あと短い。
エンジェルが帰った後、一時間経った頃にローゼンが来店した。店の隅、いつもの席に座った彼を確認して、私は注文を取りに向かおうとした瞬間、誰かが隣を横切った。
ロナルドさんだ。サービスの水をグラス一杯持って、ローゼンの席に行き立ち止まると同時にその中身を彼に向かってぶちまけた。
「え……?」
予想外の行動に驚き、私は慌ててローゼンに駆け寄った。
「ちょっとロナルドさん何やってるんですか!ローゼン大丈夫!?」
「問題ない。すぐに乾く」
「待っててすぐにタオル持ってくるから!」
「必要ない。少し離れていろ」
タオルを取りに行こうと少し離れた隙に、ローゼンの身体から火が噴き出る。数秒間、炎に包まれたかと思うとやがて火は小さくなり、消えた時には完全に乾いた状態だった。
「さて、言い訳を聞こうか?」
「煩い黙れ!ミラちゃんがいるくせに他の女に浮気しやがって!」
「……?」
きょとんと首を傾げるローゼンに私も首を傾げる。何を言っているのか判らず、ローゼンは私を見て「どういう意味だ」と問う。
「とぼける気か!さっき変な格好をした女と一緒に店に来ただろう!!」
“変な格好をした女”というワードに私はついさっきまで来店していた星霊使いの姿を思い浮かべた。言葉をだいぶ濁しているが、ロナルドさんはさっきの格好を思い出したのか顔をだいぶ赤くしている。
当然、ローゼンはそんなことを知るはずもない。今までだって一人で来ていたのだから思い当たる節もなく、徐に激昂するロナルドさんの額に手を伸ばした。
「なっ、何を……!」
「……ふむ。なるほど、そういうことか」
触れた瞬間、ピリッと火花が散ってロナルドさんが後退り、その様子に目も暮れずローゼンは呟いた。
「エンジェルが来たんだな」
今の一瞬で状況を把握したローゼン。
誰も話していないのに何故–––。
そう考えて、ひとつだけ思い当たる魔法があった。
他人の記憶を読む魔法。思考を共有する魔法。そのどれもが使い手を選ぶ者だ。誰もが習得できるわけじゃなく、相応の思考処理速度が無ければ習得出来ないと言われているレアな魔法だ。
『ローゼンだから』で納得できるだけ、私も彼に毒されているのかもしれない。彼なら出来て当然と思ってしまう自分がいる。
「ミラちゃんもこんなやつの何処がいいんだよ!」
ローゼンと私が怒涛の展開に置いてけぼりにされていると、ロナルドさんはさらに声を荒げた。そんなに「ミラちゃん」と連呼しないで欲しい。今までお互いに名乗らず上手く演ってたのに。
–––でも、本当は薄々は気づいてたんじゃないかと思う。
酒場の客は私を“ミラちゃん”と呼ぶ。今でこそ昔とは全然違う私だけど、そう呼んだなら気づいたっていいはずだ。それにローゼンがここに来るのだってきっと私がいるから。何よりも私がそう思いたくて、それでも私達は素性を明かさなかった。なんだか、怖かったから。
「何を勘違いしているか知らないが、さっき来た俺に似た奴は俺じゃない」
「訳の分からない言い訳を並べ立てやがってそれでも男か!」
淡々とローゼンが事実を述べるも、ロナルドさんは聞く耳を持たなかった。確かに私も初見では気づかなかったけれど、一般の人には馴染みのない魔法なのか、さっきのジェミニをローゼンだと思っているようだ。終いにはとぼける彼に掴みかかって凄い剣幕で捲し立てた。
「ミラちゃんはなぁ泣いてたんだぞ!」
「おめぇミラちゃんを泣かせたんだってなぁ?」
「この街のアイドル泣かせたらただじゃおかねぇぞ!」
「そうだそうだ帰りやがれ!」
常連さんまで混じってヒートアップ。彼一人を取り囲んで責め立てる様子にどうしていいか判らず、でもこのままローゼンを追い出されると私にも不都合なわけで、困窮した私は咄嗟に声を張り上げた。
「やめてください!」
酒場に響き渡った私の声で、ようやく沈静する。
男達の酔って赤くなった顔といったら、もう……。
「違うんです。さっきの、えっとローゼンっぽい人は魔法で!」
「魔法だぁ……?」
「偽者なんです」
「なるほど。じゃあ、仕方ねぇな」
ローゼンの説明では納得してくれなかったのに……そう思っている間にも人垣は消え、やがてロナルドさんだけが残った。
「ロナルド」
「げっ、じいちゃん」
「話をややこしくするな。まったく」
「だけど……」
「これはミラちゃんの問題だ。それと、彼の」
バーカウンターで他の客の接客をしていたゲイツさんはロナルドさんの襟首を掴むと引き摺って奥へ引っ込んだ。その様子を苦笑いして眺めている間に、ローゼンは立ち上がって。
「邪魔したな。今日は帰ろう」
酒場を出て行ってしまう。
「あ……」
その背中に手を伸ばしかけて、虚空を掴む指先。
胸が騒ついた。もう来てくれないんじゃないかって。
どうしてそう思ったのか、って聞かれても私もどうしてか判らない。私の知らないローゼンを知ったからか、彼の背中が何処か寂しそうに見えて。
私は考える前に酒場を飛び出した。
酒場の外に出るともう既にローゼンの姿はなかった。
何処に、どっちに向かった?
