莫名灯火   作:しラぬイ

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─────月の綺麗な夜

  伽藍洞は終わりを告げた




/       03






None 灯火 03

 

 

 

─────始まりは初夜。

 

“知識”を“記憶”と呼ぶくらいにはまだ色濃く残っていた、その一番初めの夜。

明確に“自我”を得た日。

その頃には既に彼女は隣に居た。

 

 

 

 

 

 

とある小さな村に少年と彼女は居た。

親が居ない、という共通事項。

貧しい村の者達がなけなしの慈悲を以て空き小屋を提供し、そこに住まう子供が二人。

 

一目見た時は、彼女が誰であるかなど分かる筈も無かった。

それは年齢もさることながら余りに薄汚れていたという外見的理由もあり、己の状況を全く把握できていなかったという自己的理由もある。

 

だが、貧しい村に住む者にとって少年の自己など知った事ではないし、知る由も無い。

重税に次ぐ重税、不作、ありもしない金品を狙い襲ってくる賊。

それらが積み重なれば否応でも他者に辛辣になる。

 

人間を人間たらしめる“ココロ”に余裕が生まれない。

己が命、家族の命、それだけを明日へ繋ぐために精一杯。

そこに他者、ましてや他所からやってきた難民の子供にくれてやるだけの慈悲など到底持ち合わせていないだろう。

 

混乱ここに極まれり。“記憶”との相違、その落差。

ここが現実であると改めて理解し、他者が己らに向ける慈悲もほとんど持ち合わせていないと理解した時。

少年は彼女と共に小屋に戻っていた。

 

状況を見て聞いて理解して、ならば仕方がないと諦める訳にはいかない。

諦めれば死へ一直線だ。

 

雨風を最低限凌げる程度の小屋は元々農具置き場、これが村人達にとっての出来る限りの慈悲。

拙いながらもなんとか眠れる程度の、寝台と呼ぶには見窄らしい寝床を確保した居住性最悪の小屋。

 

ネオンの光も無ければ、時を刻む時計も無い。

夜には無音、その世界に微睡む泡沫(うたかた)

閉じる戸も無い窓から世界(ソト)を眺めてみれば、月が夜空に浮かび雪が深々と舞い降りる。

何をするでもなく、寝台に腰かけてただ眺めていた。

 

飢餓、凍死、疫病、盗賊、野犬、人食い獣。

衛生も治安も頭の中の“記憶”と比べるべくも無い。

この世界、子供だけで生きるには少々過酷が過ぎた。

 

気が滅入る。

混乱し、狼狽え、そして自身が置かれた状況にただただ呆然と途方に暮れる。

きっとこの場に誰も居なければ、とっくの昔に心は折れている。

 

折れなかったのは、単純に自分よりも幼い彼女が泣き言を一つも漏らさずに後ろについて来ていたから。

 

下らないプライド、ちょっとした見得、意味のない行為。

 

それでも。

お腹を鳴らしているのに何も言わずに我慢している彼女を見て、どうして己が取り乱せようか。

 

『ぅぅ…………』

 

無音の世界に聞こえてきた小さな呻き声。

この場に居るのが二人しかいない以上、それは眠っている彼女の声に他ならない。

すぐさま近寄って寝顔を確認すれば何かに魘されている様にも見え、体が小さく震え顔が少し青ざめている。

 

『これは………』

 

見覚えがあった、というよりは経験があった。

決まってこの後は風邪になり熱が出る。

 

今日、彼女が静かだったのはなんてことも無い。

朝から体調が優れなかった、ただそれだけだ。

医者では無いが、それくらいの判断は少年でも出来た。

 

『バカ………子供が何を我慢して!』

 

彼女のやせ我慢に悪態をつくが、内心それ以上に己への罵倒が上回る。

そしてそれすらも後回し。

 

薬などある筈も無く、居ない医者に頼るというのも却下して小屋の中を見渡す。

風邪のひき始めは冷ますのではなく体を温めて免疫力の上昇を促す。

が、こんなボロ小屋を見渡して使えそうなモノは藁程度、という結論に改めて頭を抱えてしまう。

 

『ど………─────の』

 

『………なんだ?』

 

どうすべきかと悩んでいると彼女が寝言か何かを小声で呟いた。

聞き取る為に顔を近づけて─────

 

