくんですか?」

 

 さらっと奪うという発想になるアウラにナザリックの闇を感じるが、想定内である。

 一流の錬金術師は慌てないものなのだ。

 

「時期についてはモモンガさんと調整中です。シャルティアか私が現地に赴き、《転移門/ゲート》を使用して一気に運び込む予定です。牧場運営が始まったら忙しくなります。二人とも、頼りにしてますよ」

「えー……シャルティアも噛むんですか……いえ、分かりました!お任せください!」

「ぼ、僕も頑張ります!」

 

 プロジェクトの成功を祈り、改めて乾杯をする。

 賑やかな客にも、マイコニドのマスターは何も言わず、ただグラスを磨きあげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓第七階層――灼熱神殿。

 そこには赤を基調とする煉獄の世界に、白い柱が乱立した古代ギリシャ風の美しい神殿が立ち並ぶ、階層守護者デミウルゴスの管理する土地である。

 敬愛すべき創造主、至高の御方であるウルベルト・アレイン・オードルより与えられた部屋で、デミウルゴスは一人、とある作戦の立案作業を行っていた。

 

「デミウルゴスいる?」

 

 部屋の外から聞こえてきたのは、同じく階層守護者であるアウラのものであった。

 やがて、メイドが訪問の許可を求めてきたので、すぐに許可する。

 珍しい客だが、何用だろうか、と思いながらも部屋に招き入れた。

 

「やぁアウラ。君がこんなところまで来るとは珍しい。どういった用件かな?」

 

 創造主にかくあれと望まれたとおり、優雅な所作でもってデミウルゴスはアウラに質問する。

 

「ヘルメス様から預かりもの。デミウルゴスに渡しといてって」

「ヘルメス様が?分かりました。拝見しましょう」

 

 アウラが持っていたのは、紙の束であった。

 受け取った紙を何気なしに広げ、デミウルゴスは驚愕する。

 

「……アウラ。これは……」

 

 興味深げに部屋の装飾品を眺めていたアウラが、同様に紙を覗き込む。

 紙の束には、王都エ・ランテルの地図が印字されており、所々に赤字で×印がつけられたものだった。

 

「えっと、ヘルメス様のお店で、『とある薬』を購入していた顧客の位置情報だって。デミウルゴスにそう言えば分かるって言ってたけど……なんの薬かは私とマーレにも教えてくれなかったんだよね、ヘルメス様」

 

 そう説明すると、アウラは僅かに頬を膨らませた。

 しかし、デミウルゴスはそれに反応することも無く、じっと地図に見入る。

 何故なら、提供された地図、それこそが今最もデミウルゴスが求めていた情報だったからである。

 

「……恐ろしい。さすがはウルベルト様のご友人であらせられる御方……。いや、現地にいたヘルメス様だからこそ、このような事態をあらかじめ想定して……?」

 

 デミウルゴスが現在案を練っている作戦。

 それは、セバスが犯した失敗の尻拭いである。

 愚かしくもあのバトラーは、現地の人間に情を寄せ、王国の裏組織『八本指』の人間に弱みを握られるという大失態を犯したのだ。

 近日中に王国にあるセバスの出張先へ出向く予定なのだが、偉大なるナザリックとモモンガの顔に泥を塗った八本指を放置する筈も無く、秘密裏に始末する算段をつけていたところなのだ。

 

「……ちょっとデミウルゴス。一人で納得してないで、知っていることがあるなら教えてよ」

「あぁ、すまないねアウラ」

 

 アウラの拗ねた様な言葉に、デミウルゴスは普段通りの笑みを浮かべて答える。

 

「実は、王国に存在する裏組織の拠点を探していたところでね。所謂娼館を営んでいる連中であったのだが……この地図はその拠点が記載された大変有益なものなのだよ。」

「ふーん。さすがはヘルメス様ってこと?」

 

 その通りなのだが、そんな単純な話では無い。

 厳密には、この地図に記載されているのは『ヘルメスが錬成し、販売した精力剤』の位置探査を元に精査された、不審施設の位置が記載されたものだ。

 セバスが抱えているトラブルもまた、娼館に関するものだが、この情報がこのタイミングで提供された事が異常なのである。

 つまり、ヘルメスが事前に今回の事態を予想し、あらかじめ高価な精力剤という娼館で悪用されそうな商品を王国内にばら撒き、《物体発見/ロケート・オブジェクト》等の探査魔法で、それらが多く保管、使用されている場所を炙り出した――という事に他ならない。

 

「一体いつからこの計画を……そうか、恐らくは先の視察でセバスの甘さを見抜き、布石を打っていたという事でしょうか」

 

 更に言えば、拠点の割り出しなど、本来であればデミウルゴスがやるべき仕事を先回りして行った上で、デミウルゴスの手柄を横取りする形にならない様、アウラを経由させ『あくまで情報提供』という形をとっているのだ。

 デミウルゴスは自身の背中に冷たいものが流れるのを感じる。

 事が露見した後に動いている自分の、なんと愚鈍な事か。

 セバスの失敗に舌を打つ自分の、なんと愚蒙な事か。

 全てはヘルメスの掌の上――その事実に気が付き、デミルウルゴスは一人戦慄していた。

 

「ねー!一人で納得してないでよ!その地図、一体なんなの?」

「……ヘルメス様は、モモンガ様にも匹敵しうる素晴らしく知略に長けた御方という事さ。」

 

 腕を組み、頭を傾げるアウラの頭上には変わらず疑問符が浮いたままである。

 デミウルゴスはその場にいないヘルメスに深い畏敬の念を抱くとともに、立案中であった作戦の変更に思考を巡らせるのであった。

 

 

 

 

 

 

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