私は直感のままに街の入り口の方へ。
そこでようやく見慣れた背中を見つけた。
「ローゼン!」
呼び掛けた声に反応して、立ち止まる彼。
「何だ?」
対応は冷たい。でも、態々立ち止まってくれるところが昔出会ったばかりのローゼンと全く同じで、不器用で非情になりきれない優しさを感じさせてくれる。そこが、好きで。
「はぁ…はぁ…」
ヒールの高い靴で走ったからか足が痛い。息を整えるために立ち止まって大きく深呼吸、衝動的に駆け出してきたからか何を言えばいいか判らず、引き留めるだけ引き留めて何も思いつかなかった。
「ねぇ、もう気づいてるんでしょう?」
だから、あくまで他人を装う彼に直球をぶつけてしまう。
「どうして名前で呼んでくれないの?」
彼は一度だって名前を呼んでくれない。酒場の人は“ミラちゃん”って呼ぶのを知っているはずなのに。
「どうしてここに来てくれるの?」
私に逢いに来てくれてるんだったら嬉しいだなんて、直接は言えないけれど。そうだったらいいな、と思っている自分がいる。
「どうして連れ戻そうとしないの?」
あなたが『帰ってきて欲しい』って言ってくれたなら、私はすぐにでもあなたのところに帰るのに。そう言って欲しい自分がいて。言ってくれないことに寂しさを覚える。
私は待ってる。いつまでも。ローゼンに必要とされるのを。愛してもらえるのを。
目頭が熱くなって、涙が溢れて。視線の先の彼が静かに私を見つめ返していることだけはわかっているんだけど、涙で滲んでよく見えない。
「ミラ」
夜空に溶けるような声が届いた。
私の名前を呼んでる。
ローゼンが呼んでくれるのが、嬉しくて。
同時に怖くもあった。答えを訊くのが。
「……綺麗になったな」
そんな時に予想もしないことを言われて、私は惚けた。
「えっ?」
「最初にお前を見つけた時、半信半疑だった。魔力は一致しているのに別人の姿をしてるんだ。それに急激に成長していて本人なのかどうか確証がなかった」
「……そう、なんだ」
珍しく戸惑った様子のローゼン。
私の変化は、彼を驚かせることになったらしい。
それがどんな意味であれ。
ローゼンを出し抜いたことが少し嬉しい。
「どうして此処に来るのかって言われてもな……。あの時のおまえは自暴自棄だったから、その様子見を兼ねてと言ったところだろう」
普段は疑いもしないローゼンの言葉に違和感を覚えた。
「ねぇ、それは……ローゼンがそうだったから?」
私は踏み込む。今まで干渉してこなかった領域に。ローゼンの隠している心に。ローゼンの隠している過去に。
するとローゼンは一瞬、驚いた顔をした。
「何を言っている?」
「エンジェルから聞いたの。ローゼンには昔好きだった女性がいるって」
「エンジェル……ジェミニ……そうか、そういうことか」
一人納得した様子でぼそぼそと呟くと、彼は視線を宙に彷徨わせながら言った。
「何処まで訊いた?」
「……大切な人が、ドラゴンに殺されたって……」
「それで終わりか?」
「……うん。私が訊いたのはこれだけ」
瞑目したままローゼンは俯いた。
「どうして連れ戻そうとしないか訊いたな。……俺にはその資格がない」
今度の声は、夜に消えてしまいそうなほど弱々しい。
そう言われて私も黙っていられなかった。
「ローゼンがまだその人のこと好きだから?」
無言。それを私は肯定と捉える。胸が少し痛い。けど、怯んでなんかいられない。私はもう我慢することも逃げることもやめる。そうでもしないと彼は私のことを見てくれないから。何よりもリサーナとの約束なのだ。妹とした最後の約束、守らないなんてお姉ちゃんじゃない。
「それでも私はローゼンのことが好き。忘れろなんて言わないわ。ねぇ、私を見て。もう子供じゃないのよ」
女として見てほしい私の告白。きっとローゼンは一度だって私のことをそういう相手として見たことがない。そう思って言った、けど……。
「……知ってるさ。ずっと前から」
ローゼンから返ってきた言葉は予想の斜め上。
彼は私を直視しないままに言う。
「俺にはかつて……いや、今でも忘れられない人がいる。だが、それと同じくらいおまえも大切に思っている」
「え、それって–––」
言葉の真意を問いただそうとした直後、夜の闇に消えるようにして彼はいなくなった。
「転移魔法?えぇ、ちょっと、なんで逃げるのよ!」
逃げた先であろうマグノリアの方角に向かって、夜に叫んだ。