 

『─────どこにいるの………お母さん』

 

 

─────その悲しい声に、近づけたことを後悔した。

 

 

 

 

ここはどこなのか。

どうしてこんな境遇に陥っているのか。

なぜここにいるのか(・・・・・・・・・)

 

─────人には常に意味がついて回る。

 

生きる意味ではなく、此処にいる意味。

生きる意味は後から付け足されるものだが、今ここにいる意味は確実に存在する。

存在しなければならない─────そうでなければ人ではない。

 

瞼を閉じて音の世界に沈んでいく。

繰り返した問いに解答する者はどこにも居ない。

少なくとも“今ここに居る意味”を見つけなければ前へは進めない。

今の自分は信念も目的もない、ただの抜け殻だ。

 

死にたい訳じゃない。

或いは己が完全なる無垢であれば何も悩む事はなく、ただ懸命に生きようとしていただろう。

 

だが、現実はそうではない。

無垢とは対極の存在であるというのは自身が一番理解している。

であればやはり少なくとも“今ここに居る意味”を見つけなければならない。

このままでは、ただの抜け殻なのだから。

 

「………………はぁ」

 

切り替える様に小さくため息をついた。

疲労が溜まるとどうも哲学染みた思考に逃避してしまうのはなぜだろう。

明るい月が銀世界を照らす景色を、家の中から窓越しに眺めていた。

 

 

あの後。

元々の免疫力が強かったのか或いは介護あってのことか、大事にならずに彼女の容態は回復した。

 

『─────どこにいるの………お母さん』

 

放っておく事は出来なかった。

 

体温を上げる、湿度を上げる。

その二つともクリア出来る状況ではない小屋では症状も悪化の一途。

いつ治るかも分かったモノじゃない。

 

ボロ小屋にあったボロボロの衣服と、自分が着ていた服を脱いで彼女に重ね着させ、背負って雪降る夜に飛び出した。

流石に目を覚ました彼女に対して有無を言わさず寝てる様に命令し、村の家々を訪ねて回る。

 

一番早いのは“薬をくれ”だが、この時代の薬などどこまで当てになるかわかったモノじゃない。

そもそもそんな高価なモノがあるかも不明で、よしんばあったとしても譲ってくれるなどと思わない。

そんな成功確率の低い交渉をするよりかは“家の隅っこでいいので今晩だけ泊めてくれませんか”の方がまだマシだ。

出来ればその後に体を温める為の布団的な何かを一晩だけでも借りれたのであれば行幸。

 

そういう思いで家をめぐって、運よく受け入れてくれた家で一夜を過ごした。

 

風邪自体は数日ほどで完治。

完治する間は自身の労働を対価に居候させて貰った。

勿論、その間家の住人に風邪を移さないよう細心の注意を払ったのは言うまでもない。

 

その時の労働や言葉遣いが“子供らしくない”という理由から、今は村の手伝いとして酷使されている。

中々の重労働は労働基準監督署に諸々訴える事が出来るレベルだが、対価として衣食住の確保は幾分しやすくなった。

信用という名の利用をされているとは把握しているが、このご時世で労働に対する対価が得られているだけでも十分恵まれているだろう。

少なくとも“奴隷”という立場ではないと断言出来た。

 

ならば、後は己の有用性を見せつけるだけだ。

 

─────ボロ小屋の中でそこまで思い至って、ふと脳裏を過ったのが“何のためにここにいるのか”という哲学染みた先ほどの思考であった。

 

「………どうした、恋。また眠れないのか?」

 

軋む音と共に瞼を開けて振り返れば彼女………恋が居た。

年齢に差は無いみたいなので精神的な意味でも兄の様な立場になる。

 

寝台から上体を起こして同じ様に隣に座る恋。

何をするワケでも無く、やはり同じように絵画の様な窓の外を眺めている。

ほんの少しだけ間が空いているのが今の距離関係。

それでも、寝台に添えた手にそっと触れてくる………そんな関係。

 

「………あったかい」

 

そんな一言が、ポツリと聞こえた。

 

「……………」

 

呆気に取られた。

一歩間違えば凍死しかねないボロ小屋の中でまともな暖を取ることは不可能…………つまり手が温かい筈がない。

試しに空いたもう片方の掌を首筋に当ててみるが、言うまでも無く冷たかった。

 

「温かい?」

 

だと言うのに此方の問いに恋は頷きで返答してくる。

 

「いや、冷たいと思うけどな。………寒いなら火を熾そうか?」

 

身体の芯から冷えるこの世界で、受け止めて零れる掌の温かさ。

さっきまで寝台と言うには見窄らしい寝床で、ありったけの布に包まっていた恋の掌の方がよほど温かい。

それでも寒いというのであれば暖を取るしかないが、この小屋に暖炉のような高等設備などある筈もなく、煙やら火の取り扱いを十全に把握している者が最後まで面倒を見る他ない。

つまり現状恋が火の番を務める事は不可能という意味になる。

 

「………」

 

「違う?」

 

フルフルと首を横に振って否定。

そのまま視線を落とす恋に釣られてみれば、添えるくらいの優しさで繋がった手と手。

 

「………手を繋いでると、身体があったかくなる………」

 

その手を硬く握って、恋は瞼を閉じ─────

 

「…………ずっと、このまま」

 

 

 

─────ただ寒くて

意味も分からずに 泣いてしまう─────

 

 

 

何かがストンと落ちてきた。

恋が今何を思っているのかは分からない。

 

けれど─────何かが自分の中で、カチリと切り替わった。

具体的な言葉は何一つ出てこないし、はっきりともしない。

それでも今まで脳裏を過り続けていた憂鬱とした思考が、それっきり思い浮かばなくなった。

 

「………そろそろ寝よう、恋」

 

言葉に頷いた恋と共に腰かけていた寝台に横になる。

クッションなどある筈もなく、雑魚寝と大して変わらない寝台の上で横にいる恋を優しく抱き寄せた。

 

「…………?」

 

「こうすれば、寒くないだろ?」

 

「…………うん」

 

瞼を閉じた恋の背中を静かにトン、トン、と単調なリズムで叩く。

ウトウトとし始めた頃には内側で静かな寝息で眠る姿を確認して、自分も意識を手放した。

 

 

 

 

─────伽藍洞の日々は終わりを告げた。

 

女の子なのだから衣服は少しでも良いものを。

よく食べる子だから少しだけでもお腹いっぱいに。

隙間風に凍え、眠る時に涙を流す少女を安心させたくて。

 

恋が見せる笑顔を見ると、我が身の様に嬉しくなる。

時折心の中で嘯く憂鬱とした思考もすぐさま消え去っていく。

 

それは月が綺麗な夜の日。

雪が綿の様に降り、相まって幻想的な景色を作り出した日の出来事。

 

 

きっとその日に救われた。

 

 

そう思うのは─────

 

 

◆◆◆

 

 

「………」

 

鳥の囀り、僅か肌寒く感じる夜明け。

微睡みの中で極上とも言える温かさに包まれている事を感じてやたらと重い瞼を開けると、よく見知った、間違えようのない顔がどアップで映し出された。

 

「……………起きた」

 

さながら動画撮影用のカメラに対してゼロ距離で顔を映すが如くの視覚情報の暴力に、流石の灯火も朝の挨拶すら忘れて恋の瞳を眺め続けた。

何だか懐かしい夢を見ていた様な気がするのはこれが原因だろう、なんて稼働率十パーセントに満たない脳が結論を出す。

 

「……………んむ」

 

半開きの瞼に一声も上げない灯火に少しだけ首を傾げまだ眠っていると判断した恋は、躊躇う事もなく灯火の唇を舌で舐めた。

口周りや頬が濡れた感覚があるのはこれが原因か、と納得する。

 

「─────」

 

腕をまわし、後ろ頭を優しく撫でていく。

幼少期から変わらぬ行為は最早起きる為の早朝の儀式の様相を呈している。

やらなくても問題はもう無いが、今までやってきた事をやらなくなるのは違和感しかない。

恋側から敬遠される日がいつか来るのだろうか、なんて考えていた幼き日の自分に伝えるとすれば、少なくともそんな日は一度も無かったぞと伝えるだろう。

 

「ん、…………」

 

恋の頬に朱が差した。

五感のうちの四つが情報で埋め尽くされている。

胸元から衣擦れの音。耳元には微かな息遣い。

豊かな胸の膨らみの形が変わるくらいには体は密着している。

腰に手を回し優しく抱きしめれば、応える様に体を更に密着させてくる。

 

優しく背中を撫でると気持ちよさそうに鳴く恋を見て、安堵する。

幸福や興奮も感じるが、それ以上に安堵する。

お互い少しだけ抱きしめる力を強めればより密着度が上がり、それはさながら抱き枕の様な状態。

どちらも言葉を発する事は無く、全ての感覚を今この瞬間に費やしている。

 

 

─────恐らく、そんな寝起きで全感覚を目の前に集中していたのがいけなかったのだろう。

 

「お兄ちゃん」

 

抱きしめていた手が震えた。

布の擦れる音の所為で目が覚めたのか、隣で眠っていた香風が起きていたのだ。

 

「………香風も、一緒に子猫の真似をしてた」

 

「うん。こうすればお兄ちゃんが気持ちよくなるって聞いた」

 

「…………なるほど」

 

睡眠妨害をしてしまったのではなく、最初から起きていたらしい。

であれば、この両頬が湿っていると感じた理由も理解できるし、同時に舐められていた理由も察しがついた。

周囲の明るさがいつもよりも若干明るいところから、何時もより目が覚めるのが遅かった。

子猫がやって来たのは恐らくご飯の催促だったのだろう。

 

あと別に頬は性感帯ではないことを後でそれとなく伝えておく。

 

「ん?」

 

そんな方向へ思考がトリップしていると、袖を香風が引っ張ってきた。

何も言わず、少しばかり俯きながらの上目遣いで、視線はしっかりと。

 

「…………同じこと」

 

恋と香風は同じことをしていた。

で、恋には今こうしてハグしている。

ならば当然香風にもされる権利はあるわけで。

 

「……………」

 

恋も香風が言いたい事を理解して素直に横に降りた。

 

「んー、寝起き香風成分だぁ」

 

わしゃわしゃと頭を撫でながら香風を抱き寄せる。

恋よりも体が小さく、それ故に体重も軽いので簡単に抱き寄せる事が出来る。

抵抗する事もなく逆にぴったりとくっついてきたその状況は、何時ぞやの天幕内での出来事の焼き直しの様な光景。

朝っぱらから何しているんだろうか、なんて疑問も寝起きの頭と幸福やら安堵やらが入り混じった今の状況では意味も無い。

 

「えへへ」

 

背中や髪を撫でていると空いたもう片方の手を香風の手が握り締めてくる。

その温かさに、やはり安堵する。

 

「………………………」

 

「ぐぇ。恋?」

 

香風を抱き寄せて十秒くらい見守っていた恋が、再び引っ付いてきた。

 

「…………恋も」

 

見つめる瞳が灯火を射抜く。

その声に静かなる圧力を感じた。

 

「………………」

 

数秒考えて導き出した結果に思わず頬が緩む。

街中でいきなりこんな顔をすれば軽く引かれるくらいの表情にはなっているかもしれない。

 

「二人とも可愛いなぁ」

 

「わぷっ」

「…………んむ」

 

寝起きという事もあって自制心がまだ半分くらいは眠っているらしく、思わず二人を抱き寄せてしまった。

必然的に二人分の体重が左右からかかってくるのだが、もはや今の灯火には関係ない。

二人の身体から受けるあらゆる五感の情報に寝具の温もりも相まって非常に心地がよく、それが促進剤の如く頬を更に緩ませる。

 

今は眠っているねねも然り。

ここに居る三人は疑う余地もなく、今ここにいる自分を必要としてくれている。

その事実だけで心は十全に満たされ、幸福を噛み締める。

 

昔は恋から。

ある時からねねも加わって。

今では香風も居る。

 

三人が笑顔で居てくれる。

その為ならばこの身この“知識”、最愛の三人のために。

 

きっと天秤に掛けられた時、片方にどれ程の人間が居ようとも必ず三人がいる方を選ぶ。

罪悪感を抱きながらも、それでも必ず選ぶだろう。

己の進む道はもう変わらない。

 

 

さあ─────今日は大切な人の“夢”を叶えに行こう。

 

 

 





大変遅くなり申し訳ありません。

今後はもう少し投降ペースを速められると思います(推測)


今後ともご愛読のほどよろしくお願いいたします。

次回はいよいよ香風。




香風(仮装)可愛いよ(真恋天下脳)

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